西暦: 1458年 〜 1507年

上杉顕定の実弟。

地域: 日本

上杉房能

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グラフ: 「上杉房能」と同時代の人物

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グラフ: 「上杉房能」と同時代の出来事

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表: 「上杉房能」と同時代の人物

長尾景仲 1388年 〜 1463年 日本
エンリケ航海王子 1394年 〜 1460年 ヨーロッパ
トスカネリ 1397年 〜 1482年 ヨーロッパ
グーテンベルク 1400年 〜 1468年 ヨーロッパ
一条兼良 1402年 〜 1481年 日本
シャルル7世 1403年 〜 1461年 ヨーロッパ
山名宗全(持豊) 1404年 〜 1473年 日本
日親 1407年 〜 1488年 日本
上杉憲実 1410年 〜 1466年 日本
太田道真 1411年 〜 1488年 日本
長尾景信 1413年 〜 1473年 日本
蓮如 1415年 〜 1499年 日本
上杉持朝 1416年 〜 1467年 日本
雪舟 1420年 〜 1506年 日本
宗祇 1421年 〜 1502年 日本
村田珠光 1423年 〜 1502年 日本
正統帝(英宗) 1427年 〜 1464年 東アジア
細川勝元 1430年 〜 1473年 日本
上杉房定 1431年 〜 1494年 日本
北条早雲(旧説) 1432年 〜 1519年 日本
メフメト2世 1432年 〜 1481年 地中海、西アジア
太田道灌 1432年 〜 1486年 日本
斯波義敏 1433年 〜 1508年 日本
狩野正信 1434年 〜 1530年 日本
足利政知 1435年 〜 1491年 日本
足利義政 1436年 〜 1490年 日本
今川義忠 1436年 〜 1476年 日本
畠山義就 1437年 〜 1491年 日本
足利成氏 1438年 〜 1497年 日本
足利義視 1439年 〜 1491年 日本
日野富子 1440年 〜 1496年 日本
イヴァン3世 1440年 〜 1505年 ロシア
長尾景春 1443年 〜 1514年 日本
ボッティチェリ 1444年 〜 1514年 ヨーロッパ
上杉定正 1446年 〜 1494年 日本
武田信昌 1447年 〜 1505年 日本
宗長 1448年 〜 1532年 日本
バルトロメウ・ディアス 1450年 〜 1500年 ヨーロッパ
イサベル(カスティリャ王女) 1451年 〜 1504年 ヨーロッパ
クリストファー・コロンブス 1451年 〜 1506年 ヨーロッパ
三浦道寸(義同) 1451年 〜 1516年 日本
リチャード3世 1452年 〜 1485年 ヨーロッパ
フェルナンド5世 1452年 〜 1516年 ヨーロッパ
レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452年 〜 1519年 ヨーロッパ
アメリゴ・ヴェスプッチ 1454年 〜 1512年 ヨーロッパ
上杉顕定 1454年 〜 1510年 日本
ジョアン2世 1455年 〜 1495年 ヨーロッパ
富樫政親 1455年 〜 1488年 日本
北条早雲 1456年 〜 1519年 日本
ヘンリ7世 1457年 〜 1509年 ヨーロッパ
上杉房能 1458年 〜 1507年 日本
尼子経久 1458年 〜 1541年 日本
三好之長 1458年 〜 1520年 日本
長尾能景 1459年 〜 1506年 日本
カブラル 1460年 〜 1526年 ヨーロッパ
足利政氏 1462年 〜 1531年 日本
足利義尚 1465年 〜 1489年 日本
細川政元 1466年 〜 1507年 日本
足利義材(義稙) 1466年 〜 1523年 日本
上杉憲房 1467年 〜 1525年 日本
ヴァスコ・ダ・ガマ 1469年 〜 1524年 ヨーロッパ
マキャベリ 1469年 〜 1527年 ヨーロッパ
エラスムス 1469年 〜 1536年 ヨーロッパ
