西暦: 1432年 〜 1486年

扇谷上杉氏の家宰。江戸城・河越城の築城で有名。長尾景春の乱を鎮圧し、扇谷上杉氏の勢力伸長に貢献した。道灌の勢力・名声がこれ以上増すことを恐れた、主の扇谷上杉定正によって糟屋館で謀殺された。

読み: おおたどうかん / Ota Dokan
地域: 日本

太田道灌

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関連する歴史年表: 応仁の乱と関東情勢 | 北条早雲 第1期(1456-1486年): 京から駿河へ | 江戸城 | 太田道灌 | 室町時代の東国 | 足利義満から応仁の乱の頃まで | 北条早雲


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グラフ: 「太田道灌」と同時代の人物

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グラフ: 「太田道灌」と同時代の出来事

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表: 「太田道灌」と同時代の人物

世阿弥 1363年 〜 1443年 日本
鄭和 1371年 〜 1434年 東アジア
尚巴志 1372年 〜 1439年 日本
赤松満祐 1373年 〜 1441年 日本
長尾景仲 1388年 〜 1463年 日本
エンリケ航海王子 1394年 〜 1460年 ヨーロッパ
足利義教 1394年 〜 1441年 日本
ウルグ・ベク 1394年 〜 1449年 地中海、西アジア
世宗(朝鮮王朝) 1397年 〜 1450年 東アジア
トスカネリ 1397年 〜 1482年 ヨーロッパ
足利持氏 1398年 〜 1439年 日本
グーテンベルク 1400年 〜 1468年 ヨーロッパ
一条兼良 1402年 〜 1481年 日本
シャルル7世 1403年 〜 1461年 ヨーロッパ
山名宗全(持豊) 1404年 〜 1473年 日本
日親 1407年 〜 1488年 日本
今川範忠 1408年 〜 1444年 日本
上杉憲実 1410年 〜 1466年 日本
太田道真 1411年 〜 1488年 日本
長尾景信 1413年 〜 1473年 日本
蓮如 1415年 〜 1499年 日本
上杉持朝 1416年 〜 1467年 日本
雪舟 1420年 〜 1506年 日本
宗祇 1421年 〜 1502年 日本
村田珠光 1423年 〜 1502年 日本
正統帝(英宗) 1427年 〜 1464年 東アジア
細川勝元 1430年 〜 1473年 日本
上杉房定 1431年 〜 1494年 日本
太田道灌 1432年 〜 1486年 日本
メフメト2世 1432年 〜 1481年 地中海、西アジア
北条早雲(旧説) 1432年 〜 1519年 日本
斯波義敏 1433年 〜 1508年 日本
上杉憲忠 1433年 〜 1455年 日本
狩野正信 1434年 〜 1530年 日本
足利政知 1435年 〜 1491年 日本
足利義政 1436年 〜 1490年 日本
今川義忠 1436年 〜 1476年 日本
畠山義就 1437年 〜 1491年 日本
足利成氏 1438年 〜 1497年 日本
足利義視 1439年 〜 1491年 日本
イヴァン3世 1440年 〜 1505年 ロシア
日野富子 1440年 〜 1496年 日本
長尾景春 1443年 〜 1514年 日本
ボッティチェリ 1444年 〜 1514年 ヨーロッパ
上杉定正 1446年 〜 1494年 日本
武田信昌 1447年 〜 1505年 日本
宗長 1448年 〜 1532年 日本
バルトロメウ・ディアス 1450年 〜 1500年 ヨーロッパ
三浦道寸(義同) 1451年 〜 1516年 日本
クリストファー・コロンブス 1451年 〜 1506年 ヨーロッパ
イサベル(カスティリャ王女) 1451年 〜 1504年 ヨーロッパ
リチャード3世 1452年 〜 1485年 ヨーロッパ
フェルナンド5世 1452年 〜 1516年 ヨーロッパ
レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452年 〜 1519年 ヨーロッパ
上杉顕定 1454年 〜 1510年 日本
アメリゴ・ヴェスプッチ 1454年 〜 1512年 ヨーロッパ
ジョアン2世 1455年 〜 1495年 ヨーロッパ
富樫政親 1455年 〜 1488年 日本
北条早雲 1456年 〜 1519年 日本
ヘンリ7世 1457年 〜 1509年 ヨーロッパ
上杉房能 1458年 〜 1507年 日本
尼子経久 1458年 〜 1541年 日本
三好之長 1458年 〜 1520年 日本
長尾能景 1459年 〜 1506年 日本
カブラル 1460年 〜 1526年 ヨーロッパ
足利政氏 1462年 〜 1531年 日本
足利義尚 1465年 〜 1489年 日本
細川政元 1466年 〜 1507年 日本
足利義材(義稙) 1466年 〜 1523年 日本
上杉憲房 1467年 〜 1525年 日本
エラスムス 1469年 〜 1536年 ヨーロッパ
マキャベリ 1469年 〜 1527年 ヨーロッパ
ヴァスコ・ダ・ガマ 1469年 〜 1524年 ヨーロッパ
ピサロ 1470年 〜 1541年 ヨーロッパ
セリム1世 1470年 〜 1520年 地中海、西アジア
デューラー 1471年 〜 1528年 ヨーロッパ
武田信縄 1471年 〜 1507年 日本
王陽明(王守仁) 1472年 〜 1528年 東アジア
以天宗清 1472年 〜 1554年 日本
今川氏親 1473年 〜 1526年 日本
コペルニクス 1473年 〜 1543年 ヨーロッパ
上杉朝良 1473年 〜 1518年 日本
ラス・カサス 1474年 〜 1566年 ヨーロッパ
レオ10世 1475年 〜 1521年 ヨーロッパ
ミケランジェロ 1475年 〜 1564年 ヨーロッパ
大内義興 1477年 〜 1528年 日本
上杉定実 1478年 〜 1550年 日本
マゼラン(マガリャンイス) 1480年 〜 1521年 ヨーロッパ
足利義澄 1481年 〜 1511年 日本
マルティン・ルター 1483年 〜 1546年 ヨーロッパ
バーブル 1483年 〜 1530年 南アジア、東南アジア
細川高国 1484年 〜 1531年 日本
ツヴィングリ 1484年 〜 1531年 ヨーロッパ
足利高基 1485年 〜 1535年 日本
コルテス 1485年 〜 1547年 ヨーロッパ
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表: 「太田道灌」と同時代の出来事

