西暦: 1489年 〜 1542年

出生年と死亡年に疑いあり。越後守護代。越後守護の上杉房能を自害させ、傀儡守護を擁立する。

地域: 日本

長尾為景

関連情報: Wikipediaツイート で「長尾為景」を調べる

関連する歴史年表: 北条氏綱武田信虎


グラフと表の条件設定
項目の重要度と地域で以下のグラフと表に出力するデータ数を絞り込むことができます。
重要度 :   すべて  重要  重要+普通
地域 :   すべて  日本  欧米  東アジア  西アジア

グラフ: 「長尾為景」と同時代の人物

項目メニューに戻る

グラフ: 「長尾為景」と同時代の出来事

項目メニューに戻る

表: 「長尾為景」と同時代の人物

蓮如 1415年 〜 1499年 日本
雪舟 1420年 〜 1506年 日本
宗祇 1421年 〜 1502年 日本
村田珠光 1423年 〜 1502年 日本
上杉房定 1431年 〜 1494年 日本
北条早雲(旧説) 1432年 〜 1519年 日本
斯波義敏 1433年 〜 1508年 日本
狩野正信 1434年 〜 1530年 日本
足利政知 1435年 〜 1491年 日本
足利義政 1436年 〜 1490年 日本
畠山義就 1437年 〜 1491年 日本
足利成氏 1438年 〜 1497年 日本
足利義視 1439年 〜 1491年 日本
イヴァン3世 1440年 〜 1505年 ロシア
日野富子 1440年 〜 1496年 日本
長尾景春 1443年 〜 1514年 日本
ボッティチェリ 1444年 〜 1514年 ヨーロッパ
上杉定正 1446年 〜 1494年 日本
武田信昌 1447年 〜 1505年 日本
宗長 1448年 〜 1532年 日本
バルトロメウ・ディアス 1450年 〜 1500年 ヨーロッパ
クリストファー・コロンブス 1451年 〜 1506年 ヨーロッパ
イサベル(カスティリャ王女) 1451年 〜 1504年 ヨーロッパ
三浦道寸(義同) 1451年 〜 1516年 日本
フェルナンド5世 1452年 〜 1516年 ヨーロッパ
レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452年 〜 1519年 ヨーロッパ
アメリゴ・ヴェスプッチ 1454年 〜 1512年 ヨーロッパ
上杉顕定 1454年 〜 1510年 日本
ジョアン2世 1455年 〜 1495年 ヨーロッパ
北条早雲 1456年 〜 1519年 日本
ヘンリ7世 1457年 〜 1509年 ヨーロッパ
三好之長 1458年 〜 1520年 日本
尼子経久 1458年 〜 1541年 日本
上杉房能 1458年 〜 1507年 日本
長尾能景 1459年 〜 1506年 日本
カブラル 1460年 〜 1526年 ヨーロッパ
足利政氏 1462年 〜 1531年 日本
足利義尚 1465年 〜 1489年 日本
細川政元 1466年 〜 1507年 日本
足利義材(義稙) 1466年 〜 1523年 日本
上杉憲房 1467年 〜 1525年 日本
マキャベリ 1469年 〜 1527年 ヨーロッパ
エラスムス 1469年 〜 1536年 ヨーロッパ
ヴァスコ・ダ・ガマ 1469年 〜 1524年 ヨーロッパ
セリム1世 1470年 〜 1520年 地中海、西アジア
ピサロ 1470年 〜 1541年 ヨーロッパ
武田信縄 1471年 〜 1507年 日本
デューラー 1471年 〜 1528年 ヨーロッパ
以天宗清 1472年 〜 1554年 日本
王陽明(王守仁) 1472年 〜 1528年 東アジア
今川氏親 1473年 〜 1526年 日本
コペルニクス 1473年 〜 1543年 ヨーロッパ
上杉朝良 1473年 〜 1518年 日本
ラス・カサス 1474年 〜 1566年 ヨーロッパ
ミケランジェロ 1475年 〜 1564年 ヨーロッパ
レオ10世 1475年 〜 1521年 ヨーロッパ
大内義興 1477年 〜 1528年 日本
上杉定実 1478年 〜 1550年 日本
マゼラン(マガリャンイス) 1480年 〜 1521年 ヨーロッパ
足利義澄 1481年 〜 1511年 日本
マルティン・ルター 1483年 〜 1546年 ヨーロッパ
バーブル 1483年 〜 1530年 南アジア、東南アジア
ツヴィングリ 1484年 〜 1531年 ヨーロッパ
細川高国 1484年 〜 1531年 日本
足利高基 1485年 〜 1535年 日本
コルテス 1485年 〜 1547年 ヨーロッパ
イスマーイール1世 1487年 〜 1524年 地中海、西アジア
北条氏綱 1487年 〜 1541年 日本
上杉朝興 1488年 〜 1537年 日本
長尾為景 1489年 〜 1542年 日本
細川澄元 1489年 〜 1520年 日本
