室町幕府の成立と繁栄期
有力守護大名の連合政権だった室町幕府は成立の当初から弱体でしたが、曲がりながらにも権威と権力を持った室町幕府は正義を提供していました。
特に、足利義満の時代から嘉吉の乱(嘉吉元年(1441年)、6代将軍、足利義教が赤松満祐に暗殺された事件)までは比較的安定していました。
つまり、幕府が正しいとすることが正しいということで世の中がそれなりに処理されていたのです。
室町室所の崩壊と権力の頂点としての戦国大名
しかし、室町体制が崩壊すると、何が正しいかは戦いによって決まる時代に入ってしまいました。その結果、自衛のため、あるいは己の権勢を高めるため、弱者は有力者を頼り、有力者は最有力者を頼るという関係が、既存の室町秩序とは別原理で、各地で再構築され始めました。その権力の頂点が戦国大名です。
しかし、権威の発給機関としての室町幕府は存続し、侮りがたいものがあったことは忘れてはならない点です。
戦国大名対戦国大名、戦国大名対宗教勢力
そして、戦国大名同士、さらには戦国大名と宗教勢力の戦いがはじまり、最終的には織田信長の地盤を受け継いだ豊臣秀吉が、天正18年(1590年)に関東の雄であった後北条氏を降して、全国を統一しました。
(つづく)