西暦: 1537年 〜 1598年

読み: とよとみひでよし /
別名: 羽柴秀吉 木下藤吉郎
地域: 日本

豊臣秀吉

関連情報: Wikipedia| ツイート で「豊臣秀吉」を調べる

関連する歴史年表: 関ヶ原の戦い関連年表 | 英雄たちの選択「北政所と淀殿“女の戦い”の真実」関連の年表 | へうげもの関連年表 | 戦国茶人まとめ | NHK大河『軍師官兵衛』の年表 | 長宗我部元親の戦い | 和田竜『のぼうの城』の年表 | 江戸城 | 徳川家康と世界情勢 | 豊臣秀吉の経済力 | 織田信長の「天下布武」への道 | 江〜姫たちの戦国〜 | 戦国時代概略


グラフと表の条件設定
項目の重要度と地域で以下のグラフと表に出力するデータ数を絞り込むことができます。
重要度 :   すべて  重要  重要+普通
地域 :   すべて  日本  欧米  東アジア  西アジア

グラフ: 「豊臣秀吉」と同時代の人物

項目メニューに戻る

グラフ: 「豊臣秀吉」と同時代の出来事

項目メニューに戻る

表: 「豊臣秀吉」と同時代の人物

尼子経久 1458年 〜 1541年 日本
ピサロ 1470年 〜 1541年 ヨーロッパ
以天宗清 1472年 〜 1554年 日本
コペルニクス 1473年 〜 1543年 ヨーロッパ
ラス・カサス 1474年 〜 1566年 ヨーロッパ
ミケランジェロ 1475年 〜 1564年 ヨーロッパ
上杉定実 1478年 〜 1550年 日本
マルティン・ルター 1483年 〜 1546年 ヨーロッパ
コルテス 1485年 〜 1547年 ヨーロッパ
北条氏綱 1487年 〜 1541年 日本
上杉朝興 1488年 〜 1537年 日本
長尾為景 1489年 〜 1542年 日本
ヘンリー8世 1491年 〜 1547年 ヨーロッパ
イグナティウス・ロヨラ 1491年 〜 1556年 ヨーロッパ
長野業正(長野業政) 1491年 〜 1561年 日本
北条幻庵(長綱) 1493年 〜 1589年 日本
斎藤道三 1494年 〜 1556年 日本
スレイマン1世 1494年 〜 1566年 地中海、西アジア
武田信虎 1494年 〜 1574年 日本
フランソワ1世 1494年 〜 1547年 ヨーロッパ
六角定頼 1495年 〜 1552年 日本
後奈良天皇 1496年 〜 1557年 日本
太原雪斎 1496年 〜 1555年 日本
毛利元就 1497年 〜 1571年 日本
大井夫人 1497年 〜 1552年 日本
カール5世 1500年 〜 1558年 ヨーロッパ
李退渓 1501年 〜 1570年 東アジア
武野紹鴎 1502年 〜 1555年 日本
武野紹鷗 1502年 〜 1555年 日本
雪村周継 1504年 〜 1589年 日本
フランシスコ・ザビエル 1506年 〜 1552年 ヨーロッパ
大内義隆 1507年 〜 1551年 日本
山科言継 1507年 〜 1579年 日本
足利晴氏 1508年 〜 1560年 日本
長尾晴景 1509年 〜 1553年 日本
カルヴァン 1509年 〜 1564年 ヨーロッパ
松永久秀 1510年 〜 1577年 日本
足利義晴 1511年 〜 1550年 日本
織田信秀 1511年 〜 1551年 日本
真田幸隆 1513年 〜 1574年 日本
細川晴元 1514年 〜 1563年 日本
北条氏康 1515年 〜 1571年 日本
北条綱成 1515年 〜 1587年 日本
メアリ1世 1516年 〜 1558年 ヨーロッパ
正親町天皇 1517年 〜 1593年 日本
今川義元 1519年 〜 1560年 日本
カトリーヌ・ド・メディシス 1519年 〜 1589年 ヨーロッパ
今井宗久 1520年 〜 1593年 日本
陶晴賢 1521年 〜 1555年 日本
武田信玄 1521年 〜 1573年 日本