ミュンツァー 1490年 〜 1525年 ヨーロッパ
イグナティウス・ロヨラ 1491年 〜 1556年 ヨーロッパ
長野業正(長野業政) 1491年 〜 1561年 日本
ヘンリー8世 1491年 〜 1547年 ヨーロッパ
北条幻庵(長綱) 1493年 〜 1589年 日本
武田信虎 1494年 〜 1574年 日本
フランソワ1世 1494年 〜 1547年 ヨーロッパ
スレイマン1世 1494年 〜 1566年 地中海、西アジア
斎藤道三 1494年 〜 1556年 日本
六角定頼 1495年 〜 1552年 日本
後奈良天皇 1496年 〜 1557年 日本
太原雪斎 1496年 〜 1555年 日本
三浦義意 1496年 〜 1516年 日本
毛利元就 1497年 〜 1571年 日本
大井夫人 1497年 〜 1552年 日本
カール5世 1500年 〜 1558年 ヨーロッパ
三好元長 1501年 〜 1532年 日本
李退渓 1501年 〜 1570年 東アジア
武野紹鴎 1502年 〜 1555年 日本
武野紹鷗 1502年 〜 1555年 日本
雪村周継 1504年 〜 1589年 日本
フランシスコ・ザビエル 1506年 〜 1552年 ヨーロッパ
山科言継 1507年 〜 1579年 日本
大内義隆 1507年 〜 1551年 日本
足利晴氏 1508年 〜 1560年 日本
カルヴァン 1509年 〜 1564年 ヨーロッパ
長尾晴景 1509年 〜 1553年 日本
松永久秀 1510年 〜 1577年 日本
足利義晴 1511年 〜 1550年 日本
織田信秀 1511年 〜 1551年 日本
真田幸隆 1513年 〜 1574年 日本
今川氏輝 1513年 〜 1536年 日本
細川晴元 1514年 〜 1563年 日本
北条氏康 1515年 〜 1571年 日本
北条綱成 1515年 〜 1587年 日本
メアリ1世 1516年 〜 1558年 ヨーロッパ
正親町天皇 1517年 〜 1593年 日本
カトリーヌ・ド・メディシス 1519年 〜 1589年 ヨーロッパ
今川義元 1519年 〜 1560年 日本
今井宗久 1520年 〜 1593年 日本
陶晴賢 1521年 〜 1555年 日本
武田信玄 1521年 〜 1573年 日本
柴田勝家 1522年 〜 1583年 日本
千利休 1522年 〜 1591年 日本
三好長慶 1522年 〜 1564年 日本
上杉憲政 1523年 〜 1579年 日本
張居正 1525年 〜 1582年 東アジア
上杉朝定 1525年 〜 1546年 日本
松平広忠 1526年 〜 1549年 日本
長尾政景 1526年 〜 1564年 日本
フェリペ2世 1527年 〜 1598年 ヨーロッパ
斎藤義龍 1527年 〜 1561年 日本
柳生宗厳(石舟斎) 1527年 〜 1606年 日本
明智光秀 1528年 〜 1582年 日本
種子島時堯 1528年 〜 1579年 日本
大友義鎮(大友宗麟) 1530年 〜 1587年 日本
上杉謙信 1530年 〜 1578年 日本
イヴァン4世(雷帝) 1530年 〜 1584年 ロシア
ボーダン 1530年 〜 1596年 ヨーロッパ
モンテーニュ 1533年 〜 1592年 ヨーロッパ
エリザベス1世 1533年 〜 1603年 ヨーロッパ
小早川隆景 1533年 〜 1597年 日本
島津義久 1533年 〜 1611年 日本
朝倉義景 1533年 〜 1573年 日本
大村純忠 1533年 〜 1587年 日本
オラニエ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム) 1533年 〜 1584年 ヨーロッパ
織田信長 1534年 〜 1582年 日本
島津義弘 1535年 〜 1619年 日本
荒木村重 1535年 〜 1586年 日本
足利義輝 1536年 〜 1565年 日本
近衛前久 1536年 〜 1612年 日本
足利義昭 1537年 〜 1597年 日本
豊臣秀吉 1537年 〜 1598年 日本
北条氏政 1538年 〜 1590年 日本
前田利家 1538年 〜 1599年 日本
前田玄以 1539年 〜 1602年 日本
ヴァリニャーニ(バリニャーノ) 1539年 〜 1606年 日本
長宗我部元親 1539年 〜 1599年 日本
豊臣秀長 1540年 〜 1591年 日本
北条氏照 1540年 〜 1590年 日本
北条氏邦 1541年 〜 1597年 日本
足利義氏 1541年 〜 1583年 日本
エル・グレコ 1541年 〜 1614年 ヨーロッパ
徳川家康 1542年 〜 1616年 日本
アクバル 1542年 〜 1605年 南アジア、東南アジア
中川清秀 1542年 〜 1583年 日本
項目メニューに戻る

