西暦: 1157年 〜 1225年

地域: 日本

北条政子

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関連する歴史年表: 承久の乱と北条政子を中心にした人物・出来事年表 | 承久の乱から蒙古襲来に向けての動き | 源平合戦


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グラフ: 「北条政子」と同時代の人物

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グラフ: 「北条政子」と同時代の出来事

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表: 「北条政子」と同時代の人物

藤原忠通 1097年 〜 1164年 日本
欽宗 1100年 〜 1161年 東アジア
藤原通憲(信西) 1106年 〜 1159年 日本
高宗(南宋) 1107年 〜 1187年 東アジア
王重陽 1113年 〜 1170年 東アジア
西行 1118年 〜 1190年 日本
平清盛 1118年 〜 1181年 日本
千葉常胤 1118年 〜 1201年 日本
崇徳天皇(上皇) 1119年 〜 1164年 日本
重源 1121年 〜 1206年 日本
藤原秀衡 1122年 〜 1187年 日本
源義朝 1123年 〜 1160年 日本
イブン・ルシュド(アヴェロエス) 1126年 〜 1198年 地中海、西アジア
三浦義澄 1127年 〜 1200年 日本
後白河天皇(後白河法皇) 1127年 〜 1192年 日本
武田信義 1128年 〜 1186年 日本
朱熹(朱子) 1130年 〜 1200年 東アジア
藤原信頼 1133年 〜 1159年 日本
法然 1133年 〜 1212年 日本
ヘンリ2世 1133年 〜 1189年 ヨーロッパ
平重盛 1138年 〜 1179年 日本
北条時政 1138年 〜 1215年 日本
サラディン(サラーフ・アッディーン) 1138年 〜 1193年 地中海、西アジア
藤原成親 1138年 〜 1177年 日本
源為朝 1139年 〜 1170年 日本
三善康信 1140年 〜 1221年 日本
栄西 1141年 〜 1215年 日本
源義平 1141年 〜 1160年 日本
藤原隆信 1142年 〜 1205年 日本
二条天皇 1143年 〜 1165年 日本
平宗盛 1147年 〜 1185年 日本
和田義盛 1147年 〜 1213年 日本
源頼朝 1147年 〜 1199年 日本
大江広元 1148年 〜 1225年 日本
九条兼実 1149年 〜 1207年 日本
以仁王 1151年 〜 1180年 日本
木曽義仲(源義仲) 1154年 〜 1184年 日本
平徳子(建礼門院) 1155年 〜 1213年 日本
鴨長明 1155年 〜 1216年 日本
慈円 1155年 〜 1225年 日本
貞慶(解脱) 1155年 〜 1213年 日本
リチャード1世 1157年 〜 1199年 ヨーロッパ
北条政子 1157年 〜 1225年 日本
源義経 1159年 〜 1189年 日本
インノケンティウス3世 1160年 〜 1216年 ヨーロッパ
高倉天皇 1161年 〜 1181年 日本
藤原定家 1162年 〜 1241年 日本
チンギス・ハーン 1162年 〜 1227年 中央アジア、北アジア
北条義時 1163年 〜 1224年 日本
畠山重忠 1164年 〜 1205年 日本
フィリップ2世 1165年 〜 1223年 ヨーロッパ
ジョン王 1167年 〜 1216年 ヨーロッパ
ドミニコ(ドミニコ修道会の創始者) 1170年 〜 1221年 ヨーロッパ
明恵(高弁) 1173年 〜 1232年 日本
親鸞 1173年 〜 1262年 日本
北条時房 1175年 〜 1240年 日本
藤原信実 1176年 〜 1265年 日本
安徳天皇 1178年 〜 1185年 日本
後鳥羽天皇 1180年 〜 1239年 日本
フランチェスコ(フランチェスコ修道会の創始者) 1181年 〜 1226年 ヨーロッパ
プラノ・カルピニ 1182年 〜 1252年 ヨーロッパ
北条泰時 1183年 〜 1242年 日本
オゴタイ・ハーン 1186年 〜 1241年 東アジア
源実朝 1192年 〜 1219年 日本
土御門天皇(上皇) 1195年 〜 1231年 日本
順徳天皇(上皇) 1197年 〜 1242年 日本
道元 1200年 〜 1253年 日本
公暁 1200年 〜 1219年 日本
叡尊(思円) 1201年 〜 1290年 日本
グユク(定宗) 1206年 〜 1248年 中央アジア、北アジア
バトゥ 1207年 〜 1255年 ロシア
モンケ(憲宗) 1208年 〜 1259年 中央アジア、北アジア
シモン・ド・モンフォール 1208年 〜 1265年 ヨーロッパ
蘭渓道隆 1213年 〜 1278年 日本
ロジャー・ベーコン 1214年 〜 1294年 ヨーロッパ
ルイ9世 1214年 〜 1270年 ヨーロッパ
フビライ・ハーン 1215年 〜 1294年 東アジア
忍性(良観) 1217年 〜 1303年 日本
仲恭天皇 1218年 〜 1234年 日本
藤原頼経 1218年 〜 1256年 日本
フラグ 1218年 〜 1265年 地中海、西アジア
後嵯峨天皇(上皇) 1220年 〜 1272年 日本
ルブルック 1220年 〜 1293年 ヨーロッパ
日蓮 1222年 〜 1282年 日本
金沢実時 1224年 〜 1276年 日本
トマス・アクィナス 1225年 〜 1274年 ヨーロッパ
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表: 「北条政子」と同時代の出来事