柴田勝家 1522年 〜 1583年 日本
三好長慶 1522年 〜 1564年 日本
千利休 1522年 〜 1591年 日本
上杉憲政 1523年 〜 1579年 日本
上杉朝定 1525年 〜 1546年 日本
張居正 1525年 〜 1582年 東アジア
長尾政景 1526年 〜 1564年 日本
松平広忠 1526年 〜 1549年 日本
柳生宗厳(石舟斎) 1527年 〜 1606年 日本
フェリペ2世 1527年 〜 1598年 ヨーロッパ
斎藤義龍 1527年 〜 1561年 日本
種子島時堯 1528年 〜 1579年 日本
明智光秀 1528年 〜 1582年 日本
ボーダン 1530年 〜 1596年 ヨーロッパ
大友義鎮(大友宗麟) 1530年 〜 1587年 日本
上杉謙信 1530年 〜 1578年 日本
イヴァン4世(雷帝) 1530年 〜 1584年 ロシア
エリザベス1世 1533年 〜 1603年 ヨーロッパ
小早川隆景 1533年 〜 1597年 日本
オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム) 1533年 〜 1584年 ヨーロッパ
モンテーニュ 1533年 〜 1592年 ヨーロッパ
大村純忠 1533年 〜 1587年 日本
朝倉義景 1533年 〜 1573年 日本
島津義久 1533年 〜 1611年 日本
織田信長 1534年 〜 1582年 日本
荒木村重 1535年 〜 1586年 日本
島津義弘 1535年 〜 1619年 日本
近衛前久 1536年 〜 1612年 日本
足利義輝 1536年 〜 1565年 日本
足利義昭 1537年 〜 1597年 日本
豊臣秀吉 1537年 〜 1598年 日本
前田利家 1538年 〜 1599年 日本
北条氏政 1538年 〜 1590年 日本
ヴァリニャーニ(バリニャーノ) 1539年 〜 1606年 日本
長宗我部元親 1539年 〜 1599年 日本
前田玄以 1539年 〜 1602年 日本
豊臣秀長 1540年 〜 1591年 日本
北条氏照 1540年 〜 1590年 日本
足利義氏 1541年 〜 1583年 日本
エル・グレコ 1541年 〜 1614年 ヨーロッパ
北条氏邦 1541年 〜 1597年 日本
中川清秀 1542年 〜 1583年 日本
徳川家康 1542年 〜 1616年 日本
アクバル 1542年 〜 1605年 南アジア、東南アジア
顕如(光佐) 1543年 〜 1592年 日本
狩野永徳 1543年 〜 1590年 日本
ドレーク 1543年 〜 1596年 ヨーロッパ
古田織部 1544年 〜 1615年 日本
増田長盛 1545年 〜 1615年 日本
北条氏規 1545年 〜 1600年 日本
李舜臣 1545年 〜 1598年 東アジア
浅井長政 1545年 〜 1573年 日本
最上義光 1546年 〜 1614年 日本
黒田官兵衛 1546年 〜 1604年 日本
武田勝頼 1546年 〜 1582年 日本
浅野長政 1547年 〜 1611年 日本
お市 1547年 〜 1583年 日本
真田昌幸 1547年 〜 1611年 日本
織田有楽斎 1547年 〜 1621年 日本
セルバンテス 1547年 〜 1616年 ヨーロッパ
斎藤竜興 1548年 〜 1573年 日本
北政所 1548年 〜 1624年 日本
本多忠勝 1548年 〜 1610年 日本
松浦鎮信 1549年 〜 1614年 日本
シャルル9世 1550年 〜 1574年 ヨーロッパ
高山右近 1552年 〜 1615年 日本
マテオ・リッチ(利瑪竇) 1552年 〜 1610年 東アジア
誠仁親王 1552年 〜 1586年 日本
今井宗薫 1552年 〜 1627年 日本
