大永元年(1521年)、福島正成率いる駿河勢は1万5千ともいう大軍で甲斐に侵入した。
同年9月16日には富田城を落とした。その1か月後、駿河勢は北上したため、武田信虎は2千の兵で、ここ飯田河原に陣取った。
10月16日に両軍は激突したが、寡兵にも関わらず、信虎は駿河勢を撃退した。
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