表: 「長尾為景」と同時代の出来事

長尾景春の乱はじまる 1476年 〜 1480年 日本
駿河守護の今川義忠戦死で、今川家の家督相続問題発生 1476年 日本
応仁の乱おわる 1477年 日本
スペイン王国(イスパニア王国)、成立 1479年 〜 1873年 ヨーロッパ
山城の国一揆 1485年 日本
チューダー朝 1485年 〜 1603年 ヨーロッパ
太田道灌が主の扇谷上杉定正に謀殺される 1486年 日本
北条氏綱(北条2代目)、出生 1487年 日本
北条早雲、小鹿範満を討って、今川氏親を擁立 1487年 日本
ヘンリ7世、星室庁裁判所を設立 1487年 ヨーロッパ
長享の乱がはじまる(~1505年) 1487年 〜 1505年 日本
関東三戦(実蒔原の合戦、須賀谷原の合戦、高見原の合戦)勃発 1488年 日本
加賀の一向一揆 1488年 日本
バルトロメウ・ディアス(ポルトガル)、喜望峰に到達 1488年 ヨーロッパ
イタリア戦争 1492年 〜 1559年 ヨーロッパ
グラナダ陥落 1492年 ヨーロッパ
コロンブス、サン・サルバドル島に上陸 1492年 北アメリカ
甲斐守護の武田信縄と武田信昌(信縄の父)・油川信恵(信縄の異母弟)の戦いが始まり、甲斐内乱、 1492年 〜 1498年 日本
北条早雲、伊豆に討ち入る 1493年 日本
明応の政変が起こり、細川政元政権が成立する 1493年 日本
扇谷上杉定正、荒川渡河に失敗して頓死 1494年 日本
トルデシリャス条約 1494年 ヨーロッパ
三浦義同(道寸)、三浦郡に進攻し、三浦氏当主に 1494年 日本
大森氏頼(寄栖庵)、死去 1494年 日本
北条早雲、小田原城を奪取 1495年 日本
山内上杉顕定、相模に進攻。小田原城の大森氏、山内上杉側に寝返り、小田原城は自落。 1496年 日本
蓮如、石山本願寺を築く 1496年 日本
明応地震 1498年 日本
茶々丸、甲斐国で死亡(下田の深根城での討死説もある)→北条早雲、伊豆一国を制圧 1498年 日本
ヴァスコ=ダ=ガマ、インド航路発見(カリカット到着) 1498年 ヨーロッパ
カブラル(ポルトガル人)、ブラジルに漂着。ブラジルの領有を宣言。 1500年 ヨーロッパ
サファヴィー朝、成立 1501年 〜 1736年 地中海、西アジア
北条早雲、1501年までに小田原城を奪取(新説) 1501年 日本
北条早雲と今川氏親、扇谷上杉朝良の援軍として、立河原の合戦に参戦し、山内上杉顕定勢と戦い勝利する。 1504年 日本
扇谷上杉朝良、山内上杉顕定に降り、長享の乱が終わる 1505年 日本
武田信虎、父の信縄が死去し、甲斐の家督を相続 1507年 日本
細川政元、暗殺される 1507年 日本
越後守護の上杉房能(山内上杉顕定の実弟)、越後守護代の長尾為景に敗れて自害 1507年 日本
大内義興、上京し、細川高国と足利義稙(10代将軍、義材)を将軍に擁立 1508年 日本
武田信虎、叔父の油川信恵を滅ぼす 1508年 日本
山内上杉顕定、長尾為景を討つため、越後に進攻 1509年 日本
北条早雲、武蔵(扇谷上杉朝良の領国)に進攻し、両上杉氏と敵対関係に入る 1509年 日本
三浦の乱 1510年 日本
山内上杉顕定、長森原(新潟県六日町)で討ち死 1510年 日本
ポルトガル、ゴアを占領 1510年 南アジア、東南アジア
北条早雲、三浦勢と鎌倉で戦い破る→三浦勢は新井城に立て籠もる 1513年 日本
チャルディラーンの戦い 1514年 地中海、西アジア
武田信虎、大井信達と戦い、敗北 1515年 日本
北条氏康(北条3代目)、出生 1515年 日本
マキャベリ、『君主論』著す 1516年 ヨーロッパ
北条早雲、三浦氏を滅亡させ、相模制圧完了 1516年 日本
ポルトガル、明と広州で貿易をはじめる 1517年 東アジア
