【石脇城】小川港から石脇城を遠望。一番右かその左の山が高草山で、その麓に石脇城がある。距離にして、2.5km程度。見えないが、石脇城の前に朝比奈川が流れている。現在地は焼津港で、右側は駿河湾。
作成日:2013/2/21
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早雲の城
静岡県
焼津市
【石脇城】小川港。北条早雲の頃、小川湊は栄えていたという。北条早雲が今川氏の家督相続に介入する際に、小川湊を管理していた長谷川法永は早雲に味方した。このとき早雲が拠点にしたのが、小川湊から程近く、東からの攻撃に対処しやすい石脇城だった。今もこうして、船が浮かんでいた。
作成日:2013/2/21
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早雲の城
静岡県
焼津市
【丸子城】丸子城の東側にある柴屋寺。柴屋軒宗長が結んだ草庵跡に建てられた。宗長は連歌師であったが、今川家の外交官の役割も果たしていた。宗長は北条早雲の今川氏親擁立にも尽力したという。
作成日:2013/2/21
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早雲の城
静岡県
静岡市
【丸子城】現地案内板。分かりやすい。丸子谷に入ってすぐの所にあったと記憶しているが。。
作成日:2013/2/21
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早雲の城
静岡県
静岡市
【丸子城】目の前の山が丸子城。位置と方位から考えると、左側の山が本曲輪か。
作成日:2013/2/21
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早雲の城
静岡県
静岡市
【丸子城】北曲輪辺りから北東方面に丸子谷を撮影。今川氏親の幼名は龍王丸といい、父の今川義忠亡き後は今川家の家督を相続できず、この丸子谷に隠れ住んでいた。龍王丸の母は北条早雲の姉だったため、早雲は龍王丸を担いで、今川家の当主に据えた。そのため、早雲は今川家に大きな地盤を得ることになった。鬱屈した氏親…
作成日:2013/2/22
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早雲の城
静岡県
静岡市
【丸子城】かなり深い堀切。幼少の今川氏親が隠棲していたというぐらいの知識で行ったら、城の規模に驚いた。実は駿河が武田領になった時、山県昌景が城代になっている。その後も徳川の手が入ったりして、大規模化していったのだろう。
作成日:2013/2/23
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早雲の城
【丸子城】明瞭な竪堀。竪堀はこれまで何度となく撮影してきたが、ロクな写真が撮れたことがない。その中でもこれはよく撮れたほう。 竪堀のうまい撮り方などあれば知りたい。
作成日:2013/2/25
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早雲の城
【駿府城】駿府城の本丸堀。駿府城は今川館跡に建てられた。今川館についてはよく分かっていないようだ。 駿府城は近世城郭なので、丸子城のように霞がかった雰囲気は微塵もなかった。
作成日:2013/2/25
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早雲の城
静岡県
静岡市
【今川館】今川館から西に2.5ロほどの地点にある安倍川。丸子城から東へ。安倍川に至る。思っていたほど、水量は多くなかった。 今川氏親が丸子城に逼塞していたとされているが、今川館から安倍川が約2.5km、安倍川から丸子城までが約4km。いくら安倍川があるにしても近過ぎないかと自転車で走って…
作成日:2013/2/25
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早雲の城
静岡県
静岡市
【薩埵山】薩埵山とその西を流れる興津川。近代以前、薩埵山にあるさった峠は通り抜けるのが厳しい難所だった。 司馬遼太郎 『箱根の坂』では、北条早雲が関東に行こうとしたところ、さった峠で盗賊に身包みを剥がされてしまい、これを機に北川殿(物語の中では、早雲の妹、史実では姉)と静岡の浅間神社で再…
作成日:2013/2/27
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早雲の城
静岡県
静岡市
【興国寺城】西櫓台辺りから本丸を撮影。当時は興国寺城に船着場があったそうなので、今とは景観が随分違ったらしい。真っ直ぐ行くと駿河湾に至る。
作成日:2013/2/27
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早雲の城
静岡県
沼津市
【興国寺城】二ノ丸から本丸にかけて。いい感じの雲ですな。北から愛鷹山がせり出し、東海道を圧迫する地形に興国寺城はあります。当時は、城の東側に船着場があったそうです。
作成日:2012/10/6
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早雲の城
興国寺城再訪
静岡県
沼津市
【興国寺城】北曲輪から大空堀をみる。空堀を撮るのは難しいが、これはなかなかいいのではないか。
作成日:2012/10/6
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早雲の城
興国寺城再訪
静岡県
沼津市
【高見城】鎌倉街道上道から高見城を遠望。パッと見て、すぐに高見城(四津山城)だと気づいた。それぐらい、目立つ山。
現在、四津山の山頂からは北と西は木々が繁り見えないので、南と東にしか視界が開けていないが、おそらく、当時は北と西も木を切っていただろうから、360度の視野で見えただろう。
司馬遼太…
作成日:2013/3/2
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早雲の城
武蔵比企丘陵の城