西暦: 1466年 〜 1507年

細川勝元の子。1493年に、クーデターを起こして、成功させ(明応の政変)、11代将軍、足利義澄を擁立する。クーデターによって幕政を握ったが、政元には子がなかったため、後継問題が発生し、その争いの中で1507年に暗殺された。

地域: 日本

細川政元

関連情報: Wikipedia| ツイート で「細川政元」を調べる

関連する歴史年表: 北条早雲 第1期(1456-1486年): 京から駿河へ | 北条早雲と大航海時代 | 明応地震と戦国時代 | 北条早雲


グラフと表の条件設定
項目の重要度と地域で以下のグラフと表に出力するデータ数を絞り込むことができます。
重要度 :   すべて  重要  重要+普通
地域 :   すべて  日本  欧米  東アジア  西アジア

グラフ: 「細川政元」と同時代の人物

項目メニューに戻る

グラフ: 「細川政元」と同時代の出来事

項目メニューに戻る

表: 「細川政元」と同時代の人物

トスカネリ 1397年 〜 1482年 ヨーロッパ
グーテンベルク 1400年 〜 1468年 ヨーロッパ
一条兼良 1402年 〜 1481年 日本
山名宗全(持豊) 1404年 〜 1473年 日本
日親 1407年 〜 1488年 日本
上杉憲実 1410年 〜 1466年 日本
太田道真 1411年 〜 1488年 日本
長尾景信 1413年 〜 1473年 日本
蓮如 1415年 〜 1499年 日本
上杉持朝 1416年 〜 1467年 日本
雪舟 1420年 〜 1506年 日本
宗祇 1421年 〜 1502年 日本
村田珠光 1423年 〜 1502年 日本
細川勝元 1430年 〜 1473年 日本
上杉房定 1431年 〜 1494年 日本
北条早雲(旧説) 1432年 〜 1519年 日本
太田道灌 1432年 〜 1486年 日本
メフメト2世 1432年 〜 1481年 地中海、西アジア
斯波義敏 1433年 〜 1508年 日本
狩野正信 1434年 〜 1530年 日本
足利政知 1435年 〜 1491年 日本
足利義政 1436年 〜 1490年 日本
今川義忠 1436年 〜 1476年 日本
畠山義就 1437年 〜 1491年 日本
足利成氏 1438年 〜 1497年 日本
足利義視 1439年 〜 1491年 日本
イヴァン3世 1440年 〜 1505年 ロシア
日野富子 1440年 〜 1496年 日本
長尾景春 1443年 〜 1514年 日本
ボッティチェリ 1444年 〜 1514年 ヨーロッパ
上杉定正 1446年 〜 1494年 日本
武田信昌 1447年 〜 1505年 日本
宗長 1448年 〜 1532年 日本
バルトロメウ・ディアス 1450年 〜 1500年 ヨーロッパ
クリストファー・コロンブス 1451年 〜 1506年 ヨーロッパ
三浦道寸(義同) 1451年 〜 1516年 日本
イサベル(カスティリャ王女) 1451年 〜 1504年 ヨーロッパ
リチャード3世 1452年 〜 1485年 ヨーロッパ
レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452年 〜 1519年 ヨーロッパ
フェルナンド5世 1452年 〜 1516年 ヨーロッパ
アメリゴ・ヴェスプッチ 1454年 〜 1512年 ヨーロッパ
上杉顕定 1454年 〜 1510年 日本
富樫政親 1455年 〜 1488年 日本
ジョアン2世 1455年 〜 1495年 ヨーロッパ
北条早雲 1456年 〜 1519年 日本
ヘンリ7世 1457年 〜 1509年 ヨーロッパ
