【沼津の三枚橋城外濠石垣】武田勝頼が築いたという沼津の三枚橋城外濠石垣。三枚橋城は狩野川下流にあった。江戸時代に三枚橋城を利用して築いたという沼津城よりも大規模だったという。

沼津の三枚橋城外濠石垣

作成日:2017/1/25 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 沼津市

【下田の吉田松陰像。】1854年、ペリーは日米和親条約締結のため、下田に来航した。

吉田松陰は金子重輔とともに小舟でペリー艦隊に近づき、許可を得て乗り込んだ。彼らは外国へ密航しようと企てたが、望みはかなわず、陸へ送り返された。

下田の吉田松陰像。

作成日:2015/1/18 , 地図あり, by rekius 開く

下田 吉田松陰 静岡県 下田市

【動画|山中城御馬場曲輪(約30秒)】山中城岱崎出丸の御馬場曲輪よりすり鉢曲輪方面を撮影。御馬場曲輪はすり鉢曲輪などと比べて、高所にあり、見晴らしがいい(駿河湾をはじめ、沼津方面がよく見える)。

動画中盤には沼津の香具山と徳倉山が見えている。
左側の木がなければ、韮山城方面も見えるらしい。そうであれば、山中城は駿東と北伊豆を一望できるということになる。

写真は御馬場曲輪の南側にある空堀でかなり大規模。案内板によると、畝の傾斜は50-60度あり、堀底から曲輪までの高さは平均9mに及ぶ。

動画|山中城御馬場曲輪(約30秒)

作成日:2014/11/9 , 地図あり・方位あり・方位あり, by rekius 開く

動画 静岡県 三島市

外国の事情を見聞するため、吉田松陰は、下田に来航したペリー艦隊に乗船して、密航を企てた。その時、松陰は金子重輔とここ弁天島から小舟で漕ぎだした。

もの凄い行動力。結局、彼らの願いは聞き入れられず、米艦から送り返されて投獄された。

作成日:2014/9/22 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

下田 吉田松陰 静岡県 下田市

<p>玉泉寺境内のペリー艦隊乗員の墓。<br>5名の墓があった。墓はきれいに保たれ、花が供えられていた。</p>
<p>日本から幕末という時代を見ると、未知の恐ろしい外圧に圧されっぱなしという印象があるが、彼らもまた相応の犠牲を払ってやってきていたということが分かる。</p>

作成日:2014/9/22 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

玉泉寺 静岡県 下田市

<p>幕末に、アメリカ領事館が置かれた玉泉寺。<br>初代アメリカ総領事、タウンゼント・ハリスとその通訳のオランダ人。ヒュースケンもここに居住した。</p>

作成日:2014/9/22 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

宝福寺 ハリス ヒュースケン 幕末史(2)ーペリー来航と幕政改革ー 静岡県 下田市

<p>下田城のお茶ケ崎から下田港の入り口を撮影。<br>中央の船がペリー艦隊の旗艦、サスケハナ号を模した観光船。しきりに港内を行き来していた。乗ってみたかったが、時間がなくて乗れなかった。</p>
<p>まさにこんな感じでサスケハナ号は下田に入港したのかもしれない。</p>

作成日:2014/9/22 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

下田城 静岡県 下田市

<p>下田城の志太ケ浦展望台からの眺め。<br>すごく風が強かった。</p>
<p>ここらを豊臣秀吉の水軍やペリー艦隊がやってきたはず。</p>

作成日:2014/9/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

志太ケ浦展望台 下田城 静岡県 下田市

<p>下田城伝天守台の東側の空堀。当時は畝堀だったとのこと。<br>左側が堀切で、写真の左外が伝天守台。</p>
<p>作業員の方々が草刈りをしていた。お疲れ様です。</p>

作成日:2014/9/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

下田城 静岡県 下田市

<p>下田城の伝天守台から周囲の堀を撮影。この辺は畝堀であったらしい。</p>

作成日:2014/9/17 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

下田城伝天守台 静岡県 下田市

【下田城石碑と背後の(伝)天守台】<p>写真中央が下田城の別名、鵜嶋(島)城址の石碑で、背後の土塁が(伝)天守台。<br>現在の(伝)天守台は木々で周囲の見晴らしがあまり良くないが、当時は木々もなかっただろうから、見晴らしがよかったと思う。</p>

下田城石碑と背後の(伝)天守台

作成日:2014/9/15 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

天守台 下田城 静岡県 下田市

【下田城の東側の平場】<p>下田城の東側にある平場。<br>下田城は尾根上に広がっているため、平場は多くないが、東側のこの平場はかなり広い。</p>

下田城の東側の平場

作成日:2014/9/8 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

下田城 静岡県 下田市

【下田城復元模型の写真】<p>下田公園の案内板に載っていた下田城復元模型の写真。<br>下田ハーバーミュージアムにあるらしい。時間があれば、行きたかったが。</p>

