項目カテゴリー: 全カテゴリー | 博物館・史料館 | | テレビ番組 | 人物 | 山野河川 | | 合戦 | 寺社 | 出来事 | その他

大永元年(1521年)、福島正成率いる駿河勢は1万5千ともいう大軍で甲斐に侵入した。
同年9月16日には富田城を落とした。その1か月後、駿河勢は北上したため、武田信虎は2千の兵で、ここ飯田河原に陣取った。
10月16日に両軍は激突したが、寡兵にも関わらず、信虎は駿河勢を撃退した。

飯田河原合戦

大永元年(1521年)、福島正成率いる駿河勢は1万5千ともいう大軍で甲斐に侵入した。 同年9月16日には富田城を落とした。その1か月後、駿河勢は北上したため、武田信虎は2千の兵で、ここ飯田河原に陣取った。 10月16日に両軍は激突したが、寡兵にも関わらず、信虎は駿河勢を撃退した。

福島正成 武田信虎 合戦 日本 山梨県 甲府市

富田城は釜無川と笛吹川の合流点の北側、つまり、釜無川の西側にあった城。
現在の甲西工業団地付近にあったという。

1521年、駿河勢が甲斐に侵入した際に、駿河勢は武田信虎の軍勢を富田城の南で破り、次いで富田城を落とし拠点とした。

富田城

富田城は釜無川と笛吹川の合流点の北側、つまり、釜無川の西側にあった城。 現在の甲西工業団地付近にあったという。 1521年、駿河勢が甲斐に侵入した際に、駿河勢は武田信虎の軍勢を富田城の南で破り、次いで富田城を落とし拠点とした。

日本 山梨県 南アルプス市

武田信虎と戦った大井信達の居城。
後に両者は和睦し、信虎は大井信達の娘(大井夫人)を娶った。彼らの嫡男が武田信玄。
そのため、信玄の母の里という側面も持つ城。

甲府盆地の西麓の上野にあったという。地名をとって、上野城、椿が多かったため、椿城ともいった。南アルプスから伸びた台地の一つが上野で、北と南には深い渓谷があり、東側は急斜面になっている。

椿城

武田信虎と戦った大井信達の居城。 後に両者は和睦し、信虎は大井信達の娘(大井夫人)を娶った。彼らの嫡男が武田信玄。 そのため、信玄の母の里という側面も持つ城。 甲府盆地の西麓の上野にあったという。地名をとって、上野城、椿が多かったため、椿城ともいった。南アルプスから伸びた台地の一つが上野…

日本 山梨県 南アルプス市

川田館跡は、武田信玄の父、武田信虎が躑躅ヶ崎館に移すまで、甲斐守護所だった。
平等川の左岸にある。

川田館跡

川田館跡は、武田信玄の父、武田信虎が躑躅ヶ崎館に移すまで、甲斐守護所だった。 平等川の左岸にある。

日本 山梨県 甲府市

関戸城

鎌倉街道が東側を通る台地上にあり、北に関戸宿があった。

日本 東京都 多摩市

松田城

松田氏の居城。 松田氏は鎌倉幕府樹立以前より、この地に勢力を張っていたという。 室町後期には、小田原城から勢力を広げてくる大森氏に圧迫されていた。そのため、北条早雲を関東入りを助けたとされる。 その後、松田氏は北条氏の重鎮となり、小田原戦役で北条氏が没落するまで栄えた。

日本 神奈川県 足柄上郡

真田信繁

1567年 〜 1615年

人物 日本

岩原城は大森氏頼(寄栖庵)の隠居後の居城といわれ、舌状台地の上に築かれていた。

南の小田原城、東の松田城、そして、北の足柄平野の入り口を監視できる位置にある。

岩原城

岩原城は大森氏頼(寄栖庵)の隠居後の居城といわれ、舌状台地の上に築かれていた。 南の小田原城、東の松田城、そして、北の足柄平野の入り口を監視できる位置にある。

大森氏頼 日本 神奈川県 南足柄市

【三保の松原】<p>訪れたのが、梅雨時期の月曜日の午後2時ごろというのもあってか、観光客は少なかった。</p>
<p>伊東潤『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』の「道灌謀殺」(12ページ)において、雲が切れて、富士山と松が黄金色に染まるという意味の描写がある。そのような景色を期待していたが、今回はダメだった。</p>

疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち-

北条早雲が主人公の歴史小説としては司馬遼太郎『箱根の坂』が有名ですが、既に一世代経つなかで、新学説が出てきています。新説に対応した作品が伊東潤『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』です。 この作品は主人公からその時代を見るという伝統的な手法と違い、早雲に関わった人から早雲を見るという…

伊東潤 日本

薩埵山

興津川の東側にある山。東から静岡市内に入るにはこの難所をおさえる必要がある。 1569年に武田信玄が駿河に侵攻したとき、信玄は今川氏真の軍をこの地で破った。その後、信玄は、今川勢の救援に来た後北条氏の軍と対陣したが、結局、勝負はつかず、信玄は興津川沿いに撤退した。

日本 静岡県 静岡市

五十子陣

「いかっこじん」と読む。 関東で享徳の乱(1454-82)が勃発し、鎌倉府は滅亡、鎌倉公方は古河に移り、古河公方となった。関東管領の山内上杉氏と扇谷上杉氏(以降、両上杉氏と記述)は、古河公方と対決するため、利根川に対面する丘陵の端に五十子陣を構築した。 五十子陣は、北武蔵の重要拠点であった…

日本 埼玉県 本庄市

図説 太田道潅―江戸東京を切り開いた悲劇の名将

黒田基樹氏による太田道灌の一般向け解説書。 ビジュアルも多彩で関東にも道灌時代のものが残っていることに気づく。

長尾景春の乱 太田道灌 ヨーロッパ

叛鬼

長尾景春が主人公の歴史小説。著者は伊東潤氏。 長尾景春は関東の戦国時代の黎明期に、主筋の山内上杉顕定に反旗を翻し、戦い続けた人物。 景春の前に立ちはだかったのが、名将・太田道灌。血縁関係もあり、幼少の頃より、鎌倉で共に育ったという両雄の戦いの行方は!

伊東潤 長尾景春 日本

関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川

埼玉・千葉・東京・神奈川の64名城を収録している。 1つの城につき、原則4ページの解説があり、見やすいレイアウト。 出版社は吉川弘文館。 『日本城郭大系』は偉大な本だが、何せ出版年が古い。この本は2011年に出版されているので、知識をアップデートするのにも適している。

日本

本佐倉城は、太田道灌と対立した下総千葉氏の本拠地で、印旛沼に接した堅固な城だった。文明16年(1484年)、千葉孝胤が築城したという。

本佐倉城

本佐倉城は、太田道灌と対立した下総千葉氏の本拠地で、印旛沼に接した堅固な城だった。文明16年(1484年)、千葉孝胤が築城したという。

印旛沼 日本 千葉県 印旛郡

賊将

応仁の乱に関する歴史小説。 池波正太郎『賊将』は6つの短編小説で1冊の本になっており、その第1作目が「応仁の乱」です。短編小説とは言っても、180ページほどあるので、十分読み応えがあります。

応仁の乱 日本

戦国の魁早雲と北条一族

一般向けの北条氏解説書。写真・マップも多く、記述も分かりやすいです。マニアックになりすぎず北条氏のことを知りたい人向けです。

小田原北条氏 日本

後鳥羽天皇

1180年 〜 1239年

高倉天皇の第4皇子。 土御門天皇に譲位後、院政を行った。伸長する鎌倉幕府に対抗するため、西面の武士を設置し、武力の整備などを行った。 1221年、北条義時追討の院宣を発し、鎌倉幕府と戦うも完敗。隠岐に流され、没した。

承久の乱 人物 日本

山梨県から静岡県に下ってくる川で、「日本三急流の1つ」と言われいます。
源平合戦の「富士川の戦い」が下流の川岸で行われ、有名な水鳥の音に驚いた平氏方が敗走したという話が残っています。この時の源氏方の大将が、武田信義で、武田信玄の先祖です。

戦国時代には、武田氏、今川氏、小田原北条氏が駿河・伊豆の領有を目指して、富士川周辺で戦いました。

富士川

山梨県から静岡県に下ってくる川で、「日本三急流の1つ」と言われいます。 源平合戦の「富士川の戦い」が下流の川岸で行われ、有名な水鳥の音に驚いた平氏方が敗走したという話が残っています。この時の源氏方の大将が、武田信義で、武田信玄の先祖です。 戦国時代には、武田氏、今川氏、小田原北条氏が駿河・…

静岡県 山野河川 日本 静岡県 富士市

【伏見城から向島城方面を遠望】木幡山伏見城本丸(現在の明治点伏見桃山陵)から向島城方面を撮影。
右側に一部向島ニュータウンが見えているが、向島城はもう少し右側にあった(遺構は残っていない模様)。

