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黎明に起つ

伊東潤氏による北条早雲の一代記。 北条早雲は、戦国初期に伊豆と相模を切り取った人物で、彼の子孫は約100年に渡って関東で繁栄しました。 早雲の生涯、特に前半生は長く謎に包まれていたのですが、近年の研究で、徐々に彼の事績が分かってきました。 この小説は、そういう最新の研究を織り込んで、…

北条早雲 日本

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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた大規模な災害。死者・行方不明者・負傷者は約2万5千人に及んだ。

出来事 日本

浅間神社は、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の三社からなる大社で、古来、人々の信仰と統治者の手厚い保護を得てきた。当神社は、賤機山(しずはたやま)の山麓にある。

静岡浅間神社

浅間神社は、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の三社からなる大社で、古来、人々の信仰と統治者の手厚い保護を得てきた。当神社は、賤機山(しずはたやま)の山麓にある。

寺社 日本 静岡県 静岡市

梅蔭禅寺は静岡県清水市にある臨済宗の古刹です。

清水次郎長の墓とその展示品があります(2010年時点で入場料300円)。
清水次郎長は任侠として知られていますが、清水港の整備や英語塾の開設など、社会事業にも足跡を残していることが紹介されています。

梅蔭禅寺

梅蔭禅寺は静岡県清水市にある臨済宗の古刹です。 清水次郎長の墓とその展示品があります(2010年時点で入場料300円)。 清水次郎長は任侠として知られていますが、清水港の整備や英語塾の開設など、社会事業にも足跡を残していることが紹介されています。

寺社 日本 静岡県 静岡市

普済寺はJR立川駅から南西数百メートルほどのところにあり、多摩川を見下ろす台地の端にある。

普済寺は東京都立川市にある臨済宗建長寺派の寺院で、武蔵七党西党日奉の支族である立河氏の館があったと言われている。
1504年の立河原合戦の時には、山内上杉顕定が擁する古河公方・足利政氏が陣取ったとされる。

寺域には、土塁跡が残っている。

普済寺

普済寺はJR立川駅から南西数百メートルほどのところにあり、多摩川を見下ろす台地の端にある。 普済寺は東京都立川市にある臨済宗建長寺派の寺院で、武蔵七党西党日奉の支族である立河氏の館があったと言われている。 1504年の立河原合戦の時には、山内上杉顕定が擁する古河公方・足利政氏が陣取ったとさ…

立河原合戦 寺社 日本 東京都 立川市

臨済宗大徳寺派の大本山で、京都の紫野に所在します。
大徳寺に在籍いた僧として、一休宗純や沢庵が有名です。また、大仙院庭園は、東山文化を代表する枯山水の庭園として知られています。

北条早雲は幕府に出仕していた時代に、大徳寺で住持の春浦宗熙に禅を学んでいました。早雲の法名、宗瑞は、大徳寺系のものだと言われています。なお、早雲の出家は、伊豆討ち入りのころと言われており、それ以降は、早雲庵宗瑞を名乗りました(それ以前は、伊勢新九郎を名乗っていました)。

大徳寺

臨済宗大徳寺派の大本山で、京都の紫野に所在します。 大徳寺に在籍いた僧として、一休宗純や沢庵が有名です。また、大仙院庭園は、東山文化を代表する枯山水の庭園として知られています。 北条早雲は幕府に出仕していた時代に、大徳寺で住持の春浦宗熙に禅を学んでいました。早雲の法名、宗瑞は、大徳寺系のも…

寺社 日本 京都府 京都市

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高幡城

高幡城は、東京都日野市にある金剛寺(高幡不動)の裏山にある山城。 浅川が高幡城の南西から北東に向かって流れ、浅川と多摩川が北東で合流する。また、浅川・多摩川を含め、当城の北側の土地を遠望できる。 享徳4年(1455年)1月、鎌倉公方・足利成氏勢と山内・扇谷両上杉勢は、府中の分倍河原から東京…

日本 東京都 日野市

【動画|山中城御馬場曲輪(約30秒)】山中城岱崎出丸の御馬場曲輪よりすり鉢曲輪方面を撮影。御馬場曲輪はすり鉢曲輪などと比べて、高所にあり、見晴らしがいい(駿河湾をはじめ、沼津方面がよく見える)。

