【狩野城の月見曲輪】<h2>修善寺の要地、柏久保城</h2>
<p>その日、三島駅から修善寺駅へ行き、修善寺駅から柏久保城を訪問した。</p>
<p>明応2年(1493年)北条早雲は伊豆討ち入り、堀越公方・足利茶々丸のいる堀越御所を落とした。南下する早雲勢は、中伊豆の狩野勢と激突した。狩野氏は平安以来、中伊豆に蟠踞する勢力で、茶々丸に味方した。両者の衝突点が、現在の修善寺駅の東側の山城・柏久保城である。</p>
<p>柏久保城を狩野川沿いに南下すると、狩野城に至り、大見川沿いに東に行くと、大見城に至る。つまり、柏久保城は、2つの川の接結点にある要地だった。</p>
<p><a><img></a></p>
<div><em>北条早雲の伊豆討ち入り後の中伊豆勢力図マップ(1493-98年)。青色の城が早雲与党の城で、赤色の城が茶々丸与党の城である。</em></div>
<p><br>早雲は柏久保城・北側の急斜面を襲って、この城を落としたらしい。<br> 柏久保城の北側には、「新九郎谷」の石碑が建っている。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>二の郭から主郭方面を撮影。お堂辺りから主郭。当時、北条早雲に敵対していた狩野氏の本拠地、狩野城が南方にあったため、南側(左側)の土塁がある。</em></p>
<p>なお、大見城の大見三人衆は、早雲に味方した。大見三人衆は、狩野勢に攻められている柏久保城を後詰し、狩野勢を撃退したとのこと。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>狩野川が北流し、右手にクッキリ富士山が見える。ここからすぐ上流(左手前方面)で、大見川が狩野川に合流している。</em></p>
<h2>狩野城へ向う</h2>
<p>その日の予定では、柏久保城の次は、狩野城に行く予定だった。<br> 柏久保城は、富士山が見え、遺構もよく残っていて、想像以上によい山城だったため、予定よりも長居してしまった。</p>
<p>もう正午なので、途中で、どこかの店に入り昼食をとろることにした。</p>
<h2>向かい風</h2>
<p>もう11月も下旬だというのに、この日は強い南風が吹いている。しかも、南の天城山が高地で、北の三島が低地のため、ずっと緩い坂道が続く。<br> 分かっていたことなので、頑張って自転車を漕ぐ。</p>
<p>しばらくすると、後ろに自転車の気配がする。<br> 振り向くと、白髪の男性がサイクリングウェアでマウンテンバイクで走っていた。<br> よくあることなので、特に気にはしない。</p>
<p>南風がきつい。ちょっとした坂がはじまり、スピードが落ちる。<br> すると、後ろの男性が並走し、声をかけてきた。</p>
<p>「こんにちは。」<br> 「どうも、こんにちはー」</p>
<p>「どちらから来られたんですか?」<br> 「ええと、東京からです。」</p>
<p>「どちらへ行かれるんですか?」<br> 「狩野城です。」<br> 「私も同じ方向です。」</p>
<p>そんなことを話していると、坂がきつくなってきた。<br> 私は坂道に対して、ストイックな人間ではないので、あっさり自転車を降りた。<br> 男性も降りた。</p>
<p>坂を登ったところで、また乗って、一緒に狩野城に向うことになった。</p>
<h2>自転車で歴史談義</h2>
<p>風さえなければ、どうという距離ではなかったが、強い南風のために、話しながら、狩野城にノロノロ向う。<br> よく晴れた空に左右から山が迫る。風景があまり変わらないので、進んでいる感じはあまりしない。</p>
<p>話を聞くと、サイクリングウェアの男性は、大見城近くに住み、最近、伊豆の史跡をいろいろ周っているとのこと。</p>
