以前はあまり取り上げられなかったテーマだが、近年、高校の日本史でも扱いの分量が増えているそうだ。室町時代の鎌倉府は室町幕府の地方機関ながら、東国を統率し、大きな権力を持っていた。鎌倉府の長である鎌倉公方は、次第に京都の将軍から独立する動きを見せはじめた。そして、1438年の永享の乱でついに両者は軍事的に衝突する。戦いに敗れた鎌倉公方は廃されたが、結城合戦の後、復活する。しかし、新鎌倉公方、足利成氏も京都の将軍に反抗し、1454年、享徳の乱が勃発した。戦いの流れの中で、足利成氏は鎌倉を出て、古河に移った。ここに、鎌倉公方を長とする鎌倉府は消滅し、室町幕府の東国の政治秩序は崩壊した。以降、東国は、古河公方と京都の将軍を後ろ盾とする関東管領の上杉氏が争う戦国時代に突入する。そして、16世紀に入ると、北条早雲が関東に侵攻して、戦国大名の魁となった。
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