さて、ローマや前漢が覇権を争っていた頃、西欧と日本はどうだったのでしょうか。
その頃、日本では数多くの小国ができ、互いに争っていたようです。日本の記録はなく、『漢書地理志』や『魏志倭人伝』といった中国の史書に日本の様子が少しだけ書かれています。
古墳時代になると、大規模な古墳ができはじめます。これは多くの労働力が必要なことから、大きな権力が存在していたことを示しています。ただ、文字による記録がほとんどないので、実際に何があったのかよく分かっていません。大和朝廷が成立すると、日本でも文字による記録が残りはじめます。
その後、大和朝廷は唐王朝から律令制度を輸入して、国家体制を刷新して、いわゆる、「日本」という本格的な国家が成立します。これが7-8世紀(持統天皇の頃)のことです。
西欧では紀元1世紀頃、カエサル(シーザー)の遠征によって、今のフランスの辺りがローマ領となりました。その後、ライン川やエルベ川を挟んで、ローマとゲルマン人が押し合いを続けていました。
4世紀頃、中央アジアからフン人が西へ移動してきたことで、ゲルマン人の一派がそれに押されて移動し始め、玉突き事故的にゲルマン人の大移動がはじまりました。
ゲルマン人の諸派は西欧のローマ領に侵入して、ローマ領では大混乱が起きました。その後、ゲルマン人は部族を中心とした国家を形成します。ゲルマン人は徐々にキリスト教とローマの国家体制を吸収して、8世紀にフランク王国(カロリング朝)が成立し、800年にカール大帝がローマ教皇から西ローマ皇帝に戴冠されることで、西欧的な世界が成立しました。
日本の律令国会の成立と西欧のフランク王国の成立、時期が似ていませんか。同じ8世紀頃ですね。
なかなか興味深い話です。
(つづく)
作成日:2014/7/4
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