アンリ4世 1553年 〜 1610年 ヨーロッパ
毛利輝元 1553年 〜 1625年 日本
角倉了以 1554年 〜 1614年 日本
上杉景勝 1556年 〜 1623年 日本
藤堂高虎 1556年 〜 1630年 日本
ヤン・ヨーステン(耶楊子) 1556年 〜 1623年 日本
織田信忠 1557年 〜 1582年 日本
小西行長 1558年 〜 1600年 日本
織田信雄 1558年 〜 1630年 日本
本阿弥光悦 1558年 〜 1637年 日本
大谷吉継 1559年 〜 1600年 日本
松平信康 1559年 〜 1579年 日本
狩野山楽 1559年 〜 1635年 日本
ヌルハチ(太祖) 1559年 〜 1626年 東アジア
直江兼続 1560年 〜 1619年 日本
石田三成 1560年 〜 1600年 日本
吉川広家 1561年 〜 1625年 日本
フランシス・ベーコン 1561年 〜 1626年 ヨーロッパ
藤原惺窩 1561年 〜 1619年 日本
福島正則 1561年 〜 1624年 日本
井伊直政 1561年 〜 1602年 日本
加藤清正 1562年 〜 1611年 日本
北条氏直 1562年 〜 1591年 日本
徐光啓 1562年 〜 1633年 東アジア
万暦帝(神宗) 1563年 〜 1620年 東アジア
シェークスピア 1564年 〜 1616年 ヨーロッパ
ウィリアム・アダムズ(三浦按針) 1564年 〜 1620年 日本
池田輝政 1564年 〜 1613年 日本
ガリレオ=ガリレイ 1564年 〜 1642年 ヨーロッパ
真田信之 1566年 〜 1658年 日本
ジェームズ1世 1566年 〜 1625年 ヨーロッパ
有馬晴信 1567年 〜 1612年 日本
真田信繁 1567年 〜 1615年 日本
姜沆(きょうこう、カンハン) 1567年 〜 1618年 東アジア
伊達政宗 1567年 〜 1636年 日本
豊臣秀次 1568年 〜 1595年 日本
黒田長政 1568年 〜 1623年 日本
淀殿 1569年 〜 1615年 日本
金地院崇伝 1569年 〜 1633年 日本
末吉孫左衛門 1570年 〜 1617年 日本
常高院(初) 1570年 〜 1633年 日本
松永貞徳 1571年 〜 1653年 日本
アッバース1世 1571年 〜 1629年 地中海、西アジア
柳生宗矩 1571年 〜 1646年 日本
支倉常長 1571年 〜 1622年 日本
宇喜多秀家 1572年 〜 1655年 日本
沢庵 1573年 〜 1645年 日本
崇源院(江) 1573年 〜 1626年 日本
島津家久 1574年 〜 1638年 日本
ルーベンス 1577年 〜 1640年 ヨーロッパ
徳川秀忠 1579年 〜 1632年 日本
小早川秀秋 1582年 〜 1602年 日本
ヴァレンシュタイン(ワレンシュタイン) 1583年 〜 1634年 ヨーロッパ
グロティウス 1583年 〜 1645年 ヨーロッパ
林羅山(林道春) 1583年 〜 1657年 日本
宮本武蔵 1584年 〜 1645年 日本
リシュリュー 1585年 〜 1642年 ヨーロッパ
ホッブズ 1588年 〜 1679年 ヨーロッパ
山田長政 1590年 〜 1630年 南アジア、東南アジア
シャー・ジャハーン 1592年 〜 1666年 南アジア、東南アジア
ホンタイジ(清の太宗) 1592年 〜 1643年 東アジア
豊臣秀頼 1593年 〜 1615年 日本
グスタフ・アドルフ 1594年 〜 1632年 ヨーロッパ
後水尾天皇 1596年 〜 1680年 日本
デカルト 1596年 〜 1650年 ヨーロッパ
酒井田柿右衛門 1596年 〜 1666年 日本
ミハイル・ロマノフ 1596年 〜 1645年 ロシア
谷時中 1598年 〜 1649年 日本
項目メニューに戻る