尼子経久 1458年 〜 1541年 日本
上杉房能 1458年 〜 1507年 日本
三好之長 1458年 〜 1520年 日本
長尾能景 1459年 〜 1506年 日本
カブラル 1460年 〜 1526年 ヨーロッパ
足利政氏 1462年 〜 1531年 日本
足利義尚 1465年 〜 1489年 日本
細川政元 1466年 〜 1507年 日本
足利義材(義稙) 1466年 〜 1523年 日本
上杉憲房 1467年 〜 1525年 日本
エラスムス 1469年 〜 1536年 ヨーロッパ
マキャベリ 1469年 〜 1527年 ヨーロッパ
ヴァスコ・ダ・ガマ 1469年 〜 1524年 ヨーロッパ
ピサロ 1470年 〜 1541年 ヨーロッパ
セリム1世 1470年 〜 1520年 地中海、西アジア
武田信縄 1471年 〜 1507年 日本
デューラー 1471年 〜 1528年 ヨーロッパ
以天宗清 1472年 〜 1554年 日本
王陽明(王守仁) 1472年 〜 1528年 東アジア
コペルニクス 1473年 〜 1543年 ヨーロッパ
上杉朝良 1473年 〜 1518年 日本
今川氏親 1473年 〜 1526年 日本
ラス・カサス 1474年 〜 1566年 ヨーロッパ
ミケランジェロ 1475年 〜 1564年 ヨーロッパ
レオ10世 1475年 〜 1521年 ヨーロッパ
大内義興 1477年 〜 1528年 日本
上杉定実 1478年 〜 1550年 日本
マゼラン(マガリャンイス) 1480年 〜 1521年 ヨーロッパ
足利義澄 1481年 〜 1511年 日本
バーブル 1483年 〜 1530年 南アジア、東南アジア
マルティン・ルター 1483年 〜 1546年 ヨーロッパ
ツヴィングリ 1484年 〜 1531年 ヨーロッパ
細川高国 1484年 〜 1531年 日本
コルテス 1485年 〜 1547年 ヨーロッパ
足利高基 1485年 〜 1535年 日本
イスマーイール1世 1487年 〜 1524年 地中海、西アジア
北条氏綱 1487年 〜 1541年 日本
上杉朝興 1488年 〜 1537年 日本
細川澄元 1489年 〜 1520年 日本
長尾為景 1489年 〜 1542年 日本
ミュンツァー 1490年 〜 1525年 ヨーロッパ
長野業正(長野業政) 1491年 〜 1561年 日本
イグナティウス・ロヨラ 1491年 〜 1556年 ヨーロッパ
ヘンリー8世 1491年 〜 1547年 ヨーロッパ
北条幻庵(長綱) 1493年 〜 1589年 日本
フランソワ1世 1494年 〜 1547年 ヨーロッパ
武田信虎 1494年 〜 1574年 日本
斎藤道三 1494年 〜 1556年 日本
スレイマン1世 1494年 〜 1566年 地中海、西アジア
六角定頼 1495年 〜 1552年 日本
太原雪斎 1496年 〜 1555年 日本
後奈良天皇 1496年 〜 1557年 日本
三浦義意 1496年 〜 1516年 日本
毛利元就 1497年 〜 1571年 日本
大井夫人 1497年 〜 1552年 日本
カール5世 1500年 〜 1558年 ヨーロッパ
李退渓 1501年 〜 1570年 東アジア
三好元長 1501年 〜 1532年 日本
武野紹鷗 1502年 〜 1555年 日本
武野紹鴎 1502年 〜 1555年 日本
雪村周継 1504年 〜 1589年 日本
フランシスコ・ザビエル 1506年 〜 1552年 ヨーロッパ
山科言継 1507年 〜 1579年 日本
大内義隆 1507年 〜 1551年 日本
項目メニューに戻る

