西暦: 1835年 〜 1869年

地域: 日本

土方歳三

関連情報: Wikipediaツイート で「土方歳三」を調べる

関連する歴史年表: 新選組


グラフと表の条件設定
項目の重要度と地域で以下のグラフと表に出力するデータ数を絞り込むことができます。
重要度 :   すべて  重要  重要+普通
地域 :   すべて  日本  欧米  東アジア  西アジア

グラフ: 「土方歳三」と同時代の人物

項目メニューに戻る

グラフ: 「土方歳三」と同時代の出来事

項目メニューに戻る

表: 「土方歳三」と同時代の人物

タレーラン 1754年 〜 1838年 ヨーロッパ
最上徳内 1755年 〜 1836年 日本
シャルル10世 1757年 〜 1836年 ヨーロッパ
葛飾北斎 1760年 〜 1849年 日本
谷文晁 1763年 〜 1840年 日本
アンドリュー・ジャクソン 1767年 〜 1845年 北アメリカ
曲亭馬琴(滝沢馬琴) 1767年 〜 1848年 日本
大蔵永常 1768年 〜 1860年 日本
佐藤信淵 1769年 〜 1850年 日本
ムハンマド・アリー 1769年 〜 1849年 地中海、西アジア
ロバート・オーウェン 1771年 〜 1858年 ヨーロッパ
フーリエ 1772年 〜 1837年 ヨーロッパ
メッテルニヒ 1773年 〜 1859年 ヨーロッパ
徳川家斉 1773年 〜 1841年 日本
オコンネル 1775年 〜 1847年 ヨーロッパ
間宮林蔵 1775年 〜 1844年 日本
平田篤胤 1776年 〜 1843年 日本
調所広郷 1776年 〜 1848年 日本
スティーブンソン 1781年 〜 1848年 ヨーロッパ
スタンダール 1783年 〜 1841年 ヨーロッパ
ビッドル 1783年 〜 1848年 日本
村田清風 1783年 〜 1855年 日本
林則徐 1785年 〜 1850年 東アジア
為永春水 1790年 〜 1843年 日本
徳川家慶 1793年 〜 1853年 日本
大塩平八郎 1793年 〜 1837年 日本
渡辺崋山 1793年 〜 1841年 日本
水野忠邦 1794年 〜 1851年 日本
ペリー 1794年 〜 1858年 北アメリカ
シーボルト 1796年 〜 1866年 日本
ニコライ1世 1796年 〜 1855年 ロシア
歌川広重 1797年 〜 1858年 日本
ハイネ 1797年 〜 1856年 ヨーロッパ
ヴィルヘルム1世 1797年 〜 1888年 ヨーロッパ
ドラクロワ 1798年 〜 1863年 ヨーロッパ
バルザック 1799年 〜 1850年 ヨーロッパ
徳川斉昭 1800年 〜 1860年 日本
フィルモア 1800年 〜 1874年 北アメリカ
江川太郎左衛門(江川英龍) 1801年 〜 1855年 日本
生田万 1801年 〜 1837年 日本
勝小吉 1802年 〜 1850年 日本
プチャーチン 1804年 〜 1883年 ロシア
高野長英 1804年 〜 1850年 日本
ハリス 1804年 〜 1878年 日本
ディズレーリ 1804年 〜 1881年 ヨーロッパ
コブデン 1804年 〜 1865年 ヨーロッパ
マッツィーニ 1805年 〜 1872年 ヨーロッパ
椋梨藤太 1805年 〜 1865年 日本
藤田東湖 1806年 〜 1855年 日本
フアレス 1806年 〜 1872年 中南米
ガリバルディ 1807年 〜 1882年 ヨーロッパ
ナポレオン3世(ルイ・ナポレオン) 1808年 〜 1873年 ヨーロッパ
グラッドストーン 1809年 〜 1898年 ヨーロッパ
ムラヴィヨフ 1809年 〜 1881年 ロシア
プルードン 1809年 〜 1865年 ヨーロッパ
リンカーン 1809年 〜 1865年 北アメリカ
島津斉彬 1809年 〜 1858年 日本
ロッシュ 1809年 〜 1901年 日本
堀田正睦 1810年 〜 1864年 日本
緒方洪庵 1810年 〜 1863年 日本
カヴール 1810年 〜 1861年 ヨーロッパ
ショパン 1810年 〜 1849年 ヨーロッパ
ルイ・ブラン 1811年 〜 1882年 ヨーロッパ
曾国藩 1811年 〜 1872年 東アジア
ブライト 1811年 〜 1889年 ヨーロッパ
佐久間象山 1811年 〜 1864年 日本
ストウ夫人 1811年 〜 1896年 北アメリカ
ワーグナー 1813年 〜 1883年 ヨーロッパ
リヴィングストン 1813年 〜 1873年 ヨーロッパ
洪秀全 1813年 〜 1864年 東アジア
鍋島直正 1814年 〜 1871年 日本
バクーニン 1814年 〜 1876年 ロシア
井伊直弼 1815年 〜 1860年 日本
ローレンツ・フォン・シュタイン 1815年 〜 1890年 日本
ビスマルク 1815年 〜 1898年 ヨーロッパ
永井尚志 1816年 〜 1891年 日本
