西暦: 1835年 〜 1867年

読み: さかもと りょうま / Sakamoto Ryoma
別名: 坂本竜馬
地域: 日本

坂本龍馬

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グラフ: 「坂本龍馬」と同時代の人物

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グラフ: 「坂本龍馬」と同時代の出来事

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表: 「坂本龍馬」と同時代の人物

タレーラン 1754年 〜 1838年 ヨーロッパ
最上徳内 1755年 〜 1836年 日本
シャルル10世 1757年 〜 1836年 ヨーロッパ
葛飾北斎 1760年 〜 1849年 日本
谷文晁 1763年 〜 1840年 日本
曲亭馬琴(滝沢馬琴) 1767年 〜 1848年 日本
アンドリュー・ジャクソン 1767年 〜 1845年 北アメリカ
大蔵永常 1768年 〜 1860年 日本
ムハンマド・アリー 1769年 〜 1849年 地中海、西アジア
佐藤信淵 1769年 〜 1850年 日本
ロバート・オーウェン 1771年 〜 1858年 ヨーロッパ
フーリエ 1772年 〜 1837年 ヨーロッパ
徳川家斉 1773年 〜 1841年 日本
メッテルニヒ 1773年 〜 1859年 ヨーロッパ
オコンネル 1775年 〜 1847年 ヨーロッパ
間宮林蔵 1775年 〜 1844年 日本
平田篤胤 1776年 〜 1843年 日本
調所広郷 1776年 〜 1848年 日本
スティーブンソン 1781年 〜 1848年 ヨーロッパ
スタンダール 1783年 〜 1841年 ヨーロッパ
ビッドル 1783年 〜 1848年 日本
村田清風 1783年 〜 1855年 日本
林則徐 1785年 〜 1850年 東アジア
為永春水 1790年 〜 1843年 日本
渡辺崋山 1793年 〜 1841年 日本
大塩平八郎 1793年 〜 1837年 日本
徳川家慶 1793年 〜 1853年 日本
水野忠邦 1794年 〜 1851年 日本
ペリー 1794年 〜 1858年 北アメリカ
シーボルト 1796年 〜 1866年 日本
ニコライ1世 1796年 〜 1855年 ロシア
ハイネ 1797年 〜 1856年 ヨーロッパ
ヴィルヘルム1世 1797年 〜 1888年 ヨーロッパ
歌川広重 1797年 〜 1858年 日本
ドラクロワ 1798年 〜 1863年 ヨーロッパ
バルザック 1799年 〜 1850年 ヨーロッパ
徳川斉昭 1800年 〜 1860年 日本
フィルモア 1800年 〜 1874年 北アメリカ
生田万 1801年 〜 1837年 日本
江川太郎左衛門(江川英龍) 1801年 〜 1855年 日本
勝小吉 1802年 〜 1850年 日本
コブデン 1804年 〜 1865年 ヨーロッパ
ハリス 1804年 〜 1878年 日本
ディズレーリ 1804年 〜 1881年 ヨーロッパ
プチャーチン 1804年 〜 1883年 ロシア
高野長英 1804年 〜 1850年 日本
椋梨藤太 1805年 〜 1865年 日本
マッツィーニ 1805年 〜 1872年 ヨーロッパ
フアレス 1806年 〜 1872年 中南米
藤田東湖 1806年 〜 1855年 日本
ガリバルディ 1807年 〜 1882年 ヨーロッパ
ナポレオン3世(ルイ・ナポレオン) 1808年 〜 1873年 ヨーロッパ
ムラヴィヨフ 1809年 〜 1881年 ロシア
ロッシュ 1809年 〜 1901年 日本
プルードン 1809年 〜 1865年 ヨーロッパ
リンカーン 1809年 〜 1865年 北アメリカ
グラッドストーン 1809年 〜 1898年 ヨーロッパ
島津斉彬 1809年 〜 1858年 日本
カヴール 1810年 〜 1861年 ヨーロッパ
緒方洪庵 1810年 〜 1863年 日本
堀田正睦 1810年 〜 1864年 日本
ショパン 1810年 〜 1849年 ヨーロッパ
ブライト 1811年 〜 1889年 ヨーロッパ
ストウ夫人 1811年 〜 1896年 北アメリカ
曾国藩 1811年 〜 1872年 東アジア
ルイ・ブラン 1811年 〜 1882年 ヨーロッパ
佐久間象山 1811年 〜 1864年 日本
ワーグナー 1813年 〜 1883年 ヨーロッパ
リヴィングストン 1813年 〜 1873年 ヨーロッパ
洪秀全 1813年 〜 1864年 東アジア
鍋島直正 1814年 〜 1871年 日本
バクーニン 1814年 〜 1876年 ロシア
ローレンツ・フォン・シュタイン 1815年 〜 1890年 日本
