箱根旧街道の復元された石畳。
山中城岱崎出丸から側射される位置にある。
江戸期の1680年頃には、石畳に改修されたとのこと。
そのため、小田原戦役(1590年)の山中城攻防戦の時には、まだ土の道だったはず。
岱崎出丸攻撃隊の右翼先鋒は中村一氏隊で、中村隊の下に渡辺勘兵衛了(さとる)もいた。渡辺勘兵衛は山中城の一番乗りしたとされ、この戦いの回想録を『渡辺水庵覚書』としてしたためた。
当時、彼もこの辺を必死に走ったのではないか。
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