コンスタンツ公会議 1414年 〜 1418年 ヨーロッパ
上杉禅秀の乱はじまる(~1417年) 1416年 〜 1417年 日本
フス戦争 1419年 〜 1436年 ヨーロッパ
正長の土一揆 1428年 日本
黎氏大越国、成立 1428年 〜 1789年 東アジア
ジャンヌ・ダルク率いるフランス軍、オルレアン解放 1429年 ヨーロッパ
オルレアンの戦い 1429年 ヨーロッパ
尚巴志、琉球統一 1429年 日本
ジャンヌ・ダルク、火刑に処される 1431年 ヨーロッパ
永享の乱はじまる(~1439年) 1438年 〜 1439年 日本
結城合戦 1440年 日本
嘉吉の乱 1441年 日本
世宗、訓民正音(ハングル)を制定 1446年 東アジア
土木の変 1449年 東アジア
1450年頃、グーテンベルクが活版印刷をはじめる 1450年 ヨーロッパ
コンスタンティノープル、陥落 1453年 地中海、西アジア
享徳の乱はじまる(~1482年) 1454年 〜 1482年 日本
バラ戦争 1455年 〜 1485年 ヨーロッパ
分倍河原の戦い(享徳4年) 1455年 日本
コシャマインの戦い 1457年 日本
太田道灌、江戸城を築城 1457年 日本
寛正の大飢饉 1461年 日本
武田信昌、甲斐守護代の跡部氏を滅ぼす 1465年 日本
応仁の乱はじまる 1467年 〜 1477年 日本
駿河守護の今川義忠戦死で、今川家の家督相続問題発生 1476年 日本
長尾景春の乱はじまる 1476年 〜 1480年 日本
応仁の乱おわる 1477年 日本
スペイン王国(イスパニア王国)、成立 1479年 〜 1873年 ヨーロッパ
山城の国一揆 1485年 日本
チューダー朝 1485年 〜 1603年 ヨーロッパ
太田道灌が主の扇谷上杉定正に謀殺される 1486年 日本
長享の乱がはじまる(~1505年) 1487年 〜 1505年 日本
北条氏綱(北条2代目)、出生 1487年 日本
ヘンリ7世、星室庁裁判所を設立 1487年 ヨーロッパ
北条早雲、小鹿範満を討って、今川氏親を擁立 1487年 日本
バルトロメウ・ディアス(ポルトガル)、喜望峰に到達 1488年 ヨーロッパ
関東三戦(実蒔原の合戦、須賀谷原の合戦、高見原の合戦)勃発 1488年 日本
加賀の一向一揆 1488年 日本
コロンブス、サン・サルバドル島に上陸 1492年 北アメリカ
甲斐守護の武田信縄と武田信昌(信縄の父)・油川信恵(信縄の異母弟)の戦いが始まり、甲斐内乱、 1492年 〜 1498年 日本
イタリア戦争 1492年 〜 1559年 ヨーロッパ
グラナダ陥落 1492年 ヨーロッパ
北条早雲、伊豆に討ち入る 1493年 日本
明応の政変が起こり、細川政元政権が成立する 1493年 日本
扇谷上杉定正、荒川渡河に失敗して頓死 1494年 日本
トルデシリャス条約 1494年 ヨーロッパ
大森氏頼(寄栖庵)、死去 1494年 日本
三浦義同(道寸)、三浦郡に進攻し、三浦氏当主に 1494年 日本
北条早雲、小田原城を奪取 1495年 日本
蓮如、石山本願寺を築く 1496年 日本
山内上杉顕定、相模に進攻。小田原城の大森氏、山内上杉側に寝返り、小田原城は自落。 1496年 日本
明応地震 1498年 日本
ヴァスコ=ダ=ガマ、インド航路発見(カリカット到着) 1498年 ヨーロッパ
茶々丸、甲斐国で死亡(下田の深根城での討死説もある)→北条早雲、伊豆一国を制圧 1498年 日本
カブラル(ポルトガル人)、ブラジルに漂着。ブラジルの領有を宣言。 1500年 ヨーロッパ
北条早雲、1501年までに小田原城を奪取(新説) 1501年 日本
サファヴィー朝、成立 1501年 〜 1736年 地中海、西アジア
北条早雲と今川氏親、扇谷上杉朝良の援軍として、立河原の合戦に参戦し、山内上杉顕定勢と戦い勝利する。 1504年 日本
扇谷上杉朝良、山内上杉顕定に降り、長享の乱が終わる 1505年 日本
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「太田道灌」の関連ノート

