関ヶ原の戦いにおいて、大坂城・伏見城がよく出てくるが、このラインを眺めてみると、淀川およびその上流に有名な城が並んでいることが分かる。
まず、北流する宇治川が西流するポイントに、伏見城 http://rekius.com/notes/1146 とその(南)対岸の向島城 http://rekius.com/notes/1167 があり、その南側には巨大な巨椋池が広がっていた。
宇治川に沿って下流に進むと、京都方面から桂川が、奈良方面から木津川が宇治川に合流する。ここに淀古城 http://rekius.com/notes/1009 があった(巨椋池の西端に位置する)。
淀川を下ると、右手の隘路に山崎があり、天王山の西麓 http://rekius.com/notes/465 で山崎の戦いがあった(明智光秀 vs 羽柴秀吉)。
さらに下って、大阪湾に注ぐ河口部に大坂城 http://rekius.com/notes/841 がある。
実際、豊臣秀吉は大坂城・伏見城ライン上を中心に居城を転々としたことからも、京阪をつなぐこのラインが重要だったことが分かる。
そして、関ヶ原の戦いの緒戦でも、このライン上を維持するため、石田三成ら西軍は伏見城を大軍で囲んで、伏見城を落城させた。
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