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武士の台頭と源平合戦の結末〜ザックリつかむ日本史:中世(1)〜院政始まる 907年に唐が滅亡し、日本でも律令体制が危機に瀕していました。京都の朝廷では、白河上皇が院政をはじめ、律令体制では対応できない状況に即応しようとしましたが、世の乱れはおさまらず、徐々に在地領主が武装し、武士となり、台頭してきました。 決着はいくさで決める時代へ そんな中、保元… 投稿日: 2012/09/11 |
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日本と西欧の危機〜ザックリつかむ世界史:遊牧勢力の伸張(3)〜拡大するモンゴル帝国 さて、モンゴル帝国拡大の余波を見てみましょう。 モンゴルの波は、ユーラシア大陸の西(ワールシュタットの戦い)と東(元寇)の端にも到達しました。 ユーラシア大陸の西とは西欧、もしくはヨーロッパのことで、東とは日本のことです。 モンゴル軍、東欧でドイツ・ポーランド連合… 投稿日: 2012/09/06 |
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戦国時代のはじまりと大航海時代〜ザックリつかむ戦国時代(2)〜戦国時代のはじまりは謎 戦国時代のはじまりというのは、実はいろいろな解釈があって、これが定説という年は決まっていません。応仁の乱がはじまった1467年説、旧説では北条早雲の伊豆討ち入りの1491年説、近年では明応の政変の起こった1493年説が有力なところです。 権力実体としての… 投稿日: 2012/09/04 |
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戦国時代とはどんな時代だったか〜ザックリつかむ戦国:入門編(1)〜室町幕府の成立と繁栄期 有力守護大名の連合政権だった室町幕府は成立の当初から弱体でしたが、曲がりながらにも権威と権力を持った室町幕府は正義を提供していました。 特に、足利義満の時代から嘉吉の乱(嘉吉元年(1441年)、6代将軍、足利義教が赤松満祐に暗殺された事件)までは比較的安定していました。… 投稿日: 2012/09/02 |
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律令体制の成立〜ザックリつかむ日本史:古代(3)〜壬申の乱 国内では、天智天皇の死後、大友皇子(天智天皇の子)と大海人皇子(天智天皇の弟)が皇位継承をめぐって戦いました(壬申の乱、672年)。 天武天皇の即位と制度の整備 結果は大海人皇子の勝利に終わり、大海人皇子は天武天皇として即位しました。天武天皇は引き続き、律令的な中央… 投稿日: 2012/09/02 |
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大化の改新の背景と白村江の戦い〜ザックリつかむ日本史:古代(2)〜大化の改新 中大兄皇子と協力者の中臣鎌足は、有力豪族の蘇我氏が主導する勢力から実権を取り戻し、皇族中心の中央集権化を図るべく、乙巳の変(645年)で蘇我氏を滅ぼしました。 そして、公地公民制という方向性を示し、中大兄皇子を中心とした中央集権化を進めました(これら一連の動きを「大化の改新」といい… 投稿日: 2012/08/31 |
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隋唐の成立と日本の対応〜ザックリつかむ日本史:古代(1)〜縄文・弥生・古墳時代 日本では、狩猟・採集が主な生業であった縄文、稲作が普及した弥生時代を経て、徐々に権力の集中が進み、大和を中心に政権が形成され始めます。中国の史書『宋書倭国伝』には5世紀頃に倭の五王が中国の南朝(当時中国は南北に分裂していた)に朝貢してきたとあります。 この辺りの時代が古墳… 投稿日: 2012/08/29 |
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元寇の激戦とある御家人の銭闘が生んだバタフライ効果モンゴル帝国、拡大! 平清盛が死去してから、まもなく、チンギス・ハーンに率いられたモンゴル帝国は凄まじい勢いで拡大を始めました。そして、清盛死去から約1世紀弱が経過した13世紀後半、ユーラシア大陸の覇権国家であった、モンゴル帝国(元朝)による日本攻撃(元寇)がはじまりました。 元寇と蒙古襲… 投稿日: 2012/08/15 |
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