ルター、九十五か条の論題を発表し、宗教改革はじまる 1517年 ヨーロッパ
今川氏親、遠江を制圧 1517年 日本
セリム1世(オスマン帝国)、マムルーク朝を滅ぼす 1517年 地中海、西アジア
大内義興、京を去って帰国する 1518年 日本
北条氏綱、北条早雲から家督相続(以降、小田原城が北条市の本拠地となる) 1518年 日本
マゼラン、世界周航に出発 1519年 〜 1522年 ヨーロッパ
北条早雲、死去 1519年 日本
武田信虎、躑躅ヶ崎館に本拠地を移転 1519年 日本
スレイマン1世、即位 1520年 〜 1566年 地中海、西アジア
武田信虎、甲斐の有力国人(大井信達ら)を撃破し、一応の甲斐統一(その後も混乱は続く) 1520年 日本
武田信虎、今川の重臣、福島氏の大軍を飯田河原の戦い、上条河原の戦いで撃破 1521年 日本
細川高国、足利義晴(義澄の子)を擁立 1521年 日本
ルター、『新約聖書』をドイツ語に翻訳 1521年 〜 1522年 ヨーロッパ
武田信玄(幼名、太郎)、出生。 1521年 日本
マゼラン、フィリピンに到達 1521年 ヨーロッパ
コルテス、アステカ王国を滅ぼす 1521年 中南米
騎士戦争 1522年 ヨーロッパ
マゼラン艦隊、世界周航(マゼランはフィリピンで死亡) 1522年 ヨーロッパ
毛利元就、家督を継承する 1523年 日本
北条氏綱、伊勢氏から北条氏に改称 1523年 日本
寧波の乱 1523年 日本
武田信虎、扇谷上杉朝興の援軍として、関東を転戦(この時、岩付城を攻略) 1524年 日本
北条氏綱、太田資高の内応を誘い、江戸城を奪う 1524年 日本
ドイツ農民戦争 1524年 〜 1525年 ヨーロッパ
北条氏綱、白子原の戦いで扇谷上杉朝興に敗れる 1525年 日本
『今川仮名目録』制定 1526年 日本
鎌倉の鶴岡八幡宮焼失 1526年 日本
パーニーパットの戦い 1526年 南アジア、東南アジア
細川高国政権、崩壊 1526年 日本
バーブル、即位(ムガル帝国を建国) 1526年 〜 1530年 南アジア、東南アジア
ムガル帝国建国 1526年 南アジア、東南アジア
石見銀山発見 1526年 日本
スレイマン1世(オスマン帝国)、ウィーン包囲(第一次ウィーン包囲) 1529年 ヨーロッパ
武田信虎、扇谷上杉朝興の斡旋で、前関東管領の山内上杉憲房の未亡人を側室に迎える 1530年 日本
小沢原の戦い 1530年 日本
トゥングー朝、成立(ミャンマー) 1531年 〜 1752年 南アジア、東南アジア
細川高国、天王寺の戦いに敗れて自害 1531年 日本
武田信虎に対して、飯富虎昌、栗原兵庫、今井信元らが反乱を起こすが、信虎に撃破され、翌年、鎮圧される。信虎、甲斐統一完了。 1531年 〜 1532年 日本
上杉憲政、上杉憲寛を追放して、山内上杉氏の当主になる 1531年 日本
一条鞭法、施行 1531年 東アジア
法華一揆 1532年 日本
鶴岡八幡宮の造営始まる 1532年 日本
ピサロ、インカ帝国を滅ぼす 1533年 中南米
武田信虎の嫡男、武田太郎(武田信玄)、扇谷上杉朝興の娘を娶る 1533年 日本
イエズス会、結成 1534年 ヨーロッパ
ヘンリ8世、首長法を発布(イギリス国教会成立) 1534年 ヨーロッパ
スレイマン1世、仏にカピチュレーションを認める 1535年 地中海、西アジア
北条氏綱、今川氏輝の要請で、武田信虎勢と甲斐の郡内山中で戦う 1535年 日本
伊達稙宗、『塵芥集』を定める 1536年 日本
(武田信玄)元服し、武田晴信と名乗る 1536年 日本
長尾為景、長男の長尾晴景に家督を譲る 1536年 日本
天文法華の乱 1536年 日本
駿河守護の今川氏輝死去。今川氏で内乱が勃発し(花倉の乱)で、今川義元が勝者になる 1536年 日本
河東一乱 1537年 日本
7月、北条氏綱、扇谷上杉氏の本拠、河越城を奪う 1537年 日本
