fuji3zpg さん
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場所 武蔵
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【江戸城】巽櫓。江戸城に3つ現存する櫓の1つ。

作成日:2012/9/9 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

江戸城の写真特選アルバム 東京都 千代田区

【躑躅ヶ崎館】西曲輪の堀

作成日:2012/9/9 , by fuji3zpg 開く

【鉢形城】畝堀

作成日:2012/9/9 , by fuji3zpg 開く

冬の鉢形城

【小田原城】天守

作成日:2012/9/9 , by fuji3zpg 開く

【歴史と防災-その2 震災シミュレーション小説-】<h2>巨大地震が起こったら、どういうことが起こるのか、震災シミュレーション小説で疑似体験しておく</h2>
<p>東京直下型地震や東海地震などの巨大地震が起こった場合、実際、どういうことが起こるのだろうか。<br> 興味のある人は、震災シミュレーション小説を読んでみるとよいと思う。震災シミュレーション小説は、各分野の専門家が分析し、想定したリスクを、小説家が物語の中に埋め込む形で作らている。歴史小説が、歴史学を前提に、物語化しているのに似ている。</p>
<h2>震災の流れを理解し、その時が来たらどうすべきか考える</h2>
<p>こういった小説を読んでおくと、震災発生から被害の拡大、収束へのシナリオが大体理解できると思う。その中で、防災グッズの使い方も学べる。<br> <a>その1</a>でも述べたが、実際にどうすべきかは人によって異なる。たとえば、マリナーズのイチロー選手と寝たきりのおじいさんに対するアドバイスは違うだろう。<br> どこに住んでいるか、どこで働いているか、そして、その時どこにいるか考え出したら、現実的なパターンでも多数あることが分かる。したがって、主要ないく つかの状況を「想定」して、自分や家族のための事前計画と準備をしておくことが望ましい。大災害の場合は特に、初期の混乱期は自力で生き抜くことを前提に 考えたほうがよいと思う。</p>
<p>数日前、私は成美堂出版編集部 『地図で読む東日本大震災―大震災・福島原発・災害予測 (SEIBIDO MOOK 今がわかる時代がわかる日本地図別冊)』という本を買った。</p>
<p>パー ト1が「大地震」、パート2が「福島原発」、パート3が「災害予測」となっている。「地図で読む」とある通り、どの地域がどの程度やられたかよく分か る。よくぞ、これだけまとめてくれたものだ。時間があるときに、この手の本を読んで、津波を伴う海溝型地震と原発事故対策の参考にしてもらいたい。</p>
<div>内陸部の震度が高い地域、関東平野の内陸部の液状化被害、農業用溜池の決壊によって死者行方不明者が出ていることなど、割と気づきにくい情報も載っている。</div>
<h2>考慮すべきリスク</h2>
<p>住んでいる場所にもよるが、日本に住んでいる以上、考えていくべき自然災害のリスクとして、その1で、「一般的に、自然災害としては、火山噴火、洪水、地震、津波、液状化が考えられる。」と述べた。これらのリスクを念頭に、震災シミュレーション小説の紹介をしていきたい。</p>
<h2>震災シミュレーション小説の紹介</h2>
<p>私が読んだ中で、参考になりそうな震災シミュレーション小説を挙げておくので、興味のある方はご覧いただきたい。読む順番も上から下へ読むとよいと思う。<br> 小説を読んだあとで、ナツメ社などから出ている一般向けの火山噴火、地震(津波)、洪水(気象)などに関する本を読んでおくと、原理的にも現象が理解できる。</p>
<p>私が読んだ中で、『巨大地震―地域別・震源、規模、被害予測 (ニュートンムック Newton別冊)』がよかった。</p>
<p>あと、NHK高校講座の「地学」も参考になる。<br> http://www.nhk.or.jp/kokokoza/</p>
<h2>震災シミュレーション小説-直下型地震-</h2>
<h3>福井晴敏 『平成関東大震災--いつか来るとは知っていたが今日来るとは思わなかった』</h3>
<div>東京湾北部で直下型地震が起こる話である。主人公は普通のサラリーマン(妻と2人の子どもがいる)で、新宿にある都庁のエレベータで被災し、墨田区の自宅ま で徒歩で帰宅する姿を描いている。直下型地震と地震によって引き起こされる火災、特に木造密集市街地(木密)の危険が描かれている。隅田川以東は液状化についても言及されている。</div>
