2018年大河ドラマは西郷隆盛が主人公の「西郷(せご)どん」。 ということで西郷さん絡みの本『走狗』をご紹介。 『走狗』は伊東潤氏による歴史小説で、幕末から西南戦争までの話。初代警視総監となった薩摩出身の川路利良が主人公で、彼の出世・国家観の形成・警察機構の成り立ちに西郷さんや大久保利通が…
本 日本
1892年 〜 1968年
(しもざわ かん) 歴史小説の『勝海舟』らの著作がある。
勝海舟 人物 日本
1823年 〜 1864年
幕末の長州藩士。 村田清風の系統を継ぐ改革派で藩政の重責を担った。保守派の椋梨藤太らと対立関係にあった。 松下村塾系ら尊王攘夷派藩士を登用したが、彼らが暴発し、禁門の変を起こした。周布は彼らの暴発を抑えることができず、また、第一次長州征伐で政治環境が悪化。1864年、萩で自害した。
幕末維新 長州藩 人物 日本
2015年NHK大河ドラマの主人公は、吉田松陰の妹、「杉文」(すぎ ふみ)。 司馬遼太郎『世に棲む日日』の前半の主人公は吉田松陰で、後半は高杉晋作です。文さんもちょっと出てきますよ! 大河ドラマをより楽しむためにオススメです(なお、当大河ドラマの原作はなく、オリジナル脚本です)。 …
吉田松陰 高杉晋作 司馬遼太郎 本 日本
1829年 〜 1912年
幕末の長州藩士。のちの楫取素彦。 藩医・松島瑞蟠の子だが、儒官の小田村家に養子に入った。 吉田松陰の妹、杉寿と結婚したが、先立たれ、その後、同じく松陰の妹、杉文(楫取美和子)と再婚した。 明治維新後、群馬県令となるなど、重職を歴任した。
吉田松陰 幕末維新 長州藩 花燃ゆ 人物 日本
1805年 〜 1865年
幕末の長州藩士。長州藩の保守派として活躍し、村田清風・周布政之助・桂小五郎(木戸孝允)らの改革派・尊攘派と藩政を巡って争った。 禁門の変後、椋梨ら保守派が藩政を握ったが、高杉晋作ら、尊攘派が挙兵し、形成が逆転。捕らえられて、処刑された。
幕末 長州藩 人物 日本
『マスター・アンド・コマンダー 』は、ナポレオン時代の海洋モノの映画です。 大筋としては、英仏の軍艦が大西洋を舞台に追尾しあう話ですが、ドンパチだけではありません。 軍艦(帆船)と商船、軍艦の水兵・水夫たちの考え方、船内の規律、食事、砲撃など、実に様々なことがリアルに映像化されています。 …
ナポレオン 映画 本 日本
1828年 〜 1890年
人物 日本
1816年 〜 1891年
幕末期の幕臣。 幕府海軍の創設に尽力。 外国奉行・軍艦奉行・大目付・若年寄を歴任した。 戊辰戦争では、幕府方として箱館戦争に参加するも敗北。 その後、明治政府に出仕し、開拓使御用掛かり・元老院権大書記官などを務めた。
幕臣 人物 日本
1837年 〜 1864年
幕末の長州藩士。松下村塾出身。 1864年の禁門の変で敗れて、自刃した。
禁門の変 松下村塾 長州藩 人物 日本
1844年 〜 1892年
幕末の長州藩士。松下村塾出身。 明治維新後、佐賀の乱・西南戦争の鎮圧に貢献した。 法典編纂事業に尽力。司法卿・法相などの要職も歴任した。
松下村塾 長州藩 人物 日本
1834年 〜 1876年
幕末の長州藩士。 1857年、松下村塾に入塾。幕末の志士として活躍した。 明治維新後、参議、兵部大輔などの要職を務めたが、下野して、萩に帰郷した。 1876年、萩の乱を起こすも鎮圧され、刑死した。
関ヶ原の戦いを人気作家7名が描いた「競作長編」(2014/11/19発売)。 (当書の説明書きによると)東軍を伊東潤(徳川家康)、天野純希(織田有楽齋)、吉川永青(可児才蔵)が、西軍を葉室麟(石田三成)、上田秀人(宇喜多秀家)、矢野隆(島津義久)、冲方丁(小早川秀秋)が担当!
