西暦: ? 〜 1498年

父、政知の死後、継母と異母弟を殺害し、事実上の堀越公方となったが、北条早雲に滅ぼされた。

地域: 日本

足利茶々丸

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グラフ: 「足利茶々丸」と同時代の人物

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グラフ: 「足利茶々丸」と同時代の出来事

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表: 「足利茶々丸」と同時代の人物

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表: 「足利茶々丸」と同時代の出来事

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「足利茶々丸」の関連ノート

【狩野城の月見曲輪】<h2>修善寺の要地、柏久保城</h2>
<p>その日、三島駅から修善寺駅へ行き、修善寺駅から柏久保城を訪問した。</p>
<p>明応2年(1493年)北条早雲は伊豆討ち入り、堀越公方・足利茶々丸のいる堀越御所を落とした。南下する早雲勢は、中伊豆の狩野勢と激突した。狩野氏は平安以来、中伊豆に蟠踞する勢力で、茶々丸に味方した。両者の衝突点が、現在の修善寺駅の東側の山城・柏久保城である。</p>
<p>柏久保城を狩野川沿いに南下すると、狩野城に至り、大見川沿いに東に行くと、大見城に至る。つまり、柏久保城は、2つの川の接結点にある要地だった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div><em>北条早雲の伊豆討ち入り後の中伊豆勢力図マップ(1493-98年)。青色の城が早雲与党の城で、赤色の城が茶々丸与党の城である。</em></div>
<p><br>早雲は柏久保城・北側の急斜面を襲って、この城を落としたらしい。<br> 柏久保城の北側には、「新九郎谷」の石碑が建っている。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>二の郭から主郭方面を撮影。お堂辺りから主郭。当時、北条早雲に敵対していた狩野氏の本拠地、狩野城が南方にあったため、南側(左側)の土塁がある。</em></p>
<p>なお、大見城の大見三人衆は、早雲に味方した。大見三人衆は、狩野勢に攻められている柏久保城を後詰し、狩野勢を撃退したとのこと。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>狩野川が北流し、右手にクッキリ富士山が見える。ここからすぐ上流(左手前方面)で、大見川が狩野川に合流している。</em></p>
<h2>狩野城へ向う</h2>
<p>その日の予定では、柏久保城の次は、狩野城に行く予定だった。<br> 柏久保城は、富士山が見え、遺構もよく残っていて、想像以上によい山城だったため、予定よりも長居してしまった。</p>
<p>もう正午なので、途中で、どこかの店に入り昼食をとろることにした。</p>
<h2>向かい風</h2>
<p>もう11月も下旬だというのに、この日は強い南風が吹いている。しかも、南の天城山が高地で、北の三島が低地のため、ずっと緩い坂道が続く。<br> 分かっていたことなので、頑張って自転車を漕ぐ。</p>
<p>しばらくすると、後ろに自転車の気配がする。<br> 振り向くと、白髪の男性がサイクリングウェアでマウンテンバイクで走っていた。<br> よくあることなので、特に気にはしない。</p>
<p>南風がきつい。ちょっとした坂がはじまり、スピードが落ちる。<br> すると、後ろの男性が並走し、声をかけてきた。</p>
<p>「こんにちは。」<br> 「どうも、こんにちはー」</p>
<p>「どちらから来られたんですか?」<br> 「ええと、東京からです。」</p>
<p>「どちらへ行かれるんですか?」<br> 「狩野城です。」<br> 「私も同じ方向です。」</p>
<p>そんなことを話していると、坂がきつくなってきた。<br> 私は坂道に対して、ストイックな人間ではないので、あっさり自転車を降りた。<br> 男性も降りた。</p>
