【「現代に甦る山吹伝説?」-その後-】<div>この話は、「<a>現代に甦る山吹伝説?</a>」の続きです。</div>
<h2>再び、本佐倉城へ</h2>
<p>道灌と違って、首尾よく蓑ならぬ傘をもらった私は再び本佐倉城に向かった。 <br>これで雨は怖くないのだから、このまま大人しく帰ることはあるまい。何より、この城をもっと見てまわりたい。</p>
<h2>古城で稲妻</h2>
<p>傘を手に、勇躍、城を歩き始めたのはよいが、今度は辺りが急に暗くなってきて、雨に加えて、雷が鳴りはじめた。次第に、雷は近づいてきているようで、光と音の間隔がどんどん狭くなってくる。誰もいない夕方の古城というシチュエーションで、バリバリバリとくるのだから、迫力がある。自宅で雷が鳴っても、近くに雷が落ちて、家電がダメになることを心配する程度だが、もし不運にもここで直撃弾を食らうと、下手をすると、あの世行きである。</p>
<p>まだ、雷が遠いうちは無視して見てまわっていたが、尋常な感じではなくなってきたので、一旦、木陰に隠れることにした。</p>
<p>しばらくすると、雷も過ぎ去ったようで、雨も弱くなってきた。 <br>やれやれと思い、私はまた動きはじめた。</p>
<p>「東山」という大きな土塁を抜け、印旛沼方面の「東光寺ビョウ」というそこそろ広い草地に出たとき、その光景に私は息を呑んだ。自然は訪れた者にたまにこういう景色を見せてくれるのである。</p>
<p><img></p>
<p><em>2010年4月24日撮影</em><br><em>写真右側の盛り上がったところが「東山」で、その左に道が虎口である。この虎口を抜けて、左に進むと、「東光寺ビョウ」がある。</em></p>
<p><img></p>
<p><em>2010年4月24日撮影</em><br><em>雷雨の後に現れた光景:「東光寺ビョウ」より北向きに撮った一枚 この風景から、かつてのこの城の姿を想像できる。つまり、沼や田に囲まれた、近づき難い堅城の姿である。</em></p>
<h2>そんなことを言われても。。。</h2>
<p>感慨に耽っていると、何か看板が立っているのが目に入った。よく見ると「マムシに注意!」というようなことが書かれている。私は何か以前にも同じような感覚を覚えたことがあった。</p>
<p>そう、あれは数年前、友人が運転するクルマで東北の秘湯に行った時のことである。自他共に認めるボロボロのクルマにのって、細く危険そうな山道を進んでいた。そうすると、「落石注意!」とある。それって、気付いたときにはどうにもならへんのとちゃうかというあの感覚である。なお、落石も脅威だったが、クルマが最後までもつのかという恐怖のほうが強かったのは言うまでもない。</p>
<p>草むらの中にいるマムシをどうやって見つけるのだろうか、何せ、草は膝ほどの高さなのである。おそらく、見つけたときと咬まれたときはほぼ同時だろう。私はそれでも慎重に歩みを進めつつ、マムシと遭遇しないことを祈った。</p>
<h2>祈りと装備</h2>
<p>祈りが通じたのか、そのときも含め、私は今までヘビに咬まれたことはない。 <br>以前、友人がヘビに咬まれたのを目撃したことがあるが、幸運にも咬まれた場所が彼の靴のゴムの部分だったため、無傷だった。その時の友人の狼狽ぶりは忘れられない。むろん、彼を嗤っているのではなく、不意に命の危機が迫ると、人間はああなるのだというよき教訓を得たという話である。 <br>こういったことを見ているので、私は城に行くときはジーンズとトレッキングシューズを履いていくことにしている。であるから、もし咬まれたとしても、無傷で切り抜けられるかもしれないという淡い期待を持っている。</p>
<h2>暗闇迫る</h2>
<p>雷雨が過ぎ去って、少し明るさも戻っていたが、しばし城を見ていたら、今度は本当の夕闇が迫ってきた。そろそろ、帰宅するときが来たようだ。私は自転車に乗り、印象的なことが多かった本佐倉城を後にした。</p>
<p>(終)</p>

「現代に甦る山吹伝説?」-その後-

作成日:2014/6/22 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

山吹伝説 本佐倉城 フィールドをゆく 室町体制崩壊期の関東と太田道灌ーフィールドをゆく(2)ー

【本佐倉城の東光寺ビョウ】<p>印旛沼方面の田んぼが広がる本佐倉城の北側、東光寺ビョウ。<br>2010年現在の案内板には、発掘調査中で、東光寺ビョウの使われ方を調べているとのこと。</p>