下田城復元模型の写真

作成日:2014/9/8 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

下田城 静岡県 下田市

【下田公園案内板】<p>下田城があった下田公園案内板。<br>左が下田城復元模型の写真。</p>

下田公園案内板

作成日:2014/9/8 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

下田城 静岡県 下田市

【下田と火山の関係を解説した案内板】<p>下田に来たら目につく「寝姿山」と「下田富士」。<br>こういった地形がどうしてできたかが案内板に書いてある。</p>

下田と火山の関係を解説した案内板

作成日:2014/9/8 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

下田 静岡県 下田市

【ペリー艦隊来航記念碑】<p>下田公園(下田城)前にあるペリー艦隊来航記念碑。<br>錨はアメリカ海軍から寄贈されたものらしい。</p>
<p>ペリーがあれほど強圧的な姿勢で日本に鎖国を迫らなかったら、幕藩体制はもっと長く続いたかもしれない。それを考えれば、彼が放った外圧は日本の歴史にプラスになった可能性も考えられる。</p>

ペリー艦隊来航記念碑

作成日:2014/9/8 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

ペリー艦隊来航記念碑 幕末史(2)ーペリー来航と幕政改革ー 静岡県 下田市

【下田城遠景】<p>下田駅に着いたら、北条の影もなく、幕末開港一色だった。<br>ここには北条の重要な海の拠点、下田城があったというのに。</p>
<p>ということで、下田城に向う途中で、下田城があった下田公園の遠景を撮影。<br>海城たる下田城のイメージが湧くのではないかと思う。</p>

下田城遠景

作成日:2014/9/8 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

下田城 静岡県 下田市

【下田駅前にあるサスケハナ号】<p>下田駅前を飾るサスケハナ号の模型。日米和親条約を結ぶため、1854年、ペリーはサスケハナ号に乗って、下田港に来航した。</p>
<p>汽走軍艦: 2450トン<br>全長: 約100m<br>乗組員: 300人</p>
<p>と案内板に書いてあった。</p>