表: 「細川政元」と同時代の出来事

世宗、訓民正音(ハングル)を制定 1446年 東アジア
土木の変 1449年 東アジア
1450年頃、グーテンベルクが活版印刷をはじめる 1450年 ヨーロッパ
コンスタンティノープル、陥落 1453年 地中海、西アジア
享徳の乱はじまる(~1482年) 1454年 〜 1482年 日本
バラ戦争 1455年 〜 1485年 ヨーロッパ
分倍河原の戦い(享徳4年) 1455年 日本
太田道灌、江戸城を築城 1457年 日本
コシャマインの戦い 1457年 日本
寛正の大飢饉 1461年 日本
武田信昌、甲斐守護代の跡部氏を滅ぼす 1465年 日本
応仁の乱はじまる 1467年 〜 1477年 日本
長尾景春の乱はじまる 1476年 〜 1480年 日本
駿河守護の今川義忠戦死で、今川家の家督相続問題発生 1476年 日本
応仁の乱おわる 1477年 日本
スペイン王国(イスパニア王国)、成立 1479年 〜 1873年 ヨーロッパ
チューダー朝 1485年 〜 1603年 ヨーロッパ
山城の国一揆 1485年 日本
太田道灌が主の扇谷上杉定正に謀殺される 1486年 日本
長享の乱がはじまる(~1505年) 1487年 〜 1505年 日本
ヘンリ7世、星室庁裁判所を設立 1487年 ヨーロッパ
北条早雲、小鹿範満を討って、今川氏親を擁立 1487年 日本
北条氏綱(北条2代目)、出生 1487年 日本
加賀の一向一揆 1488年 日本
バルトロメウ・ディアス(ポルトガル)、喜望峰に到達 1488年 ヨーロッパ
関東三戦(実蒔原の合戦、須賀谷原の合戦、高見原の合戦)勃発 1488年 日本
コロンブス、サン・サルバドル島に上陸 1492年 北アメリカ
イタリア戦争 1492年 〜 1559年 ヨーロッパ
グラナダ陥落 1492年 ヨーロッパ
甲斐守護の武田信縄と武田信昌(信縄の父)・油川信恵(信縄の異母弟)の戦いが始まり、甲斐内乱、 1492年 〜 1498年 日本
北条早雲、伊豆に討ち入る 1493年 日本
明応の政変が起こり、細川政元政権が成立する 1493年 日本
トルデシリャス条約 1494年 ヨーロッパ
三浦義同(道寸)、三浦郡に進攻し、三浦氏当主に 1494年 日本
大森氏頼(寄栖庵)、死去 1494年 日本
扇谷上杉定正、荒川渡河に失敗して頓死 1494年 日本
北条早雲、小田原城を奪取 1495年 日本
山内上杉顕定、相模に進攻。小田原城の大森氏、山内上杉側に寝返り、小田原城は自落。 1496年 日本
蓮如、石山本願寺を築く 1496年 日本
明応地震 1498年 日本
茶々丸、甲斐国で死亡(下田の深根城での討死説もある)→北条早雲、伊豆一国を制圧 1498年 日本
ヴァスコ=ダ=ガマ、インド航路発見(カリカット到着) 1498年 ヨーロッパ
カブラル(ポルトガル人)、ブラジルに漂着。ブラジルの領有を宣言。 1500年 ヨーロッパ
北条早雲、1501年までに小田原城を奪取(新説) 1501年 日本
サファヴィー朝、成立 1501年 〜 1736年 地中海、西アジア
北条早雲と今川氏親、扇谷上杉朝良の援軍として、立河原の合戦に参戦し、山内上杉顕定勢と戦い勝利する。 1504年 日本
扇谷上杉朝良、山内上杉顕定に降り、長享の乱が終わる 1505年 日本
細川政元、暗殺される 1507年 日本