井伊直弼 1815年 〜 1860年 日本
ビスマルク 1815年 〜 1898年 ヨーロッパ
永井尚志 1816年 〜 1891年 日本
グナイスト 1816年 〜 1895年 日本
島津久光 1817年 〜 1887年 日本
大久保忠寛 1817年 〜 1888年 日本
伊達宗城 1818年 〜 1892年 日本
岩瀬忠震 1818年 〜 1861年 日本
カール・マルクス 1818年 〜 1883年 ヨーロッパ
アレクサンドル2世 1818年 〜 1881年 ロシア
ビクトリア女王 1819年 〜 1901年 ヨーロッパ
毛利敬親 1819年 〜 1871年 日本
安藤正信 1819年 〜 1871年 日本
阿部正弘 1819年 〜 1857年 日本
ナイチンゲール 1820年 〜 1910年 ヨーロッパ
大院君 1820年 〜 1898年 東アジア
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 1820年 〜 1878年 ヨーロッパ
エンゲルス 1820年 〜 1895年 ヨーロッパ
宮部鼎蔵 1820年 〜 1864年 日本
ドフトエフスキー 1821年 〜 1881年 ロシア
シュリーマン 1822年 〜 1890年 ヨーロッパ
ミドハト・パシャ 1822年 〜 1884年 地中海、西アジア
ユリシーズ・グラント 1822年 〜 1885年 北アメリカ
周布政之助 1823年 〜 1864年 日本
勝海舟 1823年 〜 1899年 日本
アブデュル・メジト1世 1823年 〜 1861年 地中海、西アジア
李鴻章 1823年 〜 1901年 東アジア
大村益次郎 1824年 〜 1869年 日本
徳川家定 1824年 〜 1858年 日本
ボアソナード 1825年 〜 1910年 日本
岩倉具視 1825年 〜 1883年 日本
クラーク 1826年 〜 1886年 日本
芹沢鴨 1827年 〜 1863年 日本
小栗忠順 1827年 〜 1868年 日本
河井継之助 1827年 〜 1868年 日本
山内容堂 1827年 〜 1872年 日本
松平慶永 1828年 〜 1890年 日本
パークス 1828年 〜 1885年 日本
西郷隆盛 1828年 〜 1877年 日本
篠原泰之進 1828年 〜 1911年 日本
ジェロニモ 1829年 〜 1908年 北アメリカ
武市瑞山 1829年 〜 1865年 日本
小田村伊之助 1829年 〜 1912年 日本
大久保利通 1830年 〜 1878年 日本
吉田松陰 1830年 〜 1859年 日本
ポルフィリオ・ディアス 1830年 〜 1915年 中南米
孝明天皇 1831年 〜 1866年 日本
中村正直(中村敬宇) 1832年 〜 1891年 日本
寺島宗則 1832年 〜 1893年 日本
チャールズ・ゴードン 1833年 〜 1885年 ヨーロッパ
木戸孝允(桂小五郎) 1833年 〜 1877年 日本
江藤新平 1834年 〜 1874年 日本
福沢諭吉 1834年 〜 1901年 日本
近藤勇 1834年 〜 1868年 日本
岩崎弥太郎 1834年 〜 1885年 日本
松方正義 1834年 〜 1924年 日本
前原一誠 1834年 〜 1876年 日本
橋本左内 1834年 〜 1859年 日本
ロエスレル 1834年 〜 1894年 日本
土方歳三 1835年 〜 1869年 日本
坂本龍馬 1835年 〜 1867年 日本
五代友厚 1835年 〜 1885年 日本
井上馨 1835年 〜 1915年 日本
松平容保 1835年 〜 1893年 日本
三島通庸 1835年 〜 1888年 日本
西太后 1835年 〜 1908年 日本
前島密 1835年 〜 1919年 日本
アンドリュー・カーネギー 1835年 〜 1919年 北アメリカ
天璋院(篤姫) 1836年 〜 1883年 日本
ジョセフ・チェンバレン 1836年 〜 1914年 ヨーロッパ
榎本武揚 1836年 〜 1908年 日本
徳川慶喜 1837年 〜 1913年 日本
谷干城 1837年 〜 1911年 日本
板垣退助 1837年 〜 1919年 日本
入江九一 1837年 〜 1864年 日本
三条実美 1837年 〜 1891年 日本
ブーランジェ 1837年 〜 1891年 ヨーロッパ
児島惟謙 1837年 〜 1908年 日本
山県有朋 1838年 〜 1922年 日本
中岡慎太郎 1838年 〜 1867年 日本
後藤象二郎 1838年 〜 1897年 日本
大隈重信 1838年 〜 1922年 日本
アフガーニー 1838年 〜 1897年 地中海、西アジア
グラバー 1838年 〜 1911年 日本
高杉晋作 1839年 〜 1867年 日本
ジョン・ロックフェラー 1839年 〜 1937年 北アメリカ
黒田清隆 1840年 〜 1900年 日本