下田駅前にあるサスケハナ号

作成日:2014/9/8 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

サスケハナ号 下田港 ペリー 静岡県 下田市

<p>下田の了仙寺。<br>1854年、日米和親条約が締結された寺。</p>

作成日:2014/5/16 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 下田市

<p>さった峠西側から南西方向を撮影。</p>

作成日:2014/6/23 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 静岡市

【安部川餅の誤算】<h2>北条早雲ゆかりの土地を巡る in 静岡</h2>
<p>6月下旬の梅雨時期に、2泊3日で静岡県に行ってきた。その時のテーマは、「北条早雲ゆかりの土地を巡る in 静岡」であった。基本的に、焼津から東進し、三島に至り、三島から南下して、修善寺でゴールという日程を考えていた。自転車による3日間の総走行距離は約180kmだった。</p>
<h2>小川の長者、長谷川法栄</h2>
<p>初日は東京駅を発し、焼津駅に降り、焼津の南隣にある小川の港へ行った。小川は、今川氏親擁立に尽力した長谷川法栄(*)の拠点である。</p>
<div><em>(*)長谷川法栄:今川氏親擁立に貢献した人物で、小川を拠点にしていた。 氏親の父、今川義忠が遠江で戦死した後、幼少の氏親はすぐに家督を相続することはできなかった。家督は、一旦、義忠の従兄弟の小鹿範満が引き継いだ。その混乱の中、法栄は氏親を小川でかくまったという。彼は早雲の有力な味方だった。 その辺の様子が司馬遼太郎『箱根の坂』に詳しく書かれている。</em></div>
<p> </p>
<h2>丸子城へ</h2>
<p>その後、朝比奈川を渡り、国道1号線を通って、泉ヶ谷の西に位置する丸子城を訪れた。丸子城は、東海道を押さえる要地にあり、今川の本拠地、今川館の北西に位置する。また、氏親が家督相続できないでいた間、この城を居城にしていたという。そうであれば、氏親擁立の中心人物であった、早雲も何度もこの城を訪れたことだろう。</p>
<p>丸子といえば、とろろ汁が有名だが、着いたときがすでに夕方だったため、店が閉まっており、とろろ汁は諦めざるを得なかった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年6月27日撮影 </em><br><em>司馬遼太郎『箱根の坂』のイメージに近いと思い撮影した。</em>
</div>
<h3>安部川餅を食べよう!</h3>
<p>翌日は、しからばということで、安部川餅を食することに決め、ホテルを出た。<br>最初、駿府城(今川館跡に築城された)、そして、浅間神社を見学した後、臨済寺に行った。臨済寺は早雲の姉(司馬遼太郎『箱根の坂』では妹という設定になっている。今川義忠の正室で、今川氏親の母)、北川殿の別邸跡に建てられ、今川義元も青年期を過ごした場所だという。 <br>当寺は賤機山の山麓にあり、本堂のある高地からは市街地がよく見える。すでに10時30分を過ぎて暑くなってきたが、境内の清々しい雰囲気が心地よかった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>臨済寺の本堂前からの写真。</em>
</div>
<div> </div>
<p>臨済寺を出て、予定通り、安部川餅を食べに安部川橋東側に向かうことにした。この頃になると、太陽が照り始め、気温はぐんぐん上昇しているのが分かった。11時頃に目的地付近に着くと、観光ガイドブックに載っていた佇まいの店があった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>安倍川橋の東側から、安倍川をのぞむ。</em>
</div>
<div> </div>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>安倍川餅の「せきべや」さん</em>
</div>
<div> </div>
<h2>安倍川餅の「せきべや」さん、発見!</h2>
<p>ここだと思い、汗を拭いつつ、店に入った。この店が300年の歴史を持つという「安倍川餅せきべや」である。店の中は、冷房がかかっており、涼しかった。安部川餅(600円)を注文し、待つことしばし、やってきた安部川餅を見て、私は「しまった」と思った。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>「せきべや」さんの安部川餅。見た目よりボリュームがあり、満腹になった。若干、黄粉餅が分かりくいかもしれない。黄粉餅は皿の右側にある。その黄粉餅に砂糖がかかっている。</em>
</div>
<div> </div>
<h2>「しまった」と思った理由</h2>
<p>それは餅の味がどうこうという話ではなく、このシチュエーションでは、餅というチョイス自体が誤りだったではないかということだ。なぜかというと、その重く、粉っぽい様子に食欲が湧いてこないのである。すでに、暑さにやられつつある体に、この重量感と粉っぽさはきつい。もう少し冷たいもの、せめて、チュルチュルと食べられるものにしたらよかったと思った(もちろん、餅自体はすべていただいて、店のチョイスにミスはなかったと思った)。</p>
<h2>ご当地グルメは胃と相談しよう</h2>
<p>思えば、前日にとろろ汁を食べ損なったのがトラウマになり、何としてもご当地グルメを食べるということが強迫観念となり、冷静な判断力を鈍らせたのかもしれない。思い込みというのは恐ろしいものである。<br>昨日、とろろ汁を食べていれば、おそらくこれほど暑い中、餅を食べるのは不適と判断して、別のものを食べていたことだろう。食べ物に関しては、頭が要求するものより、胃腸が要求するものを優先させたほうがよいとつくづく思った。今度は、安部川餅を見て胃腸が喜ぶ時期に、もう一度、トライしてみたいものだ。</p>
<p>その日の夕方、いつもより腹が減らないなと思ったとき、ふと昼に食べた阿部川餅のことを思い出した。失敗にも、効用はあるようだ。</p>
<p>(終)</p>

安部川餅の誤算

作成日:2014/6/23 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

安倍川餅 フィールドをゆく 静岡県 静岡市

【安倍川東岸にある安倍川餅「せきべや」さん】<p>300年の歴史を持つという「安倍川餅せきべや」さんである。</p>
<p>行ったのは2010年の6月末で暑かった。<br>店の中は、冷房がかかっており、涼しかった。</p>
<p>安部川餅(600円)を注文した。<br>素朴な味で良かったが、暑さで消化力が落ちていて、少しもたれた。</p>
<p>自分と同じように、多くの旅人がここでこのお店の安倍川餅を食べたのではないか。</p>

安倍川東岸にある安倍川餅「せきべや」さん

作成日:2014/6/23 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

安倍川餅 静岡県 静岡市

【臨済寺から静岡市街を撮影】<p>臨済寺は早雲の姉(今川義忠の正室で、今川氏親の母)、北川殿の別邸跡に建てられ、今川義元も青年期を過ごした場所だという。 <br>当寺は賤機山の山麓にあり、本堂のある高地からは市街地がよく見える。</p>

臨済寺から静岡市街を撮影

作成日:2014/6/23 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

臨済寺 北川殿 静岡県 静岡市

【山中城の箱井戸跡】<p>箱井戸跡。将兵用の飲料水に使われたとのこと。<br>西側の田尻の池よりも標高が高く、ここから田尻の池に水が流れた。<br><br>現在は睡蓮が植えられている。</p><br><p>奥に進むと、馬飲料用の田尻の池がある。</p>

山中城の箱井戸跡

作成日:2014/6/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 三島市

【山中城の田尻の池】<p>田尻の池は馬用の飲料水に使われたという。<br>手前に見えるように、田尻の池から三の丸堀に排水された。</p><br><p>右奥に、将兵飲料用の井戸(箱井戸跡)がある。</p>

