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糟屋館

糟屋館は、太田道灌の主、扇谷上杉氏の本拠地だった。 道灌は関東の戦乱で活躍するが、道灌の勢力伸長を恐れた主の扇谷上杉定正に謀殺された。 糟屋周辺には、道灌にまつわる石碑や神社などが多数ある。 糟屋館の位置は、はっきりしていない。かつては、上粕屋にある産能大学あたりと言われていたが、近年の…

日本 神奈川県 伊勢原市

石神井城は東京都練馬区に位置し、平安時代から続いた豊島氏の拠点。

文明9年(1477年)1月、長尾景春の乱がはじまると、豊島氏は景春に与して、関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏(以降、両上杉氏と記します)と対立した。豊島氏の勢力は、ちょうど、扇谷上杉氏の拠点である河越城と江戸城を分断する位置にあったため、両上杉氏は窮地に陥った。
同年4月、危機を脱すべく、扇谷上杉氏の家宰、兼、江戸城主、太田道灌は豊島勢の守る練馬城に攻め寄せた。道灌が一旦引いたところ、石神井城と練馬城の豊島勢が追撃してきたため、江古田・沼袋で戦い(東京都中野区)となった。結果は、豊島勢の大敗となった。
道灌は、豊島勢が守る石神井城を攻め、最終的に攻略した。

石神井城は都心に近いわりに、遺構がよく残っている。

石神井城

石神井城は東京都練馬区に位置し、平安時代から続いた豊島氏の拠点。 文明9年(1477年)1月、長尾景春の乱がはじまると、豊島氏は景春に与して、関東管領山内上杉氏と扇谷上杉氏(以降、両上杉氏と記します)と対立した。豊島氏の勢力は、ちょうど、扇谷上杉氏の拠点である河越城と江戸城を分断する位置にあ…

日本 東京都 練馬区

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川越城

入間川が北を通る。北武蔵の鉢形城、南武蔵の江戸城を結ぶ、中武蔵の最重要拠点。 享徳の乱がはじまり、扇谷上杉氏は古河公方と対立すると、河越城は武蔵の拠点として、扇谷上杉氏の重臣、太田道真、道灌親子によって築かれた。 河越城は、入間川を押さえる要地にあった。扇谷上杉氏としては、太田道灌の守…

日本100名城 日本 埼玉県 川越市

小机城は、神奈川県中部に位置し、鶴見川のほとりにある小規模ながら、堅固な平山城です。遺構はよく残っています。
1477年、山内上杉氏の家臣、長尾景春は五十子陣(山内・扇谷上杉氏の拠点)を急襲・崩壊させることで、長尾景春の乱(1477-80)がはじまりました。小机城には、景春の与党が立てこもったため、1478年、扇谷上杉氏の家宰、太田道灌は小机城を攻撃し、落城させました。この時、道灌が「小机は 先ず手習いの 始めにて いろはにほへと ちりじりになる」という戯れ歌を作り、兵を鼓舞した話は有名です。
その後、小机城は相模・武蔵を制圧した小田原北条氏の拠点として戦国末期まで機能しました。

小机城

小机城は、神奈川県中部に位置し、鶴見川のほとりにある小規模ながら、堅固な平山城です。遺構はよく残っています。 1477年、山内上杉氏の家臣、長尾景春は五十子陣(山内・扇谷上杉氏の拠点)を急襲・崩壊させることで、長尾景春の乱(1477-80)がはじまりました。小机城には、景春の与党が立てこもったた…

日本 神奈川県 横浜市

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丸子城

文明8年(1476年)、今川家の当主・今川義忠が遠江で戦死したことによって、今川家の家督相続問題が発生した。その結果、義忠の従兄弟・小鹿範満が守護を代行することになった。その間、義忠の嫡男氏親は丸子城に隠棲していたと言われている。 丸子城は、東海道を押さえる要地にあり、今川の本拠地、駿府館の…