グナイスト 1816年 〜 1895年 日本
島津久光 1817年 〜 1887年 日本
大久保忠寛 1817年 〜 1888年 日本
カール・マルクス 1818年 〜 1883年 ヨーロッパ
伊達宗城 1818年 〜 1892年 日本
岩瀬忠震 1818年 〜 1861年 日本
アレクサンドル2世 1818年 〜 1881年 ロシア
毛利敬親 1819年 〜 1871年 日本
安藤正信 1819年 〜 1871年 日本
阿部正弘 1819年 〜 1857年 日本
ビクトリア女王 1819年 〜 1901年 ヨーロッパ
大院君 1820年 〜 1898年 東アジア
エンゲルス 1820年 〜 1895年 ヨーロッパ
宮部鼎蔵 1820年 〜 1864年 日本
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 1820年 〜 1878年 ヨーロッパ
ナイチンゲール 1820年 〜 1910年 ヨーロッパ
ドフトエフスキー 1821年 〜 1881年 ロシア
ミドハト・パシャ 1822年 〜 1884年 地中海、西アジア
シュリーマン 1822年 〜 1890年 ヨーロッパ
ユリシーズ・グラント 1822年 〜 1885年 北アメリカ
周布政之助 1823年 〜 1864年 日本
勝海舟 1823年 〜 1899年 日本
アブデュル・メジト1世 1823年 〜 1861年 地中海、西アジア
李鴻章 1823年 〜 1901年 東アジア
大村益次郎 1824年 〜 1869年 日本
徳川家定 1824年 〜 1858年 日本
岩倉具視 1825年 〜 1883年 日本
ボアソナード 1825年 〜 1910年 日本
クラーク 1826年 〜 1886年 日本
芹沢鴨 1827年 〜 1863年 日本
小栗忠順 1827年 〜 1868年 日本
河井継之助 1827年 〜 1868年 日本
山内容堂 1827年 〜 1872年 日本
松平慶永 1828年 〜 1890年 日本
パークス 1828年 〜 1885年 日本
西郷隆盛 1828年 〜 1877年 日本
篠原泰之進 1828年 〜 1911年 日本
小田村伊之助 1829年 〜 1912年 日本
武市瑞山 1829年 〜 1865年 日本
ジェロニモ 1829年 〜 1908年 北アメリカ
ポルフィリオ・ディアス 1830年 〜 1915年 中南米
吉田松陰 1830年 〜 1859年 日本
大久保利通 1830年 〜 1878年 日本
孝明天皇 1831年 〜 1866年 日本
中村正直(中村敬宇) 1832年 〜 1891年 日本
寺島宗則 1832年 〜 1893年 日本
木戸孝允(桂小五郎) 1833年 〜 1877年 日本
チャールズ・ゴードン 1833年 〜 1885年 ヨーロッパ
松方正義 1834年 〜 1924年 日本
前原一誠 1834年 〜 1876年 日本
岩崎弥太郎 1834年 〜 1885年 日本
江藤新平 1834年 〜 1874年 日本
近藤勇 1834年 〜 1868年 日本
ロエスレル 1834年 〜 1894年 日本
橋本左内 1834年 〜 1859年 日本
福沢諭吉 1834年 〜 1901年 日本
前島密 1835年 〜 1919年 日本
松平容保 1835年 〜 1893年 日本
西太后 1835年 〜 1908年 日本
土方歳三 1835年 〜 1869年 日本
井上馨 1835年 〜 1915年 日本
五代友厚 1835年 〜 1885年 日本
三島通庸 1835年 〜 1888年 日本
アンドリュー・カーネギー 1835年 〜 1919年 北アメリカ
坂本龍馬 1835年 〜 1867年 日本
榎本武揚 1836年 〜 1908年 日本
ジョセフ・チェンバレン 1836年 〜 1914年 ヨーロッパ
天璋院(篤姫) 1836年 〜 1883年 日本
三条実美 1837年 〜 1891年 日本
徳川慶喜 1837年 〜 1913年 日本
板垣退助 1837年 〜 1919年 日本
ブーランジェ 1837年 〜 1891年 ヨーロッパ
入江九一 1837年 〜 1864年 日本
児島惟謙 1837年 〜 1908年 日本
谷干城 1837年 〜 1911年 日本
グラバー 1838年 〜 1911年 日本
大隈重信 1838年 〜 1922年 日本
後藤象二郎 1838年 〜 1897年 日本
山県有朋 1838年 〜 1922年 日本
中岡慎太郎 1838年 〜 1867年 日本
アフガーニー 1838年 〜 1897年 地中海、西アジア
高杉晋作 1839年 〜 1867年 日本
ジョン・ロックフェラー 1839年 〜 1937年 北アメリカ
渋沢栄一 1840年 〜 1931年 日本
黒田清隆 1840年 〜 1900年 日本
久坂玄瑞 1840年 〜 1864年 日本
ウラービー(オラービー) 1841年 〜 1911年 地中海、西アジア