山中城の田尻の池

作成日:2014/6/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 三島市

【山中城三の丸堀】<p>大手口辺りから北側の出丸まで伸びる三の丸堀。<br>長さ約180m、最大幅30m、深さ約8mとのこと。</p>

山中城三の丸堀

作成日:2014/6/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 三島市

【山中城岱崎出丸のすり鉢曲輪】岱崎出丸の最南端に位置するすり鉢曲輪。
名前の通り、中心が凹んだすり鉢状になっている。

北条方はここから箱根旧街道を側射できるので、豊臣方がこのすり鉢曲輪に攻撃が集中することは容易に想像できる。豊臣方の攻撃で、岱崎出丸の守将、間宮康俊は討ち死にしたとのこと。

山中城岱崎出丸のすり鉢曲輪

作成日:2014/6/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

動画 小田原戦役 静岡県 三島市

【山中城岱崎出丸西側、箱根旧街道の復元石畳】<p>箱根旧街道の復元された石畳。<br>山中城岱崎出丸から側射される位置にある。<br><br>江戸期の1680年頃には、石畳に改修されたとのこと。<br>そのため、小田原戦役(1590年)の山中城攻防戦の時には、まだ土の道だったはず。<br><br>岱崎出丸攻撃隊の右翼先鋒は中村一氏隊で、中村隊の下に渡辺勘兵衛了(さとる)もいた。渡辺勘兵衛は山中城の一番乗りしたとされ、この戦いの回想録を『渡辺水庵覚書』としてしたためた。<br>当時、彼もこの辺を必死に走ったのではないか。</p>

山中城岱崎出丸西側、箱根旧街道の復元石畳

作成日:2014/6/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 三島市

【興国寺城】北曲輪から大空堀をみる。空堀を撮るのは難しいが、これはなかなかいいのではないか。

作成日:2012/10/6 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

早雲の城 興国寺城再訪 静岡県 沼津市

【興国寺城】二ノ丸から本丸にかけて。いい感じの雲ですな。<br><br>北から愛鷹山がせり出し、東海道を圧迫する地形に興国寺城はあります。当時は、城の東側に船着場があったそうです。

作成日:2012/10/6 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

早雲の城 興国寺城再訪 静岡県 沼津市

織田信長 のノート

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勝幡城。中世の尾張で水運と商業の拠点として栄えた津島の北東3kmにある。織田信長が誕生した城で、一時、信長の父、織田信秀の居城でもあった…
織田信長の父、織田信秀の年表。1510年頃、清須織田家の三奉行の1つ、織田弾正忠信定の子として誕生。1533年、飛鳥井雅綱と山科時継が勝…
古渡城(ふるわたり)1534年、織田信秀が古渡城を築城。1546年、織田信長が古渡城で元服。1548年、織田信秀が末森城を築城し、古渡城…
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【本圀寺】1569年、織田信長の後ろ盾を得て、上洛を果たした足利義昭は本圀寺に入った。しかし、京都を追われた三好三人衆は反撃に転じて、本…
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応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
長尾景春 〜「長尾為景」になり損ねた男〜

北条早雲 のノート

韮山城の本丸から守山をのぞむ。 守山は写真中央奥の濃い緑の丘陵。守山の背後(西)には狩野川が北流し、手前(東)には下田街道が通って…
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延命寺。戦国初期の1513年、東進を続ける北条早雲に対し、三浦道寸は岡崎城、鎌倉で戦ったが、敗北。三浦半島南部の新井城に落ちた。早雲勢を…
住吉城。戦国初期の1513年、東進を続ける北条早雲に対し、三浦道寸は岡崎城、鎌倉で戦ったが、敗北。三浦半島南部の新井城に落ちた。早雲勢を…
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新井城の主郭を囲む高い土塁。小田原城を押さえた北条早雲は、三浦道寸率いる三浦勢を破って、さらに東進を続け、ついに、ここ新井城に押し込めた…
高越城跡。近年の研究で、高越城のある備中荏原荘は北条早雲の出身地とされている。・井原市観光協会http://www.ibarakanko…
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深根城。下田城から8kmほど北方、稲生沢川の南側にある。1498年、北条早雲は、敵対していた堀越公方・足利茶々丸の支持基盤たる南伊豆制圧…

武田信虎 のノート

北条早雲と武田信虎は同時代人
若き武田信虎による甲府盆地統一戦の絵地図。 昭和インター辺りから竜王の信玄堤→椿城(上野城)→富田城を歴史サイクリングしたが、黄色の太…
武田信虎と戦った大井信達の居城、椿城。その椿城に向う台地から甲府盆地をのぞむ。 街がずいぶん小さく見える。
武田信玄公母堂、大井夫人誕生の椿城跡
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