【早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-】<h2>なぜ早雲か?</h2>
<p>戦国時代というと、人気があるのは武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉あたりでしょうか。こういった人気のある戦国武将を差し置いて、なぜ私は北条早雲という人物をテーマにしているのでしょうか。以下、理由を述べてみたいと思います。</p>
<h2>室町幕府の成立と相対的安定期</h2>
<p>有力守護大名の連合政権だった室町幕府は成立の当初からを弱体でしたが、曲がりながらにも権威と権力を持った室町幕府は正義を提供していました(ただし、足<br>利義満の時代から嘉吉の乱(嘉吉元年(1441年)、6代将軍、足利義教が赤松満祐に暗殺された事件)までは比較的安定していました。つまり、幕府が正し<br>いとすることが正しいということで世の中がそれなりに処理されていました。</p>
<h2>立ち腐れる室町幕府と織豊政権の成立</h2>
<p>しかし、室町体制が崩壊すると、何が正しいかは戦いによって決まる時代に入ってしまいました。その結果、自衛のため、弱者は有力者を頼り、有力者は最有力者を頼るという関係が各地で再構築され始めました。その権力の頂点が戦国大名です。<br><br><em>司馬さんは、早雲の生涯を通して、この辺りのプロセスをうまく書いています(参考図書を参照)。</em><br><br>そして、戦国大名同士、さらには戦国大名と宗教勢力の戦いがはじまり、最終的には織田信長の地盤を受け継いだ豊臣秀吉が、天正18年(1590年)に早雲の子孫である後北条氏を降して、全国を統一しました。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>2010年9月撮影</em><br><em>全国で最後まで豊臣秀吉と戦った後北条氏の本拠地、小田原城から見た石垣山の眺め。豊臣秀吉は石垣山に石垣山一夜城を築いた。</em></p>
<h2>戦国時代はいつからか?</h2>
<p>戦国時代のはじまりというのは、実はいろいろな解釈があって、これが定説という年は決まっていません。応仁の乱がはじまった1467年説、旧説では北条早雲の伊豆討ち入りの1491年説、近年では明応の政変の起こった1493年説が有力なところです。<br>私見では、弱体ながらも、室町幕府というのは、9代将軍、足利義尚までは存在していたと考えています。しかし、その後、細川政元による明応の政変(1493年)以降は、京都を押さえ、将軍を擁した有力戦国大名が実力で政権を立てるようになるため、その時点で足利将軍を中心とした室町幕府の実体は消滅したという考えています。いずれにしても、15世紀の後半には実体としての室町幕府は消滅し、戦国大名がしのぎを削る戦国時代に突入したと考えてよいと思います。<br>なお、1492年に、コロンブスが大西洋を渡ってカリブ海のサンサルバドル島に到達します。つまり、早雲が生きた時代に、西欧では大航海時代を迎えていま<br>した。</p>
<h2>室町体制の崩壊と秩序の再編</h2>
<p>戦国初期というのは、室町体制の崩壊と秩序の再編が激烈に行われた時期でした。この時期には、誰が最終的に全国を統一するか全く分からない状態でした。つまり、ちょっとした基盤があれば、誰にでもチャンスがあった時代でした。安芸の一国人に過ぎなかった毛利元就(北条早雲の約40年後出生)が一代で中国地方をほぼ統一したのはその代表例です。</p>
<h2>戦国初期の目まぐるしさ</h2>