<p>坂を登ったところで、また乗って、一緒に狩野城に向うことになった。</p>
<h2>自転車で歴史談義</h2>
<p>風さえなければ、どうという距離ではなかったが、強い南風のために、話しながら、狩野城にノロノロ向う。<br> よく晴れた空に左右から山が迫る。風景があまり変わらないので、進んでいる感じはあまりしない。</p>
<p>話を聞くと、サイクリングウェアの男性は、大見城近くに住み、最近、伊豆の史跡をいろいろ周っているとのこと。</p>
<p>「なぜ狩野城に行こうと思ったんですか?」<br> 「北条早雲のことを調べているんです。さっきは、柏久保城に行ってきました。」<br> 「へえ、よく前は通るんですが、まだ登ったことはないんですよ。」<br> 「そうなんですかー」</p>
<p>「最近の研究では、北条早雲はすぐに伊豆を平定したわけではなく、5、6年かかったと言われています。ご存知のように、狩野城は狩野氏の本拠地で、北条早雲と は敵対関係にありました。狩野勢が柏久保城まで寄せてきたのを、大見三人衆が駆けつけて、狩野勢を撃退したそうですよ。」<br> 「はー、そうでしたか~」</p>
<p>とこんな感じで、いろいろと話をしていると、ついに狩野城まで来てしまった。<br> 腹が空いてきた。が、話が尽きない。</p>
<p>狩野城の北側の谷を通り、東側に出て、坂道を登った。</p>
<h2>狩野城の入り口</h2>
<p>「ここが狩野城の入り口です。」<br> 「あ、どうもいろいろご親切にありがとうございました。」</p>
<p>そういって、私は茂みに自転車を停めた。</p>
<p>すると、男性は<br> 「ええと、ここを登って行くと、私の別邸があるんですが、お茶でもいかがですか?そこからちょっと行くと、狩野の殿様が月見をしたという場所がありますよ。」</p>
<p>狩野の殿様が月見をした場所か、なかなか興味深い話である。<br> 狩野城を訪問したら、あとは帰るだけ。</p>
<p>「ええ、そうですか。うーん。。。」<br> 「じゃあ、お邪魔してよろしいですか」<br> 「どうぞどうぞ」<br> ということで、歩いて、男性の別邸にご案内頂いた。</p>
<p>西へ坂道を歩くこと10分弱で、別邸に到着。<br> 柿とコーヒーを頂きながら、早雲や狩野城の話、裾野の葛山氏の話などをした。柿では腹が満たされないので、非常用に買っておいた6個入りのレーズンパンを出して食べた。男性にも1つ差し上げた。<br> 時計を見ると、1時間半ほど経っていた。そろそろということで、月見の場所(月見山)に案内して頂くことになった。</p>
<h2>狩野城の月見曲輪</h2>
<p>別邸から歩くこと3分程度で、山道に入り、落ち葉をシャリシャリ踏みながら進む。</p>
<p>都合7分程度で月見曲輪に着いた。月見曲輪は、山城の痩せ尾根を平場にした感じで、北側に突き出ていた。しかし、北側は木々が茂っていて、見通しはほとんどきかない。ここで月見をしたとすると、南側を正面に幕を張ったのだろうか。</p>
<p>伝承によると、狩野の殿様(狩野茂光)が源頼朝とここで月見をしたという。<br> 頼朝は狩野の殿様と何を語らったのだろうか。</p>
<p>月見曲輪の北西隅に「狩野介茂光公観月之跡」と刻まれた石碑があった。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>源頼朝が伊豆で挙兵した時に(1180年)、狩野茂光は頼朝に味方したが、石橋山の戦いで、平氏勢力に敗れて戦死した。</em></p>
<p>石碑の横に小さなお堂があるが、朽ちつつある。代々、このお堂を管理されていた家があったそうだ。<br> なぜ朽ちつつあるのか、伺った気がするが、忘れてしまった。</p>
<h2>再び、狩野城の入り口</h2>
<p>いろいろと親切にして頂いたサイクリングウェアの男性に狩野城の入り口まで送ってもらい、そこで別れた。</p>
<p>この男性と知り合うことがなければ、月見曲輪に行くことはなかっただろう。<br> そして、狩野の殿様と頼朝の月見を空想することもない。</p>
<p>一期一会の妙を噛み締めながら、私は狩野城に入っていった。</p>
<p>(終)</p>

