投稿日: 2014/06/26
はじめに:
■ 各国集権: 信玄の父、武田信虎の甲斐統一戦
北条早雲の時代、甲斐の武田家は分裂しており、あまり問題にならなかったが、早雲の子、北条氏綱の時代には、武田信虎が甲斐を統一してから関東に介入して、猛威を奮う。まるで、山から猛虎が踊り出てくる感じである。どうしてこういうことになったのだろうか。私は不思議に思い、信虎について調べ始めた。
まずは早雲と信虎の関係について述べた後、甲府盆地での歴史サイクリングのレポートを行う。
■ 北条早雲と武田信虎の関係
・はじめに: 北条早雲と武田信虎は同時代人
まずは早雲と信虎は同時代人であったこと、両者の主力が正面から衝突する情勢ではなく、同時時代人である印象が薄い点について述べる。
■ “荊棘の甲斐統一戦、武田信虎の「その時」を追う”シリーズ
・その1 信虎以前-
フィールドに出る前に、武田信虎以前の動きをおさえる。
・その2 信虎初陣
若くして、父が死去し、信虎は14歳で家督を相続し、甲斐守護となった。しかし、若年当主の就任を好機と見た、叔父、油川信恵が牙を剥く。翌年、少年信虎と叔父の軍勢はと曽根の勝山で激突する。信虎は初陣を勝利で飾れるか。歴史サイクリングは初日、塩山(恵林寺)-石和(川田館)-曽根(勝山城)をめぐった。
・その3 信虎、大井信達と戦う
叔父、油川信恵を倒して武田家内部の戦いに勝利した青年信虎だったが、駿河の今川氏親の支援を受けた大井信達が蜂起。甲斐統一を目指す信虎の前に立ち塞がる。 歴史サイクリングは2日目、信玄堤(竜王)-椿城(上野城)-富田城(富田)をめぐった。
・その4 駿河勢、甲斐に乱入-
大井信達との戦いに敗れた信虎だったが、何とか勢力挽回して、大井信達と和睦。その後も順調に足元を固めた。しかし、順風は長く続かなかった。駿河から大軍が押し寄せてきたのである。一転、信虎は人生最大の危機に陥った。激しい戦いが続く最中、信虎の嫡男、のちの信玄が誕生する。父親となった28歳の信虎は今回の戦いも生き残ることはできるのか。
歴史サイクリングは2日目の続き、富田城(富田)-飯田河原古戦場(飯田)-上条河原合戦古戦場(上条)をめぐった。
・その5 躑躅ヶ崎館と要害山城 -
武田三代の本拠地、躑躅ヶ崎館跡。福島勢乱入の折に、信虎の正室、大井夫人が避難して、太郎(信玄)を産んだ積翠寺。そして、躑躅ヶ崎館の詰めの城、要害山城を巡った。
歴史サイクリングは3日目、武田神社(躑躅ヶ崎館跡)-積翠寺-要害山城をめぐった。
作成日:2014/6/25 , 地図あり fuji3zpg 開く
まとめ:
1つのノートに6記事分を入れたので、大変長くなりました。
果たして、読みきれる人はいるのでしょうか(笑
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