長享2年(1488年)11月(須賀谷原の合戦の約5ヵ月後)、山内上杉顕定勢3000余騎と扇谷上杉定正勢2000余騎が、高見原(埼玉県比企郡小川町から寄居町今市付近)で戦った。この戦いでも、定正は勝利したと言われている。
長享の乱 合戦 日本 埼玉県 比企郡
長享2年(1488年)6月(実蒔原の戦いの約4ヵ月後)、山内上杉顕定勢と扇谷上杉定正勢は、須賀谷原で戦った。この戦いでも、定正は勝利した言われている。 また、万里集九の漢詩集には、この戦いで700余名と数百匹の馬が犠牲になったと伝えている。 (*)菅谷館の北にある武蔵嵐山駅から北側を撮影。…
上杉定正 上杉顕定 合戦 日本 埼玉県 比企郡
文明9年(1477)、長尾景春は両上杉氏の対古河公方拠点、五十子陣を攻撃して、崩壊させた。両上杉首脳は利根川を渡り、東上野に逃れた。 江戸城-河越城ラインを分断しようとする豊島氏を打ち破った太田道灌は、両上杉首脳を救出すべく、北上した。道灌は、景春をおびき寄せるため、景春の拠点の鉢形城と五十子陣…
太田道灌 長尾景春 合戦 日本 埼玉県 大里郡
江古田・沼袋原の戦いは、長尾景春の乱の最中に起こったの戦いの1つで、東京都中野区の江古田あたりで戦われたと言われています。 長尾景春に味方する豊島氏が、太田道灌の江戸城と武蔵の扇谷上杉氏の拠点、川越城を分断すべく、石神井城と練馬城で蜂起しました。道灌は練馬城を攻撃した後、江戸城に戻ろうとした…
豊島泰経 太田道灌 合戦 日本 東京都 中野区
長享の乱がはじまり、山内上杉氏と扇谷上杉氏は対立関係になった。 長享2年(1488年)2月、山内上杉顕定は千余騎を率いて鉢形城を出発し、扇谷上杉定正の本拠地である糟屋館を攻略すべく、南下した。 この時、河越城でこの報告を得た定正は手勢二百騎を率いて、顕定勢を追った。定正勢は、顕定勢を実蒔原…
上杉定正 上杉顕定 合戦 日本 神奈川県 厚木市
文明10年(1478年)、古河公方と和睦交渉をはじめた両上杉氏の敵は、長尾景春勢のみとなった。 下総千葉氏は景春の有力な味方だったため、太田道灌はこれを打ち破るべく、文明10年(1478年)12月、下総に侵攻し、国府台に陣取った。千葉勢も軍を進め、両者は千葉県柏市の境根原で戦った。 結果は、道…
太田道灌 合戦 日本 千葉県 柏市
大永元年(1521年)、福島正成率いる駿河勢は1万5千ともいう大軍で甲斐に侵入した。 同年9月16日には富田城を落とした。その1か月後の10月16日、駿河勢は北上、武田信虎は2千の兵で迎え撃ち、飯田河原で駿河勢を撃退した(飯田河原合戦)。 11月23日、駿河勢は再度攻勢に出て、飯田河原から…
合戦 日本 山梨県 甲府市
大永元年(1521年)、福島正成率いる駿河勢は1万5千ともいう大軍で甲斐に侵入した。 同年9月16日には富田城を落とした。その1か月後、駿河勢は北上したため、武田信虎は2千の兵で、ここ飯田河原に陣取った。 10月16日に両軍は激突したが、寡兵にも関わらず、信虎は駿河勢を撃退した。
福島正成 武田信虎 合戦 日本 山梨県 甲府市