印旛沼の水運を押さえる城の1つ。
長尾景春の乱で、景春に味方した下総千葉氏を境根原で撃破(1478年、境根原の戦い)した太田道灌は、文明11年(1479年)下総千葉勢の立てこもる臼井城を攻めた。半年ほどしても臼井城は容易に落ちなかったので、道灌勢は一旦陣を引き始めたところ、千葉勢が城から出撃してきた。道灌勢は反撃して、千葉勢を打ち破り、臼井城を落とした。
しかし、この戦いで、道灌は弟であり、右腕と頼む太田資忠を失った。また、臼井城を落としたものの、千葉勢を追撃する余力は道灌勢にもなかった。
現在、当城は臼井城址公園として整備され、遺構も本丸、二の丸を中心によく残っている。
1566年、上杉謙信は北条勢がこもる臼井城を攻撃しているが、大きな痛手を受けて撤退している。関東介入を繰り返していた謙信だったが、臼井城での敗退で南関東での影響力を失った。
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作成日:2014/6/21 , 地図あり, by fuji3zpg 開く
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