練馬城は、東京都練馬区の豊島園辺りに位置し、平安時代から続いた豊島氏の城の1つだった。
文明9年(1477年)1月、長尾景春の乱がはじまると、豊島氏は長尾景春に与して、関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏(以降、両上杉氏と記します)と対立した。豊島氏の勢力は、ちょうど、扇谷上杉氏の拠点である河越城と江戸城を分断する位置にあったため、両上杉氏は窮地に陥った。
同年4月、危機を脱すべく、江戸城主で扇谷上杉氏の家宰の太田道灌は練馬城に攻め寄せた。
道灌が一旦引いたところ、石神井城と練馬城の豊島勢が追撃してきたため、江古田・沼袋で戦いとなった。結果は、豊島勢は大敗した。
その後、豊島氏のもう1つの拠点、石神井城も道灌に攻略されたため、豊島氏は没落した。
なお、城の近辺は、宅地化が進み、遺構はほとんど残っていない。
(*)写真は練馬城(現、豊島園)に向かって流れる石神井川。
関連情報: Wikipedia| ツイート で「練馬城」を調べる
作成日:2014/6/22 , by fuji3zpg 開く
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