日本 静岡県 静岡市

神奈川県厚木市七沢に位置し、北からの敵に対して、扇谷上杉氏の本拠地、糟屋館を守る役割を果たしていた。
長享の乱がはじまり、山内上杉氏と扇谷上杉氏は対立関係になった。長享2年(1488年)2月、山内上杉顕定は千余騎を率いて鉢形城を出発し、扇谷上杉定正の本拠地である糟屋館を攻略すべく南下し、顕定勢は七沢城を囲んだ。
その間に、定正は手勢二百を率いて、七沢城に急行し、七沢城の南方、1kmほどのところにある実蒔原で、定正勢は顕定勢を奇襲し、打ち破った(実蒔原合戦)。
現在、城の中核部分には、神奈川リハビリテーション病院が建ち、遺構は残っていない。

七沢城

神奈川県厚木市七沢に位置し、北からの敵に対して、扇谷上杉氏の本拠地、糟屋館を守る役割を果たしていた。 長享の乱がはじまり、山内上杉氏と扇谷上杉氏は対立関係になった。長享2年(1488年)2月、山内上杉顕定は千余騎を率いて鉢形城を出発し、扇谷上杉定正の本拠地である糟屋館を攻略すべく南下し、顕定勢は…

実蒔原合戦 日本 神奈川県 厚木市

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高見城

鉢形城と松山城を結ぶ鎌倉街道上道を東に見下ろす位置にあり、市野川の上流にあたる。つまり、市野川沿いに歩くと、松山城に至る。 長享の乱(山内上杉顕定勢と扇谷上杉定正勢の戦い)で高見原合戦(1488年)が高見城の眼下で行われた。

日本 埼玉県 比企郡

韮山城は、現在の韮山高校周辺にあった。韮山城の西側を下田街道が通っている。

平安末期には鎌倉北条氏の拠点が南西1kmほどのところにあった(現在の願成就院の辺り)。また、室町時代には、堀越公方館も願成就院の辺りにあった。

室町時代、1493年に北条早雲が伊豆討ち入り、堀越公方の足利茶々丸を追ったのち、早雲は韮山城を本拠地とした。後北条氏の本拠地が小田原に移ったのは、後北条氏2代の北条氏綱からで、早雲は生涯、韮山城が居城だった。
早雲亡き後も、伊豆支配の中心地として機能した。

早雲の伊豆討ち入りから約100年後の天正18年(1590年)、豊臣秀吉による関東侵攻がはじまった。韮山城では、豊臣秀吉の4万4千余の大軍を相手に、後北条氏4代北条氏政の弟、北条氏規が3600の兵で3ヶ月間持ちこたえた。しかし、有力な支城郡が落城し、後北条氏にとって絶望的な状況となったため、説得に応じて開城した。

なお、韮山城の北側に、江戸後期に活躍した江川太郎左衛門英達の屋敷がある(彼は韮山代官で、韮山反射炉や品川の台場の築造、西洋流砲術家として有名)。

韮山城

韮山城は、現在の韮山高校周辺にあった。韮山城の西側を下田街道が通っている。 平安末期には鎌倉北条氏の拠点が南西1kmほどのところにあった(現在の願成就院の辺り)。また、室町時代には、堀越公方館も願成就院の辺りにあった。 室町時代、1493年に北条早雲が伊豆討ち入り、堀越公方の足利茶々丸…

日本 静岡県 伊豆の国市

富田城は釜無川と笛吹川の合流点の北側、つまり、釜無川の西側にあった城。
現在の甲西工業団地付近にあったという。

1521年、駿河勢が甲斐に侵入した際に、駿河勢は武田信虎の軍勢を富田城の南で破り、次いで富田城を落とし拠点とした。

富田城

富田城は釜無川と笛吹川の合流点の北側、つまり、釜無川の西側にあった城。 現在の甲西工業団地付近にあったという。 1521年、駿河勢が甲斐に侵入した際に、駿河勢は武田信虎の軍勢を富田城の南で破り、次いで富田城を落とし拠点とした。

日本 山梨県 南アルプス市

武田信虎と戦った大井信達の居城。
後に両者は和睦し、信虎は大井信達の娘(大井夫人)を娶った。彼らの嫡男が武田信玄。
そのため、信玄の母の里という側面も持つ城。

甲府盆地の西麓の上野にあったという。地名をとって、上野城、椿が多かったため、椿城ともいった。南アルプスから伸びた台地の一つが上野で、北と南には深い渓谷があり、東側は急斜面になっている。

