保元の乱、平治の乱を勝ち抜いた平清盛は絶大な権力者となり、平氏一門は栄耀栄華を得た。一方、平治の乱で敗れた源氏は衰退し、源頼朝は伊豆に流され、逼塞していた。平治の乱から20年以上経過した治承四年(1180年)、以仁王と源頼政が挙兵する。この挙兵は失敗に終わったが、以仁王の平氏打倒の令旨は各地の反平氏勢力に大義を与えた。
東国武士団を見方につけた源頼朝は本拠地を鎌倉に置き、源平合戦の間にも着実に東国政権の基盤を整えていく。
そして、頼朝の弟、源義経の活躍などもあり、一の谷、屋島、壇ノ浦で勝利した源氏は平氏を滅ぼし、本格的な武家政権が東国に誕生することになった。
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