<p>「なぜ狩野城に行こうと思ったんですか?」<br> 「北条早雲のことを調べているんです。さっきは、柏久保城に行ってきました。」<br> 「へえ、よく前は通るんですが、まだ登ったことはないんですよ。」<br> 「そうなんですかー」</p>
<p>「最近の研究では、北条早雲はすぐに伊豆を平定したわけではなく、5、6年かかったと言われています。ご存知のように、狩野城は狩野氏の本拠地で、北条早雲と は敵対関係にありました。狩野勢が柏久保城まで寄せてきたのを、大見三人衆が駆けつけて、狩野勢を撃退したそうですよ。」<br> 「はー、そうでしたか~」</p>
<p>とこんな感じで、いろいろと話をしていると、ついに狩野城まで来てしまった。<br> 腹が空いてきた。が、話が尽きない。</p>
<p>狩野城の北側の谷を通り、東側に出て、坂道を登った。</p>
<h2>狩野城の入り口</h2>
<p>「ここが狩野城の入り口です。」<br> 「あ、どうもいろいろご親切にありがとうございました。」</p>
<p>そういって、私は茂みに自転車を停めた。</p>
<p>すると、男性は<br> 「ええと、ここを登って行くと、私の別邸があるんですが、お茶でもいかがですか?そこからちょっと行くと、狩野の殿様が月見をしたという場所がありますよ。」</p>
<p>狩野の殿様が月見をした場所か、なかなか興味深い話である。<br> 狩野城を訪問したら、あとは帰るだけ。</p>
<p>「ええ、そうですか。うーん。。。」<br> 「じゃあ、お邪魔してよろしいですか」<br> 「どうぞどうぞ」<br> ということで、歩いて、男性の別邸にご案内頂いた。</p>
<p>西へ坂道を歩くこと10分弱で、別邸に到着。<br> 柿とコーヒーを頂きながら、早雲や狩野城の話、裾野の葛山氏の話などをした。柿では腹が満たされないので、非常用に買っておいた6個入りのレーズンパンを出して食べた。男性にも1つ差し上げた。<br> 時計を見ると、1時間半ほど経っていた。そろそろということで、月見の場所(月見山)に案内して頂くことになった。</p>
<h2>狩野城の月見曲輪</h2>
<p>別邸から歩くこと3分程度で、山道に入り、落ち葉をシャリシャリ踏みながら進む。</p>
<p>都合7分程度で月見曲輪に着いた。月見曲輪は、山城の痩せ尾根を平場にした感じで、北側に突き出ていた。しかし、北側は木々が茂っていて、見通しはほとんどきかない。ここで月見をしたとすると、南側を正面に幕を張ったのだろうか。</p>
<p>伝承によると、狩野の殿様(狩野茂光)が源頼朝とここで月見をしたという。<br> 頼朝は狩野の殿様と何を語らったのだろうか。</p>
<p>月見曲輪の北西隅に「狩野介茂光公観月之跡」と刻まれた石碑があった。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>源頼朝が伊豆で挙兵した時に(1180年)、狩野茂光は頼朝に味方したが、石橋山の戦いで、平氏勢力に敗れて戦死した。</em></p>
<p>石碑の横に小さなお堂があるが、朽ちつつある。代々、このお堂を管理されていた家があったそうだ。<br> なぜ朽ちつつあるのか、伺った気がするが、忘れてしまった。</p>
<h2>再び、狩野城の入り口</h2>
<p>いろいろと親切にして頂いたサイクリングウェアの男性に狩野城の入り口まで送ってもらい、そこで別れた。</p>
<p>この男性と知り合うことがなければ、月見曲輪に行くことはなかっただろう。<br> そして、狩野の殿様と頼朝の月見を空想することもない。</p>
<p>一期一会の妙を噛み締めながら、私は狩野城に入っていった。</p>
<p>(終)</p>