本佐倉城の東光寺ビョウ

作成日:2014/6/22 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

千葉県 印旛郡

【本佐倉城のⅣ郭から東山にかけて】<p>写真を撮っている辺りが本佐倉城のⅣ郭で、中央右下が東山馬場で、右上が東山。<br>東山は北側(印旛沼方面)と東側からの攻撃に対して、睨みを効かせる位置にある。</p>

本佐倉城のⅣ郭から東山にかけて

作成日:2014/6/22 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

千葉県 印旛郡

【現代に甦る山吹伝説?】<h3>伝説となった名将、太田道灌</h3>
<p>皆さん、太田道灌という人物をご存知だろうか。享徳の乱でその武名を馳せただけではなく、歌も詠み、教養人としても知られた人である。 戦前ぐらいまで、太田道灌は文武両道の伝説的有名人だった。</p>
<div> </div>
<p>数 ある道灌伝説の中でも、山吹伝説は三本の指に入るほど有名だ。年配の方はご存知の方も多いだろうが、若い人のために若干の説明をしよう(なお、この伝説に は細部でバリエーションがあるので、本やネットで調べると、微妙に違う話に出くわすかもしれないが、大体以下のような話だ)。</p>
<h3>山吹伝説</h3>
<p>ある日、道灌は鷹狩りに出かけた。いつしかにわか雨が降ってきたので、彼は近くの小屋に立ち寄り、雨よけの蓑を借りようとした。道灌が小屋の家人を呼び、用件を伝えると、若い娘が無言で一輪の山吹(<a>ヤマブキ</a>)の花を道灌に差し出した。欲しかったのは蓑であり、花ではない。意味が分からなかった道灌は立腹して立ち去った。</p>
<p>あとで、道灌がそのことをある人に聞くと、</p>
<blockquote>
<p>七重八重(ななえやえ) 花は咲けども 山吹の<br>  みの(実の、蓑)一つだに なきぞ悲しき</p>
</blockquote>
<p>という古歌(後拾遺和歌集)に託して、その娘は貧しくて1つの蓑さえないことを伝えたのだと分かった。道灌はこのことを恥じ、以後、和歌の道に励んだという話だ。</p>
<p>なお、この山吹伝説の地として、越生と新宿の2つが有名である。</p>
<h3>下総千葉を走る</h3>
<p>さ て、現代に話を戻そう。 私は今年(2010年)4月下旬に、千葉の道灌ゆかりの地をまわっていた。その日、すでに臼井城を見て、印旛沼のサイクリングロードを通り、本佐倉(もと さくら)城にやってきたころには、すでに夕方の気配が漂い始め、分厚い雲が足早に流れていた。</p>
<h3>本佐倉城へ</h3>
<p>本佐倉城は、太田道灌と対立した下総千葉氏の本拠地で、印旛沼に接した堅固な城だった。文明16年(1484年)、千葉孝胤が築城したという。</p>
<p>私が城に入る前に、散歩から帰るという感じの老夫婦とすれ違った他は誰にも会わなかった。 城の中に入っていくと、城内は整備されており、遺構は良好に保存されていた。城の規模は大きく、当時の千葉氏の権力の大きさを感じさせた。</p>
<p><img></p>
<p><em>左手が城山曲輪。きれいに整備されているのが分かる。突き当りを左に行くと、虎口がある。</em></p>
<div> </div>
<p><img></p>
<div><em>比高が10mもあるという大きな空堀(倉跡とセッテイ間の空堀)。</em></div>
<div> </div>
<h3>にわか雨、そして。。。</h3>
<p>しばらく見てまわっていると、にわか雨が降ってきた。<br>その日は雨が降る予報は全くなかった。雨具は持っていない。だがよく考えると、それは東京の予報であって、千葉の予報は見ていなかった。などと考えているうちに、本降りになってきた。このままだと自転車が濡れるので、カバーをかけに城の入り口に戻った。</p>
<p>自転車を置いたところに着いた時には濡れネズミ状態だった。 <br>城の入り口には民家があり、そこに農作業を終え、帰ろうとする女性がいた。濡れネズミを哀れに思ったのか、この女性は声をかけてくれた。 「雨が降ってきたわね。ちょっと待ってなさい。傘を持ってきてあげるから。」 そういって家に入って行き、傘をとってきてくれた。</p>
<p>「これ、あげるから持っていきなさい。」 <br>「えっ、いいんですか?」 <br>「いいの、いいの。持っていっちゃいなさい。」 <br>「どうもすいません。ありがとうございます。」 <br>私は感謝の言葉とともに、丁寧にお辞儀した。</p>
<p>「どこから来たの?」 <br>「東京の江東区です。」<br> 私がそう答えると、<br>少し驚いたふうに<br> 「ほんとに!?」<br> 「いやあ、あの折りたたみ自転車を電車に乗せて、近くの駅で降りて、この城に来たんですよ。」 <br>「へえー、そうなの。」女性は納得顔になった。 <br>「暗くなってきたから、気をつけて帰ってね。」なんていい人だろう。いろいろな土地を巡っていると、土地の人の善意に触れることが度々あるが、今回は指折りの出来事だった。<br> 「ありがとうございます。」 私はその女性にお礼と別れを告げ、傘を差して城に向かって歩き出した。</p>
<h3>現代版、山吹伝説か???</h3>
<p>この話、500年前の話と少し似ていないだろうか? 偶然にしては少し出来過ぎた話のようだが、実話である。特に道灌ゆかりの地を巡っていたので、余計に印象的な出来事だった。</p>
<p>(終)</p>