ピサロ 1470年 〜 1541年 ヨーロッパ
セリム1世 1470年 〜 1520年 地中海、西アジア
デューラー 1471年 〜 1528年 ヨーロッパ
武田信縄 1471年 〜 1507年 日本
王陽明(王守仁) 1472年 〜 1528年 東アジア
以天宗清 1472年 〜 1554年 日本
上杉朝良 1473年 〜 1518年 日本
今川氏親 1473年 〜 1526年 日本
コペルニクス 1473年 〜 1543年 ヨーロッパ
ラス・カサス 1474年 〜 1566年 ヨーロッパ
レオ10世 1475年 〜 1521年 ヨーロッパ
ミケランジェロ 1475年 〜 1564年 ヨーロッパ
大内義興 1477年 〜 1528年 日本
上杉定実 1478年 〜 1550年 日本
マゼラン(マガリャンイス) 1480年 〜 1521年 ヨーロッパ
足利義澄 1481年 〜 1511年 日本
バーブル 1483年 〜 1530年 南アジア、東南アジア
マルティン・ルター 1483年 〜 1546年 ヨーロッパ
細川高国 1484年 〜 1531年 日本
ツヴィングリ 1484年 〜 1531年 ヨーロッパ
コルテス 1485年 〜 1547年 ヨーロッパ
足利高基 1485年 〜 1535年 日本
イスマーイール1世 1487年 〜 1524年 地中海、西アジア
北条氏綱 1487年 〜 1541年 日本
上杉朝興 1488年 〜 1537年 日本
細川澄元 1489年 〜 1520年 日本
長尾為景 1489年 〜 1542年 日本
ミュンツァー 1490年 〜 1525年 ヨーロッパ
ヘンリー8世 1491年 〜 1547年 ヨーロッパ
イグナティウス・ロヨラ 1491年 〜 1556年 ヨーロッパ
長野業正(長野業政) 1491年 〜 1561年 日本
北条幻庵(長綱) 1493年 〜 1589年 日本
フランソワ1世 1494年 〜 1547年 ヨーロッパ
武田信虎 1494年 〜 1574年 日本
斎藤道三 1494年 〜 1556年 日本
スレイマン1世 1494年 〜 1566年 地中海、西アジア
六角定頼 1495年 〜 1552年 日本
太原雪斎 1496年 〜 1555年 日本
後奈良天皇 1496年 〜 1557年 日本
三浦義意 1496年 〜 1516年 日本
毛利元就 1497年 〜 1571年 日本
大井夫人 1497年 〜 1552年 日本
カール5世 1500年 〜 1558年 ヨーロッパ
李退渓 1501年 〜 1570年 東アジア
三好元長 1501年 〜 1532年 日本
武野紹鴎 1502年 〜 1555年 日本
武野紹鷗 1502年 〜 1555年 日本
雪村周継 1504年 〜 1589年 日本
フランシスコ・ザビエル 1506年 〜 1552年 ヨーロッパ
山科言継 1507年 〜 1579年 日本
大内義隆 1507年 〜 1551年 日本
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表: 「上杉房能」と同時代の出来事

永享の乱はじまる(~1439年) 1438年 〜 1439年 日本
結城合戦 1440年 日本
嘉吉の乱 1441年 日本
世宗、訓民正音(ハングル)を制定 1446年 東アジア
土木の変 1449年 東アジア
1450年頃、グーテンベルクが活版印刷をはじめる 1450年 ヨーロッパ
コンスタンティノープル、陥落 1453年 地中海、西アジア
享徳の乱はじまる(~1482年) 1454年 〜 1482年 日本
分倍河原の戦い(享徳4年) 1455年 日本
バラ戦争 1455年 〜 1485年 ヨーロッパ
コシャマインの戦い 1457年 日本
太田道灌、江戸城を築城 1457年 日本
寛正の大飢饉 1461年 日本
武田信昌、甲斐守護代の跡部氏を滅ぼす 1465年 日本
応仁の乱はじまる 1467年 〜 1477年 日本
駿河守護の今川義忠戦死で、今川家の家督相続問題発生 1476年 日本
長尾景春の乱はじまる 1476年 〜 1480年 日本
応仁の乱おわる 1477年 日本
スペイン王国(イスパニア王国)、成立 1479年 〜 1873年 ヨーロッパ
山城の国一揆 1485年 日本