扇谷上杉朝興死去。家督は朝定が継ぐ 1537年 日本
武田信虎の娘が今川義元に嫁ぎ、甲駿同盟が成立 1537年 日本
プレヴェザの海戦 1538年 地中海、西アジア
北条氏綱、松戸台で小弓公方の足利義明勢と戦う(第1次国府台合戦) 1538年 日本
北条氏綱、娘を古河公方、足利晴氏の正室とする。その結果、北条氏は足利家の「ご一家」となる 1539年 日本
鶴岡八幡宮の正殿遷宮(落成式)が行われる 1540年 日本
北条氏綱、死去 1541年 日本
カルヴァン、ジュネーブ(スイス)で宗教改革(神政政治)をはじめる 1541年 ヨーロッパ
武田晴信(のちの信玄)、父の信虎を駿河に追放し、家督を手に入れる 1541年 日本
斎藤利政(道三)、美濃を押領する 1542年 日本
生野銀山、発見 1542年 日本
鉄砲伝来 1543年 日本
ポトシ銀山、発見 1545年 中南米
トリエント公会議 1545年 〜 1563年 ヨーロッパ
北条氏康、河越夜戦で、古河公方(足利晴氏)、山内上杉氏(上杉憲政)、扇谷上杉氏(上杉朝定)連合軍を撃破 1546年 日本
シュマルカルデン戦争 1546年 〜 1547年 ヨーロッパ
織田信秀、美濃の斎藤道三を攻めるも大敗(加納口の戦い) 1547年 日本
(武田信玄)「甲州法度之次第」を定める 1547年 日本
松平広忠、今川義元に息子の竹千代(徳川家康)を人質に送ったが、途中で織田信秀に奪われる 1547年 日本
小豆坂の戦いで、今川義元、織田信秀を破る 1548年 日本
塩尻峠の戦い 1548年 日本
長尾景虎(上杉謙信)、兄の長尾晴景から家督を受け継ぎ、越後守護代となる 1548年 日本
上田原の戦い 1548年 日本
フランシスコ・ザビエル、来日 1549年 日本
細川晴元、江口の戦いで三好長慶に大敗 1549年 日本
今川義元、安祥城を落とし、城主、織田信広(織田信秀の子)を捕らえ、竹千代(徳川家康)と交換する 1549年 日本
織田信長、斎藤道三の娘(濃姫)を室に迎える 1549年 日本
戸石崩れ 1550年 日本
陶晴賢、大内義隆を滅ぼす 1551年 日本
織田信長、父(織田信秀)の死により、家督を継承 1551年 日本
北条氏康、甥の足利義氏を古河公方に擁立 1552年 日本
山内上杉憲政、長尾景虎を頼って、越後に落ちる 1552年 日本
第1回川中島の戦い 1553年 日本
前古河公方、足利晴氏が挙兵するが、北条氏康に敗れて捕らえられ、相模の波多野に幽閉される 1554年 日本
甲相駿三国同盟、成立 1554年 〜 1569年 日本
厳島の戦い 1555年 日本
アウグスブルクの和議 1555年 ヨーロッパ
第2回川中島の戦い 1555年 日本
フェリペ2世、即位 1556年 〜 1598年 ヨーロッパ
アクバル、即位 1556年 〜 1605年 南アジア、東南アジア
長尾景虎(上杉謙信)、出家するため高野山へ向かう 1556年 日本
斎藤道三、息子の斎藤義龍に討たれる(長良川の戦い) 1556年 日本
第3回川中島の戦い 1557年 日本
統一法、制定される(英) 1559年 ヨーロッパ
長尾景虎(上杉謙信)、二度目の上洛。将軍、足利義輝から関東管領任命の内示を受ける 1559年 日本
北条氏康、家督を嫡子、北条氏政に譲る。しかし、この後も、氏康が軍政を手動する。 1559年 日本
北条氏康、永禄2年(1559年)頃には上野を勢力下におさめる 1559年 日本
武田晴信、信玄と号す 1559年 日本
長宗我部元親、家督相続 1560年 日本
桶狭間の戦い 1560年 日本
第4回川中島の戦い 1561年 日本
上杉謙信、関東に侵攻し、小田原城を攻める 1561年 日本
上杉謙信(長尾景虎)、関東管領となる 1561年 日本
ユグノー戦争 1562年 〜 1598年 ヨーロッパ
項目メニューに戻る

