項目カテゴリー: 全カテゴリー | 博物館・史料館 | | テレビ番組 | 人物 | 山野河川 | | 合戦 | 寺社 | 出来事 | その他

情報の文明学

梅棹忠夫氏による情報産業到来を説いた書。

梅棹忠夫 情報産業論 その他

文明の生態史観

梅棹忠夫氏の「文明の生態史観 」を収録した本。 文明の生態史観は、ユーラシアの植生分布地図をベースに、ユーラシアの構造と歴史を説明するという理論 構成になっていて、日本と西ヨーロッパを第一地域、中国世界、ロシア世界、インド世界、地中海・イスラム世界の半乾燥地帯の各文明を第二地域に分けて…

梅棹忠夫 文明の生態史観 世界

日本名城百選

名城モノは、天守などの建築物で選ばれることが多いが、本書は縄張りを中心に選んでいる点に特徴がある。 名城ベスト10は4ページ、その他の城は2ページで構成され、各城のページには歴史、特徴、見どころ、写真、そして、縄張図が付いている。 数ある名城本の中でもハイクオリティな本。

名城本 日本

城のつくり方図典

城郭専門家・三浦正幸氏による城の本。 城の選地・曲輪・虎口の作り方からはじまって城下町の作り方まで、城の作り方を切り口にした書。 イラストや写真も多く、分かりやすい。 城の入門書を読み終わったら、手にとってみたい。

城の作り方 三浦正幸 日本

本多忠勝

1548年 〜 1610年

徳川四天王の一人。 徳川家康に仕え、長篠の戦い、小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦いなどで戦功を立てた。伊勢桑名10万石を与えられた。

関ヶ原の戦い 徳川四天王 人物 日本

【関ヶ原の戦いと江戸城】江戸城本丸から同じく本丸の天守台を撮影。

関ヶ原の戦いの折り、石田三成挙兵を聞いた徳川家康は小山城から引き返し、江戸城に入った(慶長5年(1600年)8月5日)。
ここで味方を増やすため、現在確認されているだけで122通に及ぶ書状を書きまくった。特に、上方に戻った豊臣恩顧の大名(福島正則、池田輝政、黒田長政ら)が多かった。

池田輝政

1564年 〜 1613年

織田信長、豊臣秀吉に仕えた。関ヶ原の戦いでは、徳川家康の東軍につき、播磨52万石を与えられた。

関ヶ原の戦い 姫路城 人物 日本

関ヶ原合戦公式本

監修は小和田哲男氏、著者は大和田泰経氏。 豊臣秀吉の死から関ヶ原合戦の本戦・東北・九州など各地の合戦など、広義の「関ヶ原の戦い」が解説されています。 関ヶ原検定の2級・3級の模擬問題付き。

関ヶ原の戦い 日本

毛利敬親

1819年 〜 1871年

幕末の長州藩主。村田清風を登用し、藩政改革を行った。 幕末の混乱期には藩論が変転するも、藩主の地位を維持。薩摩と同盟し、倒幕に成功した。

幕末 長州藩 人物 日本

村田清風

1783年 〜 1855年

長州藩政を改革し(多額の負債を整理し、交易を振興して)、藩財政を好転させた。

藩政改革 長州 人物 日本

阿部正弘

1819年 〜 1857年

福山藩主。25歳で老中となり、ペリー来航時に対応した。江川英龍、勝海舟など、広く優秀な人材を登用し、開国路線を進めた。

ペリー来航 人物 日本

【歩きに歩いた男、吉田松陰〜花燃ゆ 第2回「波乱の恋文」〜】吉田松陰は幕末の長州藩士で、尊王攘夷派思想を唱え、また、長州藩・萩の松下村塾で、高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文などを育てた人物として知られています。

しかし、松陰の足跡を見ていくと、彼が机上の学者ではなく、「旅する学者」であることが分かるでしょう。
彼は山鹿流の兵学者であったので、その目で日本諸国を見て廻り、海防の状況の調べたのでした。そして、名のある人物を尋ね、常に自分の考えを磨き続けたのでした。

そういう求道者的な態度に加えて、元来の聡明さと孟子的な熱意でもって、歳月を過ごしたものですから、年々、彼の知見は深まり、凄みを増していったのではないでしょうか。それが多感な若者たちを吸引して、松下村塾に集わせたのかなと思います。