久坂玄瑞 1840年 〜 1864年 日本
渋沢栄一 1840年 〜 1931年 日本
福地源一郎 1841年 〜 1906年 日本
スタンリー 1841年 〜 1904年 ヨーロッパ
伊藤博文 1841年 〜 1909年 日本
田中正造 1841年 〜 1913年 日本
ウラービー(オラービー) 1841年 〜 1911年 地中海、西アジア
吉田稔麿 1841年 〜 1864年 日本
沖田総司 1842年 〜 1868年 日本
大山巌 1842年 〜 1916年 日本
アブデュル・ハミト2世 1842年 〜 1918年 地中海、西アジア
杉文 1843年 〜 1921年 日本
新島襄 1843年 〜 1890年 日本
尚泰 1843年 〜 1901年 日本
西郷従道 1843年 〜 1902年 日本
片岡健吉 1843年 〜 1903年 日本
大井憲太郎 1843年 〜 1922年 日本
井上毅 1843年 〜 1895年 日本
品川弥二郎 1843年 〜 1900年 日本
マッキンリー 1843年 〜 1901年 北アメリカ
山田顕義 1844年 〜 1892年 日本
青木周蔵 1844年 〜 1914年 日本
陸奥宗光 1844年 〜 1897年 日本
新島八重 1845年 〜 1932年 日本
アレクサンドル3世 1845年 〜 1894年 ロシア
徳川家茂(徳川慶福) 1846年 〜 1866年 日本
和宮 1846年 〜 1877年 日本
森有礼 1847年 〜 1889年 日本
桂太郎 1847年 〜 1913年 日本
中江兆民 1847年 〜 1901年 日本
トーマス・エジソン 1847年 〜 1931年 北アメリカ
ゴーギャン 1848年 〜 1903年 ヨーロッパ
東郷平八郎 1848年 〜 1934年 日本
河野広中 1849年 〜 1923年 日本
乃木稀典 1849年 〜 1912年 日本
ウィッテ 1849年 〜 1915年 ロシア
ベルツ 1849年 〜 1913年 日本
西園寺公望 1849年 〜 1940年 日本
星亨 1850年 〜 1901年 日本
閔妃(明成皇后) 1851年 〜 1895年 東アジア
金玉均 1851年 〜 1894年 東アジア
コンドル 1852年 〜 1920年 日本
明治天皇 1852年 〜 1912年 日本
寺内正毅 1852年 〜 1919年 日本
高宗(朝鮮) 1852年 〜 1919年 東アジア
児玉源太郎 1852年 〜 1906年 日本
ゴッホ 1853年 〜 1890年 ヨーロッパ
ラーマ5世(チャラロンコン) 1853年 〜 1910年 南アジア、東南アジア
セシル・ローズ 1853年 〜 1902年 ヨーロッパ
金子堅太郎 1853年 〜 1942年 日本
片山東熊 1854年 〜 1917年 日本
全琫準 1854年 〜 1895年 東アジア
高橋是清 1854年 〜 1936年 日本
小村寿太郎 1855年 〜 1911年 日本
犬養毅 1855年 〜 1932年 日本
ティラク 1856年 〜 1920年 南アジア、東南アジア
ウッドロー・ウィルソン 1856年 〜 1924年 北アメリカ
プレハーノフ 1856年 〜 1918年 ロシア
後藤新平 1857年 〜 1929年 日本
伊東巳代治 1857年 〜 1934年 日本
植木枝盛 1857年 〜 1892年 日本
康有為 1858年 〜 1927年 東アジア
尾崎行雄 1858年 〜 1954年 日本
セオドア・ルーズベルト 1858年 〜 1919年 北アメリカ
片山潜 1859年 〜 1933年 日本
袁世凱 1859年 〜 1916年 東アジア
秋山好古 1859年 〜 1930年 日本
ヴィルヘルム2世 1859年 〜 1941年 ヨーロッパ
木下尚江 1859年 〜 1937年 日本
加藤高明 1860年 〜 1926年 日本
ビゴー 1860年 〜 1927年 日本
内村鑑三 1861年 〜 1930年 日本
加藤友三郎 1861年 〜 1923年 日本
ホセ・リサール 1861年 〜 1896年 南アジア、東南アジア
ストルイピン 1862年 〜 1911年 ロシア
ロイド・ジョージ 1863年 〜 1945年 ヨーロッパ
田中義一 1864年 〜 1929年 日本
安部磯雄 1865年 〜 1949年 日本
内藤湖南 1866年 〜 1934年 日本
若槻礼次郎 1866年 〜 1949年 日本
孫文 1866年 〜 1925年 東アジア
正岡子規 1867年 〜 1902年 日本
ファン・ボイ・チャウ 1867年 〜 1940年 東アジア
豊田佐吉 1867年 〜 1930年 日本
夏目漱石 1867年 〜 1916年 日本
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表: 「坂本龍馬」と同時代の出来事