紹興の和議 1142年 東アジア
ポルトガル王国 1143年 〜 1910年 ヨーロッパ
第2回十字軍 1147年 〜 1149年 ヨーロッパ
ゴール朝、成立 1148年 〜 1215年 南アジア、東南アジア
プランタジネット朝 1154年 〜 1399年 ヨーロッパ
保元の乱 1156年 日本
平治の乱 1159年 日本
平清盛、太政大臣になる 1167年 日本
アイユーブ朝、成立 1169年 〜 1250年 地中海、西アジア
鹿ヶ谷の陰謀 1177年 日本
治承・寿永の乱 1180年 〜 1185年 日本
富士川の戦い 1180年 日本
侍所、設置(別当は和田義盛) 1180年 日本
平清盛、福原へ遷都(同年11月、京都に都を戻す) 1180年 日本
平重衡、南都焼打ち 1180年 日本
養和の飢饉 1181年 〜 1183年 日本
平清盛、死去 1181年 日本
寿永二年十月宣旨(源頼朝、後白河法皇から東国の支配権を承認される) 1183年 日本
倶利伽羅峠の戦い 1183年 日本
公文所、設置(別当は大江広元) 1184年 日本
一の谷の戦い 1184年 日本
宇治川の戦い 1184年 日本
問注所、設置(執事は三善康信) 1184年 日本
屋島の戦い 1185年 日本
壇ノ浦の戦い 1185年 日本
源頼朝、守護・地頭を設置する 1185年 日本
サラディン(アイユーブ朝)、イェルサレム奪還 1187年 地中海、西アジア
第3回十字軍 1189年 〜 1192年 地中海、西アジア
源頼朝、奥州を平定 1189年 日本
源頼朝、征夷大将軍になる 1192年 日本
教皇、インノケンティウス3世、即位 1198年 〜 1216年 ヨーロッパ
第4回十字軍 1202年 〜 1204年 ヨーロッパ
比企氏の乱 1203年 日本
第4回十字軍、コンスタンティノープルを陥落させ、ラテン帝国を建てる 1204年 〜 1261年 ヨーロッパ
源頼家、謀殺される 1204年 日本
北条時政、畠山重忠を滅ぼす 1205年 日本
藤原定家ら、『新古今和歌集』 1205年 日本
テムジン(チンギス・ハーン)、モンゴル統一 1206年 中央アジア、北アジア
モンゴル、金(王朝)と開戦 1211年 〜 1234年 東アジア
少年十字軍 1212年 ヨーロッパ
鴨長明、『方丈記』 1212年 日本
和田合戦 1213年 日本
英、大憲章(マグナカルタ)制定 1215年 ヨーロッパ
源実朝、暗殺される 1219年 日本
慈円『愚管抄』 1220年 日本
六波羅探題、設置 1221年 日本
承久の乱 1221年 日本
北条時房、連署に就任 1225年 日本
評定衆、設置 1225年 日本
藤原頼経、将軍に就任 1226年 日本
モンゴル、西夏を滅ぼす 1227年 日本
オゴタイ=ハン、即位 1229年 〜 1241年 中央アジア、北アジア
高麗に、モンゴル帝国侵攻開始 1231年 〜 1259年 東アジア
御成敗式目 1232年 日本
モンゴル(オゴタイ・ハーン)、金王朝を滅ぼす 1234年 東アジア
バトゥのヨーロッパ遠征 1236年 〜 1242年 ロシア
カスティリャ王国、コルドバ占領 1236年 ヨーロッパ
ワールシュタットの戦い 1241年 ヨーロッパ
キプチャク・ハーン国 1243年 〜 1502年 ロシア
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「北条政子」の関連ノート