さて、松陰は1850年の九州遊学を皮切りに、下田密航(1854年)で捕らえれるまで、日本諸国を歩きに歩きました。
1851年に江戸遊学、そして、同年、脱藩して、東北視察へ。翌年、江戸に戻ってきました。
長州藩は彼を萩への送還しました。

ここが第2回までの内容です。

松陰はわずか3年の間に、九州、江戸、東北を歩きに歩いたのでした。
しかも徒歩で。

花燃ゆでは、このあたりのプロセスがサクッと縮められていました。
もっとガッツリ知らたい方は司馬遼太郎『世に棲む日日』をご覧になるといいと思います。

久坂玄瑞

1840年 〜 1864年

吉田松陰の松下村塾で学び、高杉晋作と共に「双璧」とうたわれた人物。 松蔭亡きあと、長州藩の尊皇攘夷を推進するが、禁門の変(1864年)で自刃した。 2015年NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公、杉文の夫でもある。

禁門の変 松下村塾 人物 日本

杉文

1843年 〜 1921年

吉田松陰の妹、久坂玄瑞の妻。 のちに、群馬県令の楫取素彦(かとりもとひこ)と再婚し、楫取美和子と名乗った。 2015年のNHK大河ドラマの主人公。

人物 日本

北政所

1548年 〜 1624年

豊臣秀吉の正室。

人物 日本

歴群[図解]マスター 城

城の復元イラストを多数手がけている、イラストレーター・香川元太郎氏による城の入門書。 城の歴史・構造から著名な城の紹介まで、美しいイラストで解説されている。 城のことを知っている人も、城の美しいイラストにグッとくるのではないかと。

城入門書 日本

下田城は小田原北条氏の伊豆水軍の拠点だった。

豊臣秀吉の小田原戦役(1590年)の際は、清水康英率いる約600名が籠城し、秀吉の水軍を前に約50日にわたって交戦したが、開城した。

下田城

下田城は小田原北条氏の伊豆水軍の拠点だった。 豊臣秀吉の小田原戦役(1590年)の際は、清水康英率いる約600名が籠城し、秀吉の水軍を前に約50日にわたって交戦したが、開城した。

豊臣秀吉 北条氏 清水康英 日本 静岡県 下田市

岩崎弥太郎

1834年 〜 1885年

人物 日本

戦国黎明期の武将。生涯で伊豆、相模の2国を切り取る。

北条早雲

1456年 〜 1519年

戦国黎明期の武将。生涯で伊豆、相模の2国を切り取る。

人物 日本

荒木村重

1535年 〜 1586年

人物 日本

甲信を中心に勢力を形成した有力戦国大名。京都を目指したが、途中で病没した。

武田信玄

1521年 〜 1573年

甲信を中心に勢力を形成した有力戦国大名。京都を目指したが、途中で病没した。

人物 日本

江戸城(皇居東御苑)の大手門の渡櫓門が改修中でした。
今年(2015年)9月までのようですね。 
http://www.kunaicho.go.jp/info/fushimiyagura.html

江戸城

扇谷上杉氏の家宰、太田道灌が築城したと言われている。北条2代目、北条氏綱の時、北条氏が江戸城を奪取し、南武蔵の拠点とした。 1590年の小田原戦役で、北条氏が滅亡すると、徳川家康が江戸城に入城し、その後、明治維新まで江戸幕府の本拠地となった。 江戸城(現、皇居)は、太田道灌によって、築城さ…

日本100名城 日本

ノート【更新順】
岡山県の没落武士
江戸東京たてもの園を訪問
コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
もっと見る
ノートまとめ【更新順】
関ヶ原の戦いの動画
淀川の城
姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
もっと見る
歴史年表【更新順】
『おんな城主 直虎』年表
花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
歴史家・歴史小説家とその時代
もっと見る
特集
関ヶ原の戦い
幕末維新
文明論
北条早雲
人物【更新順】
子母澤寛
周布政之助
小田村伊之助
もっと見る
出来事【更新順】
新型コロナウィルス感染拡大に伴い、東京など7都道府県で非常事態宣言が発令
中国の武漢で新型コロナウィルスが人に感染
令和に改元決定
もっと見る
世界史古代概論
世界史古代概略
ローマと前漢、不思議な成立の符合
古代の日本と西欧
戦国のはじまり
早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
お知らせ
特集ページを追加
検索ページを追加しました
ドメイン変更のお知らせ
もっと見る
歴ウス
公式Twitterページ
歴ウス
公式Facebookページ
歴ウス
公式YouTubeチャンネル