スタンリー 1841年 〜 1904年 ヨーロッパ
福地源一郎 1841年 〜 1906年 日本
田中正造 1841年 〜 1913年 日本
吉田稔麿 1841年 〜 1864年 日本
伊藤博文 1841年 〜 1909年 日本
大山巌 1842年 〜 1916年 日本
アブデュル・ハミト2世 1842年 〜 1918年 地中海、西アジア
沖田総司 1842年 〜 1868年 日本
尚泰 1843年 〜 1901年 日本
新島襄 1843年 〜 1890年 日本
西郷従道 1843年 〜 1902年 日本
片岡健吉 1843年 〜 1903年 日本
大井憲太郎 1843年 〜 1922年 日本
井上毅 1843年 〜 1895年 日本
品川弥二郎 1843年 〜 1900年 日本
マッキンリー 1843年 〜 1901年 北アメリカ
杉文 1843年 〜 1921年 日本
陸奥宗光 1844年 〜 1897年 日本
青木周蔵 1844年 〜 1914年 日本
山田顕義 1844年 〜 1892年 日本
アレクサンドル3世 1845年 〜 1894年 ロシア
新島八重 1845年 〜 1932年 日本
徳川家茂(徳川慶福) 1846年 〜 1866年 日本
和宮 1846年 〜 1877年 日本
トーマス・エジソン 1847年 〜 1931年 北アメリカ
桂太郎 1847年 〜 1913年 日本
森有礼 1847年 〜 1889年 日本
中江兆民 1847年 〜 1901年 日本
ゴーギャン 1848年 〜 1903年 ヨーロッパ
東郷平八郎 1848年 〜 1934年 日本
河野広中 1849年 〜 1923年 日本
ベルツ 1849年 〜 1913年 日本
ウィッテ 1849年 〜 1915年 ロシア
乃木稀典 1849年 〜 1912年 日本
西園寺公望 1849年 〜 1940年 日本
星亨 1850年 〜 1901年 日本
金玉均 1851年 〜 1894年 東アジア
閔妃(明成皇后) 1851年 〜 1895年 東アジア
コンドル 1852年 〜 1920年 日本
寺内正毅 1852年 〜 1919年 日本
児玉源太郎 1852年 〜 1906年 日本
明治天皇 1852年 〜 1912年 日本
高宗(朝鮮) 1852年 〜 1919年 東アジア
ゴッホ 1853年 〜 1890年 ヨーロッパ
セシル・ローズ 1853年 〜 1902年 ヨーロッパ
金子堅太郎 1853年 〜 1942年 日本
ラーマ5世(チャラロンコン) 1853年 〜 1910年 南アジア、東南アジア
片山東熊 1854年 〜 1917年 日本
全琫準 1854年 〜 1895年 東アジア
高橋是清 1854年 〜 1936年 日本
犬養毅 1855年 〜 1932年 日本
小村寿太郎 1855年 〜 1911年 日本
プレハーノフ 1856年 〜 1918年 ロシア
ティラク 1856年 〜 1920年 南アジア、東南アジア
ウッドロー・ウィルソン 1856年 〜 1924年 北アメリカ
伊東巳代治 1857年 〜 1934年 日本
後藤新平 1857年 〜 1929年 日本
植木枝盛 1857年 〜 1892年 日本
康有為 1858年 〜 1927年 東アジア
尾崎行雄 1858年 〜 1954年 日本
セオドア・ルーズベルト 1858年 〜 1919年 北アメリカ
秋山好古 1859年 〜 1930年 日本
片山潜 1859年 〜 1933年 日本
木下尚江 1859年 〜 1937年 日本
ヴィルヘルム2世 1859年 〜 1941年 ヨーロッパ
袁世凱 1859年 〜 1916年 東アジア
ビゴー 1860年 〜 1927年 日本
加藤高明 1860年 〜 1926年 日本
内村鑑三 1861年 〜 1930年 日本
加藤友三郎 1861年 〜 1923年 日本
ホセ・リサール 1861年 〜 1896年 南アジア、東南アジア
ストルイピン 1862年 〜 1911年 ロシア
ロイド・ジョージ 1863年 〜 1945年 ヨーロッパ
田中義一 1864年 〜 1929年 日本
安部磯雄 1865年 〜 1949年 日本
若槻礼次郎 1866年 〜 1949年 日本
内藤湖南 1866年 〜 1934年 日本
孫文 1866年 〜 1925年 東アジア
ファン・ボイ・チャウ 1867年 〜 1940年 東アジア
豊田佐吉 1867年 〜 1930年 日本
正岡子規 1867年 〜 1902年 日本
夏目漱石 1867年 〜 1916年 日本
秋山真之 1868年 〜 1918年 日本
ニコライ2世 1868年 〜 1918年 ロシア
高野房太郎 1868年 〜 1904年 日本
ネヴィル・チェンバレン 1869年 〜 1940年 ヨーロッパ
マハトマ・ガンジー 1869年 〜 1948年 南アジア、東南アジア
井上準之助 1869年 〜 1932年 日本
アギナルド 1869年 〜 1964年 南アジア、東南アジア
項目メニューに戻る