チューダー朝 1485年 〜 1603年 ヨーロッパ
太田道灌が主の扇谷上杉定正に謀殺される 1486年 日本
北条早雲、小鹿範満を討って、今川氏親を擁立 1487年 日本
長享の乱がはじまる(~1505年) 1487年 〜 1505年 日本
北条氏綱(北条2代目)、出生 1487年 日本
ヘンリ7世、星室庁裁判所を設立 1487年 ヨーロッパ
加賀の一向一揆 1488年 日本
バルトロメウ・ディアス(ポルトガル)、喜望峰に到達 1488年 ヨーロッパ
関東三戦(実蒔原の合戦、須賀谷原の合戦、高見原の合戦)勃発 1488年 日本
グラナダ陥落 1492年 ヨーロッパ
イタリア戦争 1492年 〜 1559年 ヨーロッパ
甲斐守護の武田信縄と武田信昌(信縄の父)・油川信恵(信縄の異母弟)の戦いが始まり、甲斐内乱、 1492年 〜 1498年 日本
コロンブス、サン・サルバドル島に上陸 1492年 北アメリカ
北条早雲、伊豆に討ち入る 1493年 日本
明応の政変が起こり、細川政元政権が成立する 1493年 日本
三浦義同(道寸)、三浦郡に進攻し、三浦氏当主に 1494年 日本
トルデシリャス条約 1494年 ヨーロッパ
扇谷上杉定正、荒川渡河に失敗して頓死 1494年 日本
大森氏頼(寄栖庵)、死去 1494年 日本
北条早雲、小田原城を奪取 1495年 日本
山内上杉顕定、相模に進攻。小田原城の大森氏、山内上杉側に寝返り、小田原城は自落。 1496年 日本
蓮如、石山本願寺を築く 1496年 日本
明応地震 1498年 日本
茶々丸、甲斐国で死亡(下田の深根城での討死説もある)→北条早雲、伊豆一国を制圧 1498年 日本
ヴァスコ=ダ=ガマ、インド航路発見(カリカット到着) 1498年 ヨーロッパ
カブラル(ポルトガル人)、ブラジルに漂着。ブラジルの領有を宣言。 1500年 ヨーロッパ
サファヴィー朝、成立 1501年 〜 1736年 地中海、西アジア
北条早雲、1501年までに小田原城を奪取(新説) 1501年 日本
北条早雲と今川氏親、扇谷上杉朝良の援軍として、立河原の合戦に参戦し、山内上杉顕定勢と戦い勝利する。 1504年 日本
扇谷上杉朝良、山内上杉顕定に降り、長享の乱が終わる 1505年 日本
細川政元、暗殺される 1507年 日本
越後守護の上杉房能(山内上杉顕定の実弟)、越後守護代の長尾為景に敗れて自害 1507年 日本
武田信虎、父の信縄が死去し、甲斐の家督を相続 1507年 日本
武田信虎、叔父の油川信恵を滅ぼす 1508年 日本
大内義興、上京し、細川高国と足利義稙(10代将軍、義材)を将軍に擁立 1508年 日本
山内上杉顕定、長尾為景を討つため、越後に進攻 1509年 日本
北条早雲、武蔵(扇谷上杉朝良の領国)に進攻し、両上杉氏と敵対関係に入る 1509年 日本
ポルトガル、ゴアを占領 1510年 南アジア、東南アジア
三浦の乱 1510年 日本
山内上杉顕定、長森原(新潟県六日町)で討ち死 1510年 日本
北条早雲、三浦勢と鎌倉で戦い破る→三浦勢は新井城に立て籠もる 1513年 日本
チャルディラーンの戦い 1514年 地中海、西アジア
北条氏康(北条3代目)、出生 1515年 日本
武田信虎、大井信達と戦い、敗北 1515年 日本
マキャベリ、『君主論』著す 1516年 ヨーロッパ
北条早雲、三浦氏を滅亡させ、相模制圧完了 1516年 日本
ポルトガル、明と広州で貿易をはじめる 1517年 東アジア
セリム1世(オスマン帝国)、マムルーク朝を滅ぼす 1517年 地中海、西アジア
今川氏親、遠江を制圧 1517年 日本
ルター、九十五か条の論題を発表し、宗教改革はじまる 1517年 ヨーロッパ
大内義興、京を去って帰国する 1518年 日本
北条氏綱、北条早雲から家督相続(以降、小田原城が北条市の本拠地となる) 1518年 日本
武田信虎、躑躅ヶ崎館に本拠地を移転 1519年 日本
北条早雲、死去 1519年 日本
マゼラン、世界周航に出発 1519年 〜 1522年 ヨーロッパ
スレイマン1世、即位 1520年 〜 1566年 地中海、西アジア
武田信虎、甲斐の有力国人(大井信達ら)を撃破し、一応の甲斐統一(その後も混乱は続く) 1520年 日本
マゼラン、フィリピンに到達 1521年 ヨーロッパ
