北条早雲は、室町体制の崩壊期から戦国の黎明期を生きた戦国大名です。
早雲が生きた時代は、室町から戦国時代への転換期でした。つまり、北条早雲の生涯をみていくことで、室町体制が崩壊する様子がよく分かります。
・「室町から戦国時代への動きと北条早雲の生涯ーフィールドをゆく(1)ー」が早雲登場の時代背景です
・「室町体制崩壊期の関東と太田道灌ーフィールドをゆく(2)ー」が早雲登場以前の関東の情勢です
・「戦国黎明と北条早雲ーフィールドをゆく(3)ー」が早雲の生涯です
では、ごゆっくりご覧ください。
投稿日: 2014/06/22
はじめに:
■ 「フィールドをゆく」について
「フィールドをゆく」というのはかつて私が運営したブログの名前です。この度、ブログ記事を文明探索に移すことにしました。
■ 前置き
北条早雲が生まれる少し前、すでに破綻しかけていた関東の室町体制が享徳の乱で崩壊。その約10年後に応仁の乱が京で勃発した。
こういった混乱と室町体制崩壊の原因は何だったのだろうか?
■ 室町から戦国時代への動きと北条早雲の生涯
まずは、ざっくりと室町から戦国時代への動きを説明し、その中で早雲はいかなる生涯をおくったのか概観する。
・早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
早雲が生きた時代は、室町から戦国時代への転換期だった。つまり、北条早雲の生涯をみていくことで、室町体制が崩壊する様子がよく分かる。まずは、早雲登場の時代背景を説明する。
・応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
戦国時代は応仁の乱からはじまるという見解があるほど、この乱は重要な乱だった。しかし、複雑怪奇な時代であったためか、応仁の乱を扱った定番の歴史小説は意外と少ない。そこでこの時代の歴史小説と参考書を紹介する。
・北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
北条早雲の名を知っている人は多いと思うが、彼の生涯となると、断片的な知識のみという方もいると思われる。そのため、早雲の生涯を概説する。
作成日:2014/6/13 fuji3zpg 開く
作成日:2014/6/14 fuji3zpg 開く
作成日:2014/6/21 fuji3zpg 開く
まとめ:
まずは、北条早雲登場の時代背景と彼の生涯をざっくり見てきました。
次は関東の室町体制崩壊期を見ていきましょう。
主役は、名将と名高い太田道灌です。
投稿日: 2014/06/22
はじめに:
■ 北条早雲以前の関東について
関東が戦国時代に突入したのは、応仁の乱の前に起こった享徳の乱からだと言われている。その享徳の乱で名を馳せたのが太田道灌だった。その道灌ゆかりの話である。
・現代に甦る山吹伝説?
太田道灌は早雲が関東に介入する以前に大活躍し、文武両道の名将として伝説になった人物である。これは現地訪問の話と道灌の山吹伝説を絡めた話。
・「現代に甦る山吹伝説?」-その後-
城巡りというものは私にとって興味深いものだが、面白さの反面と危険もある。その辺を書いた。
・空より広き 「谷中湖」の原?
関東平野は広い。どれだけ広いか、伝えてみた。
・「長尾為景」になり損ねた男、長尾景春
別の戦国時代をつくる可能性を持っていた男、長尾景春。彼が起こした「長尾景春の乱」について考える。
作成日:2014/6/21 , 地図あり fuji3zpg 開く
作成日:2014/6/22 , 地図あり fuji3zpg 開く
作成日:2014/6/22 , 地図あり fuji3zpg 開く
作成日:2014/6/22 fuji3zpg 開く
まとめ:
北条早雲以前、太田道灌が活躍した時代について、現地訪問を踏まえて、記事を書いた。何かしたら伝われば、幸いである。
次は北条早雲が登場!
投稿日: 2014/06/24
はじめに:
■ 太田道灌や足利義政らの応仁の乱世代から一世代後が北条早雲の世代だった。早雲の世代はすでに乱世が始まりつつあり、早雲もまた渦中を生きた。
早雲の出自としては、現在は備中国出身説が有力なようだ。長じて後、京で室町将軍の奉公衆として仕えた。そして、今川家の家督相続問題解決のために駿河に下り、甥の今川氏親を今川家の当主に据えることで、戦国大名としての一歩を踏み出すことになる。
■ 早雲 第1期(1456-1486年): 京から駿河へ
・安部川餅の誤算
2010年の梅雨の時期に、駿河における早雲、縁の地をめぐってきた。その初日の話。ご当地グルメのチョイスにはご注意を。
・さった峠の試練
自転車で史跡をめぐる面白さと大変さ、そして、現地の人々との交流を書いた。
■ 第2期:1487-1505 伊豆討ち入りと小田原城奪取、そして、立河原の戦い
・小田原城周辺をめぐる
早雲が攻略した小田原城はどのような城だったのか。また、小田原城近辺の足柄平野の城を2つ巡った。
・立河原の戦い
1504年の立河原の戦い縁の地をめぐった。
立川駅→普済寺→多摩川(立河原の戦い付近)→高幡城→関戸城→枡形山城
■ 第3期:1506-1512 細川政元暗殺からはじまる混乱の中、早雲は両上杉氏相手に戦いをはじめる
この時期は早雲の転換点となる重要な時期だが、まだ書いていない。そのうち、1本書かないといけない。
なお、武田信虎の戦いはこの時期にはじまった。早雲が本腰を入れて、甲斐に介入できなかった理由は両上杉との戦いにあった。
■ 第4期:1513-1519 東相模侵攻戦、三浦一族の滅亡、そして、早雲逝去
・三浦一族の滅亡-かわらけー
早雲は、1509年から本格的に両上杉氏相手に戦いをはじめたが、直接の相手は扇谷上杉朝良であり、扇谷上杉氏の配下で、実質的に東相模を領有している三浦一族だった。しかも、三浦市の当主は文武両道の誉れ高い三浦道寸。両雄は相模の岡崎で、次いで鎌倉で激突する。
早雲は三浦勢を打ち破り、三浦道寸を新井城に追い詰めた。扇谷上杉朝良の援軍が来襲するが、これも撃破し、ついに三浦一族の最期の日がやってくる。そして、早雲の余命も長くはなかった。。。
シリーズの完結編、クライマックスへ!
作成日:2014/6/24 , 地図あり fuji3zpg 開く
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