表: 「土方歳三」と同時代の出来事

スタンダール 『赤と黒』 1830年 ヨーロッパ
葛飾北斎『富嶽三十六景』 1830年 日本
オランダ、ジャワ島で強制栽培制度をはじめる 1830年 南アジア、東南アジア
インディアン強制移住法 1830年 北アメリカ
仏、七月革命が起き、ルイ・フィリップによる七月王政が成立 1830年 ヨーロッパ
エジプト・トルコ戦争 1831年 〜 1840年 地中海、西アジア
仏の七月革命が波及し、オランダからベルギー独立 1831年 ヨーロッパ
英、第1回選挙法改正 1832年 ヨーロッパ
歌川広重『東海道五十三次』 1832年 〜 1833年 日本
英、奴隷制禁止 1833年 ヨーロッパ
英、工場法制定 1833年 ヨーロッパ
天保の飢饉 1833年 〜 1839年 日本
英、工場法、制定される 1833年 ヨーロッパ
ドイツ関税同盟、発足 1834年 ヨーロッパ
郡内一揆(郡内騒動) 1836年 日本
アラモの戦い 1836年 北アメリカ
テキサス独立戦争 1836年 北アメリカ
大塩平八郎の乱 1837年 日本
英、チャーティスト運動 1837年 〜 1858年 ヨーロッパ
英、人民憲章、作成される 1837年 ヨーロッパ
生田万の乱 1837年 日本
モリソン号事件 1837年 日本
村田清風、長州藩の改革に着手 1838年 日本
緒方洪庵、「適塾((適々斎塾)」をひらく 1838年 日本
高野長英『戊戌夢物語』 1838年 日本
渡辺崋山『慎機論』 1838年 日本
蛮社の獄 1839年 日本
アヘン戦争はじまる 1840年 〜 1842年 東アジア
「三方領知替え」問題起こる(翌年、撤回) 1840年 〜 1841年 日本
株仲間解散令 1841年 日本
天保の改革はじまる 1841年 〜 1843年 日本
薪水給与令 1842年 日本
南京条約(アヘン戦争の結果) 1842年 東アジア
上知令 1843年 日本
人返し令(人返しの法) 1843年 日本
大蔵永常『広益国産考』 1844年 日本
米、テキサス併合 1845年 北アメリカ
シク戦争 1845年 〜 1849年 南アジア、東南アジア
英、穀物法廃止 1846年 ヨーロッパ
ビッドル(米)、浦賀に来航 1846年 日本
アメリカ・メキシコ戦争 1846年 〜 1848年 北アメリカ
カリフォルニアで金鉱が発見され、ゴールドラッシュがはじまる 1848年 北アメリカ
フランクフルト国民議会が開催される(独) 1848年 〜 1849年 ヨーロッパ
バーブ教徒の乱 1848年 〜 1850年 地中海、西アジア
米、カリフォルニアを獲得 1848年 北アメリカ
1848年革命 1848年 ヨーロッパ
オーストリア・プロイセンで三月革命が発生 1848年 ヨーロッパ
マルクス、エンゲルス『共産党宣言』 1848年 ヨーロッパ
仏、二月革命が起き、第二共和政が成立 1848年 ヨーロッパ
英、航海法廃止 1849年 ヨーロッパ
佐賀藩(鍋島直正)、反射炉の建設に着工 1850年 日本
ストウ夫人 『アンクル・トムの小屋』 1851年 〜 1852年 北アメリカ
太平天国の乱はじまる 1851年 〜 1864年 東アジア
島津斉彬、薩摩藩主となり、殖産興業に取り組む 1851年 日本
ロンドン万国博覧会 1851年 ヨーロッパ
仏、ナポレオン3世による第二帝政はじまる 1852年 〜 1870年 ヨーロッパ
クリミア戦争 1853年 〜 1856年 ロシア
ペリー来航 1853年 日本
カンザス・ネブラスカ法 1854年 北アメリカ
日米和親条約 1854年 日本
安政東海地震・安政南海地震 1854年 日本
安政の江戸地震 1855年 日本
アレクサンドル2世、即位 1855年 〜 1881年 ロシア
アロー戦争 1856年 〜 1860年 東アジア
シパーヒーの反乱、はじまる 1857年 〜 1859年 南アジア、東南アジア
徳川家茂、第14代将軍に就任 1858年 日本
日米修好通商条約 1858年 日本
ムガル帝国、滅亡。英、インドを直接統治する。 1858年 南アジア、東南アジア
仏越戦争、はじまる 1858年 〜 1862年 東アジア
アイグン条約 1858年 東アジア
安政の五カ国条約 1858年 日本
安政の大獄 1858年 〜 1859年 日本
天津条約(1858年) 1858年 東アジア
外国との貿易、「はじまる 1859年 日本
五品江戸廻送令 1860年 日本
ガリバルディ、両シチリア王国を征服。 1860年 ヨーロッパ
桜田門外の変 1860年 日本
北京条約 1860年 東アジア
清、洋務運動はじまる 1860年 〜 1894年 東アジア
イタリア王国、成立 1861年 〜 1946年 ヨーロッパ
アメリカ南北戦争 1861年 〜 1865年 北アメリカ
同治の中興 1861年 〜 1874年 東アジア
アレクサンドル2世(露)、農奴解放令を発布 1861年 ロシア
メキシコ内乱 1861年 〜 1867年 中南米
西太后、実権を握る 1861年 東アジア
文久の改革 1862年 日本
ホームステッド法 1862年 北アメリカ
ビスマルク、プロイセンの首相に就任 1862年 〜 1890年 ヨーロッパ
生麦事件 1862年 日本
坂下門外の変 1862年 日本
和宮降嫁 1862年 日本
八月十八日の政変 1863年 日本
薩英戦争 1863年 日本
仏、カンボジアを保護国とする 1863年 南アジア、東南アジア
リンカーン、奴隷解放宣言 1863年 北アメリカ
禁門の変(蛤御門の変) 1864年 日本
四国艦隊下関砲撃事件 1864年 日本
第1次長州征討 1864年 日本
池田屋事件 1864年 日本
第一インターナショナル結成 1864年 〜 1876年 ヨーロッパ
ドフトエフスキー 『罪と罰』 1866年 ヨーロッパ
普墺戦争 1866年 ヨーロッパ
第2次長州征討 1866年 日本
江戸幕府、改税約書に調印 1866年 日本
薩長同盟 1866年 日本
「ええじゃないか」発生 1867年 日本
大政奉還 1867年 日本
英、第2回選挙法改正 1867年 ヨーロッパ
北ドイツ連邦、成立 1867年 〜 1871年 ヨーロッパ
オーストリア・ハンガリー二重帝国、成立 1867年 〜 1918年 ヨーロッパ
米、ロシアからアラスカを買収 1867年 北アメリカ
王政復古の大号令 1867年 日本
鳥羽・伏見の戦い 1868年 日本
長岡城の戦い 1868年 日本
福沢諭吉、慶應義塾を設立 1868年 日本
戊辰戦争、はじまる 1868年 〜 1869年 日本
神仏分離令 1868年 日本
明治維新 1868年 日本
江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜が江戸城を退去する。同年、明治天皇が入城する。 1868年 日本
五榜の掲示 1868年 日本
五箇条の御誓文 1868年 日本
アメリカ、大陸横断鉄道開通 1869年 北アメリカ
スエズ運河開通 1869年 地中海、西アジア
五稜郭、陥落 1869年 日本
版籍奉還 1869年 日本
仏、第三共和政が成立 1870年 〜 1940年 ヨーロッパ
大教宣布の詔、発布 1870年 日本
普仏戦争、はじまる 1870年 〜 1871年 ヨーロッパ
スタンリー、リヴィングストンを救出 1871年 中南アフリカ
新貨条例、公布 1871年 日本
日清修好条規 1871年 日本
郵便制度、発足 1871年 日本
岩倉使節団、欧米に派遣される 1871年 〜 1873年 日本
廃藩置県 1871年 日本
ドイツ帝国成立 1871年 ヨーロッパ
パリ・コミューン、成立。同年、崩壊。 1871年 ヨーロッパ
学制、公布される 1872年 日本
徴兵告諭 1872年 日本
日本、琉球藩を設置 1872年 日本
日本、太陽暦採用 1872年 日本
富岡製糸場、開設 1872年 日本
三帝同盟(独、露、オーストリア) 1873年 ヨーロッパ
森有礼・福沢諭吉ら、明六社を設立 1873年 〜 1879年 日本
キリスト教禁止の高札、撤去される 1873年 日本
明治六年の政変 1873年 日本
血税一揆 1873年 日本
地租改正 1873年 日本
徴兵令 1873年 日本
内務省、設置 1873年 日本
警視庁、設置 1874年 日本
佐賀の乱 1874年 日本
台湾出兵 1874年 日本
立志社、設立 1874年 日本
項目メニューに戻る