武田信虎、今川の重臣、福島氏の大軍を飯田河原の戦い、上条河原の戦いで撃破 1521年 日本
ルター、『新約聖書』をドイツ語に翻訳 1521年 〜 1522年 ヨーロッパ
武田信玄(幼名、太郎)、出生。 1521年 日本
コルテス、アステカ王国を滅ぼす 1521年 中南米
細川高国、足利義晴(義澄の子)を擁立 1521年 日本
騎士戦争 1522年 ヨーロッパ
マゼラン艦隊、世界周航(マゼランはフィリピンで死亡) 1522年 ヨーロッパ
北条氏綱、伊勢氏から北条氏に改称 1523年 日本
寧波の乱 1523年 日本
毛利元就、家督を継承する 1523年 日本
北条氏綱、太田資高の内応を誘い、江戸城を奪う 1524年 日本
武田信虎、扇谷上杉朝興の援軍として、関東を転戦(この時、岩付城を攻略) 1524年 日本
ドイツ農民戦争 1524年 〜 1525年 ヨーロッパ
北条氏綱、白子原の戦いで扇谷上杉朝興に敗れる 1525年 日本
石見銀山発見 1526年 日本
細川高国政権、崩壊 1526年 日本
バーブル、即位(ムガル帝国を建国) 1526年 〜 1530年 南アジア、東南アジア
ムガル帝国建国 1526年 南アジア、東南アジア
鎌倉の鶴岡八幡宮焼失 1526年 日本
『今川仮名目録』制定 1526年 日本
パーニーパットの戦い 1526年 南アジア、東南アジア
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「上杉房能」の関連ノート

【立河原の戦いー伊東潤 『疾き雲のごとく 』ー】<h2>立河原の戦いとその後</h2>
<p>今回のテーマは「<strong>立河原の戦い</strong>」である。</p>
<p>永正元年(1504年)、古河公方、足利政氏を擁する山内上杉顕定の軍勢と扇谷上杉朝良・今川氏親・北条早雲の連合軍が、多摩川と浅川の合流点である立河原で戦った。この戦いを立河原の戦いという。 <br>合戦の結果は、扇谷上杉氏・今川氏親・北条早雲の連合軍が大勝だったものの、その後、越後から越後上杉氏の援軍(越後守護は山内上杉顕定の実弟、上杉房能)が到着し、翌年(1505年)、扇谷上杉朝良は山内上杉顕定に降伏する。その結果、20年弱続いた両上杉氏の対立(長享の乱)は山内上杉氏の勝利で終結した。</p>
<h2>立河原の戦いと関連人物</h2>
<div> </div>
<h2>第5話「稀なる人」で出てくる土地をめぐる</h2>
<p><strong>伊東潤 『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』</strong>の第5話「稀なる人」では、立河原の戦いが扱われている。そこで、この話に出てくる土地をまわることにした。 <br>小説では、枡形山城→高幡城→普済寺という流れで話が進むが、その流れで走ると、ダラダラとした上り坂をひたすら登ることになる。 <br>私は、以前、古河城→小山城→結城城を巡った時に、同じくダラダラ続く登り道に苦しめられた。ゆえに、不本意ではあるが、ダラダラ上り坂は避けて、下り坂を選んだのである。</p>
<h2>出発、電車で立川駅へ</h2>
<p>さて、自宅を発して、東京駅に着いたのが午前7時、電車に乗り、普済寺近郊にある立川駅に8時過ぎに到着した。立川駅を出て、さっさと折りたたみ自転車を組み立てる。そして、iPhone4を自転車に装着して、さあ出発。</p>
<h2>普済寺</h2>
<p>最初の目的地は普済寺だった。立川駅から数百メートルほどなので、8時30分前には着いた。</p>
<p>普済寺は東京都立川市にある臨済宗建長寺派の寺院で、武蔵七党西党日奉の支族である立河氏の館があったと言われている。 <br>伊東さんの小説では、立河原の戦いに際して、山内上杉顕定は2代古河公方の公方足利政氏を奉じて普済寺に陣を構えたとしている。現地には、立河氏の館跡と言われる土塁が遺構として残っていた。</p>
<h2>多摩川へ</h2>
<p>普済寺を出て、多摩川には数分ほどで着いた。 <br>サイクリングロードに入ると、実に気持ちよく走ることができる。この日の数日前まで残暑が厳しかったが、この日の午前中は特に涼しく、サイクリングには適したコンディションだった。</p>