表: 「豊臣秀吉」と同時代の出来事

法華一揆 1532年 日本
鶴岡八幡宮の造営始まる 1532年 日本
武田信虎の嫡男、武田太郎(武田信玄)、扇谷上杉朝興の娘を娶る 1533年 日本
ピサロ、インカ帝国を滅ぼす 1533年 中南米
イエズス会、結成 1534年 ヨーロッパ
ヘンリ8世、首長法を発布(イギリス国教会成立) 1534年 ヨーロッパ
スレイマン1世、仏にカピチュレーションを認める 1535年 地中海、西アジア
北条氏綱、今川氏輝の要請で、武田信虎勢と甲斐の郡内山中で戦う 1535年 日本
長尾為景、長男の長尾晴景に家督を譲る 1536年 日本
(武田信玄)元服し、武田晴信と名乗る 1536年 日本
駿河守護の今川氏輝死去。今川氏で内乱が勃発し(花倉の乱)で、今川義元が勝者になる 1536年 日本
天文法華の乱 1536年 日本
伊達稙宗、『塵芥集』を定める 1536年 日本
扇谷上杉朝興死去。家督は朝定が継ぐ 1537年 日本
河東一乱 1537年 日本
武田信虎の娘が今川義元に嫁ぎ、甲駿同盟が成立 1537年 日本
7月、北条氏綱、扇谷上杉氏の本拠、河越城を奪う 1537年 日本
プレヴェザの海戦 1538年 地中海、西アジア
北条氏綱、松戸台で小弓公方の足利義明勢と戦う(第1次国府台合戦) 1538年 日本
北条氏綱、娘を古河公方、足利晴氏の正室とする。その結果、北条氏は足利家の「ご一家」となる 1539年 日本
鶴岡八幡宮の正殿遷宮(落成式)が行われる 1540年 日本
北条氏綱、死去 1541年 日本
武田晴信(のちの信玄)、父の信虎を駿河に追放し、家督を手に入れる 1541年 日本
カルヴァン、ジュネーブ(スイス)で宗教改革(神政政治)をはじめる 1541年 ヨーロッパ
斎藤利政(道三)、美濃を押領する 1542年 日本
生野銀山、発見 1542年 日本
鉄砲伝来 1543年 日本
ポトシ銀山、発見 1545年 中南米
トリエント公会議 1545年 〜 1563年 ヨーロッパ
シュマルカルデン戦争 1546年 〜 1547年 ヨーロッパ
北条氏康、河越夜戦で、古河公方(足利晴氏)、山内上杉氏(上杉憲政)、扇谷上杉氏(上杉朝定)連合軍を撃破 1546年 日本
松平広忠、今川義元に息子の竹千代(徳川家康)を人質に送ったが、途中で織田信秀に奪われる 1547年 日本
(武田信玄)「甲州法度之次第」を定める 1547年 日本
織田信秀、美濃の斎藤道三を攻めるも大敗(加納口の戦い) 1547年 日本
長尾景虎(上杉謙信)、兄の長尾晴景から家督を受け継ぎ、越後守護代となる 1548年 日本
小豆坂の戦いで、今川義元、織田信秀を破る 1548年 日本
上田原の戦い 1548年 日本
塩尻峠の戦い 1548年 日本
今川義元、安祥城を落とし、城主、織田信広(織田信秀の子)を捕らえ、竹千代(徳川家康)と交換する 1549年 日本
織田信長、斎藤道三の娘(濃姫)を室に迎える 1549年 日本
細川晴元、江口の戦いで三好長慶に大敗 1549年 日本
フランシスコ・ザビエル、来日 1549年 日本
戸石崩れ 1550年 日本
陶晴賢、大内義隆を滅ぼす 1551年 日本
織田信長、父(織田信秀)の死により、家督を継承 1551年 日本
北条氏康、甥の足利義氏を古河公方に擁立 1552年 日本
山内上杉憲政、長尾景虎を頼って、越後に落ちる 1552年 日本
第1回川中島の戦い 1553年 日本
甲相駿三国同盟、成立 1554年 〜 1569年 日本
前古河公方、足利晴氏が挙兵するが、北条氏康に敗れて捕らえられ、相模の波多野に幽閉される 1554年 日本
厳島の戦い 1555年 日本
第2回川中島の戦い 1555年 日本
アウグスブルクの和議 1555年 ヨーロッパ
斎藤道三、息子の斎藤義龍に討たれる(長良川の戦い) 1556年 日本
アクバル、即位 1556年 〜 1605年 南アジア、東南アジア
フェリペ2世、即位 1556年 〜 1598年 ヨーロッパ
長尾景虎(上杉謙信)、出家するため高野山へ向かう 1556年 日本
第3回川中島の戦い 1557年 日本
統一法、制定される(英) 1559年 ヨーロッパ
北条氏康、永禄2年(1559年)頃には上野を勢力下におさめる 1559年 日本
北条氏康、家督を嫡子、北条氏政に譲る。しかし、この後も、氏康が軍政を手動する。 1559年 日本
長尾景虎(上杉謙信)、二度目の上洛。将軍、足利義輝から関東管領任命の内示を受ける 1559年 日本
武田晴信、信玄と号す 1559年 日本
長宗我部元親、家督相続 1560年 日本
桶狭間の戦い 1560年 日本
上杉謙信(長尾景虎)、関東管領となる 1561年 日本
上杉謙信、関東に侵攻し、小田原城を攻める 1561年 日本
第4回川中島の戦い 1561年 日本
ユグノー戦争 1562年 〜 1598年 ヨーロッパ
武田・北条連合軍、上杉謙信方の松山城を攻略する 1563年 日本