武田信虎、父の信縄が死去し、甲斐の家督を相続 1507年 日本
越後守護の上杉房能(山内上杉顕定の実弟)、越後守護代の長尾為景に敗れて自害 1507年 日本
大内義興、上京し、細川高国と足利義稙(10代将軍、義材)を将軍に擁立 1508年 日本
武田信虎、叔父の油川信恵を滅ぼす 1508年 日本
北条早雲、武蔵(扇谷上杉朝良の領国)に進攻し、両上杉氏と敵対関係に入る 1509年 日本
山内上杉顕定、長尾為景を討つため、越後に進攻 1509年 日本
山内上杉顕定、長森原(新潟県六日町)で討ち死 1510年 日本
三浦の乱 1510年 日本
ポルトガル、ゴアを占領 1510年 南アジア、東南アジア
北条早雲、三浦勢と鎌倉で戦い破る→三浦勢は新井城に立て籠もる 1513年 日本
チャルディラーンの戦い 1514年 地中海、西アジア
武田信虎、大井信達と戦い、敗北 1515年 日本
北条氏康(北条3代目)、出生 1515年 日本
マキャベリ、『君主論』著す 1516年 ヨーロッパ
北条早雲、三浦氏を滅亡させ、相模制圧完了 1516年 日本
セリム1世(オスマン帝国)、マムルーク朝を滅ぼす 1517年 地中海、西アジア
今川氏親、遠江を制圧 1517年 日本
ルター、九十五か条の論題を発表し、宗教改革はじまる 1517年 ヨーロッパ
ポルトガル、明と広州で貿易をはじめる 1517年 東アジア
北条氏綱、北条早雲から家督相続(以降、小田原城が北条市の本拠地となる) 1518年 日本
大内義興、京を去って帰国する 1518年 日本
マゼラン、世界周航に出発 1519年 〜 1522年 ヨーロッパ
武田信虎、躑躅ヶ崎館に本拠地を移転 1519年 日本
北条早雲、死去 1519年 日本
武田信虎、甲斐の有力国人(大井信達ら)を撃破し、一応の甲斐統一(その後も混乱は続く) 1520年 日本
スレイマン1世、即位 1520年 〜 1566年 地中海、西アジア
ルター、『新約聖書』をドイツ語に翻訳 1521年 〜 1522年 ヨーロッパ
コルテス、アステカ王国を滅ぼす 1521年 中南米
武田信玄(幼名、太郎)、出生。 1521年 日本
武田信虎、今川の重臣、福島氏の大軍を飯田河原の戦い、上条河原の戦いで撃破 1521年 日本
マゼラン、フィリピンに到達 1521年 ヨーロッパ
細川高国、足利義晴(義澄の子)を擁立 1521年 日本
マゼラン艦隊、世界周航(マゼランはフィリピンで死亡) 1522年 ヨーロッパ
騎士戦争 1522年 ヨーロッパ
毛利元就、家督を継承する 1523年 日本
北条氏綱、伊勢氏から北条氏に改称 1523年 日本
寧波の乱 1523年 日本
武田信虎、扇谷上杉朝興の援軍として、関東を転戦(この時、岩付城を攻略) 1524年 日本
ドイツ農民戦争 1524年 〜 1525年 ヨーロッパ
北条氏綱、太田資高の内応を誘い、江戸城を奪う 1524年 日本
北条氏綱、白子原の戦いで扇谷上杉朝興に敗れる 1525年 日本
鎌倉の鶴岡八幡宮焼失 1526年 日本
細川高国政権、崩壊 1526年 日本
バーブル、即位(ムガル帝国を建国) 1526年 〜 1530年 南アジア、東南アジア
『今川仮名目録』制定 1526年 日本
石見銀山発見 1526年 日本
パーニーパットの戦い 1526年 南アジア、東南アジア
ムガル帝国建国 1526年 南アジア、東南アジア
項目メニューに戻る