狩野城の月見曲輪

作成日:2014/6/26 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

狩野城 柏久保城 フィールドをゆく 北条早雲

【狩野城】北条早雲の伊豆討ち入り後の中伊豆勢力図マップ(1493-98年)。<br><br>      堀越公方・足利茶々丸のいる堀越御所を落とした。南下する早雲勢は、中伊豆の狩野勢と激突した。狩野氏は平安以来、中伊豆に蟠踞する勢力で、茶々丸に味方した。両者の衝突点が、現在の修善寺駅の東側の山城・柏久保城である。<br><br>      柏久保城を狩野川沿いに南下すると、狩野城に至り、大見川沿いに東に行くと、大見城に至る。つまり、柏久保城は、2つの川の接結点にある要地だった。<br><br>      なお、青色の城が早雲与党の城で、赤色の城が茶々丸与党の城である。

作成日:2013/12/12 , by fuji3zpg 開く

【柏久保城】北条早雲の伊豆攻略戦で、足利茶々丸方の狩野氏と争奪戦が繰り広げられた柏久保城。<br><br>      狩野川が北流し、右手にクッキリ富士山が見える。<br>      ここからすぐ上流(左手前方面)で、大見川が狩野川に合流している。

作成日:2013/12/11 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 伊豆市

深根城。<br>下田城から8kmほど北方、稲生沢川の南側にある。<br><br>1498年、北条早雲は、敵対していた堀越公方・足利茶々丸の支持基盤たる南伊豆制圧のため、深根城を攻め落とした。茶々丸の墓と伝わるお墓が深根城の西方にある。<br><br>http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/zenkoku/shiseki/chubu/fukane.j/fukane.j.html

作成日:2014/5/16 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 下田市

狩野城。<br><br>伊豆の国人、狩野一族の本拠地。<br>北条早雲が伊豆に討ち入った際、狩野氏は、堀越公方の足利茶々丸の与党だったため、早雲と敵対した。<br>茶々丸が早雲に滅ぼされると、狩野道一は早雲に帰順し、北条氏の中で重臣となっていった。<br><br>・参考(リンク先のPDF参照)<br>http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?c1=5&c2=1&aid=4&pid=3178

作成日:2014/5/16 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 伊豆市

願成就院がある韮山の平野は、平安末期、鎌倉北条氏の地盤で、北条時政が願成就院の開基。願成就院は盛衰を重ねな<br><br>室町時代の1493年、北条早雲(伊勢宗瑞)が伊豆に討ち入ったが、堀越公方の足利茶々丸がいた堀越御所は願成就院付近にあったという。

作成日:2014/5/16 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 伊豆の国市

韮山城の本丸から守山をのぞむ。<br>    守山は写真中央奥の濃い緑の丘陵。守山の背後(西)には狩野川が北流し、手前(東)には下田街道が通っている。<br><br>    この付近は、平安末期、鎌倉北条氏の地盤であり、北条時政が開基の願成就院が盛衰を重ねながら、現在も建っている。守山の前、韮山城寄りに、小規模な林があるが、ここが源頼朝が流された蛭ヶ小島といわれている。頼朝は、北条時政の娘、北条政子を妻とし、北条勢を味方につけた。1180年、以仁王の令旨に呼応して挙兵し、韮山城の東側の山木判官邸を襲って、勝利した。つまり、韮山は、中世の武家政権、鎌倉幕府成立の揺籃の地なのである。<br><br>    室町時代の1493年、北条早雲(伊勢宗瑞)が伊豆討ち入ったが、堀越公方の足利茶々丸がいた堀越御所が守山の麓の願成就院にあった。もし約500年前のその時にここから眺めていたら、早雲の軍勢が守山の堀越御所を襲ったのが見えたかもしれない。<br>    かつては、この時が戦国の始まりとされていた。<br><br>    早雲が茶々丸を堀越御所から逐った後、韮山城を本拠地とした。後北条氏の本拠地が小田原に移ったのは、後北条氏2代の北条氏綱からで、早雲は生涯、韮山城が居城だった。ということは、早雲はかつてこの辺を日常的に歩き、ここから同じように韮山の地を眺めていたかもしれない。早雲亡き後も、韮山城は北条氏の伊豆支配の中心地として機能した。<br><br>    早雲の伊豆討ち入りから約100年後の天正18年(1590年)、豊臣秀吉による関東侵攻がはじまった。韮山城では、豊臣秀吉の4万4千余の大軍を相手に、後北条氏4代北条氏政の弟、北条氏規が3600の兵で3ヶ月間持ちこたえたという。しかし、北条方の有力な支城郡が落城し、後北条氏にとって絶望的な状況となったため、説得に応じて開城した。<br>    その豊臣政権も、秀吉の死後、関ヶ原の戦いと大阪の陣を経て、滅亡し、日本は徳川幕府による近世を迎える。<br><br>    このように、韮山は、東海道から奥まった土地であるにも関わらず、中世という時代の大舞台となった不思議な土地なのである。

作成日:2014/5/16 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 伊豆の国市

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