アクバル、ジズヤを廃止 1564年 南アジア、東南アジア
三好長慶、死去 1564年 日本
第5回川中島の戦い 1564年 日本
13代将軍、足利義輝、殺害される 1565年 日本
武田信玄、箕輪城を落とし、西上野を掌握 1566年 日本
織田信長、美濃攻略 1567年 日本
武田義信(信玄嫡男)、死去(自刃か) 1567年 日本
武田信玄、駿河侵攻はじめる 1568年 日本
織田信長、足利義昭を奉じて、京都に入る 1568年 日本
オランダ独立戦争 1568年 〜 1609年 ヨーロッパ
武田信玄、小田原城包囲 1569年 日本
三増峠の戦い 1569年 日本
姉川の戦い 1570年 日本
石山戦争(石山合戦) 1570年 〜 1580年 日本
比叡山焼き討ち 1571年 日本
スペイン、マニラ建設 1571年 南アジア、東南アジア
レパント海戦 1571年 地中海、西アジア
北条氏康、死去 1571年 日本
三方原の戦い 1572年 日本
サン・バルテルミの虐殺 1572年 ヨーロッパ
張居正の改革 1572年 〜 1582年 東アジア
浅井氏滅亡 1573年 日本
羽柴秀吉(豊臣秀吉)、近江に長浜城を築城 1573年 日本
織田信長、15代将軍 足利義昭を追放し、室町幕府滅亡 1573年 日本
武田信玄、信濃の駒場で没す 1573年 日本
織田信長、長島一向一揆を鎮圧 1574年 日本
長篠の戦い 1575年 日本
織田信長、越前一向一揆を鎮圧 1575年 日本
長宗我部元親、土佐統一 1575年 日本
織田信長、安土城を築城 1576年 〜 1579年 日本
織田水軍、毛利水軍に敗れる(第一次木津川口の海戦) 1576年 日本
荒木村重(摂津)、織田信長に謀反 1578年 〜 1579年 日本
織田水軍、大砲を搭載した大型船で毛利水軍を破る(第二次木津川口の海戦) 1578年 日本
ユトレヒト同盟 1579年 ヨーロッパ
織田信雄(織田信長の次男)、伊賀に侵攻(第一次天正伊賀の乱) 1579年 日本
安土宗論 1579年 日本
秀吉、織田信長から生野銀山を与えられる 1580年 日本
スペイン(フェリペ2世)、ポルトガル王国を併合 1580年 〜 1640年 ヨーロッパ
顕如、石山本願寺から退去(石山戦争、おわる) 1580年 日本
オランダ、独立宣言 1581年 ヨーロッパ
第二次天正伊賀の乱 1581年 日本
京都御馬揃え 1581年 日本
織田信長、武田氏(武田勝頼)を滅ぼす 1582年 日本
本能寺の変 1582年 日本
山崎の戦い 1582年 日本
太閤検地 1582年 〜 1598年 日本
天正少年使節、派遣される 1582年 〜 1590年 日本
賎ヶ嶽の戦い 1583年 日本
豊臣秀吉、大坂城を築城 1583年 〜 1585年 日本
羽柴秀吉(豊臣秀吉)、関白に就任 1584年 日本
小牧・長久手の戦い 1584年 日本
スペイン人、平戸に来航 1584年 日本
豊臣秀吉、紀伊平定(根来・雑賀一揆を平定) 1585年 日本
豊臣秀吉、九州に惣無事令を下す 1585年 日本
豊臣秀吉、四国平定 1585年 日本
秀吉、豊臣姓を賜り、太政大臣に就任 1586年 日本
豊臣秀吉、九州平定 1587年 日本
北野大茶会 1587年 日本
バテレン追放令 1587年 日本
豊臣秀吉、イエズス会領だった長崎を直轄地とする 1588年 日本
アルマダ海戦 1588年 ヨーロッパ
海賊取締令 1588年 日本
刀狩令 1588年 日本
アンリ4世、即位(ブルボン朝、はじまる) 1589年 〜 1830年 ヨーロッパ
豊臣秀吉、北条氏を降す(日本統一) 1590年 日本
徳川家康、江戸城に入城。以降、江戸城は徳川家の本拠地となる。 1590年 日本
人払令(身分統制令) 1591年 日本
千利休、切腹 1591年 日本
文禄・慶長の役 1592年 〜 1598年 日本
豊臣秀頼、誕生 1593年 日本
豊臣秀次、自害 1595年 日本
サン・フェリペ号事件 1596年 日本
李時珍『本草綱目』刊行 1596年 東アジア
26聖人殉教 1596年 日本
アッバース1世(サファヴィー朝)、首都をイスファハーンに移す 1597年 地中海、西アジア
豊臣秀吉、死去 1598年 日本
ナントの勅令(ナントの王令) 1598年 ヨーロッパ
前田利家、死去 1599年 日本
シェークスピア『ハムレット』を著す 1600年 〜 1601年 ヨーロッパ
ヤン・ヨーステンらが乗るリーフデ号(オランダ船)、豊後臼杵に漂着 1600年 日本
関ヶ原の戦い 1600年 日本
イギリス、東インド会社設立 1600年 ヨーロッパ
オランダ、東インド会社を設立 1602年 〜 1799年 ヨーロッパ
マテオ・リッチ『坤輿万国全図』を作成 1602年 東アジア
江戸幕府成立 1603年 日本
英、スチュワート朝の成立 1603年 〜 1714年 ヨーロッパ
項目メニューに戻る