【英雄たちの選択「尼将軍北条政子の決断 時代を動かした名演説」を見る前に】<p>2014/6/19(20-21時)のNHKBS「英雄たちの選択」は、承久の乱における北条政子の決断です。<br>”<a>尼将軍北条政子の決断 時代を動かした名演説</a>”</p><br><p> </p><br><p>源頼朝の死後、頼朝の側近勢力・有力御家人・北条氏勢力などが権力闘争を展開し、鎌倉幕府は一枚岩とは言えない状態でした。<br>北条政子の子、源頼家・実朝は2代・3代将軍となりましたが、この権力闘争の中でいずれも落命します。<br><br>常識的に考えると、政子は母としての幸福と不幸を両方味わったのではなないでしょうか。<br>激動の時代、権力者は何の犠牲もなく、権力を維持できるわけではありません。<br><br>実子である3代将軍・源実朝が暗殺されて2年後、朝廷復権を企図した後鳥羽上皇は北条義時追討の院宣を発します。<br>動揺する鎌倉幕府の御家人たち。<br><br>そんな不安定な情勢の最中、北条政子が下した決断とは!<br><br>■ 承久の乱と北条政子の年表を作っておきました。<br>・<a>承久の乱の時、北条政子はじめとする要人が何歳であったか</a><br>・<a>北条政子の人物年表</a></p>

英雄たちの選択「尼将軍北条政子の決断 時代を動かした名演説」を見る前に

作成日:2014/6/19 , by rekius 開く

英雄たちの選択

<p>今週木曜(2014/6/19)の「英雄たちの選択」は承久の乱における北条政子の決断です。<br><a>英雄たちの選択「尼将軍北条政子の決断 時代を動かした名演説」</a><br><br>この戦いの結果、鎌倉幕府の西国支配力が強化されました。源頼朝が征夷大将軍になって、いきなり、日本全国を統一したわけではありません。<br><br>仮に京都と鎌倉の二重支配のまま、蒙古襲来を迎えていたら、どうなったでしょうか。<br><br>蒙古襲来当時のモンゴルは(最盛期には)旧ソ連と中国と中東(エジプト以西は含まない)を合わせたくらいの領土を持っていました。<br>冷戦期を多少なりとも知っている我々の世代としては、その脅威が想像できるのはないかと思います。<br><br>仮に西国が蒙古と手を結んだり、そうでなくても非協力的ならば、鎌倉幕府の命令で長大な元寇防塁を築いたりすることなど、困難だったはず。そうならば、日本の歴史も随分変わったかもしれませんね。<br><br>国際関係で見た承久の乱の影響というのも考えておきたいところです。</p>