関連情報: Wikipedia| ツイート で「細川政元」を調べる

「細川政元」の関連ノート

【北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-】<h2>はじめに</h2>
<p><strong>伊東潤『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』</strong>と絡めながら、北条早雲の生涯を見ていきたいと思います。 <br>なお、早雲の年表は当ページの最後に付しておきました。 私は早雲の生涯をざっくり4期に分けました。 以下、各期の概要をみていきましょう。</p>
<h2>第1期:1456-1486 (早雲、出生から30代まで)</h2>
<p>第 1期は早雲が歴史の表舞台に現れる以前で、彼の動きに謎が多い期間でもあります。具体的には、早雲出生(1456年)から太田道灌が謀殺される(文明18 年(1486年))までの期間です。 <br>この時期、若き早雲は幕府に出仕する一方、建仁寺や大徳寺で禅の修業もしています。また、一般には文明8年(1476年)に起こった今川家家督相続問題を 調停したと言われています(*)。<br>数え年で、早雲が21歳の時のことです。</p>
<p><em>(*)文明8年(1476年)に、駿河 守護の今川義忠が遠江で戦死して、今川家に家督相続問題が起きました。定説や歴史小説では、北条早雲が扇谷上杉氏の家宰、太田道灌に話をつけて、今川義忠 と早雲の姉、北川殿の嫡男である龍王丸(のちの今川氏親)が成人するまでの間、小鹿範満(今川義忠の従兄弟)を暫定駿河守護にすることで落着されたとされ ています)。</em></p>
<p>『疾き雲のごとく』では、第1話「道灌謀殺」でこの辺りのことが書かれています。</p>
<h2>第2期:1487-1505 (早雲、40代の頃)</h2>
<p>第 2期は小鹿範満を討って、今川氏親を擁立した長享元年(1487年)から長享の乱が終わる永正2年(1505年)頃までの期間で、早雲は幕府の関東出先機 関として、または、今川家の部将として動いていた時期です。この時期、早雲は伊豆に討ち入り、数年かけて制圧し、さらには小田原城を落としています。</p>
<p>『疾き雲のごとく』では、以下の4話が対象期間です。</p>
<ul>
<li>明応2年(1493年)の伊豆討ち入りを書いた第3話「修善寺の菩薩」</li>
<li>明応3年(1494年)の扇谷上杉定正の荒川渡河作成失敗を書いた第2話「守護家の馬丁」(早雲は、定正と同盟しており、この戦いに参陣していました)。</li>
<li>大森一族の没落(小田原城攻略戦)を書いた第4話「箱根山の守護神」(攻略した年は正確には分かりません。明応5年(1496年)から文亀元年(1501年)までには早雲は小田原城を攻略しています)。</li>
<li>長享の乱、最後の大戦となった立河原合戦(永正元年(1504年))を書いた第5話「稀なる人」</li>
</ul>
<h2>第3期:1506-1512 (早雲、50代前半から半ば頃)</h2>
<p>こ の頃から、早雲は関東の一勢力として独自の動きを展開しはじめます。永正4年(1507年)、京都で細川政元が暗殺されて、政元に追放された10代将軍、 足利義材が大内義興と細川高国の後ろ盾を得て復権します。本来であれば、政元派であった早雲は窮地に陥るところでしたが、数年前から義材派に鞍替えしてお り、京都の政変による荒波も乗り越えました(なお、この荒波をもろにくらって、沈没したのが越後上杉氏で、その同盟勢力の山内上杉氏も大打撃を受けまし た)。そして、永正6年(1509年)頃から、ついに早雲は両上杉氏に対する戦いをはじめます。</p>
<h2>第4期:1513-1519 (早雲、50代後半から死去まで)</h2>
<p>第 3期に両上杉氏に対する戦いをはじめ、攻勢に出た早雲でしたが、両上杉氏が結束するとやはり国力に雲泥の差があるため、早雲勢は小田原城付近まで押し込め られて、窮地に陥ります。しかし、永正9年(1512年)頃から、古河公方と山内上杉氏の後継者問題が発端となって、また両上杉氏は戦い始めました。その 隙を突いて、早雲は東相模の三浦氏を攻撃し、3年以上にも渡る攻囲戦の末、永正13年(1516年)7月11日に三浦道寸の籠る新井城を落としました。こ こに、早雲は生涯で伊豆と相模を手中に収めることに成功しました。そして、仕事を成し遂げた早雲は、その3年後に死去します。 <br>『疾き雲のごとく』では、最終の第6話「かわらけ」で三浦一族の滅亡(早雲の東相模攻略戦)が書かれています。</p>
<h2>最後に</h2>
<p>こ うして見ると、『疾き雲のごとく』の話が第2期に集中していることが分かります。それに対して、第3期は第5話「稀なる人」の最後の方と第6話「かわら け」の最初の方で触れられているだけです。しかし、実は第3期は、唖然とする程、話がもつれ、いろいろな人物が出てきては消えていく激しい変化が起こって います。ですから、この時期が重要でなかったわけではありません。</p>
<p> </p>
<div> </div>