<p>さて、サイクリングロード沿いに南東に進み、浅川との合流点の少し前辺りまできた。<br> 伊東さんの小説では、高幡城を出た氏親・早雲の連合軍が多摩川を渡って、普済寺を出撃した山内上杉顕定勢と戦ったことになっているので、距離的に中間地帯のこの辺が戦場になるかもしれないと勝手に想像してみた。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年9月撮影 </em><br><em>ある程度の広さがあり、大河の河原らしい草が生えている。ただ、河原に石がないので、小説のイメージ通りにはいかない。 なお、戦いは旧暦の9月27日だったとのことなので、新暦で言うと、11月上旬頃ということになる。とすれば、渡河して体が濡れるとさぞかし兵たちは寒かっただろう。顕定にはその様子が好機と映ったとしても不思議ではない。 <br>*写真は東京都府中市四谷の辺り。 なお、渡河作戦の難しさについては、『荒川渡河作戦に失敗した男-扇谷上杉定正- ~その1~』に書いた。</em>
</div>
<div> </div>
<p>来た道を少し戻って、都道20号の橋で多摩川を渡り、万願寺駅で南下するという経路で、浅川に着いた。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年9月撮影 </em><br><em>9時15分ごろ、浅川を渡る。 <br>多摩丘陵の北端が見える。写真枠外の右側に高幡城がある。</em>
</div>
<h2>高幡城</h2>
<p>浅川を渡ると、高幡不動はもうすぐだ。高幡不動に着く前に一休みしたので、高幡不動に着いたのは10時ごろだった。高幡城は、高幡不動の裏山にあり、そこからの眺望はよく、多摩川方面を遠望できる。</p>
<p>高幡不動に着いて、自転車をとめて、境内を歩くとすぐに土方歳三の銅像が立っているので、一瞬、おやっと思った。そういえば、土方歳三は武州多摩の出身だったことを思い出した。後で調べてみると、高幡不動は新選組副長である土方歳三の菩提寺だそうだ。土産物屋をのぞくと、土方グッズがたくさん売られており、新選組人気を確認した次第である。</p>
<p>目的地は高幡城なので、かつて城があった裏山に向かった。高幡城は比高50mの山城なので、少し坂道を登ると本丸跡を見つけることができた。 <br>伊東さんの小説では、ここで扇谷陣営の軍議が行われたことになっている。今は木々が繁っているので、その隙間からしか眺めが得られないが、かつては木を切っていたはずなので、本丸からの眺めはさぞかしよかったと思う。</p>
<h2>犬懸上杉憲秋、回想</h2>
<p>突然だが、犬懸上杉憲秋という人物をご存知だろうか。中世関東史を学んだ人以外は生涯知ることもない人物だと思うが、北条早雲が生まれる1年前にこの城で自害して亡くなった人である。</p>
<p>彼の父親は犬懸上杉氏憲(禅秀)で、1416年に上杉禅秀の乱という反乱を起こした人物として有名だ。犬懸家は山内家と交代で関東管領を歴任していた名家だったが、上杉禅秀の乱を契機に没落してしまった(その代わりに台頭したのが、扇谷家)。何事もなければ、輝かしい未来を約束された人生から一転、上杉憲秋は謀反人の子供になってしまったわけだ。<br>そして、何とか手柄を立てて犬懸家を復興させようと、家運を両上杉氏に賭けて、憲秋は戦いに臨んだ。享徳4年(1455年)1月、鎌倉公方・足利成氏勢と両上杉勢は、府中の分倍河原から東京都昭島市拝島辺りで戦った。この戦い(第1次立河原の戦い)で、憲秋は両上杉氏側の先鋒を務めるが、敗れてしまい、高幡城で自刃した。なお、第2次立河原の戦いが今回のテーマ「立河原の戦い」である。</p>