関連情報: Wikipedia| ツイート で「豊臣秀吉」を調べる

「豊臣秀吉」の関連ノート

【【動画】花燃ゆ「第1回人むすぶ妹」ー毛利家小史と萩の地勢ー】2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」を見るにあたって、知っておきたいことをまとめました。

1.毛利家の小史
戦国時代、毛利家を中国地方の覇者に押し上げた毛利元就とそれを受け継いだ毛利輝元。毛利家は豊臣秀吉の傘下に入ることで中国地方の雄としてその勢力を維持しました。

しかし、関ヶ原の戦いの時、毛利輝元は西軍の名目上の総大将となり、西軍敗北を受けて、領土を1/3に減らされ、周防・長門(山口県)に逼塞を余儀なくされました。

2.萩の地勢
萩は山口県の日本海側にある盆地で、長州藩の首都でした。
萩は、東を松本川、西を橋本川が流れ、それらの川に囲まれた都市です。萩と山陽道に面する三田尻は、萩往還で結ばれています。

長州藩主は北西の萩城にあり、萩城を守る形で重臣屋敷が囲っています。高杉晋作の高杉家は身分の高い家だったので、重臣屋敷のすぐ東側に屋敷がありました。

杉家は高杉家と比べると、身分・家禄が低く(杉家の家禄は26石、高杉家は200石)、松本川のさらに東側に屋敷があり、吉田松陰が小さい頃は貧しい暮らしをしていました。

大体、この辺りを頭に入れておくと、より大河を楽しめると思います。

【動画】花燃ゆ「第1回人むすぶ妹」ー毛利家小史と萩の地勢ー

作成日:2015/1/11 , 地図あり, by rekius 開く

動画 幕末維新 大河ドラマ 長州藩 花燃ゆ 山口県 萩市

【織田信長の嫡孫・織田秀信と岐阜城】写真は岐阜城。

関ヶ原の時、岐阜城の主は織田秀信だった。彼は西軍に加担し、福島正則ら、豊臣秀吉の子飼いの武将たちに攻められて降伏した。

彼が織田信長の孫(信忠の嫡男)とはじめて知った時は驚いた。
というのは、この秀信の幼名が三法師といい、本能寺の変後の清須会議で、羽柴秀吉に担がれた子なのである。

こういう誰かに担がれると厄介な子供は殺害されるか、行方不明になるのが歴史的に多いのだが、それがなんと豊臣政権の中で生き残り、岐阜城主を務めていたというのだからレアな話。

しかし、豊臣秀吉は晩年、豊臣秀頼可愛さに近親者を酷く粛清したが、三法師には手を出さなかったのは何とも感慨深い。
そして、彼を織田家にとって、ゆかりの深い岐阜城主にしていたとは。

織田信長の嫡孫・織田秀信と岐阜城

作成日:2015/1/9 , 地図あり・方位あり・方位あり, by rekius 開く

織田信長 関ヶ原の戦い 岐阜城 岐阜県 岐阜市

【淀川の城】関ヶ原の戦いにおいて、大坂城・伏見城がよく出てくるが、このラインを眺めてみると、淀川およびその上流に有名な城が並んでいることが分かる。

まず、北流する宇治川が西流するポイントに、伏見城 http://rekius.com/notes/1146 とその(南)対岸の向島城 http://rekius.com/notes/1167 があり、その南側には巨大な巨椋池が広がっていた。