椿城

武田信虎と戦った大井信達の居城。 後に両者は和睦し、信虎は大井信達の娘(大井夫人)を娶った。彼らの嫡男が武田信玄。 そのため、信玄の母の里という側面も持つ城。 甲府盆地の西麓の上野にあったという。地名をとって、上野城、椿が多かったため、椿城ともいった。南アルプスから伸びた台地の一つが上野…

日本 山梨県 南アルプス市

川田館跡は、武田信玄の父、武田信虎が躑躅ヶ崎館に移すまで、甲斐守護所だった。
平等川の左岸にある。

川田館跡

川田館跡は、武田信玄の父、武田信虎が躑躅ヶ崎館に移すまで、甲斐守護所だった。 平等川の左岸にある。

日本 山梨県 甲府市

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関戸城

鎌倉街道が東側を通る台地上にあり、北に関戸宿があった。

日本 東京都 多摩市

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松田城

松田氏の居城。 松田氏は鎌倉幕府樹立以前より、この地に勢力を張っていたという。 室町後期には、小田原城から勢力を広げてくる大森氏に圧迫されていた。そのため、北条早雲を関東入りを助けたとされる。 その後、松田氏は北条氏の重鎮となり、小田原戦役で北条氏が没落するまで栄えた。

日本 神奈川県 足柄上郡

岩原城は大森氏頼(寄栖庵)の隠居後の居城といわれ、舌状台地の上に築かれていた。

南の小田原城、東の松田城、そして、北の足柄平野の入り口を監視できる位置にある。

岩原城

岩原城は大森氏頼(寄栖庵)の隠居後の居城といわれ、舌状台地の上に築かれていた。 南の小田原城、東の松田城、そして、北の足柄平野の入り口を監視できる位置にある。

大森氏頼 日本 神奈川県 南足柄市

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薩埵山

興津川の東側にある山。東から静岡市内に入るにはこの難所をおさえる必要がある。 1569年に武田信玄が駿河に侵攻したとき、信玄は今川氏真の軍をこの地で破った。その後、信玄は、今川勢の救援に来た後北条氏の軍と対陣したが、結局、勝負はつかず、信玄は興津川沿いに撤退した。

日本 静岡県 静岡市

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五十子陣

「いかっこじん」と読む。 関東で享徳の乱(1454-82)が勃発し、鎌倉府は滅亡、鎌倉公方は古河に移り、古河公方となった。関東管領の山内上杉氏と扇谷上杉氏(以降、両上杉氏と記述)は、古河公方と対決するため、利根川に対面する丘陵の端に五十子陣を構築した。 五十子陣は、北武蔵の重要拠点であった…

日本 埼玉県 本庄市

本佐倉城は、太田道灌と対立した下総千葉氏の本拠地で、印旛沼に接した堅固な城だった。文明16年(1484年)、千葉孝胤が築城したという。

本佐倉城

本佐倉城は、太田道灌と対立した下総千葉氏の本拠地で、印旛沼に接した堅固な城だった。文明16年(1484年)、千葉孝胤が築城したという。

印旛沼 日本 千葉県 印旛郡

【伏見城から向島城方面を遠望】木幡山伏見城本丸(現在の明治点伏見桃山陵)から向島城方面を撮影。
右側に一部向島ニュータウンが見えているが、向島城はもう少し右側にあった(遺構は残っていない模様)。

向島城は伏見城の出城で、宇治川を越えて、巨椋池の北側に築かれた(なお、宇治川を下ると、桂川と合流地点に淀城がある。そして、淀川が大阪湾に注ぐ下流に大坂城がある)。
豊臣秀吉が私邸として利用し、秀吉が没したあとは、徳川家康が居城とした。

一国一城令を受けて、伏見城・向島城ともに廃城となった。

淀城

徳川幕府は木幡山伏見城を廃城として、元和9年(1623)、松平定綱が淀城の築城を開始し、約2年後に竣工した。 なお、豊臣秀吉が淀君のために築かせた淀古城は江戸期の淀城より北へ約500メートルの位置にあったという。 淀城跡の今昔縄張図がP.5にある。訪問前に入手してチェックしておきたい。…

日本 京都府 京都市

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