スタンダール 『赤と黒』 1830年 ヨーロッパ
オランダ、ジャワ島で強制栽培制度をはじめる 1830年 南アジア、東南アジア
仏、七月革命が起き、ルイ・フィリップによる七月王政が成立 1830年 ヨーロッパ
インディアン強制移住法 1830年 北アメリカ
葛飾北斎『富嶽三十六景』 1830年 日本
仏の七月革命が波及し、オランダからベルギー独立 1831年 ヨーロッパ
エジプト・トルコ戦争 1831年 〜 1840年 地中海、西アジア
歌川広重『東海道五十三次』 1832年 〜 1833年 日本
英、第1回選挙法改正 1832年 ヨーロッパ
英、工場法、制定される 1833年 ヨーロッパ
天保の飢饉 1833年 〜 1839年 日本
英、工場法制定 1833年 ヨーロッパ
英、奴隷制禁止 1833年 ヨーロッパ
ドイツ関税同盟、発足 1834年 ヨーロッパ
アラモの戦い 1836年 北アメリカ
テキサス独立戦争 1836年 北アメリカ
郡内一揆(郡内騒動) 1836年 日本
英、人民憲章、作成される 1837年 ヨーロッパ
大塩平八郎の乱 1837年 日本
モリソン号事件 1837年 日本
生田万の乱 1837年 日本
英、チャーティスト運動 1837年 〜 1858年 ヨーロッパ
村田清風、長州藩の改革に着手 1838年 日本
高野長英『戊戌夢物語』 1838年 日本
緒方洪庵、「適塾((適々斎塾)」をひらく 1838年 日本
渡辺崋山『慎機論』 1838年 日本
蛮社の獄 1839年 日本
アヘン戦争はじまる 1840年 〜 1842年 東アジア
「三方領知替え」問題起こる(翌年、撤回) 1840年 〜 1841年 日本
株仲間解散令 1841年 日本
天保の改革はじまる 1841年 〜 1843年 日本
南京条約(アヘン戦争の結果) 1842年 東アジア
薪水給与令 1842年 日本
上知令 1843年 日本
人返し令(人返しの法) 1843年 日本
大蔵永常『広益国産考』 1844年 日本
米、テキサス併合 1845年 北アメリカ
シク戦争 1845年 〜 1849年 南アジア、東南アジア
アメリカ・メキシコ戦争 1846年 〜 1848年 北アメリカ
ビッドル(米)、浦賀に来航 1846年 日本
英、穀物法廃止 1846年 ヨーロッパ
カリフォルニアで金鉱が発見され、ゴールドラッシュがはじまる 1848年 北アメリカ
米、カリフォルニアを獲得 1848年 北アメリカ
フランクフルト国民議会が開催される(独) 1848年 〜 1849年 ヨーロッパ
オーストリア・プロイセンで三月革命が発生 1848年 ヨーロッパ
1848年革命 1848年 ヨーロッパ
仏、二月革命が起き、第二共和政が成立 1848年 ヨーロッパ
バーブ教徒の乱 1848年 〜 1850年 地中海、西アジア
マルクス、エンゲルス『共産党宣言』 1848年 ヨーロッパ
英、航海法廃止 1849年 ヨーロッパ
佐賀藩(鍋島直正)、反射炉の建設に着工 1850年 日本
ストウ夫人 『アンクル・トムの小屋』 1851年 〜 1852年 北アメリカ
島津斉彬、薩摩藩主となり、殖産興業に取り組む 1851年 日本
ロンドン万国博覧会 1851年 ヨーロッパ
太平天国の乱はじまる 1851年 〜 1864年 東アジア
仏、ナポレオン3世による第二帝政はじまる 1852年 〜 1870年 ヨーロッパ
クリミア戦争 1853年 〜 1856年 ロシア
ペリー来航 1853年 日本
日米和親条約 1854年 日本
安政東海地震・安政南海地震 1854年 日本
カンザス・ネブラスカ法 1854年 北アメリカ
安政の江戸地震 1855年 日本
アレクサンドル2世、即位 1855年 〜 1881年 ロシア
アロー戦争 1856年 〜 1860年 東アジア
シパーヒーの反乱、はじまる 1857年 〜 1859年 南アジア、東南アジア
日米修好通商条約 1858年 日本
徳川家茂、第14代将軍に就任 1858年 日本