宇治川に沿って下流に進むと、京都方面から桂川が、奈良方面から木津川が宇治川に合流する。ここに淀古城 http://rekius.com/notes/1009 があった(巨椋池の西端に位置する)。

淀川を下ると、右手の隘路に山崎があり、天王山の西麓 http://rekius.com/notes/465 で山崎の戦いがあった(明智光秀 vs 羽柴秀吉)。
さらに下って、大阪湾に注ぐ河口部に大坂城 http://rekius.com/notes/841 がある。

実際、豊臣秀吉は大坂城・伏見城ライン上を中心に居城を転々としたことからも、京阪をつなぐこのラインが重要だったことが分かる。
そして、関ヶ原の戦いの緒戦でも、このライン上を維持するため、石田三成ら西軍は伏見城を大軍で囲んで、伏見城を落城させた。

淀川の城

作成日:2014/12/20 , 地図あり, by rekius 開く

山崎の戦い 淀城 大坂城 淀川 伏見城 伏見城の戦い 淀川の城 大阪府 高槻市

【伏見城から向島城方面を遠望】木幡山伏見城本丸(現在の明治点伏見桃山陵)から向島城方面を撮影。
右側に一部向島ニュータウンが見えているが、向島城はもう少し右側にあった(遺構は残っていない模様)。

向島城は伏見城の出城で、宇治川を越えて、巨椋池の北側に築かれた(なお、宇治川を下ると、桂川と合流地点に淀城がある。そして、淀川が大阪湾に注ぐ下流に大坂城がある)。
豊臣秀吉が私邸として利用し、秀吉が没したあとは、徳川家康が居城とした。

一国一城令を受けて、伏見城・向島城ともに廃城となった。

伏見城から向島城方面を遠望

作成日:2014/12/19 , 地図あり・方位あり・方位あり, by rekius 開く

向島城 伏見城 淀川の城 京都府 京都市

【動画|関ヶ原の戦いー豊臣秀吉の死去から石田三成の挙兵までー】豊臣秀吉の死去から石田三成の挙兵までを説明した動画です!
経緯、人物相関図、戦略マップを入れ込みました。

詳しくは→ http://rekius.com/notebooks/60

動画|関ヶ原の戦いー豊臣秀吉の死去から石田三成の挙兵までー

作成日:2014/11/30 , by rekius 開く

軍師官兵衛 動画 関ヶ原の戦い 関ヶ原の戦い(1)ー石田三成挙兵までー 関ヶ原の戦いの動画

【人物相関図:関ヶ原の戦いー豊臣秀吉の死去ー】慶長3年(1598年)が豊臣秀吉が死去し、朝鮮出兵で生じていた豊臣政権内部の武断派(加藤清正、福島正則、黒田長政ら)と文治派(石田三成ら)の対立が表面化しつつあった。この対立は、石田三成らが武断派の不利な報告を秀吉にして、武断派諸将を窮地に追い込んだのが原因だった。

一方、徳川家康は文治派と対立する武断派を取り込みを図り、かつ、伊達政宗の娘と六男・松平忠輝の政略結婚を推進するなど、野心を露わにしはじめた(秀吉生存時、大名間の婚姻には秀吉の許可が必要だった)。

しかし、豊臣秀吉を支えてきた前田利家が、野心を見せる徳川家康、豊臣政権内部の武断派(福島正則・加藤清正ら)、文治派(石田三成ら)に睨みを効かせていたため、何とか平穏は維持された。

人物相関図:関ヶ原の戦いー豊臣秀吉の死去ー

作成日:2014/11/30 , by rekius 開く

関ヶ原の戦い 豊臣秀吉 前田利家 人物相関図 徳川家康 関ヶ原の戦い(1)ー石田三成挙兵までー

【マップ:関ヶ原の戦いー石田三成の挙兵までー】慶長3年(1598年)が豊臣秀吉が死去し、朝鮮出兵で潜在的に不安定化しつつあった軋轢が表面化しつつあった。しかし、豊臣秀吉を支えてきた前田利家が、野心を見せる徳川家康、豊臣政権内部の武断派(福島正則・加藤清正ら)、文治派(石田三成ら)に睨みを効かせていたため、何とかバランスは維持された。