北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-

作成日:2014/6/21 , by fuji3zpg 開く

フィールドをゆく 北条早雲 室町から戦国時代への動きと北条早雲の生涯ーフィールドをゆく(1)ー

【早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-】<h2>なぜ早雲か?</h2>
<p>戦国時代というと、人気があるのは武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉あたりでしょうか。こういった人気のある戦国武将を差し置いて、なぜ私は北条早雲という人物をテーマにしているのでしょうか。以下、理由を述べてみたいと思います。</p>
<h2>室町幕府の成立と相対的安定期</h2>
<p>有力守護大名の連合政権だった室町幕府は成立の当初からを弱体でしたが、曲がりながらにも権威と権力を持った室町幕府は正義を提供していました(ただし、足<br>利義満の時代から嘉吉の乱(嘉吉元年(1441年)、6代将軍、足利義教が赤松満祐に暗殺された事件)までは比較的安定していました。つまり、幕府が正し<br>いとすることが正しいということで世の中がそれなりに処理されていました。</p>
<h2>立ち腐れる室町幕府と織豊政権の成立</h2>
<p>しかし、室町体制が崩壊すると、何が正しいかは戦いによって決まる時代に入ってしまいました。その結果、自衛のため、弱者は有力者を頼り、有力者は最有力者を頼るという関係が各地で再構築され始めました。その権力の頂点が戦国大名です。<br><br><em>司馬さんは、早雲の生涯を通して、この辺りのプロセスをうまく書いています(参考図書を参照)。</em><br><br>そして、戦国大名同士、さらには戦国大名と宗教勢力の戦いがはじまり、最終的には織田信長の地盤を受け継いだ豊臣秀吉が、天正18年(1590年)に早雲の子孫である後北条氏を降して、全国を統一しました。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>2010年9月撮影</em><br><em>全国で最後まで豊臣秀吉と戦った後北条氏の本拠地、小田原城から見た石垣山の眺め。豊臣秀吉は石垣山に石垣山一夜城を築いた。</em></p>
<h2>戦国時代はいつからか?</h2>
<p>戦国時代のはじまりというのは、実はいろいろな解釈があって、これが定説という年は決まっていません。応仁の乱がはじまった1467年説、旧説では北条早雲の伊豆討ち入りの1491年説、近年では明応の政変の起こった1493年説が有力なところです。<br>私見では、弱体ながらも、室町幕府というのは、9代将軍、足利義尚までは存在していたと考えています。しかし、その後、細川政元による明応の政変(1493年)以降は、京都を押さえ、将軍を擁した有力戦国大名が実力で政権を立てるようになるため、その時点で足利将軍を中心とした室町幕府の実体は消滅したという考えています。いずれにしても、15世紀の後半には実体としての室町幕府は消滅し、戦国大名がしのぎを削る戦国時代に突入したと考えてよいと思います。<br>なお、1492年に、コロンブスが大西洋を渡ってカリブ海のサンサルバドル島に到達します。つまり、早雲が生きた時代に、西欧では大航海時代を迎えていま<br>した。</p>
<h2>室町体制の崩壊と秩序の再編</h2>
<p>戦国初期というのは、室町体制の崩壊と秩序の再編が激烈に行われた時期でした。この時期には、誰が最終的に全国を統一するか全く分からない状態でした。つまり、ちょっとした基盤があれば、誰にでもチャンスがあった時代でした。安芸の一国人に過ぎなかった毛利元就(北条早雲の約40年後出生)が一代で中国地方をほぼ統一したのはその代表例です。</p>
<h2>戦国初期の目まぐるしさ</h2>
<p>とにかく、戦国初期というのはいろいろな人物が出てきては消えていきます。系図と年表を広げながら、書籍や資料を読んでいかないと、すぐに訳が分からなくなります。当然、当時を生きた人は当事者なわけですから大変です。享徳3年(1454年)に享徳の乱がはじまり、全国に先駆けて戦国時代に突入した関東では、関東管領家の山内上杉氏や扇谷上杉氏といった守護大名の当主レベルでも、戦死した人物は少なからずいます。ですから、その下の階級のレベルの人になると、それはもう大変な状態だったでしょう。</p>
<h2>早雲は関東地生えの人ではなかった</h2>
<p>関東では、最終的に後北条氏が最有力勢力になりましたが、当初、早雲は関東に寸土も持っていない状態でした。ですから、太田道灌が謀殺された頃(文明18年(1486年))、彼の子孫が関東の主になるとは誰も考えることはできなかったでしょう。つまり、状況によっては、他の未来もいくらでもありえたのです。</p>
<h2>なぜ早雲を調べているのか</h2>
<p>武田信玄や織田信長の時期には次の天下人の有力者が見えてきており、戦国初期のようなカオス感はありません。このカオス感が戦国初期の魅力の1つです。<br><br>戦国初期のカオスの渦中にあって、当事者たちは何を思い、何を行って、どういう秩序を新たに作り上げていったのでしょうか。<br><br>その体現者の一人が北条早雲です。<br>また、早雲の主な活動範囲は、京ー駿河ー伊豆ー相模で、私自身の活動範囲に近いときています。<br>そのため、北条早雲をしかと調べたいと思ったわけです。<br><br>(終)<br><br></p>
<h2>参考図書: 北条早雲が主人公の歴史小説紹介</h2>
<h3>司馬遼太郎『箱根の坂』</h3>
<div>司馬さんの最晩年の歴史小説(初版は1984年。司馬さん、61歳の時)。全三巻。</div>
<p>魅力的なストーリーに匠に歌を織り交ぜ、あっという間に物語に引き込まれました。彼の作品の中でも屈指の作品だと思います。<br><br><a>新装版 箱根の坂(上) (講談社文庫)</a><br><a>新装版 箱根の坂(中) (講談社文庫)</a><br><a>新装版 箱根の坂(下) (講談社文庫)</a><br><br></p>
<h3>伊東潤『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』</h3>
<p>ただ、『箱根の坂』が出版されてから、既に一世代経つなかで、新学説が出てきています。新説に対応した作品が伊東潤『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』です。<br> この作品は主人公からその時代を見るという伝統的な手法と違い、早雲に関わった人から早雲を見るという視点で書かれています。6つの短編小説から成り、各短編小説はそれ自体で完結しています。<br><br> 短編小説の各主人公はそれぞれの人生の中で、早雲(宗瑞)という人にあって、重大な影響を受けます(多くは、悲劇的な結果となる)。<br> 数ある早雲を主人公とする歴史小説の中でも異彩を放つ作品です。<br><br><a>疾き雲のごとく (講談社文庫)</a><br><br></p>
<h3>伊東潤『黎明に起つ』</h3>
<p>伊東さんの長編小説です。<br>早雲と北条氏の民政重視の政治は有名ですが、本書では、どういう背景・経験を通じて、早雲が民政重視の思想を持つに至り、実践していったかが強烈に意識されて、書かれています。<br><br> 早雲も生まれてすぐに民政重視の政治をしようと思ったわけではないでしょう。幼少の頃より、応仁の乱をはじめとする乱世に揉まれ、その中で思想を確立し、統治システムを練り上げていったわけです。<br> その早雲の軌跡が、見所です。<br><br><a>黎明に起つ</a><br><br></p>

