山梨県から静岡県に下ってくる川で、「日本三急流の1つ」と言われいます。 源平合戦の「富士川の戦い」が下流の川岸で行われ、有名な水鳥の音に驚いた平氏方が敗走したという話が残っています。この時の源氏方の大将が、武田信義で、武田信玄の先祖です。 戦国時代には、武田氏、今川氏、小田原北条氏が駿河・…
静岡県 山野河川 日本 静岡県 富士市
興津川の東側にある山。東から静岡市内に入るにはこの難所をおさえる必要がある。 1569年に武田信玄が駿河に侵攻したとき、信玄は今川氏真の軍をこの地で破った。その後、信玄は、今川勢の救援に来た後北条氏の軍と対陣したが、結局、勝負はつかず、信玄は興津川沿いに撤退した。
城 日本 静岡県 静岡市
三保の松原は静岡県清水区の南東部に位置しており、北東に富士山をのぞむ白砂青松の景勝地として有名です。
山野河川 日本 静岡県 静岡市
文明8年(1476年)、今川家の当主・今川義忠が遠江で戦死したことによって、今川家の家督相続問題が発生した。その結果、義忠の従兄弟・小鹿範満が守護を代行することになった。その間、義忠の嫡男氏親は丸子城に隠棲していたと言われている。 丸子城は、東海道を押さえる要地にあり、今川の本拠地、駿府館の…
韮山城は、現在の韮山高校周辺にあった。韮山城の西側を下田街道が通っている。 平安末期には鎌倉北条氏の拠点が南西1kmほどのところにあった(現在の願成就院の辺り)。また、室町時代には、堀越公方館も願成就院の辺りにあった。 室町時代、1493年に北条早雲が伊豆討ち入り、堀越公方の足利茶々丸…
城 日本 静岡県 伊豆の国市
浅間神社は、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の三社からなる大社で、古来、人々の信仰と統治者の手厚い保護を得てきた。当神社は、賤機山(しずはたやま)の山麓にある。
寺社 日本 静岡県 静岡市
城が駿河湾というのは変ですが、仕様上、今はこれで対処します。
山野河川 日本 静岡県 沼津市
長らく維持された甲相駿三国同盟が破れたあと、深沢城は武田と北条の間で激しい争奪戦が繰り広げられた。 北条綱成が籠もる深沢城に、武田信玄が放った矢文の話は有名。
城 日本 静岡県 御殿場市
城 日本 静岡県 裾野市
黄瀬川が東側を流れ、駿河・伊豆の境目の城であったことから、今川・武田、北条が、そして、のちには徳川が保持すべく、争った。 現在では、パッと見て、ここが城跡だとは気づかないと思うが、城山神社がある南郭とその北側の八幡曲輪には明瞭な遺構がある。
城 日本 静岡県 駿東郡
北条早雲が今川氏の家督相続に介入する際に築いたされる城。
城 日本 静岡県 焼津市
今川義元で有名な駿河今川氏の本拠地。桶狭間の戦いで義元が戦死して以降、今川氏は急速に衰退し、義元の子、氏真の時に武田信玄に侵略され、今川館は焼失した。徳川時代には今川館跡に駿府城が築かれたとされている。
今川館跡に、将軍職を退いた徳川家康が駿府城に入り、大改修を行った。
日本100名城 城 日本 静岡県 静岡市
日本100名城 城 日本 静岡県 三島市
日本100名城 城 日本 静岡県 掛川市
伊豆の国人、狩野一族の本拠地。 北条早雲が伊豆に討ち入った際、狩野氏は、堀越公方の足利茶々丸の与党だったため、早雲と敵対した。 茶々丸が早雲に滅ぼされると、狩野道一は早雲に帰順し、北条氏の重臣となっていった。 ・参考(リンク先のPDF参照) http://kanko.city.izu.shizu…
城 日本 静岡県 伊豆市
北条早雲の伊豆討ち入り後、南下する早雲勢と中伊豆の狩野勢(早雲の敵対勢力、足利茶々丸の味方)が、現在の修善寺駅近くに位置する柏久保城で激突した。 柏久保城を狩野川沿いに南下すると、狩野城に至り、大見川沿いに東に行くと、大見城に至る。つまり、柏久保城は、2つの川の接結点にある要地だった。 大見城の…
北条早雲の伊豆討ち入り前の居城。 北から愛鷹山がせり出し、東海道を圧迫する地形に興国寺城はある。当時は、城の東側に船着場があったとのこと。
城 日本 静岡県 沼津市
梅蔭禅寺は静岡県清水市にある臨済宗の古刹です。 清水次郎長の墓とその展示品があります(2010年時点で入場料300円)。 清水次郎長は任侠として知られていますが、清水港の整備や英語塾の開設など、社会事業にも足跡を残していることが紹介されています。
下田城は小田原北条氏の伊豆水軍の拠点だった。 豊臣秀吉の小田原戦役(1590年)の際は、清水康英率いる約600名が籠城し、秀吉の水軍を前に約50日にわたって交戦したが、開城した。
豊臣秀吉 北条氏 清水康英 城 日本 静岡県 下田市