現代に甦る山吹伝説?

作成日:2014/6/21 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

山吹伝説 本佐倉城 フィールドをゆく 室町体制崩壊期の関東と太田道灌ーフィールドをゆく(2)ー 千葉県 印旛郡

【本佐倉城のセッテイ空堀】<p>比高が10mもあるという大きな空堀(倉跡とセッテイ間の空堀)。<br>セッテイは人質郭と考えられているとのこと。</p>

本佐倉城のセッテイ空堀

作成日:2014/6/21 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

千葉県 印旛郡

【本佐倉城の城山曲輪】<p>左手が本佐倉城の城山曲輪。きれいに整備されているのが分かる。<br>突き当りを左に行くと、虎口がある。</p>

本佐倉城の城山曲輪

作成日:2014/6/21 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

下総千葉氏 千葉県 印旛郡

【北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-】<h2>はじめに</h2>
<p><strong>伊東潤『疾き雲のごとく-早雲と戦国黎明の男たち- 』</strong>と絡めながら、北条早雲の生涯を見ていきたいと思います。 <br>なお、早雲の年表は当ページの最後に付しておきました。 私は早雲の生涯をざっくり4期に分けました。 以下、各期の概要をみていきましょう。</p>
<h2>第1期:1456-1486 (早雲、出生から30代まで)</h2>
<p>第 1期は早雲が歴史の表舞台に現れる以前で、彼の動きに謎が多い期間でもあります。具体的には、早雲出生(1456年)から太田道灌が謀殺される(文明18 年(1486年))までの期間です。 <br>この時期、若き早雲は幕府に出仕する一方、建仁寺や大徳寺で禅の修業もしています。また、一般には文明8年(1476年)に起こった今川家家督相続問題を 調停したと言われています(*)。<br>数え年で、早雲が21歳の時のことです。</p>
<p><em>(*)文明8年(1476年)に、駿河 守護の今川義忠が遠江で戦死して、今川家に家督相続問題が起きました。定説や歴史小説では、北条早雲が扇谷上杉氏の家宰、太田道灌に話をつけて、今川義忠 と早雲の姉、北川殿の嫡男である龍王丸(のちの今川氏親)が成人するまでの間、小鹿範満(今川義忠の従兄弟)を暫定駿河守護にすることで落着されたとされ ています)。</em></p>
<p>『疾き雲のごとく』では、第1話「道灌謀殺」でこの辺りのことが書かれています。</p>
<h2>第2期:1487-1505 (早雲、40代の頃)</h2>
<p>第 2期は小鹿範満を討って、今川氏親を擁立した長享元年(1487年)から長享の乱が終わる永正2年(1505年)頃までの期間で、早雲は幕府の関東出先機 関として、または、今川家の部将として動いていた時期です。この時期、早雲は伊豆に討ち入り、数年かけて制圧し、さらには小田原城を落としています。</p>
<p>『疾き雲のごとく』では、以下の4話が対象期間です。</p>
<ul>
<li>明応2年(1493年)の伊豆討ち入りを書いた第3話「修善寺の菩薩」</li>
<li>明応3年(1494年)の扇谷上杉定正の荒川渡河作成失敗を書いた第2話「守護家の馬丁」(早雲は、定正と同盟しており、この戦いに参陣していました)。</li>
<li>大森一族の没落(小田原城攻略戦)を書いた第4話「箱根山の守護神」(攻略した年は正確には分かりません。明応5年(1496年)から文亀元年(1501年)までには早雲は小田原城を攻略しています)。</li>
<li>長享の乱、最後の大戦となった立河原合戦(永正元年(1504年))を書いた第5話「稀なる人」</li>
</ul>
<h2>第3期:1506-1512 (早雲、50代前半から半ば頃)</h2>
<p>こ の頃から、早雲は関東の一勢力として独自の動きを展開しはじめます。永正4年(1507年)、京都で細川政元が暗殺されて、政元に追放された10代将軍、 足利義材が大内義興と細川高国の後ろ盾を得て復権します。本来であれば、政元派であった早雲は窮地に陥るところでしたが、数年前から義材派に鞍替えしてお り、京都の政変による荒波も乗り越えました(なお、この荒波をもろにくらって、沈没したのが越後上杉氏で、その同盟勢力の山内上杉氏も大打撃を受けまし た)。そして、永正6年(1509年)頃から、ついに早雲は両上杉氏に対する戦いをはじめます。</p>
<h2>第4期:1513-1519 (早雲、50代後半から死去まで)</h2>
<p>第 3期に両上杉氏に対する戦いをはじめ、攻勢に出た早雲でしたが、両上杉氏が結束するとやはり国力に雲泥の差があるため、早雲勢は小田原城付近まで押し込め られて、窮地に陥ります。しかし、永正9年(1512年)頃から、古河公方と山内上杉氏の後継者問題が発端となって、また両上杉氏は戦い始めました。その 隙を突いて、早雲は東相模の三浦氏を攻撃し、3年以上にも渡る攻囲戦の末、永正13年(1516年)7月11日に三浦道寸の籠る新井城を落としました。こ こに、早雲は生涯で伊豆と相模を手中に収めることに成功しました。そして、仕事を成し遂げた早雲は、その3年後に死去します。 <br>『疾き雲のごとく』では、最終の第6話「かわらけ」で三浦一族の滅亡(早雲の東相模攻略戦)が書かれています。</p>
<h2>最後に</h2>
<p>こ うして見ると、『疾き雲のごとく』の話が第2期に集中していることが分かります。それに対して、第3期は第5話「稀なる人」の最後の方と第6話「かわら け」の最初の方で触れられているだけです。しかし、実は第3期は、唖然とする程、話がもつれ、いろいろな人物が出てきては消えていく激しい変化が起こって います。ですから、この時期が重要でなかったわけではありません。</p>
<p> </p>
<div> </div>