その前田利家が、慶長4年(1599)閏3/3に死去。
そのため、武断派・文治派の争いが一挙に表面化した。利家死去の翌日、武断派の七将、石田三成を襲った。石田光成は伏見城に逃走したが、結局、居城の佐和山城に蟄居させられることとなった。

翌年の慶長5年(1600年)4月、徳川家康は会津の上杉景勝に謀反の疑いをかけて上洛を促したが、景勝は拒否。6/16、徳川家康は上杉景勝を討つため、大坂城を出陣し、江戸城に向かった。
7/16、石田三成の要請で、毛利輝元が大坂城に入城。翌日、石田三成は挙兵した(光成は「内府ちがいの条々」を諸大名に送り、家康を弾劾)。

*画像は、石田三成の挙兵時の勢力マップ。
赤は石田三成の味方、青は徳川家康の味方、グレーは中立、もしくは、旗幟不鮮明。

マップ:関ヶ原の戦いー石田三成の挙兵までー

作成日:2014/11/29 , by rekius 開く

軍師官兵衛 関ヶ原の戦い 地図 関ヶ原の戦い(1)ー石田三成挙兵までー

【関ヶ原の戦い前後の年表】【慶長3年(1598)】
・8/18 豊臣秀吉、伏見城で死去

【慶長4年(1599)】
・閏3/3 前田利家、大坂で死去→豊臣政権内部の武断派(加藤清正、福島正則、黒田長政ら)と文治派(石田三成ら)、双方に影響力があった利家が死去することで、武断派・文治派の争いが表面化
・閏3/4 武断派の七将、石田三成を襲う→光成は伏見城に逃走→光成、居城の佐和山城に蟄居させられる

【慶長5年(1600)】
・4月 徳川家康、会津の上杉景勝に謀反の疑いをかけ、上洛を促す
・5/3 上杉景勝の重臣、直江兼続から上洛拒否の書状が家康に届く(直江状)
・6/16 徳川家康、上杉景勝を討つため、大坂城を出陣
・7/16 石田三成の要請で、毛利輝元が大坂城に入城。
・7/17 石田三成、挙兵(「内府ちがいの条々」を諸大名に送り、家康を弾劾)←『軍師官兵衛』、今ココ(11/23日放送)

■ もうちょっと長い期間の関ヶ原年表
http://rekius.com/timelines/92

関ヶ原の戦い前後の年表

作成日:2014/11/24 , by rekius 開く

軍師官兵衛 関ヶ原の戦い

【北政所が思ったより若かった件】昨晩、『決戦!関ヶ原』の伊東潤氏担当分を読みました。さすがに想像を超えてきますね!

さて、関ヶ原年表を見ていると、北政所が黒田官兵衛の2歳年少であることを発見。北政所は豊臣秀吉と同じ年頃かと思いきや、11歳も若いですね。

<div></div>

北政所が思ったより若かった件

作成日:2014/11/21 , by rekius 開く

<p>下田城の志太ケ浦展望台からの眺め。<br>すごく風が強かった。</p>
<p>ここらを豊臣秀吉の水軍やペリー艦隊がやってきたはず。</p>

作成日:2014/9/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

志太ケ浦展望台 下田城 静岡県 下田市

ノート【更新順】
・ 岡山県の没落武士
・ 江戸東京たてもの園を訪問
・ コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
もっと見る
ノートまとめ【更新順】
・ 関ヶ原の戦いの動画
・ 淀川の城
・ 姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
もっと見る
歴史年表【更新順】
・ 『おんな城主 直虎』年表
・ 花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
・ 歴史家・歴史小説家とその時代
もっと見る
特集
・ 関ヶ原の戦い
・ 幕末維新
・ 文明論
・ 北条早雲
人物【更新順】
・ 子母澤寛
・ 周布政之助
・ 小田村伊之助
もっと見る
出来事【更新順】
・ 新型コロナウィルス感染拡大に伴い、東京など7都道府県で非常事態宣言が発令
・ 中国の武漢で新型コロナウィルスが人に感染
・ 令和に改元決定
もっと見る
世界史古代概論
・ 世界史古代概略
・ ローマと前漢、不思議な成立の符合
・ 古代の日本と西欧
戦国のはじまり
・ 早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
・ 応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
・ 北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
・ 2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
・ 歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
・ 大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
お知らせ
・ 特集ページを追加
・ 検索ページを追加しました
・ ドメイン変更のお知らせ
もっと見る
歴ウス
公式Twitterページ
歴ウス
公式Facebookページ
歴ウス
公式YouTubeチャンネル