早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-

作成日:2014/6/13 , by fuji3zpg 開く

フィールドをゆく 北条早雲 室町から戦国時代への動きと北条早雲の生涯ーフィールドをゆく(1)ー

ノート【更新順】
・ 岡山県の没落武士
・ 江戸東京たてもの園を訪問
・ コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
もっと見る
ノートまとめ【更新順】
・ 関ヶ原の戦いの動画
・ 淀川の城
・ 姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
もっと見る
歴史年表【更新順】
・ 『おんな城主 直虎』年表
・ 花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
・ 歴史家・歴史小説家とその時代
もっと見る
特集
・ 関ヶ原の戦い
・ 幕末維新
・ 文明論
・ 北条早雲
人物【更新順】
・ 子母澤寛
・ 周布政之助
・ 小田村伊之助
もっと見る
出来事【更新順】
・ 新型コロナウィルス感染拡大に伴い、東京など7都道府県で非常事態宣言が発令
・ 中国の武漢で新型コロナウィルスが人に感染
・ 令和に改元決定
もっと見る
世界史古代概論
・ 世界史古代概略
・ ローマと前漢、不思議な成立の符合
・ 古代の日本と西欧
戦国のはじまり
・ 早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
・ 応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
・ 北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
・ 2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
・ 歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
・ 大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
お知らせ
・ 特集ページを追加
・ 検索ページを追加しました
・ ドメイン変更のお知らせ
もっと見る
歴ウス
公式Twitterページ
歴ウス
公式Facebookページ
歴ウス
公式YouTubeチャンネル