関連情報: Wikipediaツイート で「長尾為景」を調べる

「長尾為景」の関連ノート

【長尾景春 〜「長尾為景」になり損ねた男〜】<h2>別の戦国時代をつくる可能性を持っていた男、長尾景春</h2>
<p>別の戦国時代を作る可能性を持っていた人物として、長尾景春がいる。一般には知られざるこの人物について、これから書いていきたい(*)。</p>
<p><em>(*)この記事の公開は2011年10月14日で、長尾景春が主役の歴史小説、伊東潤氏『叛鬼』はまだ出版されていなかった。伊東さんの著書によって、長尾景春はの知名度は以前よりも上がったと思う。</em></p>
<p>長尾景春は訳あって、主人の関東管領、山内上杉顕定を相手に謀反を起こし、主の顕定を窮地に陥れた。これが文明8年(1476年)からはじまる長尾景春の乱で、景春が30代前半の頃のことである。しかし、不運にも、彼の同時代には太田道灌がいた。</p>
<p>長尾景春は巧みな外交と調略を駆使して、戦略的優位を準備するものの、太田道灌との戦闘に敗れた。戦略的に勝っているからといって、自動的に最終的な勝利が得れれるというものではない。</p>
<p>長尾景春について述べる前に、同姓の越後守護代、長尾為景について見ていきたい。</p>
<h2>下克上を成功させた男、長尾為景</h2>
<p>永正4年(1507年)長尾為景は越後守護の上杉氏に下克上を起こして成功し、傀儡の越後守護を擁立することに成功した。そして、首尾よく傀儡越後守護も追放して、為景自身が越後の支配者となった。彼の息子の長尾景虎はその地盤を引き継ぎ、さらには、(北条早雲の孫、北条氏康に河越夜戦(1546年)で撃破され、その後、没落させられた)関東管領の山内上杉憲政から山内上杉氏の名と関東管領の職を受け継ぎ、「山内上杉」謙信となった。そして、謙信は武田信玄や北条氏康、織田信長といった戦国の雄たちと激しく争うことになる。</p>
<h2>「長尾景春の乱」の原因:景春、山内上杉氏の家宰職を継承できず</h2>
<p>社会的地位からいうと、長尾景春は越後守護代の長尾為景(上杉謙信の父)と似たところにいた。</p>
<p>長尾景春の祖父(白井長尾景仲)も父(白井長尾景信)も、主の山内上杉氏の家宰(執事)だった。文明5年(1473年)に、父の長尾景信が死去した。景春は、当然、自分がその地位を引き継げると思っていた。 <br>しかし、彼の家(白井長尾家)の勢力が主家を凌ぐのを恐れた若き当主、関東管領の山内上杉顕定が、景春の叔父を家宰に任命した(上杉顕定の懸念は、越後の長尾為景の例を見ても空想ではなかった)。 <br>景春にとって、この処置は認められるものではない。怒りなどの感情もあっただろうが、それより、家宰職には膨大な利権があり、家臣や同輩はそれを当てにしている。景春が利権を手放せば、人々は去っていき、景春の政治生命は致命的なダメージを受けることになる。 <br>景春は政治的な死を選んで隠遁するか、家宰職を認めさせるために主と戦うかの二者択一を迫られたのである。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年10月撮影 </em><br><em>白井城から榛名山をのぞむ。手前に流れる川が吾妻川。 </em><br><em>白井城は代々、山内上杉氏の家宰を務める白井長尾家の本拠地だった。当城は群馬県渋川市白井に位置する崖端城である。白井城の西側を吾妻川が東側を利根川が流れており、城の南側で合流しており、さらに三国街道がこの城の近くを通るため、上野と越後の交通の要衝でもある。 </em><br><em>かつての城域の大部分は、現在、畑だが、一曲輪を中心に遺構も残っている。</em>
</div>
<h2>景春、挙兵</h2>
<p>景春は関東の有力国人を多数味方につける一方、文明8年(1476年)頃、<a>鉢形城</a>を築城して拠点とした。また、当時、享徳の乱が継続中で、主家の山内上杉氏と古河公方は対立しており、主家と敵対している古河公方、足利成氏を味方につけ、着々と軍事的、外交的な策を駆使して、蜂起のときを待った。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年4月25日撮影 </em><br><em>鉢形城の北側からのアングル。写真中央の川が荒川。城の堅固さが偲ばれる。遺構の良好に残り、北条氏末期の鉢形城の様子がよく分かる。 </em><br><em>長尾景春が太田道灌(両上杉氏)との戦いに敗れ、この城を追われたあと、この城は山内上杉氏の武蔵支配の拠点となった。16世紀の半ばに、後北条氏が山内上杉氏に代わって、この地を支配するようになっても、鉢形城は重要拠点でありつづけた。景春の築城眼は的を得ていたようだ。</em>
</div>
<div> </div>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>長尾景春の乱、概略絵地図 </em><br><em>当時の関東は、利根川を境に東が古河公方の勢力圏、西が両上杉氏の勢力圏だった(なお、当時の利根川の流路は現在と違い、関東を東西に分けていた)。古河公方勢と対戦中だった両上杉の前線拠点、五十子陣は背後から長尾景春に攻撃され、崩壊した。</em>
</div>
<h2>景春の、そして、関東の運命を握る男、太田道灌</h2>
<p>景春にとって、最大の脅威は江戸を中心に勢力を持っている太田道灌だった。道灌は文武両道の名将で、足軽を組織して、強力な軍事力を養う一方、関東の大河の下流を押さえる江戸に堅固な江戸城を築き、大きな経済力も持っていた(道灌はその強力さ故に、10年後、道灌の主人、扇谷上杉定正に謀殺されることになる)。</p>
