南は河越城、北は松山城をつなぎ、立地にある。300mほど北に都幾川が東流する。 永禄の松山城合戦(北条・武田連合軍対上杉軍)の際、北条の城として利用された。
城 日本 埼玉県 東松山市
織田信長の父、信秀が1534年に築城した。1548年、織田信秀は末森城に移ったため、廃城となった。なお、1546年、織田信長は古渡城で元服した。
城 日本 愛知県 名古屋市
織田信長の父、織田信秀が1548年に築城した。信秀死後は、信長の弟、信勝(信行)の居城となった。1557年、信長が信勝を謀殺した後は記録からは消える。
今川館跡に、将軍職を退いた徳川家康が駿府城に入り、大改修を行った。
日本100名城 城 日本 静岡県 静岡市
今川義元で有名な駿河今川氏の本拠地。桶狭間の戦いで義元が戦死して以降、今川氏は急速に衰退し、義元の子、氏真の時に武田信玄に侵略され、今川館は焼失した。徳川時代には今川館跡に駿府城が築かれたとされている。
城 日本 静岡県 静岡市
西側を市野川が北から南に流れ、その更に西を鎌倉街道上道が通る。かつては、北条氏の手による城と考えられてきたが、近年の発掘・文献調査で、16世紀前半に山内上杉氏による築城と比定された。
城 日本 埼玉県 比企郡
北条早雲が今川氏の家督相続に介入する際に築いたされる城。
城 日本 静岡県 焼津市
畠山重忠の館として有名な館。鎌倉街道の要衝であったため、戦国期に現在残っている規模に拡張されたとされている。 長享の乱の際、菅谷館付近で扇谷上杉定正と山内上杉顕定が合戦した(菅谷原合戦、1488年)。
世田谷吉良氏の本拠地。
城 日本 東京都 世田谷区
日本100名城 城 日本 栃木県 足利市
河越合戦の際、関東管領の山内上杉憲政が河越城を包囲するため、柏原砦(城山砦)に軍勢を入れたとされている。東側は入間川に面した崖になっている。 河越城を救援するため、北条氏康が南からやってくると考えられる。その場合は、氏康の軍勢を横撃できる位置にある。
城 日本 埼玉県 狭山市
平安後期から南北朝時代の頃まで繁栄した川越氏の館が置かれた。また、戦国初期には関東管領の山内上杉顕定が陣を敷いた。北を小畑川、南に入間川が北東に流れている。
城 日本 埼玉県 川越市
武蔵野台地北縁の城。北に荒川が流れ、南東に稲付城、西に赤塚城がある。
城 日本 東京都 板橋区
北条早雲の頃から、北条氏の東相模経略の重要拠点だった。
城 日本 神奈川県 鎌倉市
京都山崎の天王山にあった城。 明智光秀と羽柴秀吉が山崎の戦いで戦った時、秀吉がここに本陣を置いた。
城 日本 京都府 乙訓郡
武蔵からの勢力(太田氏、北条氏)と下総からの勢力(千葉氏、里見氏)が激突したのが、国府台城周辺だった。 二度の国府台合戦が行われ、戦いに勝利した北条氏が武蔵から下総方面に勢力を拡大した。
城 日本 千葉県 市川市
八王子の南に約1kmにある。北に湯殿川、南に宇津貫川に挟まれ、東側を鎌倉街道が通る。今でも、城の北東に住吉沼という池があり、城からの湧き水が流れ込んでいる。
城 日本 東京都 八王子市
武田信玄、誕生のお寺。
城 日本 山梨県 甲府市
日本100名城 城 日本 長野県 松本市
高尾駅の北側に位置し、甲州街道をおさえる。 北西約2kmに八王子城があり、南浅川を挟んで、初沢城がある。
小田原北条氏の有力拠点。城主は北条氏康の三男、北条氏照。 1590年の小田原戦役の際には、前田利家や上杉景勝らの北陸勢の大軍に攻められ落城。
日本100名城 城 日本 東京都 八王子市
武蔵からの勢力(太田氏、北条氏)と下総からの勢力(千葉氏、里見氏)が激突したのが、葛西城周辺だった。
城 日本 東京都 葛飾区
北側に高尾駅があり、東西に甲州街道が、南北に町田街道が通る。 高尾駅を挟んで、北側の台地に廿里砦がある。北西約2.5kmに八王子城がある。八王子城中の丸の手前にある展望スペースから初沢城が見える。
郡内小山田氏の本拠地。岩殿山に築かれた山城で、大変堅固。小山田氏は武田に属していたが、武田との婚姻関係を持ち、ある程度の独立性を持っていた。小山田信茂は武田二十四将の1人として有名。
城 日本 山梨県 大月市
城 日本 京都府 京都市
城 日本 京都府 舞鶴市
小田原北条氏の菩提寺。小田原戦役の際、豊臣秀吉の陣所にもなった。
城 日本 神奈川県 足柄下郡
城 日本 神奈川県 小田原市