作成日:2014/6/16 , by rekius 開く

【鎌倉城】宇都宮辻子幕府跡。<br><br>      3代将軍の源実朝が暗殺され、源氏将軍が滅び、さらに北条政子が死去すると、鎌倉幕府の所在地は、大倉から若宮大路方面に移った。<br>      1225年、北条泰時は、摂関家から九条頼経を迎え、若宮大路二の鳥居近くの宇都宮辻子御所に据えた。

作成日:2013/8/25 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

鎌倉幕府所在地と八幡宮を歩く 神奈川県 鎌倉市

韮山城の本丸から守山をのぞむ。<br>    守山は写真中央奥の濃い緑の丘陵。守山の背後(西)には狩野川が北流し、手前(東)には下田街道が通っている。<br><br>    この付近は、平安末期、鎌倉北条氏の地盤であり、北条時政が開基の願成就院が盛衰を重ねながら、現在も建っている。守山の前、韮山城寄りに、小規模な林があるが、ここが源頼朝が流された蛭ヶ小島といわれている。頼朝は、北条時政の娘、北条政子を妻とし、北条勢を味方につけた。1180年、以仁王の令旨に呼応して挙兵し、韮山城の東側の山木判官邸を襲って、勝利した。つまり、韮山は、中世の武家政権、鎌倉幕府成立の揺籃の地なのである。<br><br>    室町時代の1493年、北条早雲(伊勢宗瑞)が伊豆討ち入ったが、堀越公方の足利茶々丸がいた堀越御所が守山の麓の願成就院にあった。もし約500年前のその時にここから眺めていたら、早雲の軍勢が守山の堀越御所を襲ったのが見えたかもしれない。<br>    かつては、この時が戦国の始まりとされていた。<br><br>    早雲が茶々丸を堀越御所から逐った後、韮山城を本拠地とした。後北条氏の本拠地が小田原に移ったのは、後北条氏2代の北条氏綱からで、早雲は生涯、韮山城が居城だった。ということは、早雲はかつてこの辺を日常的に歩き、ここから同じように韮山の地を眺めていたかもしれない。早雲亡き後も、韮山城は北条氏の伊豆支配の中心地として機能した。<br><br>    早雲の伊豆討ち入りから約100年後の天正18年(1590年)、豊臣秀吉による関東侵攻がはじまった。韮山城では、豊臣秀吉の4万4千余の大軍を相手に、後北条氏4代北条氏政の弟、北条氏規が3600の兵で3ヶ月間持ちこたえたという。しかし、北条方の有力な支城郡が落城し、後北条氏にとって絶望的な状況となったため、説得に応じて開城した。<br>    その豊臣政権も、秀吉の死後、関ヶ原の戦いと大阪の陣を経て、滅亡し、日本は徳川幕府による近世を迎える。<br><br>    このように、韮山は、東海道から奥まった土地であるにも関わらず、中世という時代の大舞台となった不思議な土地なのである。

作成日:2014/5/16 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 伊豆の国市

ノート【更新順】
・ 岡山県の没落武士
・ 江戸東京たてもの園を訪問
・ コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
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ノートまとめ【更新順】
・ 関ヶ原の戦いの動画
・ 淀川の城
・ 姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
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歴史年表【更新順】
・ 『おんな城主 直虎』年表
・ 花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
・ 歴史家・歴史小説家とその時代
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特集
・ 関ヶ原の戦い
・ 幕末維新
・ 文明論
・ 北条早雲
人物【更新順】
・ 子母澤寛
・ 周布政之助
・ 小田村伊之助
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出来事【更新順】
・ 新型コロナウィルス感染拡大に伴い、東京など7都道府県で非常事態宣言が発令
・ 中国の武漢で新型コロナウィルスが人に感染
・ 令和に改元決定
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世界史古代概論
・ 世界史古代概略
・ ローマと前漢、不思議な成立の符合
・ 古代の日本と西欧
戦国のはじまり
・ 早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
・ 応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
・ 北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
・ 2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
・ 歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
・ 大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
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