動画中盤には沼津の香具山と徳倉山が見えている。
左側の木がなければ、韮山城方面も見えるらしい。そうであれば、山中城は駿東と北伊豆を一望できるということになる。

写真は御馬場曲輪の南側にある空堀でかなり大規模。案内板によると、畝の傾斜は50-60度あり、堀底から曲輪までの高さは平均9mに及ぶ。

駿河湾

城が駿河湾というのは変ですが、仕様上、今はこれで対処します。

山野河川 日本 静岡県 沼津市

<p>臼井城本丸から印旛沼方面を撮影。<br>当時の臼井城は印旛沼に面していたが、その様子が想像できる。</p>

臼井城

印旛沼の水運を押さえる城の1つ。 長尾景春の乱で、景春に味方した下総千葉氏を境根原で撃破(1478年、境根原の戦い)した太田道灌は、文明11年(1479年)下総千葉勢の立てこもる臼井城を攻めた。半年ほどしても臼井城は容易に落ちなかったので、道灌勢は一旦陣を引き始めたところ、千葉勢が城から出撃…

日本 千葉県 佐倉市

練馬城は、東京都練馬区の豊島園辺りに位置し、平安時代から続いた豊島氏の城の1つだった。

文明9年(1477年)1月、長尾景春の乱がはじまると、豊島氏は長尾景春に与して、関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏(以降、両上杉氏と記します)と対立した。豊島氏の勢力は、ちょうど、扇谷上杉氏の拠点である河越城と江戸城を分断する位置にあったため、両上杉氏は窮地に陥った。

同年4月、危機を脱すべく、江戸城主で扇谷上杉氏の家宰の太田道灌は練馬城に攻め寄せた。
道灌が一旦引いたところ、石神井城と練馬城の豊島勢が追撃してきたため、江古田・沼袋で戦いとなった。結果は、豊島勢は大敗した。
その後、豊島氏のもう1つの拠点、石神井城も道灌に攻略されたため、豊島氏は没落した。

なお、城の近辺は、宅地化が進み、遺構はほとんど残っていない。

(*)写真は練馬城(現、豊島園)に向かって流れる石神井川。

練馬城

練馬城は、東京都練馬区の豊島園辺りに位置し、平安時代から続いた豊島氏の城の1つだった。 文明9年(1477年)1月、長尾景春の乱がはじまると、豊島氏は長尾景春に与して、関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏(以降、両上杉氏と記します)と対立した。豊島氏の勢力は、ちょうど、扇谷上杉氏の拠点である河越城…

日本 東京都 練馬区

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糟屋館

糟屋館は、太田道灌の主、扇谷上杉氏の本拠地だった。 道灌は関東の戦乱で活躍するが、道灌の勢力伸長を恐れた主の扇谷上杉定正に謀殺された。 糟屋周辺には、道灌にまつわる石碑や神社などが多数ある。 糟屋館の位置は、はっきりしていない。かつては、上粕屋にある産能大学あたりと言われていたが、近年の…

日本 神奈川県 伊勢原市

石神井城は東京都練馬区に位置し、平安時代から続いた豊島氏の拠点。

文明9年(1477年)1月、長尾景春の乱がはじまると、豊島氏は景春に与して、関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏(以降、両上杉氏と記します)と対立した。豊島氏の勢力は、ちょうど、扇谷上杉氏の拠点である河越城と江戸城を分断する位置にあったため、両上杉氏は窮地に陥った。
同年4月、危機を脱すべく、扇谷上杉氏の家宰、兼、江戸城主、太田道灌は豊島勢の守る練馬城に攻め寄せた。道灌が一旦引いたところ、石神井城と練馬城の豊島勢が追撃してきたため、江古田・沼袋で戦い(東京都中野区)となった。結果は、豊島勢の大敗となった。
道灌は、豊島勢が守る石神井城を攻め、最終的に攻略した。

石神井城は都心に近いわりに、遺構がよく残っている。

石神井城

石神井城は東京都練馬区に位置し、平安時代から続いた豊島氏の拠点。 文明9年(1477年)1月、長尾景春の乱がはじまると、豊島氏は景春に与して、関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏(以降、両上杉氏と記します)と対立した。豊島氏の勢力は、ちょうど、扇谷上杉氏の拠点である河越城と江戸城を分断する位置にあ…