ムガル帝国、滅亡。英、インドを直接統治する。 1858年 南アジア、東南アジア
天津条約(1858年) 1858年 東アジア
仏越戦争、はじまる 1858年 〜 1862年 東アジア
安政の大獄 1858年 〜 1859年 日本
安政の五カ国条約 1858年 日本
アイグン条約 1858年 東アジア
外国との貿易、「はじまる 1859年 日本
ガリバルディ、両シチリア王国を征服。 1860年 ヨーロッパ
桜田門外の変 1860年 日本
五品江戸廻送令 1860年 日本
清、洋務運動はじまる 1860年 〜 1894年 東アジア
北京条約 1860年 東アジア
アレクサンドル2世(露)、農奴解放令を発布 1861年 ロシア
アメリカ南北戦争 1861年 〜 1865年 北アメリカ
西太后、実権を握る 1861年 東アジア
同治の中興 1861年 〜 1874年 東アジア
イタリア王国、成立 1861年 〜 1946年 ヨーロッパ
メキシコ内乱 1861年 〜 1867年 中南米
生麦事件 1862年 日本
ホームステッド法 1862年 北アメリカ
坂下門外の変 1862年 日本
和宮降嫁 1862年 日本
文久の改革 1862年 日本
ビスマルク、プロイセンの首相に就任 1862年 〜 1890年 ヨーロッパ
八月十八日の政変 1863年 日本
薩英戦争 1863年 日本
仏、カンボジアを保護国とする 1863年 南アジア、東南アジア
リンカーン、奴隷解放宣言 1863年 北アメリカ
池田屋事件 1864年 日本
禁門の変(蛤御門の変) 1864年 日本
第一インターナショナル結成 1864年 〜 1876年 ヨーロッパ
四国艦隊下関砲撃事件 1864年 日本
第1次長州征討 1864年 日本
江戸幕府、改税約書に調印 1866年 日本
薩長同盟 1866年 日本
ドフトエフスキー 『罪と罰』 1866年 ヨーロッパ
第2次長州征討 1866年 日本
普墺戦争 1866年 ヨーロッパ
王政復古の大号令 1867年 日本
「ええじゃないか」発生 1867年 日本
英、第2回選挙法改正 1867年 ヨーロッパ
大政奉還 1867年 日本
北ドイツ連邦、成立 1867年 〜 1871年 ヨーロッパ
オーストリア・ハンガリー二重帝国、成立 1867年 〜 1918年 ヨーロッパ
米、ロシアからアラスカを買収 1867年 北アメリカ
明治維新 1868年 日本
五箇条の御誓文 1868年 日本
戊辰戦争、はじまる 1868年 〜 1869年 日本
神仏分離令 1868年 日本
五榜の掲示 1868年 日本
長岡城の戦い 1868年 日本
鳥羽・伏見の戦い 1868年 日本
江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜が江戸城を退去する。同年、明治天皇が入城する。 1868年 日本
福沢諭吉、慶應義塾を設立 1868年 日本
アメリカ、大陸横断鉄道開通 1869年 北アメリカ
スエズ運河開通 1869年 地中海、西アジア
五稜郭、陥落 1869年 日本
版籍奉還 1869年 日本
大教宣布の詔、発布 1870年 日本
仏、第三共和政が成立 1870年 〜 1940年 ヨーロッパ
普仏戦争、はじまる 1870年 〜 1871年 ヨーロッパ
日清修好条規 1871年 日本
岩倉使節団、欧米に派遣される 1871年 〜 1873年 日本
郵便制度、発足 1871年 日本
廃藩置県 1871年 日本
ドイツ帝国成立 1871年 ヨーロッパ
新貨条例、公布 1871年 日本
パリ・コミューン、成立。同年、崩壊。 1871年 ヨーロッパ
スタンリー、リヴィングストンを救出 1871年 中南アフリカ
日本、琉球藩を設置 1872年 日本
富岡製糸場、開設 1872年 日本
学制、公布される 1872年 日本
徴兵告諭 1872年 日本
日本、太陽暦採用 1872年 日本
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「坂本龍馬」の関連ノート