関ヶ原の戦い 本 日本
1559年 〜 1579年
徳川家康の長男。 織田信長の娘、徳姫を娶った。 1579年、織田信長に武田家と内通したと疑われて、二俣城で自害させられた。
徳川家康 人物 日本
1547年 〜 1611年
織田信長、豊臣秀吉に仕えた。豊臣政権では、五奉行の筆頭となる。 関ヶ原の戦いでは、徳川家康に味方した。
五奉行 人物 日本
1827年 〜 1872年
幕末維新 土佐藩 人物 日本
1841年 〜 1864年
松下村塾四天王の一人。 奇兵隊に参加。被差別部落民の登用を長州藩に進言して、屠勇隊(とゆうたい)の創設した。 1864年、池田屋事件で落命した。
池田屋事件 松下村塾 長州藩 人物 日本
1820年 〜 1864年
幕末の尊王攘夷派・熊本藩士。 吉田松陰と東北を巡ってのち、京都で尊王攘夷運動を推進。1863年の八月十八日の政変では、七卿らと京都を落ちた。翌年、京都の池田屋で謀議中、新選組らに襲撃されて自刃した(池田屋事件)。
吉田松陰 熊本藩 池田屋事件 人物 日本
1829年 〜 1865年
幕末の土佐藩士。 1861年、土佐勤王党を結成し、土佐藩の下級武士を組織した。土佐の藩政を主導していた吉田東洋を暗殺し、藩論を尊皇攘夷に転換した。しかし、文久3年(1863年)8月18日の政変で、長州藩が京都から没落して、尊皇攘夷派の勢いが衰えると、土佐の藩論は公武合体に傾き、1865年、武…
土佐勤王党 土佐藩 人物 日本
1546年 〜 1614年
最上義光(よしあき)は山形城を拠点に勢力を広げ、伊達政宗らと争った。 関ヶ原の戦いでは、最上義光は東軍に属して伊達政宗と共に、上杉景勝勢と戦った。その功績を認められ、山形57万石を与えられた。
関ヶ原の戦い 人物 日本
佐和山城は石田三成の居城。 関ヶ原の戦いでは、光成の西軍が敗北し、佐和山城も落城した。
関ヶ原の戦い 石田三成 城 日本 滋賀県 彦根市
豊臣秀吉の下で活躍する黒田官兵衛(黒田孝高)に対して、1587年、豊前国6郡が与えられた。 翌年、官兵衛は中津城の築城を開始した。 1600年の関ヶ原の戦いで、官兵衛の子、黒田長政が筑前52万石に移封されたあとは、細川、小笠原、奥平の各氏が中津城を治めた。
黒田長政 黒田官兵衛 博物館・史料館 日本 大分県 中津市
伏見城は東山の丘陵の最南端にあり、南は巨椋池で大坂と京都を結ぶ要衝にあった。 伏見城は3度築城された。 1)592年、豊臣秀吉が伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に築城した(指月伏見城) 2)慶長伏見地震で倒壊後、木幡山に再度築城したのが木幡山伏見城という。 3)秀吉によ…
関ヶ原の戦い 豊臣秀吉 鳥居元忠 博物館・史料館 日本 京都府 京都市
戦国時代に長野氏の本拠地として栄えた。 武田信玄に攻められたが、長野氏はしばしば撃退した。しかし、1566年、ついに落城。当主の長野業盛は自刃した。 武田氏滅亡後は、井伊直政が改修を加えた。 その後、廃城となった。 日本100名城で、国の史跡に指定されている。
日本100名城 城 日本 群馬県 高崎市
1535年 〜 1619年
島津貴久の次男で、島津義久の弟。 関ヶ原の戦いでは、西軍に味方し東軍と激しく戦ったが、敗走。 敗戦したものの、徳川家康に許されて、本領安堵された。
関ヶ原の戦い 泗水の戦い 人物 日本
下野国で栄えた小山氏の本拠地。 関ヶ原の戦いでは、石田三成挙兵の報告を受けて、徳川家康が諸将を集めて、軍議を開いた(これが有名な「小山評定」)。
関ヶ原の戦い 徳川家康 小山評定 城 日本 栃木県 小山市
1561年 〜 1602年
徳川家康の重臣で、徳川四天王の一人。 井伊直政が武具を朱色で統一した部隊は「井伊の赤備え」と呼ばれ、精強を誇った。 徳川家康の関東入国時に上野の箕輪城12万石を与えられ、関ヶ原の戦いの功で近江の佐和山18万石を与えられた。
箕輪城 井伊の赤備え 徳川四天王 佐和山城 人物 日本
1556年 〜 1630年
浅井長政、丹羽長秀、豊臣秀吉らに仕えた。 関ヶ原の戦い・大坂の陣では、徳川家康の東軍に味方し、伊勢津藩の初代藩主となる。 築城の名手としての名が高く、宇和島城・今治城・伊賀上野城などを築城した。
宇和島城 今治城 伊賀上野城 人物 日本
『のぼうの城』の和田竜氏による作品。 舞台は第一次木津川合戦。
第一次木津川合戦 和田竜 本 日本
文明の生態史観、情報産業論の梅棹忠夫氏が日本文明について説いた書。
梅棹忠夫 日本文明 本 日本