北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-

作成日:2014/6/21 , by fuji3zpg 開く

フィールドをゆく 北条早雲 室町から戦国時代への動きと北条早雲の生涯ーフィールドをゆく(1)ー

【英雄たちの選択「尼将軍北条政子の決断 時代を動かした名演説」を見る前に】<p>2014/6/19(20-21時)のNHKBS「英雄たちの選択」は、承久の乱における北条政子の決断です。<br>”<a>尼将軍北条政子の決断 時代を動かした名演説</a>”</p><br><p> </p><br><p>源頼朝の死後、頼朝の側近勢力・有力御家人・北条氏勢力などが権力闘争を展開し、鎌倉幕府は一枚岩とは言えない状態でした。<br>北条政子の子、源頼家・実朝は2代・3代将軍となりましたが、この権力闘争の中でいずれも落命します。<br><br>常識的に考えると、政子は母としての幸福と不幸を両方味わったのではなないでしょうか。<br>激動の時代、権力者は何の犠牲もなく、権力を維持できるわけではありません。<br><br>実子である3代将軍・源実朝が暗殺されて2年後、朝廷復権を企図した後鳥羽上皇は北条義時追討の院宣を発します。<br>動揺する鎌倉幕府の御家人たち。<br><br>そんな不安定な情勢の最中、北条政子が下した決断とは!<br><br>■ 承久の乱と北条政子の年表を作っておきました。<br>・<a>承久の乱の時、北条政子はじめとする要人が何歳であったか</a><br>・<a>北条政子の人物年表</a></p>

英雄たちの選択「尼将軍北条政子の決断 時代を動かした名演説」を見る前に

作成日:2014/6/19 , by rekius 開く

英雄たちの選択

【山中城の箱井戸跡】<p>箱井戸跡。将兵用の飲料水に使われたとのこと。<br>西側の田尻の池よりも標高が高く、ここから田尻の池に水が流れた。<br><br>現在は睡蓮が植えられている。</p><br><p>奥に進むと、馬飲料用の田尻の池がある。</p>

山中城の箱井戸跡

作成日:2014/6/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 三島市

【山中城の田尻の池】<p>田尻の池は馬用の飲料水に使われたという。<br>手前に見えるように、田尻の池から三の丸堀に排水された。</p><br><p>右奥に、将兵飲料用の井戸(箱井戸跡)がある。</p>

山中城の田尻の池

作成日:2014/6/17 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く

静岡県 三島市

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北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
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