日本 東京都 練馬区

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川越城

入間川が北を通る。北武蔵の鉢形城、南武蔵の江戸城を結ぶ、中武蔵の最重要拠点。 享徳の乱がはじまり、扇谷上杉氏は古河公方と対立すると、河越城は武蔵の拠点として、扇谷上杉氏の重臣、太田道真、道灌親子によって築かれた。 河越城は、入間川を押さえる要地にあった。扇谷上杉氏としては、太田道灌の守…

日本100名城 日本 埼玉県 川越市

小机城は、神奈川県中部に位置し、鶴見川のほとりにある小規模ながら、堅固な平山城です。遺構はよく残っています。
1477年、山内上杉氏の家臣、長尾景春は五十子陣(山内・扇谷上杉氏の拠点)を急襲・崩壊させることで、長尾景春の乱(1477-80)がはじまりました。小机城には、景春の与党が立てこもったため、1478年、扇谷上杉氏の家宰、太田道灌は小机城を攻撃し、落城させました。この時、道灌が「小机は 先ず手習いの 始めにて いろはにほへと ちりじりになる」という戯れ歌を作り、兵を鼓舞した話は有名です。
その後、小机城は相模・武蔵を制圧した小田原北条氏の拠点として戦国末期まで機能しました。

小机城

小机城は、神奈川県中部に位置し、鶴見川のほとりにある小規模ながら、堅固な平山城です。遺構はよく残っています。 1477年、山内上杉氏の家臣、長尾景春は五十子陣(山内・扇谷上杉氏の拠点)を急襲・崩壊させることで、長尾景春の乱(1477-80)がはじまりました。小机城には、景春の与党が立てこもったた…

日本 神奈川県 横浜市

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丸子城

文明8年(1476年)、今川家の当主・今川義忠が遠江で戦死したことによって、今川家の家督相続問題が発生した。その結果、義忠の従兄弟・小鹿範満が守護を代行することになった。その間、義忠の嫡男氏親は丸子城に隠棲していたと言われている。 丸子城は、東海道を押さえる要地にあり、今川の本拠地、駿府館の…

日本 静岡県 静岡市

神奈川県厚木市七沢に位置し、北からの敵に対して、扇谷上杉氏の本拠地、糟屋館を守る役割を果たしていた。
長享の乱がはじまり、山内上杉氏と扇谷上杉氏は対立関係になった。長享2年(1488年)2月、山内上杉顕定は千余騎を率いて鉢形城を出発し、扇谷上杉定正の本拠地である糟屋館を攻略すべく南下し、顕定勢は七沢城を囲んだ。
その間に、定正は手勢二百を率いて、七沢城に急行し、七沢城の南方、1kmほどのところにある実蒔原で、定正勢は顕定勢を奇襲し、打ち破った(実蒔原合戦)。
現在、城の中核部分には、神奈川リハビリテーション病院が建ち、遺構は残っていない。

七沢城

神奈川県厚木市七沢に位置し、北からの敵に対して、扇谷上杉氏の本拠地、糟屋館を守る役割を果たしていた。 長享の乱がはじまり、山内上杉氏と扇谷上杉氏は対立関係になった。長享2年(1488年)2月、山内上杉顕定は千余騎を率いて鉢形城を出発し、扇谷上杉定正の本拠地である糟屋館を攻略すべく南下し、顕定勢は…

実蒔原合戦 日本 神奈川県 厚木市

長享2年(1488年)11月(須賀谷原の合戦の約5ヵ月後)、山内上杉顕定勢3000余騎と扇谷上杉定正勢2000余騎が、高見原(埼玉県比企郡小川町から寄居町今市付近)で戦った。この戦いでも、定正は勝利したと言われている。

高見原の戦い

長享2年(1488年)11月(須賀谷原の合戦の約5ヵ月後)、山内上杉顕定勢3000余騎と扇谷上杉定正勢2000余騎が、高見原(埼玉県比企郡小川町から寄居町今市付近)で戦った。この戦いでも、定正は勝利したと言われている。

長享の乱 合戦 日本 埼玉県 比企郡

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高見城

鉢形城と松山城を結ぶ鎌倉街道上道を東に見下ろす位置にあり、市野川の上流にあたる。つまり、市野川沿いに歩くと、松山城に至る。 長享の乱(山内上杉顕定勢と扇谷上杉定正勢の戦い)で高見原合戦(1488年)が高見城の眼下で行われた。

