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1467年 〜 1525年
顕定の養子
人物 日本
? 〜 1501年
1443年 〜 1514年
父、景信の死によって、景春は山内上杉氏の家宰になると考えていたが、主君、山内上杉顕定は、白井長尾氏の勢力伸長を警戒し、惣社長尾忠景を家宰とした。反発した景春は、主の山内上杉顕定と対立した。1477年、ついに軍事衝突に発展した(長尾景春の乱)。この乱は、古河公方も巻き込んだ大規模な騒乱となったが、太…
1884年 〜 1945年
1847年 〜 1913年
1413年 〜 1473年
関東管領山内上杉氏の家宰。父は景仲。子は景春。
1388年 〜 1463年
関東管領山内上杉氏の家宰。子は景信。上杉禅宗の乱、影響の乱、結城合戦、享徳の乱など、関東の動乱期に生き、家宰として、山内上杉氏を補佐した。
1496年 〜 1555年
今川義元の軍師。臨済僧。
1519年 〜 1560年
今川氏親の実子。生母は寿桂尼。
1513年 〜 1536年
今川氏親の嫡男。生母は寿桂尼。
1473年 〜 1526年
父は駿河守護の今川義忠、母は北条早雲の姉の北川殿。正室は寿桂尼。今川義元は息子。幼名は龍王丸。父、義忠が遠江で戦死した後、すぐに今川家当主にはなれず、泉ヶ谷で、幼年期を過ごす。長享元年(1487年)、早雲の活躍により、小鹿範満を討ち、今川家当主となる。早雲の力も借りながら、永正14年(1518年)…
1536年 〜 1565年
14代将軍
1511年 〜 1550年
13代将軍
1481年 〜 1511年
11代将軍
1466年 〜 1523年
10代、12代将軍。
1439年 〜 1491年
足利義政の同腹実弟。10代将軍足利義材(義稙)の実父。
1465年 〜 1489年
足利義政の実子。9代将軍。
1436年 〜 1490年
室町幕府の8代将軍。若くして、将軍となり、当初は政務に励んだと言われているが、次第に政治への関心を失い、文化事業に熱中した。将軍職を辞するために、弟(のちの義視)を還俗させたが、その頃、嫡男が誕生した(のちの9代将軍、義尚。義尚の母は日野富子)。将軍後継問題、有力守護大名の対立、有力守護大名の後継…
? 〜 1498年
父、政知の死後、継母と異母弟を殺害し、事実上の堀越公方となったが、北条早雲に滅ぼされた。
1435年 〜 1491年
享徳の乱がはじまると、室町将軍、足利義政は弟の政知を関東に送り、関東の混乱を鎮圧しようとした。しかし、鎌倉のある相模一帯はすでに扇谷上杉氏の所領となっており、政知は関東に入れず、伊豆に留まり、御所のある地名をとって、堀越公方となった。
1508年 〜 1560年
足利高基の嫡男。4代古河公方。
1485年 〜 1535年
足利政氏の嫡男。3代古河公方。
1462年 〜 1531年
1438年 〜 1497年
初代古河公方。室町幕府を後ろ盾とする関東管領山内上杉氏・扇谷上杉氏(両上杉氏)と対立し、享徳の乱を 起こす。東関東勢(小山氏・結城氏・宇都宮氏・千葉氏)を基盤として、長年、両上杉氏と対立したが、1482年、ついに和睦し、室町幕府に存在を認められた。その後は、両上杉氏が争い始めたため、両勢力の間を巧…
1446年 〜 1494年
扇谷上杉氏の当主。持朝の子。扇谷上杉氏の前当主が没したときに、跡継ぎがいなかったため、 太田道灌などの重臣に擁立された。家宰の道灌の活躍で、長尾景春の乱を鎮圧したが、次第に勢力を増してくる道灌に疑心を抱き、謀殺した。道灌亡き後、山内上杉氏と戦い(長享の乱)、戦いを有利に進めていたが、荒川渡河時に落…
1454年 〜 1510年
山内上杉氏の当主で、関東管領。出身は越後上杉氏。十代はじめに関東管領に就任し(1466年)、40年以上にも渡って、関東管領を務めた。その間、享徳の乱、長尾景春の乱、長享の乱を戦い、関東の秩序を維持しようと努めた。1507年、越後守護の実弟、上杉房能が長尾為景に殺害された。怒った顕定は越後に攻め込ん…
1411年 〜 1488年
扇谷上杉氏の家宰。主の扇谷上杉持朝を補佐して、扇谷上杉氏の勢力伸長に寄与した。太田道灌の父。
1515年 〜 1587年
1515年 〜 1571年
1493年 〜 1589年
北条早雲の子