<p>なぜ私はこの人物のことを書いているか、その理由を記してみたいと思う。<br> 私は以前、坂田祐樹氏の 『<a>関東公方成氏</a><img>』という小説を読んだことがあり、その中で上杉憲秋が出てくる。 <br>その小説の中で、彼は自分の運命を恨み、ニヒルな笑いを浮かべながらも社会的に生き返る機会を探しながら生きている。その姿がなぜか私には印象的だった。そして、今回、伊東さんの小説をテーマに高幡城をまわることになり、高幡城について調べていると、彼がここで自害したことを見つけ、何か思うところがあり、こうして記してみたわけである。 <br>おそらく、坂田さんの小説を読んでいなかったら、彼のことをこうして書くこともなかっただろう。そう考えると、歴史小説は過去と現在を結ぶ機能があることに気付く。たとえ回想する人が少数であっても、500年後に回想される人物はそうは多くないだろう。<br>むろん、その回想が実際の彼にどれだけ即しているかを確かめるすべはないのだが。 そして、もう1つ歴史小説が持つ面白い機能は、一度人物のイメージが形成されると、そのキャラクターに親しみを覚えることだと思う。親しみを覚えたこそ、私はこうして彼について記しているわけだ。</p>
<p>遠い昔のこととはいえ、一人の男が時代に翻弄されながらも、活路を求めて生きて、戦って、敗れ、自害したその場所にいると何かしらの思いが湧いてこざるを得ない。</p>
<h2>関戸城</h2>
<p>さて、高幡不動を出て、川崎街道を東に進み、次は枡形山城を目指す。 <br>右手に多摩丘陵を見ながら、所々、上り坂はあるものの、基本的になだらかな下り坂を走っているので、想定通り、快適に走れる。 <br>府中から見て多摩川の対岸にある関戸には、11時過ぎに着いた。<br> 今回のテーマには関係ないが、この辺りにはかつて関戸城という城があった。関戸城は、高幡城と同じく、多摩丘陵の北端にある山城で、城の右側を鎌倉街道上道が通っている要衝である。中世の府中はとても栄えていた土地で、府中の対岸にある関戸には宿があり栄えていた。また、その重要性ゆえに鎌倉の攻防をめぐって、何度も大きな戦いがあった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div><em>2010年9月撮影 <br>自転車で走っていて、偶然見つけた標柱。1333年に新田義貞が分倍河原と関戸で鎌倉幕府軍と戦って勝利し、その数日後に鎌倉を陥落させている。つまり、この地を制して、はじめて鎌倉への道が開かれるのである。</em></div>
<div> </div>
<p>事前に調べたところ、関戸城には遺構は残っていないものの、天守台の標柱があるとのことだったので、それを探すことにした。天守台がある場所というのは、一番高いところか、それに準ずるところと相場は決まっているので、それらしい場所を目指して、丘陵を登っていく。<br> 大体、この辺りだろうという勘が働いたので、その辺を歩いていると、地元の人と思しき年配の女性が歩いてきた。もしかしたら標柱のことをご存知かもしれないと思い、聞いてみることにした。</p>
<p>「あのー、すいません」 <br>「あ、はい」 <br>「この辺に昔、関戸城があって、その案内板みたいなものがこのあたりにあると思うんですが、ご存じないでしょうか。」 <br>「ええと、ごめんなさい。知らないわ。」</p>
<p>そんなやりとりをしていると、細い道にタクシーが入ってくる。私は急いで自転車を道路の横によける。そのタクシーは5mほど先に進んだところで止まった。</p>
<p>「ここは桜ヶ丘1丁目で、関戸はもっと東だから、そっちにあるんじゃないかしら」<br>「なるほど、そうなんですか。どうもありがとうございました。」<br> 私は関戸城が桜ヶ丘1丁目にあることを資料で知っていたが、親切に教えてくれた人に言い返すのも何だと思い、その場を去ろうとした。すると、後ろから声がする。 <br>「あのー」<br> 私が振り返ると、 <br>「タクシーの運転手さんに聞いてみたらどうかしら。ご存知かもしれませんよ。」 <br>なるほど、それは一理ある。<br> 私はお礼を言って、タクシーに向かった。</p>
<p>タクシーに向かうと、どうもタクシーの運転手さんはお疲れのようで、何だか話しかけずらい雰囲気だった。そこで、「まあいいか、どうせ標柱はこの近くにあるはずだ」と思って、再び探し始めました。すると、その場所からすぐのところに標柱が見つかった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年9月撮影 </em><br><em>ついに見つけた「天守台」標柱。自分の推理が当たった時は素直に嬉しいものである。 <br>多摩川方面への写真を撮ろうと思ったが、この付近(桜ヶ丘1丁目)は所狭しと住宅が立ち並び、よい写真は撮れなかった。しかし、住宅の隙間からは北、東、南に視野が得られることが分かった。</em>