【寺田屋にある坂本龍馬のことば】坂本龍馬のことば in 寺田屋

「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」

寺田屋にある坂本龍馬のことば

作成日:2014/12/21 , 地図あり, by rekius 開く

坂本龍馬 寺田屋 京都府 京都市

【伏見の寺田屋】坂本龍馬が頻繁に滞留し、また襲われた寺田屋(1866年、寺田屋事件)。

伏見は淀川水系の水運の要衝で、龍馬ら幕末の志士もここ伏見が活動の重要な拠点の1つだった。

伏見の寺田屋

作成日:2014/12/21 , 地図あり・方位あり・方位あり, by rekius 開く

幕末 坂本龍馬 寺田屋 京都府 京都市

【伏見の水路】坂本龍馬が頻繁に使った寺田屋。
その近くの伏見の水路。

伏見の水路

作成日:2014/12/21 , 地図あり・方位あり・方位あり, by rekius 開く

伏見 京都府 京都市

【さった峠の試練】<h2>静岡市街地を抜け、東海道を東へ</h2>
<p>安倍川餅を食べた後(「<a>安部川餅の誤算</a>」参照)、私は、八幡山、三保の松原、梅蔭禅寺を訪れ、静岡市街に別れを告げ、東海道を東に向かった。</p>
<p>そして、興津川を渡って、さった峠(薩蝓オ峠)の手前に来たときは、16時頃になっていた。</p>
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<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>興津川にかかる橋からさった山をのぞむ</em>
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<h2>さった峠を目指すことに</h2>
<p>国道1号線を走ると、すぐに通り抜けることができるのだが、あえて峠を越すことにした。 <br>というのは、この地は以前から気になる土地であり、機会があれば、行ってみたいと思っていた。</p>
<p>その理由は、近代以前、この峠は旅人にとって、通り抜けるのが厳しい難所であったこと、また、中世に2度大きな戦いがあり、古戦場でもある(*)こと。 <br>そして、司馬遼太郎 『箱根の坂』では、北条早雲が関東に行こうとしたところ、さった峠で盗賊に身包みを剥がされてしまい、これを機に北川殿(物語の中では、早雲の妹、史実では姉とされている)と浅間神社で再会する。これが早雲と駿河の強力な縁となる。その転換点として、さった峠が書かれていた。 <br>以上の点から、さった峠に興味を持っていたのである。</p>
<div><em>(*)南北朝の戦乱(観応の擾乱)では、1351年に足利尊氏の軍と足利直義(尊氏の弟)の軍が戦っている。 また、戦国時代には、1569年12月に武田信玄が駿河に侵攻したとき、信玄は今川氏真の軍をこの地で破った。その後、信玄は、今川勢の救援に来た後北条氏の軍と対陣したが、結局、勝負はつかず、信玄は興津川沿いに撤退した。</em></div>
<h2>警戒と郷土の誇り</h2>
<p>さて、さった峠を目指して、走り出した私は現地の案内板に沿って進んだ。しばらくすると、小さい子供が3人ほど遊んでおり、その傍には子供の母親と思しき若い女性が2人と年配の女性が2人ほどいて、おしゃべりをしていた。 <br>果たして自転車でさった峠を越せるのか、私は知らなかったので、奥様方に尋ねることにした。</p>
<p>「あのー、すみません。」 <br>少し不審さと恐れが混じった複雑な顔で私を見る。ブラブラしている男を警戒する、これが母性本能というものだろうか。 <br>「この自転車で、さった峠を越そうと思っているんですが、大丈夫でしょうか。」 <br>奥さんたちの顔が、パッと無邪気で明るい表情に変わる。危険な人間ではないことを確認した安堵と郷土の誇りをくすぐられた満足感からだろうか、表情が一変した。人間というのは、一瞬でよくもこれほど見事に顔の印象が変わるものだと私は感心した。</p>
<p>奥さんたちはしばし顔を見合わせて、 <br>「自転車で?」「どうだろう?」 という感じで、相談し始めた。<br>どうやら、こういう問いを尋ねられたことはないようだ。 <br>しばし相談したあと、年配の女性が 「大丈夫よ。若いんだから!」 ということで、結論が出たようだ。 <br>「そうですか。大丈夫ですかね。」</p>
<p>少し不安を抱きながら、若いんだから大丈夫という根拠で、私は峠を越すことになった。 <br>「この道を行けばいいんですか?」 <br>「そうそう。道沿いに行けば、分かると思うわよ。」 <br>「なるほど。ありがとうございました。」 <br>「じゃあ、がんばってね!」 <br>「はい、どうも。」 <br>ということで、道なりに進んだ。</p>
<h2>進む</h2>
<p>坂がきついところでは自転車を押して、平らなところでは自転車で走った。しばらくすると、急な坂があったので、自転車を押して登ると、行き止まりになっていた。</p>
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<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>急な坂を登って、振り返って撮った写真</em>
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<h2>原付のにいさんは撤退</h2>
<p>先に着いていた原付バイクのにいさんが案内板を食い入るように見ていた。何か重要なことが書いてあるのか、それにどうやって上に行くんだろうと思って、しばし、ぼんやりしていた。どうやら、原付のにいさんは諦めたらしく、元の道を戻っていった。</p>
<p>案内板を見ると、この道は明暦元年(1655年)に拓かれ、中の道という名であるという。<br>この道の他に、あと2つ道があったそうだ。 参考にはなったが、舗装路がここで終わっているため、これ以上、進めそうにない。迂回路があるかどうか知りたいのだが、そういう情報は何もなかった。だから、原付のにいさんも案内板の前で考え込んでいたようだ。</p>
<h2>農作業をしている夫婦</h2>
