投稿日: 2014/06/24
はじめに:
■ 太田道灌や足利義政らの応仁の乱世代から一世代後が北条早雲の世代だった。早雲の世代はすでに乱世が始まりつつあり、早雲もまた渦中を生きた。
早雲の出自としては、現在は備中国出身説が有力なようだ。長じて後、京で室町将軍の奉公衆として仕えた。そして、今川家の家督相続問題解決のために駿河に下り、甥の今川氏親を今川家の当主に据えることで、戦国大名としての一歩を踏み出すことになる。
■ 早雲 第1期(1456-1486年): 京から駿河へ
・安部川餅の誤算
2010年の梅雨の時期に、駿河における早雲、縁の地をめぐってきた。その初日の話。ご当地グルメのチョイスにはご注意を。
・さった峠の試練
自転車で史跡をめぐる面白さと大変さ、そして、現地の人々との交流を書いた。
■ 第2期:1487-1505 伊豆討ち入りと小田原城奪取、そして、立河原の戦い
・小田原城周辺をめぐる
早雲が攻略した小田原城はどのような城だったのか。また、小田原城近辺の足柄平野の城を2つ巡った。
・立河原の戦い
1504年の立河原の戦い縁の地をめぐった。
立川駅→普済寺→多摩川(立河原の戦い付近)→高幡城→関戸城→枡形山城
■ 第3期:1506-1512 細川政元暗殺からはじまる混乱の中、早雲は両上杉氏相手に戦いをはじめる
この時期は早雲の転換点となる重要な時期だが、まだ書いていない。そのうち、1本書かないといけない。
なお、武田信虎の戦いはこの時期にはじまった。早雲が本腰を入れて、甲斐に介入できなかった理由は両上杉との戦いにあった。
■ 第4期:1513-1519 東相模侵攻戦、三浦一族の滅亡、そして、早雲逝去
・三浦一族の滅亡-かわらけー
早雲は、1509年から本格的に両上杉氏相手に戦いをはじめたが、直接の相手は扇谷上杉朝良であり、扇谷上杉氏の配下で、実質的に東相模を領有している三浦一族だった。しかも、三浦市の当主は文武両道の誉れ高い三浦道寸。両雄は相模の岡崎で、次いで鎌倉で激突する。
早雲は三浦勢を打ち破り、三浦道寸を新井城に追い詰めた。扇谷上杉朝良の援軍が来襲するが、これも撃破し、ついに三浦一族の最期の日がやってくる。そして、早雲の余命も長くはなかった。。。
シリーズの完結編、クライマックスへ!
作成日:2014/6/24 , 地図あり fuji3zpg 開く
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