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<p>私が尋ねた女性がなぜすぐそこにある標柱を知らなかったのか分からないが、やはり近所であっても関心がないと知らないものなのかもしれない。というのも、私は大学生の頃、今回の目的地の1つである枡形山城の近くに住んでいたが、枡形山城の存在を知なかった。近年、中世関東史を調べていて、はじめて枡形山城の存在に気付いたのである。</p>
<p>関戸城を出た頃には、昼前になっていたので、多摩川を渡り、府中方面へ行き、中華料理屋で昼食をとった。 <br>昼食後、私は本日最後の目的地である枡形山城に向かって走り始めた。</p>
<h2>iPhone4の携帯式充電池</h2>
<p>私は「EveryTrail」という、GPSを使って自転車で走ったところを記録して、地図に書き込んでくれるソフトを使っている(*)。 <br>このソフトは便利だが、電池の消費がすさまじく、2時間半ほど使った結果、残りの電池残量が50%を切っていた。ただ、これはこのソフトの問題というより、GPSを使った同種のソフトでも同じように消費する。あらかじめ分かっていた問題だったので、私は事前にサンヨーの携帯式充電池(KBC-L2AS )を買っておいた。</p>
<p><em>(*)2010年当時の話。当時は歴史めぐりにこういうツールを使うのは先進的な試みだった。</em></p>
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<p>装着するとこんな感じになる。</p>
<p><a><img></a></p>
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<em>2010年9月 </em><br><em>自転車ホルダーにiPhone4を装着し、さらに携帯式充電池をiPhone4に接続した写真。バッグの中に、携帯式充電池が入っており、白いケーブルを通して、iPhoneと接続されている。iPhoneアプリの「EveryTrail」を使いながら充電できる。</em>
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<h2>乞田川の上り坂</h2>
<p>さて、電池の心配もなくなったので、午後の部、出発。 <br>多摩川を再び南側に渡って、川崎街道を東進する。乞田川(こったがわ)を渡るあたりから、上り坂が続く。昼食をとったばかりで元気だったので、最初は颯爽と駆け上がっていったが、走っても走っても終わらないので、ついに自転車を押して歩くことにした。あとで、乞田川にかかる橋から坂がおわる連光寺坂上辺りまで距離を測ってみると、1km強あった。長いはずである。</p>
<h2>懐かしの向ヶ丘公園駅</h2>
<p>その分、下り坂は気持ちよく走ることができた。 <br>その後も、基本的に下り坂なので快適だ。特に問題もなく、稲城市を通って、川崎市多摩区に入る。そして、14時ごろ、懐かしの向ヶ丘遊園駅に着いた。私は大学生の頃にこの周辺に住んでおり、向ヶ丘遊園駅にもよく来た。駅は改装されたようで、きれいになっていた。並んでいる店も結構変わっていたが、街の構造自体に変化はないようだ。</p>
<h2>枡形山城へ</h2>
<p>さて、今回は感傷に浸りに来たわけではないので、気を取り直して、枡形山城に向かう。 <br>枡形山城は、直線距離で向ヶ丘遊園の南700mほどのところにある生田緑地の中にある。当城は、標高80m強、比高60m弱の山城で、多摩丘陵の北端にあり、多摩川方面の武蔵野台地を一望できる。そういう点では、高幡城や関戸城と似ている。</p>
<p>永正元年(1504年)の立河原の戦いの時、北条早雲が先に当城に着き、数日後の9月20日に今川氏親が到着して、合流した。その様子が伊東潤 『疾き雲のごとく 』の第5話「稀なる人」でも書かれている。そして、その後、早雲と氏親は9月27日の立河原の戦いを迎えた。</p>