関連情報: Wikipediaツイート で「土方歳三」を調べる

「土方歳三」の関連ノート

【府中高札場】江戸時代、甲州街道と府中街道の交差点に府中高札場があった。この辺りが府中宿の中心地だったらしい。

大國魂神社のくらやみ祭は、土方歳三が主人公の『燃えよ剣』(司馬遼太郎)で登場する。
ここから少し南に行くと多摩川。多摩川は大河で、強力な防御線になり得るので、中世に2度大きな戦いがあった。

府中高札場

作成日:2015/6/3 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

土方歳三 司馬遼太郎

【板橋の近藤勇の墓】鳥羽・伏見の戦いで敗れ、近藤勇ら新選組は江戸に戻った。その後、近藤は甲陽鎮撫隊を組織して甲府占領を目論んだが、新政府軍に敗れた。

下総流山で新政府軍に包囲されて捕縛。板橋まで連行されて、板橋刑場で処刑された。

近藤勇・土方歳三らこの墓は、新選組幹部の永倉新八が発起人となり、整備したものとのこと。

板橋の近藤勇の墓

作成日:2014/12/24 , 地図あり・方位あり・方位あり, by rekius 開く

近藤勇 新選組 東京都 北区

【立河原の戦いー伊東潤 『疾き雲のごとく 』ー】<h2>立河原の戦いとその後</h2>
<p>今回のテーマは「<strong>立河原の戦い</strong>」である。</p>
<p>永正元年(1504年)、古河公方、足利政氏を擁する山内上杉顕定の軍勢と扇谷上杉朝良・今川氏親・北条早雲の連合軍が、多摩川と浅川の合流点である立河原で戦った。この戦いを立河原の戦いという。 <br>合戦の結果は、扇谷上杉氏・今川氏親・北条早雲の連合軍が大勝だったものの、その後、越後から越後上杉氏の援軍(越後守護は山内上杉顕定の実弟、上杉房能)が到着し、翌年(1505年)、扇谷上杉朝良は山内上杉顕定に降伏する。その結果、20年弱続いた両上杉氏の対立(長享の乱)は山内上杉氏の勝利で終結した。</p>
<h2>立河原の戦いと関連人物</h2>
<div> </div>
<h2>第5話「稀なる人」で出てくる土地をめぐる</h2>
<p><strong>伊東潤 『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』</strong>の第5話「稀なる人」では、立河原の戦いが扱われている。そこで、この話に出てくる土地をまわることにした。 <br>小説では、枡形山城→高幡城→普済寺という流れで話が進むが、その流れで走ると、ダラダラとした上り坂をひたすら登ることになる。 <br>私は、以前、古河城→小山城→結城城を巡った時に、同じくダラダラ続く登り道に苦しめられた。ゆえに、不本意ではあるが、ダラダラ上り坂は避けて、下り坂を選んだのである。</p>
<h2>出発、電車で立川駅へ</h2>
<p>さて、自宅を発して、東京駅に着いたのが午前7時、電車に乗り、普済寺近郊にある立川駅に8時過ぎに到着した。立川駅を出て、さっさと折りたたみ自転車を組み立てる。そして、iPhone4を自転車に装着して、さあ出発。</p>
<h2>普済寺</h2>
<p>最初の目的地は普済寺だった。立川駅から数百メートルほどなので、8時30分前には着いた。</p>
<p>普済寺は東京都立川市にある臨済宗建長寺派の寺院で、武蔵七党西党日奉の支族である立河氏の館があったと言われている。 <br>伊東さんの小説では、立河原の戦いに際して、山内上杉顕定は2代古河公方の公方足利政氏を奉じて普済寺に陣を構えたとしている。現地には、立河氏の館跡と言われる土塁が遺構として残っていた。</p>
<h2>多摩川へ</h2>
<p>普済寺を出て、多摩川には数分ほどで着いた。 <br>サイクリングロードに入ると、実に気持ちよく走ることができる。この日の数日前まで残暑が厳しかったが、この日の午前中は特に涼しく、サイクリングには適したコンディションだった。</p>
<p>さて、サイクリングロード沿いに南東に進み、浅川との合流点の少し前辺りまできた。<br> 伊東さんの小説では、高幡城を出た氏親・早雲の連合軍が多摩川を渡って、普済寺を出撃した山内上杉顕定勢と戦ったことになっているので、距離的に中間地帯のこの辺が戦場になるかもしれないと勝手に想像してみた。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年9月撮影 </em><br><em>ある程度の広さがあり、大河の河原らしい草が生えている。ただ、河原に石がないので、小説のイメージ通りにはいかない。 なお、戦いは旧暦の9月27日だったとのことなので、新暦で言うと、11月上旬頃ということになる。とすれば、渡河して体が濡れるとさぞかし兵たちは寒かっただろう。顕定にはその様子が好機と映ったとしても不思議ではない。 <br>*写真は東京都府中市四谷の辺り。 なお、渡河作戦の難しさについては、『荒川渡河作戦に失敗した男-扇谷上杉定正- ~その1~』に書いた。</em>
</div>
<div> </div>
<p>来た道を少し戻って、都道20号の橋で多摩川を渡り、万願寺駅で南下するという経路で、浅川に着いた。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年9月撮影 </em><br><em>9時15分ごろ、浅川を渡る。 <br>多摩丘陵の北端が見える。写真枠外の右側に高幡城がある。</em>
</div>
<h2>高幡城</h2>
<p>浅川を渡ると、高幡不動はもうすぐだ。高幡不動に着く前に一休みしたので、高幡不動に着いたのは10時ごろだった。高幡城は、高幡不動の裏山にあり、そこからの眺望はよく、多摩川方面を遠望できる。</p>
<p>高幡不動に着いて、自転車をとめて、境内を歩くとすぐに土方歳三の銅像が立っているので、一瞬、おやっと思った。そういえば、土方歳三は武州多摩の出身だったことを思い出した。後で調べてみると、高幡不動は新選組副長である土方歳三の菩提寺だそうだ。土産物屋をのぞくと、土方グッズがたくさん売られており、新選組人気を確認した次第である。</p>
<p>目的地は高幡城なので、かつて城があった裏山に向かった。高幡城は比高50mの山城なので、少し坂道を登ると本丸跡を見つけることができた。 <br>伊東さんの小説では、ここで扇谷陣営の軍議が行われたことになっている。今は木々が繁っているので、その隙間からしか眺めが得られないが、かつては木を切っていたはずなので、本丸からの眺めはさぞかしよかったと思う。</p>
<h2>犬懸上杉憲秋、回想</h2>