<p>とにかく、戦国初期というのはいろいろな人物が出てきては消えていきます。系図と年表を広げながら、書籍や資料を読んでいかないと、すぐに訳が分からなくなります。当然、当時を生きた人は当事者なわけですから大変です。享徳3年(1454年)に享徳の乱がはじまり、全国に先駆けて戦国時代に突入した関東では、関東管領家の山内上杉氏や扇谷上杉氏といった守護大名の当主レベルでも、戦死した人物は少なからずいます。ですから、その下の階級のレベルの人になると、それはもう大変な状態だったでしょう。</p>
<h2>早雲は関東地生えの人ではなかった</h2>
<p>関東では、最終的に後北条氏が最有力勢力になりましたが、当初、早雲は関東に寸土も持っていない状態でした。ですから、太田道灌が謀殺された頃(文明18年(1486年))、彼の子孫が関東の主になるとは誰も考えることはできなかったでしょう。つまり、状況によっては、他の未来もいくらでもありえたのです。</p>
<h2>なぜ早雲を調べているのか</h2>
<p>武田信玄や織田信長の時期には次の天下人の有力者が見えてきており、戦国初期のようなカオス感はありません。このカオス感が戦国初期の魅力の1つです。<br><br>戦国初期のカオスの渦中にあって、当事者たちは何を思い、何を行って、どういう秩序を新たに作り上げていったのでしょうか。<br><br>その体現者の一人が北条早雲です。<br>また、早雲の主な活動範囲は、京ー駿河ー伊豆ー相模で、私自身の活動範囲に近いときています。<br>そのため、北条早雲をしかと調べたいと思ったわけです。<br><br>(終)<br><br></p>
<h2>参考図書: 北条早雲が主人公の歴史小説紹介</h2>
<h3>司馬遼太郎『箱根の坂』</h3>
<div>司馬さんの最晩年の歴史小説(初版は1984年。司馬さん、61歳の時)。全三巻。</div>
<p>魅力的なストーリーに匠に歌を織り交ぜ、あっという間に物語に引き込まれました。彼の作品の中でも屈指の作品だと思います。<br><br><a>新装版 箱根の坂(上) (講談社文庫)</a><br><a>新装版 箱根の坂(中) (講談社文庫)</a><br><a>新装版 箱根の坂(下) (講談社文庫)</a><br><br></p>
<h3>伊東潤『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』</h3>
<p>ただ、『箱根の坂』が出版されてから、既に一世代経つなかで、新学説が出てきています。新説に対応した作品が伊東潤『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』です。<br> この作品は主人公からその時代を見るという伝統的な手法と違い、早雲に関わった人から早雲を見るという視点で書かれています。6つの短編小説から成り、各短編小説はそれ自体で完結しています。<br><br> 短編小説の各主人公はそれぞれの人生の中で、早雲(宗瑞)という人にあって、重大な影響を受けます(多くは、悲劇的な結果となる)。<br> 数ある早雲を主人公とする歴史小説の中でも異彩を放つ作品です。<br><br><a>疾き雲のごとく (講談社文庫)</a><br><br></p>
<h3>伊東潤『黎明に起つ』</h3>
<p>伊東さんの長編小説です。<br>早雲と北条氏の民政重視の政治は有名ですが、本書では、どういう背景・経験を通じて、早雲が民政重視の思想を持つに至り、実践していったかが強烈に意識されて、書かれています。<br><br> 早雲も生まれてすぐに民政重視の政治をしようと思ったわけではないでしょう。幼少の頃より、応仁の乱をはじめとする乱世に揉まれ、その中で思想を確立し、統治システムを練り上げていったわけです。<br> その早雲の軌跡が、見所です。<br><br><a>黎明に起つ</a><br><br></p>