<p>どうしようかと考えていると、道の左奥に農作業をしている中年の夫婦(推定)がいることに気付いた。自転車を脇に置いて、彼らにさった峠に至る道を聞くことにした。</p>
<p>「あ、どうも、お仕事中すいません。」 <br>奥さんが顔をあげた。 <br>「あそこの自転車でここまで来たんですが、舗装路はここで終わってしまっているんですか。」 <br>「そうよ。」 <br>「自転車で峠を越したいんですが、自転車じゃ、無理ですかね。」<br> 奥さんは<br> 「お父さん!お父さん!」 <br>と旦那さんを呼んでくれた。</p>
<p>「なんだ」 <br>「自転車でさった峠に行きたいそうなんだけど、どうしたらいいかなあ。」 <br>「そうだな、ここはこれ以上行けないから、一旦戻って、迂回したらいいんじゃないか。」<br>「ええとね、この坂を下りて、右に行って・・・」 <br>と説明してくれるのだが、何せ不案内の土地なのでよく分からない。</p>
<p>弱ったなと思いながら、適当に相槌を打っていると、奥さんが 「それじゃ、分かりにくいわよ。自転車を持って、このまま行ったほうが早いじゃないの。」 <br>道は階段状に整備されているので、自転車を転がすことはできない。したがって、自転車を抱えて運ぶしかないのである。 <br>しばらく、夫婦で話が続いたが、どうやら奥さんのほうが気力が充実し、迫力があって、旦那さんを圧倒しつつあった。そして、ついに旦那さんは折れ、私は自転車を抱えて、中の道を進むことになった。</p>
<h2>森をのぞむ</h2>
<p>道は途中で森に入るので、道がその後どういう状況になっているのか、現在地からはよく分からない。<br> 「あの階段はどれくらい続くんですか?」<br> 「そうね。少しあるけど、大丈夫よ。若いんだから!」<br> またそれかと思いつつ、 <br>「なるほど。そうですか。ずっと続くわけじゃないんですね。階段が終わったら、平らな道なんですか。」<br> 「そうよ、コンクリートじゃないけど、自転車でも通れるわよ。」<br> 「なるほど」 <br>私は意を決して、階段に進むことにした。 <br>「どうもお邪魔して、すみませんでした。それじゃ、行ってきます。」 <br>「がんばってね!」 <br>ご夫婦に見送ってもらい、私は階段に向かった。</p>
<h2>きつい。。。</h2>
<p>階段の前まで自転車を押していった後、私は自転車を抱えて、階段を登り始めた。<br>はじめはあまり重さが気にならなかったが、しばらくすると、やはり重い。 <br>自転車の本体が13kg強あり、プラスパソコン入りの荷物もあるので、重量はおそらく18kgほどだろうと思う。梅雨時期ということもあり、水は2リットル入りのペットボトルをを買っており、まだ、なみなみと残っている。 <br>また、断続的に続く雨の影響で、足元が緩く歩きづらいことに加えて、(おそらく)梅の実が落ちて、滑りやすい枯葉とブレンドされている。その腐敗した甘く微妙なにおいが辺りにたち込めて、私の呼吸を苦しめた。 <br>若いから大丈夫というのは、やはり若者の体力がないと無理な道だったんだとはっきり体で悟りながらも、とにかく今は登りきる以外に道はない。手が痺れる。自転車を右手から左手に持ち替えるが、すぐにきつくなってくる。一度自転車を地面に置くと、もう持ち上げられない気がした。出口はまだか。私は暗い森の中を力を尽くして歩いた。</p>
<h2>駿河湾</h2>
<p>ようやく階段が終った時には汗だく状態だった。自転車を置き、視線を上げると、目の前に駿河湾が広がっていた。いい眺めだ。息を弾ませながら、この苦役は報われたと思った。やはり、海というのは広大でいいものだ。何というか、息がスッーと通るのである。</p>
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<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>さった峠の石碑の辺りから駿河湾をのぞむ</em>
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<h2>広重の「絵」</h2>
<p>しばらく、道なりに歩いていくと、何か見たことのある風景であることに気付いた。そう、歌川広重の東海道五十三次でお馴染みの風景である。そこには、さった峠の石碑や案内板が立っていた。同じところに、長いすがあったので、座って一休みすることにした。</p>
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<div><em>2010年6月28日撮影</em></div>
<div><em>さった峠の石碑</em></div>
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<em>2010年6月28日撮影</em> <br>さった峠の石碑の場所からもう少し進むと、木製の展望台があり、歌川広重が描いたお馴染みの風景が広がる。そこで、さった峠から富士山をのぞむことができる。が、梅雨時期ということもあってか、残念ながら、富士山を拝むことはできなかった。</div>
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<h2>旅人や志士たちも歩いた道</h2>
<p>この道は江戸初期に開通したので、坂本龍馬や西郷隆盛といった明治維新の志士たちも通ったことだろう。 <br>また、中世の二度のいくさのこと、そして、早雲が盗賊に襲われ、身包み剥がされて、さった山をトボトボと興津方面に下りていく様子といった幻影を心で描きながら、ぼんやりしていた。</p>
<h2>結論</h2>
<p>その後、さらに道なりに進むと、問題なく迂回路からの合流地点に出て、さらに行くと由比に至った。</p>
<p>ということなので、もし皆さんが自転車でさった峠の中の道に来るときは、由比(東京方面)から来たほうがよいだろう。そして、石碑を見たら、引き返して、迂回路か国道を通るのである。決して、(特に梅雨時期に)階段に挑んだりしないようにしていただきたい。思い出作りに敢えて通りたいという人を私は止めはしないが。。。</p>
<p>(終)</p>