狩野城の月見曲輪

作成日:2014/6/26 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

狩野城 柏久保城 フィールドをゆく 北条早雲

ノートのタグ一覧

金沢城 神泉苑 平安京 祇園御霊会 祇園祭 法成橋 善女竜王社 歴史地図 石垣刻印 江戸城撮影ポイント 縄張図 足利義政 下総千葉氏 応仁の乱 山吹伝説 本佐倉城 谷中湖 東日本大震災 震災シミュレーション小説 長尾景春の乱 臨済寺 北川殿 安倍川餅 絵地図 さった峠 七沢城 小田原城 疾き雲のごとく 鎌倉街道上道 立河原の戦い EOS-6D 赤浜の渡し 飯田河原合戦 上条河原合戦 高見原合戦 杉山城 鎌倉歴史散歩 五十子陣 狩野城 柏久保城 大塚遺跡 環濠集落 上杉定正 上杉顕定 長享の乱 一眼レフカメラ SX280HS 歴史小説 世界史古代 淀古城 鳥羽・伏見の戦い 仁徳天皇陵 古墳 小西行長 鉄砲鍛冶 ナポレオン・ボナパルト 鎌倉 伊東玄朴 織田信長 軍師官兵衛 山崎の戦い 明治天皇 幕末 近藤勇 フィールドをゆく 天守台 カメラ 箕輪城 動画 ペリー来航 三浦道寸 歴史番組 淀殿 淀城 武田信虎 英雄たちの選択 関ヶ原の戦い 歴史アプリ 江戸城 伊東潤 第三台場 番所 二の丸御殿唐門 古地図 二の丸御殿 問注所 式台 遠侍 二条城二の丸御殿 黒書院 蘇鉄の間 大広間 本丸櫓門 二条城本丸 二条城本丸御殿 和宮 孝明天皇 荒木村重 千利休 サスケハナ号 桃山門 下田港 二条城本丸西枡形 二条城三重櫓跡 二条城天守台 福岡城 お堀 恵林寺 川田館跡 曽根勝山城 大井信達 信玄堤 聖牛 椿城 富田城 飯田河原の戦い 上条河原の戦い 躑躅ヶ崎館 積翠寺 要害山城 二条城二の丸東南隅櫓 二条城西南隅櫓 二条城西門 二条城外堀 天守再建 ペリー艦隊来航記念碑 武田勝頼 人物記事 第六台場 影武者 ニュース 下田城伝天守台 志太ケ浦展望台 下田城 宝福寺 ハリス ヒュースケン 玉泉寺 明石海峡大橋 姫路城中ノ門跡 姫路城大手門 姫路城内濠 姫路城の鯱 姫路城上山里下段石垣 野面積み 姫路城天守・西の丸 姫路城菱の門 姫路城天守 姫路城百間廊下 狭間 空撮 二条城 下田 北条早雲 石切り場 NHK大河 ロケ地 発掘調査 吉田松陰 資料 幕末維新 豊臣秀吉 大坂城 太田道灌 ペリー 鎌倉七口 細川幽斎 姫路城 小田原戦役 ライブカメラ 井伊直弼 向島城 淀川 復元 巨椋池 伏見城 伊達政宗 品川台場 伏見城の戦い 写真 前田利家 国会図書館 人物相関図 伏見 桜田門外の変 坂本龍馬 石田三成 福島正則 寺田屋 豊臣秀頼 長崎海軍伝習所 高杉晋作 大塩平八郎の乱 徳川家康 小山評定 前田利長 大谷吉継 石垣原の戦い 黒田官兵衛 大友義統 京極高次 上田城の戦い 上田城 地図 ライトアップ 芹沢鴨 山南敬助 浦賀 田辺城 観光パンフレット 鷺山城 斎藤道三 斎藤義龍 美濃 長崎 岐阜城 大河ドラマ 長州藩 花燃ゆ 円空 大垣城 土方歳三 司馬遼太郎 戦国 日比谷濠 新選組 西本願寺 親鸞 渋谷 熊本地震 熊本城 勝海舟 河村瑞賢
ノート【更新順】
岡山県の没落武士
江戸東京たてもの園を訪問
コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
もっと見る
ノートまとめ【更新順】
関ヶ原の戦いの動画
淀川の城
姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
もっと見る
歴史年表【更新順】
『おんな城主 直虎』年表
花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
歴史家・歴史小説家とその時代
もっと見る
特集
関ヶ原の戦い
幕末維新
文明論
北条早雲
人物【更新順】
子母澤寛
周布政之助
小田村伊之助
もっと見る
出来事【更新順】
新型コロナウィルス感染拡大に伴い、東京など7都道府県で非常事態宣言が発令
中国の武漢で新型コロナウィルスが人に感染
令和に改元決定
もっと見る
世界史古代概論
世界史古代概略
ローマと前漢、不思議な成立の符合
古代の日本と西欧
戦国のはじまり
早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
お知らせ
特集ページを追加
検索ページを追加しました
ドメイン変更のお知らせ
もっと見る
歴ウス
公式Twitterページ
歴ウス
公式Facebookページ
歴ウス
公式YouTubeチャンネル