<p>突然だが、犬懸上杉憲秋という人物をご存知だろうか。中世関東史を学んだ人以外は生涯知ることもない人物だと思うが、北条早雲が生まれる1年前にこの城で自害して亡くなった人である。</p>
<p>彼の父親は犬懸上杉氏憲(禅秀)で、1416年に上杉禅秀の乱という反乱を起こした人物として有名だ。犬懸家は山内家と交代で関東管領を歴任していた名家だったが、上杉禅秀の乱を契機に没落してしまった(その代わりに台頭したのが、扇谷家)。何事もなければ、輝かしい未来を約束された人生から一転、上杉憲秋は謀反人の子供になってしまったわけだ。<br>そして、何とか手柄を立てて犬懸家を復興させようと、家運を両上杉氏に賭けて、憲秋は戦いに臨んだ。享徳4年(1455年)1月、鎌倉公方・足利成氏勢と両上杉勢は、府中の分倍河原から東京都昭島市拝島辺りで戦った。この戦い(第1次立河原の戦い)で、憲秋は両上杉氏側の先鋒を務めるが、敗れてしまい、高幡城で自刃した。なお、第2次立河原の戦いが今回のテーマ「立河原の戦い」である。</p>
<p>なぜ私はこの人物のことを書いているか、その理由を記してみたいと思う。<br> 私は以前、坂田祐樹氏の 『<a>関東公方成氏</a><img>』という小説を読んだことがあり、その中で上杉憲秋が出てくる。 <br>その小説の中で、彼は自分の運命を恨み、ニヒルな笑いを浮かべながらも社会的に生き返る機会を探しながら生きている。その姿がなぜか私には印象的だった。そして、今回、伊東さんの小説をテーマに高幡城をまわることになり、高幡城について調べていると、彼がここで自害したことを見つけ、何か思うところがあり、こうして記してみたわけである。 <br>おそらく、坂田さんの小説を読んでいなかったら、彼のことをこうして書くこともなかっただろう。そう考えると、歴史小説は過去と現在を結ぶ機能があることに気付く。たとえ回想する人が少数であっても、500年後に回想される人物はそうは多くないだろう。<br>むろん、その回想が実際の彼にどれだけ即しているかを確かめるすべはないのだが。 そして、もう1つ歴史小説が持つ面白い機能は、一度人物のイメージが形成されると、そのキャラクターに親しみを覚えることだと思う。親しみを覚えたこそ、私はこうして彼について記しているわけだ。</p>
<p>遠い昔のこととはいえ、一人の男が時代に翻弄されながらも、活路を求めて生きて、戦って、敗れ、自害したその場所にいると何かしらの思いが湧いてこざるを得ない。</p>
<h2>関戸城</h2>
<p>さて、高幡不動を出て、川崎街道を東に進み、次は枡形山城を目指す。 <br>右手に多摩丘陵を見ながら、所々、上り坂はあるものの、基本的になだらかな下り坂を走っているので、想定通り、快適に走れる。 <br>府中から見て多摩川の対岸にある関戸には、11時過ぎに着いた。<br> 今回のテーマには関係ないが、この辺りにはかつて関戸城という城があった。関戸城は、高幡城と同じく、多摩丘陵の北端にある山城で、城の右側を鎌倉街道上道が通っている要衝である。中世の府中はとても栄えていた土地で、府中の対岸にある関戸には宿があり栄えていた。また、その重要性ゆえに鎌倉の攻防をめぐって、何度も大きな戦いがあった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div><em>2010年9月撮影 <br>自転車で走っていて、偶然見つけた標柱。1333年に新田義貞が分倍河原と関戸で鎌倉幕府軍と戦って勝利し、その数日後に鎌倉を陥落させている。つまり、この地を制して、はじめて鎌倉への道が開かれるのである。</em></div>
<div> </div>
<p>事前に調べたところ、関戸城には遺構は残っていないものの、天守台の標柱があるとのことだったので、それを探すことにした。天守台がある場所というのは、一番高いところか、それに準ずるところと相場は決まっているので、それらしい場所を目指して、丘陵を登っていく。<br> 大体、この辺りだろうという勘が働いたので、その辺を歩いていると、地元の人と思しき年配の女性が歩いてきた。もしかしたら標柱のことをご存知かもしれないと思い、聞いてみることにした。</p>
<p>「あのー、すいません」 <br>「あ、はい」 <br>「この辺に昔、関戸城があって、その案内板みたいなものがこのあたりにあると思うんですが、ご存じないでしょうか。」 <br>「ええと、ごめんなさい。知らないわ。」</p>
<p>そんなやりとりをしていると、細い道にタクシーが入ってくる。私は急いで自転車を道路の横によける。そのタクシーは5mほど先に進んだところで止まった。</p>
<p>「ここは桜ヶ丘1丁目で、関戸はもっと東だから、そっちにあるんじゃないかしら」<br>「なるほど、そうなんですか。どうもありがとうございました。」<br> 私は関戸城が桜ヶ丘1丁目にあることを資料で知っていたが、親切に教えてくれた人に言い返すのも何だと思い、その場を去ろうとした。すると、後ろから声がする。 <br>「あのー」<br> 私が振り返ると、 <br>「タクシーの運転手さんに聞いてみたらどうかしら。ご存知かもしれませんよ。」 <br>なるほど、それは一理ある。<br> 私はお礼を言って、タクシーに向かった。</p>
<p>タクシーに向かうと、どうもタクシーの運転手さんはお疲れのようで、何だか話しかけずらい雰囲気だった。そこで、「まあいいか、どうせ標柱はこの近くにあるはずだ」と思って、再び探し始めました。すると、その場所からすぐのところに標柱が見つかった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年9月撮影 </em><br><em>ついに見つけた「天守台」標柱。自分の推理が当たった時は素直に嬉しいものである。 <br>多摩川方面への写真を撮ろうと思ったが、この付近(桜ヶ丘1丁目)は所狭しと住宅が立ち並び、よい写真は撮れなかった。しかし、住宅の隙間からは北、東、南に視野が得られることが分かった。</em>
</div>
<div> </div>
<p>私が尋ねた女性がなぜすぐそこにある標柱を知らなかったのか分からないが、やはり近所であっても関心がないと知らないものなのかもしれない。というのも、私は大学生の頃、今回の目的地の1つである枡形山城の近くに住んでいたが、枡形山城の存在を知なかった。近年、中世関東史を調べていて、はじめて枡形山城の存在に気付いたのである。</p>
<p>関戸城を出た頃には、昼前になっていたので、多摩川を渡り、府中方面へ行き、中華料理屋で昼食をとった。 <br>昼食後、私は本日最後の目的地である枡形山城に向かって走り始めた。</p>
<h2>iPhone4の携帯式充電池</h2>