早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-

作成日:2014/6/13 , by fuji3zpg 開く

フィールドをゆく 北条早雲 室町から戦国時代への動きと北条早雲の生涯ーフィールドをゆく(1)ー

【江戸城】本丸大広間辺りから撮影。左奥の石垣が天守台。その手前が大奥。江戸初期にここで写真を撮ったら、左奥の天守台に巨大な天守が建っていたはず。<br><br>太田道灌の時代には、江戸期の本丸が3つに別れていたそうだ。

作成日:2013/2/15 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

『北条龍虎伝』の城 東京都 千代田区

【鎌倉城】英勝寺境内にある太田道灌邸旧蹟の石碑。<br>      太田道灌は、建長寺で学んだという話がある。本当なら、ここ扇谷から亀ヶ谷切通しを通って、山内の建長寺に通学したかもしれない。

作成日:2013/9/6 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

神奈川県 鎌倉市

【鎌倉城】扇谷上杉管領屋敷跡。<br><br>      扇谷上杉家は、室町時代に上杉氏の流れの1つ。<br>      太田道灌を謀殺した扇谷上杉定正が有名。<br><br>      室町時代、鎌倉には鎌倉府が置かれ、東国の中心地として鎌倉は繁栄していた。<br>      ここの地名は扇谷で、上杉の一派が屋敷を構えた。地名から、扇谷上杉家を称することになった。

作成日:2013/9/4 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

神奈川県 鎌倉市

【川越城】川越市役所の太田道灌像

作成日:2013/5/20 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

川越めぐりー河越合戦から467年目ー 埼玉県 川越市

【川越城】大手門跡。太田道灌像と市役所が西にある。パッと見て、ここがかつての大手門跡とは想像できないと思う。

作成日:2013/5/20 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

川越めぐりー河越合戦から467年目ー 埼玉県 川越市

【江戸城】富士見櫓。江戸城に残る3つの櫓の1つ。かつて太田道灌が築いた静勝軒の故地に江戸城の富士見櫓が建っているという。静勝軒は道灌の軒号でもある。

作成日:2013/3/27 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

『北条龍虎伝』の城 東京都 千代田区

【石神井城】殿塚。豊島氏当主、豊島泰経が石神井城落城時に、黄金の鞍に乗り、三宝寺池に入水したという伝承がある。その泰経を祀った石碑。<br><br>      史実としては、豊島泰経はその後も太田道灌(両上杉氏)との戦いを継続している。小机城まで落ちたようだが、小机城落城後の行方は不明。豊島氏宗家は滅亡した。

作成日:2013/3/17 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

3年ぶりの石神井城 東京都 練馬区

【五十子陣】この辺りが本丸のはず。そう思って、ウォーキング中の初老の夫婦と思しき人に「この辺に五十子陣があったと思うのですが」と聞いてみたところ、ご存じなかった。惜しいことである。太田道灌が大河の主人公になったら、外せない場所なのだが。。<br>      ググってみたが、どうやら五十子陣跡の石碑はないようだ。残念なり。

作成日:2013/3/11 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

埼玉県 本庄市

【五十子陣】茫漠たる五十子陣跡。左手を小山川が流れる。正面の山影は秩父山地。<br>      古地図でみると、写真の右側が本丸あたり。古河公方勢との対峙という状況によって、にわかに山内上杉・扇谷上杉両首脳や太田道灌ら関東の要人がこの地に集合することになった。

作成日:2013/3/11 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

埼玉県 本庄市

ノート【更新順】
・ 岡山県の没落武士
・ 江戸東京たてもの園を訪問
・ コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
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ノートまとめ【更新順】
・ 関ヶ原の戦いの動画
・ 淀川の城
・ 姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
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歴史年表【更新順】
・ 『おんな城主 直虎』年表
・ 花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
・ 歴史家・歴史小説家とその時代
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特集
・ 関ヶ原の戦い
・ 幕末維新
・ 文明論
・ 北条早雲
人物【更新順】
・ 子母澤寛
・ 周布政之助
・ 小田村伊之助
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出来事【更新順】
・ 新型コロナウィルス感染拡大に伴い、東京など7都道府県で非常事態宣言が発令
・ 中国の武漢で新型コロナウィルスが人に感染
・ 令和に改元決定
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世界史古代概論
・ 世界史古代概略
・ ローマと前漢、不思議な成立の符合
・ 古代の日本と西欧
戦国のはじまり
・ 早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
・ 応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
・ 北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
・ 2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
・ 歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
・ 大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
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