さった峠の試練

作成日:2014/6/23 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

さった峠 フィールドをゆく

宝福寺。<br><br>日米和親条約(1854年)の時に、下田奉行所が置かれていた。なお、下田奉行所は何度か場所を変えているので、下田に数か所、下田奉行所跡がある。<br><br>唐人お吉の菩提所でもある。<br><br>文久3年(1863年)1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂を、勝海舟が訪ね、坂本龍馬の脱藩の罪を解くように頼み、許された。

作成日:2014/5/16 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 下田市

勝海舟は、幕末から維新直後まで(1859−68年)、赤坂のこの地に住んだ(海舟は赤坂で3度住居を変えている)。左手の植え込みに木製標柱が、その下に説明プレートがある。<br><br>150年頃前の幕末期には、坂本龍馬など幕府海軍系の門下生や幕府高官なども多数訪れたことだろう。<br><br>江戸城無血開城後に、官軍に海舟邸が包囲されたが、この時の住居もここだった。

作成日:2014/5/16 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

勝海舟 東京都 港区

宝福寺。<br><br>日米和親条約(1854年)の時に、下田奉行所が置かれていた。なお、下田奉行所は何度か場所を変えているので、下田に数か所、下田奉行所跡がある。<br><br>唐人お吉の菩提所でもある。<br><br>文久3年(1863年)1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂を、勝海舟が訪ね、坂本龍馬の脱藩の罪を解くように頼み、許された。

作成日:2014/5/16 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

勝海舟 静岡県 下田市

【勝海舟】勝海舟は、幕末から維新直後まで、赤坂のこの地に住んだ(海舟は赤坂で3度住居を変えている)。左手の植え込みに木製標柱が、その下に説明プレートがある。<br>150年頃前の幕末期には、坂本龍馬など幕府海軍系の門下生や幕府高官なども多数訪れたことだろう。<br><br>江戸城無血開城後に、官軍に海舟邸が包囲されたが、この時の住居もここだった。

作成日:2014/5/16 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

東京都 港区

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