<p>ただ、道灌は主の扇谷上杉定正や定正の同盟者である山内上杉顕定との関係がうまくいっておらず、彼らの間に溝が広がりつつあった。景春にとって、道灌は敵にまわすと最大の脅威なので、この隙をついて、道灌を味方につけるか、それが無理ならせめて中立を維持させる必要があった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年2月撮影</em><br><em>江戸城に残る3つの櫓の1つ、富士見櫓。かつて太田道灌が築いた静勝軒の故地に江戸城の富士見櫓が建っているという。 静勝軒は道灌の軒号でもある。</em>
</div>
<div> </div>
<h2>景春、初戦に勝利。</h2>
<p>景春は道灌と両上杉首脳の不仲を好機として蜂起した。景春の基本戦略は五十子陣にいる両上杉首脳と道灌の連携を分断し、道灌を足止めする一方、両上杉の軍勢に打撃を与え、機を見て、主の山内上杉顕定と和睦し、政治目標を実現するというものだったと思う。家宰職を得ることが景春の政治的な目標なら、この戦略は的を得ているだろう。</p>
<p>初戦は上々で、文明9年(1477年)1月に主の顕定と扇谷上杉定正のいる五十子陣を襲って崩壊させた。顕定と定正は何とか利根川の北に逃げ延びた。これが「長尾景春の乱」の最初の戦いだった(この戦いは4年に及んだ)。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年4月撮影 </em><br><em>両上杉氏が古河公方との戦いのために築いた五十子陣跡。近辺は茫漠たる平野が広がる。 その重要な拠点を景春は崩壊させた。そのため、両上杉首脳は窮地に陥るが、太田道灌の活躍によって何とか生き延びた。</em>
</div>
<h2>道灌、動く</h2>
<p>景春は山内上杉顕定との和睦の取次ぎを期待して、道灌に使者を送った。景春の政治的目標は山内上杉氏の家宰職の継承だったのだと思う。そうでなければ、顕定勢の撃滅を目指していたはずだ。 <br>景春の意図はどうであれ、結局、道灌による和睦斡旋は失敗した。すると、道灌は景春を討つべく、江戸城から北上してきた。</p>
<p>道灌は江戸城と河越城の連絡線を遮断している練馬城・石神井城の豊島氏を江古田・沼袋の戦いで撃破した。この戦いによる勝利で江戸城・河越城のラインを確保した道灌はさらに北上を続けた。 <br>景春は当時五十子陣にいた。道灌は、景春の拠点、鉢形城と五十子陣の間で陣を構えることで、景春の補給ラインを分断した。景春は補給ラインを確保すべく南下したが、これは道灌の「手」だった。</p>
<p>道灌は景春をおびき寄せて合戦に持ちこんだ(用土原・針谷の戦い)。景春は道灌の術中にはまり、敗れた。その後も、道灌は景春勢を各地で撃破して、景春を秩父の奥地に追い込んでいった。そして、文明12年(1480年)、景春最後の拠点、秩父の日野要害(熊倉城)も道灌に攻略され、景春は没落した。</p>
<p>なお、景春は道灌の妻の甥にあたり、お互いよく知った仲であったと言われている。</p>
<h2>景春の実現されなかった可能性を考える</h2>
<p>長尾景春は長尾景春の乱に敗れたが、その後も神出鬼没の活躍で、主の山内上杉顕定を苦しめた。やはり、只者ではなかったことが分かる。しかし、これらの活躍もあくまでも好機に便乗するという形であって、景春が再び時代の主役になることはなかった。</p>
<p>ここで、少々、「もし」を考えてみたい。 <br>もしこの時道灌が江戸城を動かなかったり、さらに言うと、道灌が景春に協力していたら、古河公方との戦いにも直面していた両上杉氏(山内上杉氏と扇谷上杉氏)は二方向、道灌も含めれば、三方向から挟撃され、一時的であれ、両上杉氏主力が壊滅していた可能性はかなりあったと思う。</p>
<p>当時、長尾為景の下克上はまだ起こっておらず、山内上杉氏は越後上杉氏の援軍を期待できたため、山内上杉氏がたやすく滅亡したかどうかは疑問ではあるものの(また、京都では弱体ながら室町幕府は存在していた。幕府は基本的に親上杉なので、近隣諸国からも両上杉氏に援軍が来ていた可能性もある)、一方では景春か道灌が古河公方を担いで関東を統一し、彼らの子供あたりが源頼朝のように関東の強兵を率いて京に攻め上り、天下に号令していた可能性もゼロではない(実際、永正5年(1508年)、大内義興は前将軍の足利義稙を擁して上京し、10年間、自派の政権を維持した)。</p>
<p>実際には、このシナリオ(景春と道灌が同盟し、両上杉氏を倒すシナリオ)は実現されなかったわけだが、もし実現していたら、その後の展開は全く変わっていただろう。 <br>状況は違うが、後に景春や古河公方と同盟して、両上杉氏と対抗した人物がいる。そう、それが北条早雲である。もしこの時(景春が蜂起したとき)に早雲が道灌の立場であれば、どういう判断を下していただろうか。</p>
<h2>長尾景春と長尾為景</h2>
<p>結局、失敗した長尾景春の乱だったが、景春は優れた戦略家であり、実行力もあった。ただ、相手(太田道灌)が悪かったと言えるかもしれない。</p>
<p>長尾景春の乱から、約30年後、越後で長尾為景が越後上杉氏を倒して、下克上に成功した。 長尾景春はある意味、長尾為景になり損なった男ということもできると思う。</p>
<h2>年表: 長尾景春の乱</h2>
<div> </div>
<p>(終)</p>

