関ヶ原の戦いを人気作家7名が描いた「競作長編」(2014/11/19発売)。 (当書の説明書きによると)東軍を伊東潤(徳川家康)、天野純希(織田有楽齋)、吉川永青(可児才蔵)が、西軍を葉室麟(石田三成)、上田秀人(宇喜多秀家)、矢野隆(島津義久)、冲方丁(小早川秀秋)が担当!
関ヶ原の戦い 本 日本
1546年 〜 1614年
最上義光(よしあき)は山形城を拠点に勢力を広げ、伊達政宗らと争った。 関ヶ原の戦いでは、最上義光は東軍に属して伊達政宗と共に、上杉景勝勢と戦った。その功績を認められ、山形57万石を与えられた。
関ヶ原の戦い 人物 日本
佐和山城は石田三成の居城。 関ヶ原の戦いでは、光成の西軍が敗北し、佐和山城も落城した。
関ヶ原の戦い 石田三成 城 日本 滋賀県 彦根市
伏見城は東山の丘陵の最南端にあり、南は巨椋池で大坂と京都を結ぶ要衝にあった。 伏見城は3度築城された。 1)592年、豊臣秀吉が伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に築城した(指月伏見城) 2)慶長伏見地震で倒壊後、木幡山に再度築城したのが木幡山伏見城という。 3)秀吉によ…
関ヶ原の戦い 豊臣秀吉 鳥居元忠 博物館・史料館 日本 京都府 京都市
1535年 〜 1619年
島津貴久の次男で、島津義久の弟。 関ヶ原の戦いでは、西軍に味方し東軍と激しく戦ったが、敗走。 敗戦したものの、徳川家康に許されて、本領安堵された。
関ヶ原の戦い 泗水の戦い 人物 日本
下野国で栄えた小山氏の本拠地。 関ヶ原の戦いでは、石田三成挙兵の報告を受けて、徳川家康が諸将を集めて、軍議を開いた(これが有名な「小山評定」)。
関ヶ原の戦い 徳川家康 小山評定 城 日本 栃木県 小山市
1548年 〜 1610年
徳川四天王の一人。 徳川家康に仕え、長篠の戦い、小牧・長久手の戦い、関ヶ原の戦いなどで戦功を立てた。伊勢桑名10万石を与えられた。
関ヶ原の戦い 徳川四天王 人物 日本
1564年 〜 1613年
織田信長、豊臣秀吉に仕えた。関ヶ原の戦いでは、徳川家康の東軍につき、播磨52万石を与えられた。
関ヶ原の戦い 姫路城 人物 日本
監修は小和田哲男氏、著者は大和田泰経氏。 豊臣秀吉の死から関ヶ原合戦の本戦・東北・九州など各地の合戦など、広義の「関ヶ原の戦い」が解説されています。 関ヶ原検定の2級・3級の模擬問題付き。
1582年 〜 1602年