<p>枡形山城跡を目指して山を登っていくと、緑が豊かで改めて良いところだと思った。大学時代、一度も訪れたことがなかったのは惜しいことだ。 <br>山頂に着くと、子供連れの親子が結構たくさんいる。子供が大声で叫びながら、遊んでいる。山頂はそれなりの広さがあり、公園になっている。遊ぶ環境もあり、当然クルマも走っていないため、親にとっては安心して遊ばせることができるスポットなのだろう。</p>
<h2>iPhone4の逆光問題</h2>
<p>曲輪の北端には、結構大きな望楼が建っていて、そこから四方を遠望することができる。 <br>早速、iPhone4で写真を撮ってみた。すると、逆光のためか、写りがよくない。そこで、Panasonic製のデジカメ(2009年の8月頃に購入したDMC-FT1)で撮ってみると、かなり違いがあった。高幡城でも少し気にはなっていたが、やはりそうだったのかという感じだ。「iPhone4があるので、デジカメは必要なし」というわけにはいかず、当面、併用することになりそうである。 <br>まあ、写真を編集すればある程度は何とかなるが、数が数だけにできるだけ、そのまま使いたいものだ。</p>
<p><a><img></a></p>
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<em>2010年9月撮影 </em><br><em>iPhone4で撮影した枡形山城からの写真。</em>
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<p><a><img></a></p>
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<em>2010年9月撮影 </em><br><em>Panasonic製デジカメ(2009年の8月頃に購入したDMC-FT1)で、ほぼ同じ場所と時間から撮った写真。ただし、逆光ではないところで撮ると、それほど変わらない。さすがにPanasonicのデジカメはカメラ専用機器だけあって、対応できる状況の幅が広いのだろうか。</em>
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<p>城の周辺を少し散策したあと、向ヶ丘遊園駅に戻り、この日の歴史サイクリングを終えた。</p>
<h2>おまけ: 寿桂尼の生涯</h2>
<p>「稀なる人」の最後のほうで、今川氏親が藤原北家カ勧修寺流中御門家の娘を妻に迎える話が出てくるが、この女性こそ、後に寿桂尼と呼ばれる人で、今川氏親の正室であり、今川義元の母である。</p>
<p>氏親が晩年、病気で政務をとれなくなると、氏親を補佐した。氏親の死後も、陰に日向に今川家を支え続けた。今川義元が当主になると、今川家の全盛期を迎えた。しかし、義元は、永禄3年(1560年)、尾張攻略の途中に桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られてしまう。 <br>その後、今川義元の子(寿桂尼の孫)、氏真が当主となるが、今川家の衰退がはじまり、永禄11年(1568年)武田信玄の駿河侵攻の数ヶ月前に寿桂尼は死去した。</p>
<p>彼女は1505年頃に今川家に嫁いでいるので、晩年の早雲を知っていたはずであり、織田信長のために、頼りになる実子の義元を失い、武田信玄によって、今川家が実質的に滅ぼされる直前まで生きたことになる。 <br>このように、寿桂尼の生涯を追っていくことで、戦国初期(代表的人物:早雲)から中期(代表的人物:信玄)、そして、後期(代表的人物:信長)のはじまりまでを見ていくことができる。</p>
<p>分かりきったことではあるが、寿桂尼の人生を通して、戦国時代とは何とも厳しい時代であったと改めて思うのである。</p>
<p>(終)</p>
<p><em>* なお、マップの位置は今回の歴史サイクリングの範囲を大体示すために設定した。合戦がそこであったという意味ではないので、ご注意を。</em></p>

立河原の戦いー伊東潤 『疾き雲のごとく 』ー

作成日:2014/6/24 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

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