日本 埼玉県 比企郡

長享2年(1488年)6月(実蒔原の戦いの約4ヵ月後)、山内上杉顕定勢と扇谷上杉定正勢は、須賀谷原で戦った。この戦いでも、定正は勝利した言われている。
また、万里集九の漢詩集には、この戦いで700余名と数百匹の馬が犠牲になったと伝えている。

(*)菅谷館の北にある武蔵嵐山駅から北側を撮影。この辺りが須賀谷原。

須賀谷原の戦い

長享2年(1488年)6月(実蒔原の戦いの約4ヵ月後)、山内上杉顕定勢と扇谷上杉定正勢は、須賀谷原で戦った。この戦いでも、定正は勝利した言われている。 また、万里集九の漢詩集には、この戦いで700余名と数百匹の馬が犠牲になったと伝えている。 (*)菅谷館の北にある武蔵嵐山駅から北側を撮影。…

上杉定正 上杉顕定 合戦 日本 埼玉県 比企郡

文明9年(1477)、長尾景春は両上杉氏の対古河公方拠点、五十子陣を攻撃して、崩壊させた。両上杉首脳は利根川を渡り、東上野に逃れた。
江戸城-河越城ラインを分断しようとする豊島氏を打ち破った太田道灌は、両上杉首脳を救出すべく、北上した。道灌は、景春をおびき寄せるため、景春の拠点の鉢形城と五十子陣の間に陣を構えた。すると、景春勢が出撃してきたので、これを用土原・針ヶ谷(埼玉県大里郡寄居町周辺)で戦い、打ち破った。

(*)用土原・針ヶ谷の戦いがどこで行われたのか、定かではないが、参考のため、用土原の写真を撮った。この付近は平野となだらかな丘陵が広がっている。

用土原・針ヶ谷の戦い

文明9年(1477)、長尾景春は両上杉氏の対古河公方拠点、五十子陣を攻撃して、崩壊させた。両上杉首脳は利根川を渡り、東上野に逃れた。 江戸城-河越城ラインを分断しようとする豊島氏を打ち破った太田道灌は、両上杉首脳を救出すべく、北上した。道灌は、景春をおびき寄せるため、景春の拠点の鉢形城と五十子陣…

太田道灌 長尾景春 合戦 日本 埼玉県 大里郡

韮山城は、現在の韮山高校周辺にあった。韮山城の西側を下田街道が通っている。

平安末期には鎌倉北条氏の拠点が南西1kmほどのところにあった(現在の願成就院の辺り)。また、室町時代には、堀越公方館も願成就院の辺りにあった。

室町時代、1493年に北条早雲が伊豆討ち入り、堀越公方の足利茶々丸を追ったのち、早雲は韮山城を本拠地とした。後北条氏の本拠地が小田原に移ったのは、後北条氏2代の北条氏綱からで、早雲は生涯、韮山城が居城だった。
早雲亡き後も、伊豆支配の中心地として機能した。

早雲の伊豆討ち入りから約100年後の天正18年(1590年)、豊臣秀吉による関東侵攻がはじまった。韮山城では、豊臣秀吉の4万4千余の大軍を相手に、後北条氏4代北条氏政の弟、北条氏規が3600の兵で3ヶ月間持ちこたえた。しかし、有力な支城郡が落城し、後北条氏にとって絶望的な状況となったため、説得に応じて開城した。

なお、韮山城の北側に、江戸後期に活躍した江川太郎左衛門英達の屋敷がある(彼は韮山代官で、韮山反射炉や品川の台場の築造、西洋流砲術家として有名)。

韮山城

韮山城は、現在の韮山高校周辺にあった。韮山城の西側を下田街道が通っている。 平安末期には鎌倉北条氏の拠点が南西1kmほどのところにあった(現在の願成就院の辺り)。また、室町時代には、堀越公方館も願成就院の辺りにあった。 室町時代、1493年に北条早雲が伊豆討ち入り、堀越公方の足利茶々丸…

日本 静岡県 伊豆の国市

江古田・沼袋原の戦いは、長尾景春の乱の最中に起こったの戦いの1つで、東京都中野区の江古田あたりで戦われたと言われています。

長尾景春に味方する豊島氏が、太田道灌の江戸城と武蔵の扇谷上杉氏の拠点、川越城を分断すべく、石神井城と練馬城で蜂起しました。道灌は練馬城を攻撃した後、江戸城に戻ろうとしたところ、豊島氏が石神井城と練馬城から出撃してきたので、江古田あたりで戦いとなりました。