<p>私は「EveryTrail」という、GPSを使って自転車で走ったところを記録して、地図に書き込んでくれるソフトを使っている(*)。 <br>このソフトは便利だが、電池の消費がすさまじく、2時間半ほど使った結果、残りの電池残量が50%を切っていた。ただ、これはこのソフトの問題というより、GPSを使った同種のソフトでも同じように消費する。あらかじめ分かっていた問題だったので、私は事前にサンヨーの携帯式充電池(KBC-L2AS )を買っておいた。</p>
<p><em>(*)2010年当時の話。当時は歴史めぐりにこういうツールを使うのは先進的な試みだった。</em></p>
<p></p>
<p>装着するとこんな感じになる。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年9月 </em><br><em>自転車ホルダーにiPhone4を装着し、さらに携帯式充電池をiPhone4に接続した写真。バッグの中に、携帯式充電池が入っており、白いケーブルを通して、iPhoneと接続されている。iPhoneアプリの「EveryTrail」を使いながら充電できる。</em>
</div>
<div> </div>
<h2>乞田川の上り坂</h2>
<p>さて、電池の心配もなくなったので、午後の部、出発。 <br>多摩川を再び南側に渡って、川崎街道を東進する。乞田川(こったがわ)を渡るあたりから、上り坂が続く。昼食をとったばかりで元気だったので、最初は颯爽と駆け上がっていったが、走っても走っても終わらないので、ついに自転車を押して歩くことにした。あとで、乞田川にかかる橋から坂がおわる連光寺坂上辺りまで距離を測ってみると、1km強あった。長いはずである。</p>
<h2>懐かしの向ヶ丘公園駅</h2>
<p>その分、下り坂は気持ちよく走ることができた。 <br>その後も、基本的に下り坂なので快適だ。特に問題もなく、稲城市を通って、川崎市多摩区に入る。そして、14時ごろ、懐かしの向ヶ丘遊園駅に着いた。私は大学生の頃にこの周辺に住んでおり、向ヶ丘遊園駅にもよく来た。駅は改装されたようで、きれいになっていた。並んでいる店も結構変わっていたが、街の構造自体に変化はないようだ。</p>
<h2>枡形山城へ</h2>
<p>さて、今回は感傷に浸りに来たわけではないので、気を取り直して、枡形山城に向かう。 <br>枡形山城は、直線距離で向ヶ丘遊園の南700mほどのところにある生田緑地の中にある。当城は、標高80m強、比高60m弱の山城で、多摩丘陵の北端にあり、多摩川方面の武蔵野台地を一望できる。そういう点では、高幡城や関戸城と似ている。</p>
<p>永正元年(1504年)の立河原の戦いの時、北条早雲が先に当城に着き、数日後の9月20日に今川氏親が到着して、合流した。その様子が伊東潤 『疾き雲のごとく 』の第5話「稀なる人」でも書かれている。そして、その後、早雲と氏親は9月27日の立河原の戦いを迎えた。</p>
<p>枡形山城跡を目指して山を登っていくと、緑が豊かで改めて良いところだと思った。大学時代、一度も訪れたことがなかったのは惜しいことだ。 <br>山頂に着くと、子供連れの親子が結構たくさんいる。子供が大声で叫びながら、遊んでいる。山頂はそれなりの広さがあり、公園になっている。遊ぶ環境もあり、当然クルマも走っていないため、親にとっては安心して遊ばせることができるスポットなのだろう。</p>
<h2>iPhone4の逆光問題</h2>
<p>曲輪の北端には、結構大きな望楼が建っていて、そこから四方を遠望することができる。 <br>早速、iPhone4で写真を撮ってみた。すると、逆光のためか、写りがよくない。そこで、Panasonic製のデジカメ(2009年の8月頃に購入したDMC-FT1)で撮ってみると、かなり違いがあった。高幡城でも少し気にはなっていたが、やはりそうだったのかという感じだ。「iPhone4があるので、デジカメは必要なし」というわけにはいかず、当面、併用することになりそうである。 <br>まあ、写真を編集すればある程度は何とかなるが、数が数だけにできるだけ、そのまま使いたいものだ。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年9月撮影 </em><br><em>iPhone4で撮影した枡形山城からの写真。</em>
</div>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年9月撮影 </em><br><em>Panasonic製デジカメ(2009年の8月頃に購入したDMC-FT1)で、ほぼ同じ場所と時間から撮った写真。ただし、逆光ではないところで撮ると、それほど変わらない。さすがにPanasonicのデジカメはカメラ専用機器だけあって、対応できる状況の幅が広いのだろうか。</em>
</div>
<div> </div>
<p>城の周辺を少し散策したあと、向ヶ丘遊園駅に戻り、この日の歴史サイクリングを終えた。</p>
<h2>おまけ: 寿桂尼の生涯</h2>
<p>「稀なる人」の最後のほうで、今川氏親が藤原北家カ勧修寺流中御門家の娘を妻に迎える話が出てくるが、この女性こそ、後に寿桂尼と呼ばれる人で、今川氏親の正室であり、今川義元の母である。</p>
<p>氏親が晩年、病気で政務をとれなくなると、氏親を補佐した。氏親の死後も、陰に日向に今川家を支え続けた。今川義元が当主になると、今川家の全盛期を迎えた。しかし、義元は、永禄3年(1560年)、尾張攻略の途中に桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られてしまう。 <br>その後、今川義元の子(寿桂尼の孫)、氏真が当主となるが、今川家の衰退がはじまり、永禄11年(1568年)武田信玄の駿河侵攻の数ヶ月前に寿桂尼は死去した。</p>
<p>彼女は1505年頃に今川家に嫁いでいるので、晩年の早雲を知っていたはずであり、織田信長のために、頼りになる実子の義元を失い、武田信玄によって、今川家が実質的に滅ぼされる直前まで生きたことになる。 <br>このように、寿桂尼の生涯を追っていくことで、戦国初期(代表的人物:早雲)から中期(代表的人物:信玄)、そして、後期(代表的人物:信長)のはじまりまでを見ていくことができる。</p>
<p>分かりきったことではあるが、寿桂尼の人生を通して、戦国時代とは何とも厳しい時代であったと改めて思うのである。</p>
<p>(終)</p>
<p><em>* なお、マップの位置は今回の歴史サイクリングの範囲を大体示すために設定した。合戦がそこであったという意味ではないので、ご注意を。</em></p>