向島城は伏見城の出城で、宇治川を越えて、巨椋池の北側に築かれた(なお、宇治川を下ると、桂川と合流地点に淀城がある。そして、淀川が大阪湾に注ぐ下流に大坂城がある)。
豊臣秀吉が私邸として利用し、秀吉が没したあとは、徳川家康が居城とした。

一国一城令を受けて、伏見城・向島城ともに廃城となった。

淀城

徳川幕府は木幡山伏見城を廃城として、元和9年(1623)、松平定綱が淀城の築城を開始し、約2年後に竣工した。 なお、豊臣秀吉が淀君のために築かせた淀古城は江戸期の淀城より北へ約500メートルの位置にあったという。 淀城跡の今昔縄張図がP.5にある。訪問前に入手してチェックしておきたい。…

日本 京都府 京都市

武野紹鴎屋敷跡。<br><br>武野紹鴎は村田珠光の流れの茶を学び、和歌を三条西実隆に学んだ。<br>茶の湯の門人としては、千利休、津田宗及、今井宗久がいる。今井宗久は娘婿。

武野紹鴎

1502年 〜 1555年

武野紹鴎は村田珠光の流れの茶を学び、和歌を三条西実隆に学んだ。 茶の湯の門人としては、千利休、津田宗及、今井宗久がいる。今井宗久は娘婿。

人物 日本

今井屋敷跡。<br><br>今井宗薫が織田有楽斎から譲り受けたとのこと。<br>今井宗薫は、堺の商人・茶人の今井宗久の子。

今井宗薫

1552年 〜 1627年

堺の商人・茶人の今井宗久の子。

人物 日本

武野紹鴎屋敷跡。<br><br>武野紹鴎は村田珠光の流れの茶を学び、和歌を三条西実隆に学んだ。<br>茶の湯の門人としては、千利休、津田宗及、今井宗久がいる。今井宗久は娘婿。

今井宗久

1520年 〜 1593年

戦国時代期の堺の商人・茶人。子は今井宗薫。

人物 日本

男谷邸跡にたつ勝海舟誕生之地の石碑。<br>1823年、勝海舟はこの地で生まれた。<br><br>書は西郷隆盛。<br>よく見ると、石碑の左下に「法務大臣 西郷吉之助書」と書いてある。<br><br>男谷邸は、海舟の父・勝小吉の生家。小吉は勝家に養子に入ったが、結婚後の新居は男谷邸内にあったらしい。

勝小吉

1802年 〜 1850年

勝海舟の父。

人物 日本

【茨木城】中川清秀で有名な茨木城の案内板。<br>茨木小学校の東側に櫓門があり、そこに設置されている。

中川清秀

1542年 〜 1583年

池田勝正に、次に織田信長傘下の荒木村重の配下となる。本能寺の変後、羽柴秀吉に仕えたが、静ヶ岳の戦いで柴田勝家の猛将、佐久間盛政に急襲され討ち死に。

人物 日本

古田織部

1544年 〜 1615年

千利休の高弟。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武将。美濃出身。

人物 日本

小栗忠順

1827年 〜 1868年

人物 日本

大久保忠寛

1817年 〜 1888年

人物 日本

岩瀬忠震

1818年 〜 1861年

人物 日本

ノート【更新順】
岡山県の没落武士
江戸東京たてもの園を訪問
コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
もっと見る
ノートまとめ【更新順】
関ヶ原の戦いの動画
淀川の城
姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
もっと見る
歴史年表【更新順】
『おんな城主 直虎』年表
花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
歴史家・歴史小説家とその時代
もっと見る
特集
関ヶ原の戦い
幕末維新
文明論
北条早雲
人物【更新順】
子母澤寛
周布政之助
小田村伊之助
もっと見る
出来事【更新順】
新型コロナウィルス感染拡大に伴い、東京など7都道府県で非常事態宣言が発令
中国の武漢で新型コロナウィルスが人に感染
令和に改元決定
もっと見る
世界史古代概論
世界史古代概略
ローマと前漢、不思議な成立の符合
古代の日本と西欧
戦国のはじまり
早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
お知らせ
特集ページを追加
検索ページを追加しました
ドメイン変更のお知らせ
もっと見る
歴ウス
公式Twitterページ
歴ウス
公式Facebookページ
歴ウス
公式YouTubeチャンネル