結果は、道灌方の大勝に終わり、江戸城-川越城分断という長尾景春の戦略に大きな狂いを生じさせることになりました。

江古田・沼袋原の戦い

江古田・沼袋原の戦いは、長尾景春の乱の最中に起こったの戦いの1つで、東京都中野区の江古田あたりで戦われたと言われています。 長尾景春に味方する豊島氏が、太田道灌の江戸城と武蔵の扇谷上杉氏の拠点、川越城を分断すべく、石神井城と練馬城で蜂起しました。道灌は練馬城を攻撃した後、江戸城に戻ろうとした…

豊島泰経 太田道灌 合戦 日本 東京都 中野区

長享の乱がはじまり、山内上杉氏と扇谷上杉氏は対立関係になった。

長享2年(1488年)2月、山内上杉顕定は千余騎を率いて鉢形城を出発し、扇谷上杉定正の本拠地である糟屋館を攻略すべく、南下した。
この時、河越城でこの報告を得た定正は手勢二百騎を率いて、顕定勢を追った。定正勢は、顕定勢を実蒔原で奇襲し撃退した。定正が寡兵で勝利したのは地形をよく知っていたからだとされている。

実蒔原合戦

長享の乱がはじまり、山内上杉氏と扇谷上杉氏は対立関係になった。 長享2年(1488年)2月、山内上杉顕定は千余騎を率いて鉢形城を出発し、扇谷上杉定正の本拠地である糟屋館を攻略すべく、南下した。 この時、河越城でこの報告を得た定正は手勢二百騎を率いて、顕定勢を追った。定正勢は、顕定勢を実蒔原…

上杉定正 上杉顕定 合戦 日本 神奈川県 厚木市

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境根原の戦い

文明10年(1478年)、古河公方と和睦交渉をはじめた両上杉氏の敵は、長尾景春勢のみとなった。 下総千葉氏は景春の有力な味方だったため、太田道灌はこれを打ち破るべく、文明10年(1478年)12月、下総に侵攻し、国府台に陣取った。千葉勢も軍を進め、両者は千葉県柏市の境根原で戦った。 結果は、道…

太田道灌 合戦 日本 千葉県 柏市

三保の松原は静岡県清水区の南東部に位置しており、北東に富士山をのぞむ白砂青松の景勝地として有名です。

三保の松原

三保の松原は静岡県清水区の南東部に位置しており、北東に富士山をのぞむ白砂青松の景勝地として有名です。

山野河川 日本 静岡県 静岡市

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鎌倉散歩24コース

当書はコンパクトに鎌倉の史跡案内と小事典が載っていて重宝します。 また、軽いので、持ち運びは楽です。

鎌倉散歩 日本 神奈川県 鎌倉市

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知的生産の技術

梅棹忠夫氏(民族学、比較文明論)による情報整理論。

梅棹忠夫 日本

武田信玄の父。内乱が続いた甲斐を統一。

武田信虎

1494年 〜 1574年

武田信玄の父。内乱が続いた甲斐を統一。

人物 日本

大永元年(1521年)、福島正成率いる駿河勢は1万5千ともいう大軍で甲斐に侵入した。
同年9月16日には富田城を落とした。その1か月後の10月16日、駿河勢は北上、武田信虎は2千の兵で迎え撃ち、飯田河原で駿河勢を撃退した(飯田河原合戦)。

11月23日、駿河勢は再度攻勢に出て、飯田河原から2kmほど上条河原で信虎勢と激突した。信虎は駿河勢を撃破し大勝した(上条河原合戦)。

上条河原合戦古戦場付近。石碑などはないらしい。
写真は秩父往還が通っている橋付近から荒川左岸を撮影した。

上条河原合戦

大永元年(1521年)、福島正成率いる駿河勢は1万5千ともいう大軍で甲斐に侵入した。 同年9月16日には富田城を落とした。その1か月後の10月16日、駿河勢は北上、武田信虎は2千の兵で迎え撃ち、飯田河原で駿河勢を撃退した(飯田河原合戦)。 11月23日、駿河勢は再度攻勢に出て、飯田河原から…

合戦 日本 山梨県 甲府市

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早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
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歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
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