立河原の戦いー伊東潤 『疾き雲のごとく 』ー

作成日:2014/6/24 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

立河原の戦い フィールドをゆく 北条早雲 戦国黎明と北条早雲ーフィールドをゆく(3)ー

【高幡不動の土方歳三像】高幡不動の土方歳三像。後ろ(南東)の山が高幡城。

多摩石田村は土方歳三の出身地で、ここ高幡不動の近くに土方歳三資料館がある。
http://www.hijikata-toshizo.jp/index.html

高幡不動の土方歳三像

作成日:2012/12/16 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

幕末維新 土方歳三 高幡城訪問 新選組の事蹟 東京都 日野市

国領の旧品川道(いかだ道)の標柱。<br><br>多摩の国領は調布の近くで、司馬遼太郎『燃えよ剣』(主人公は土方歳三)にも出てくる。ここからもう少し北に行くと、甲州街道がある。<br><br>この辺は歩いていると、庭の広い土方家を目にすることがある。土方歳三は日野の出身なので、ゆかりがあるかどうかは知らないが、まあ、そういう散歩の楽しみ方もあるかと思う。

作成日:2014/5/16 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

新選組の事蹟 東京都 調布市

【新選組屯所の旧前川邸】旧前川邸。すぐ南西にある八木邸とともに、新選組屯所だった。

旧前川邸には近藤勇や土方歳三らが詰めていたという。
1865年、新選組の山南敬助が切腹した邸宅としても有名。

新選組屯所の旧前川邸

作成日:2014/5/16 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

近藤勇 山南敬助 土方歳三 新選組 新選組の事蹟 京都府 京都市

【壬生寺に隣接する八木邸】壬生寺に隣接する八木邸。新選組隊士らが駐屯した。芹沢鴨ら暗殺の舞台ともなった。

14代徳川家茂の上洛警護のため、清川八郎の提案により組織されたのが浪士隊で、近藤勇・土方歳三らも参加して、1863年に京都に入った。その時、近藤・土方らの屯所となったのがここ八木邸だった。

京都に着いた清河八郎はにわかに尊王攘夷派に転じたため、浪士隊は分裂。一部は会津藩に属し、芹沢鴨を局長とした新選組が組織された。

しかし、芹沢鴨は、近藤勇らによって八木邸で暗殺された。
以後、近藤勇が局長となり、新選組は京都の治安維持の一翼を担った。

壬生寺に隣接する八木邸

作成日:2014/5/16 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

近藤勇 芹沢鴨 新選組 新選組の事蹟 京都府 京都市

ノートのタグ

ニュース 人物記事 動画
戦国 幕末維新

ノートまとめのタグ

江戸城 大坂城 竹田城
二条城 鎌倉 神奈川
東京 京都 静岡

歴史年表のタグ

源平 戦国 幕末維新
ギリシア・ローマ 大航海時代 ナポレオン
モンゴル 近代 近代日本

項目のカテゴリー

人物 出来事
ノート【更新順】
コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
江戸東京たてもの園を訪問
コルク社主催の伊東潤氏の第2回読者会に参加
もっと見る
ノートまとめ【更新順】
関ヶ原の戦いの動画
淀川の城
姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
もっと見る
歴史年表【更新順】
『おんな城主 直虎』年表
花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
歴史家・歴史小説家とその時代
もっと見る
特集
関ヶ原の戦い
幕末維新
文明論
北条早雲
人物【更新順】
子母澤寛
周布政之助
小田村伊之助
もっと見る
出来事【更新順】
パナマ文書の公表
熊本地震 (2016年)
斎藤道三、息子の斎藤義龍に討たれる(長良川の戦い)
もっと見る
世界史古代概論
世界史古代概略
ローマと前漢、不思議な成立の符合
古代の日本と西欧
戦国のはじまり
早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
お知らせ
特集ページを追加
検索ページを追加しました
ドメイン変更のお知らせ
もっと見る
Twitter logo blue 144 歴ウス
公式Twitterページ
Fb f logo  blue 144 歴ウス
公式Facebookページ
Youtube icon full color 144 歴ウス
公式YouTubeチャンネル