長尾景春 〜「長尾為景」になり損ねた男〜

作成日:2014/6/22 , by fuji3zpg 開く

長尾景春の乱 フィールドをゆく 太田道灌 室町体制崩壊期の関東と太田道灌ーフィールドをゆく(2)ー

ノートのタグ

ニュース 人物記事 動画
戦国 幕末維新

ノートまとめのタグ

江戸城 大坂城 竹田城
二条城 鎌倉 神奈川
東京 京都 静岡

歴史年表のタグ

源平 戦国 幕末維新
ギリシア・ローマ 大航海時代 ナポレオン
モンゴル 近代 近代日本

項目のカテゴリー

人物 出来事
ノート【更新順】
コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
江戸東京たてもの園を訪問
コルク社主催の伊東潤氏の第2回読者会に参加
もっと見る
ノートまとめ【更新順】
関ヶ原の戦いの動画
淀川の城
姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
もっと見る
歴史年表【更新順】
『おんな城主 直虎』年表
花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
歴史家・歴史小説家とその時代
もっと見る
特集
関ヶ原の戦い
幕末維新
文明論
北条早雲
人物【更新順】
子母澤寛
周布政之助
小田村伊之助
もっと見る
出来事【更新順】
パナマ文書の公表
熊本地震 (2016年)
斎藤道三、息子の斎藤義龍に討たれる(長良川の戦い)
もっと見る
世界史古代概論
世界史古代概略
ローマと前漢、不思議な成立の符合
古代の日本と西欧
戦国のはじまり
早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
お知らせ
特集ページを追加
検索ページを追加しました
ドメイン変更のお知らせ
もっと見る
Twitter logo blue 144 歴ウス
公式Twitterページ
Fb f logo  blue 144 歴ウス
公式Facebookページ
Youtube icon full color 144 歴ウス
公式YouTubeチャンネル