<p>小説の中に、地震の基本的な知識から震災時の行政機構の話、防災グッズの紹介まで、読者に役立つ情報がコンパクトにまとめられている。もし時間のない人は、この1冊だけでも読んでおくとよいと思う。</p>
<p>この本の副題に注目していただきたい。「いつか来るとは知っていたが今日来るとは思わなかった」である。これ以上、的確な表現を私は知らない。</p>
<p>「キー、カシャーン、キー、カシャーン、・・・」</p>
<p>大揺れの六本木ヒルズの40階で、あの金属音を聞きながら、まさに私が思ったことだった。</p>
<p>あの時死んでいたら、私は無念に思っただろう。事、未だ成らず。もう少し時間がほしかったという思いとともに。<br> あの震災で亡くなった人々も同じような思いであったのではないか。無念にも突然この世を去ることになった。自分たちの死を無駄にしない様にしてほしい、そ う願っているように思う。本来、当サイトで震災の話を書くつもりはなかったが、こうして書いているのは彼らに対する私なりの供物なのである(また、将来世代への警鐘でもある)。</p>
<h3>高嶋 哲夫 『M8』</h3>
<div>M(マグニチュード)8の地震が首都直下で起こる話。<br> 阪神淡路大震災の被災者である主人公が地震研究者になり、コンピュータシミュレーションを使って、首都直下地震を予測する。そして、巨大地震が東京を襲う。</div>
<p>直撃は免れたものの、私は阪神淡路大震災も京都で経験している(京都は震度5強だった)。という訳なので、直下型地震の揺れ方は知っている(というか、思い知らされた)。その経験がまざまざと蘇っている迫真のストーリーだった。<br> 他の震災小説でも同様だが、効率性と安全性という原則的に相反する方向性のバランスをいかにとるかという難しい問題が重要なテーマになっている。その答えと対策が次の大災害被害の規模に反映される。</p>
<h2>震災シミュレーション小説-洪水-</h2>
<h3>高嶋 哲夫 『東京大洪水』</h3>
<div>台風は年中行事のようにやってきては被害を与える。だが、たいていは家で寝ていたら、通りすぎていく。しかし、想定を越えた巨大台風が起こった場合どうなるか、当作品ではそれをシミュレートしている。具体的には、江東区を含む荒川低地水没の危機を描いている。</div>
<p>近 年、隅田川は氾濫していない。私は堤防の技術的なことは知らないが、あの薄く、儚気な堤防を見て、本当に大丈夫なのかと思ったのは私だけではないだろう (ちなみに、荒川の堤防は立派に見える)。実際、江東区が出している洪水ハザードマップを見ると戦慄が走る。</p>
<p>荒川低地に限らず、低地に住んでいる人は次の台風シーズンまでには読み、安全な退路を確保してもらいたい。</p>
<h2>震災シミュレーション小説-海溝型地震:東海地震-</h2>
<h3>高嶋 哲夫 『TSUNAMI』</h3>
<div>またもや、高嶋氏の本。テーマはズバリ津波。<br> 東海地震が発生し、地震と津波で東海地方が壊滅する様子が描かれている。<br> そんな中、浜岡原発で事故が発生する。</div>
<p>あの震災を経験してから読んだので、正直うなった。地域が違うだけで、東日本大震災で起こった要素が次々に出てくる。この本は2005年出版なので、むろん、東日本大震災以前に書かれている。<br> 東海地震は海溝型地震なので、繰り返し起こる。次の東海地震に備える意味でも読んでおきたい。だが、かなり衝撃的なシーンもあるので、要注意。</p>
<h2>震災シミュレーション小説-火山噴火-</h2>
<h3>石黒 耀 『死都日本』</h3>
<div>火山噴火というと、雲仙普賢岳の火砕流や昨年にヨーロッパで空の便がストップしたことが記憶にあると思う。最近では、チリでの噴火が報道されている。その様子は当作品の描写を見ているようだった。<br> 数千年のサイクルで起こる巨大噴火(破局的噴火)が日本で起こったら、どうなるか、我々はなかなかイメージできない。しかし、東日本大震災では、千年に一度といわれる規模の津波が起こった(<a>貞観地震</a>)。こういった稀ではあるが、起こったら致命的な現象を無視してよいのか考えるよい機会になると思う。</div>
<p>この本は、火山と神話の話をまじえて書かれていて興味深い。火山がもたらす脅威は深刻だが、一方ではその恵みは長く、大きい。<br> おそるべき火砕流の様子はもの凄いが、火山灰のボディーブロー的効果は見逃せない。火山灰は紙や木の灰のように見えるが実際は鉱物が砕けたもので、肺に入 ると、肺の病気を引き起こす。水に濡れると固まるので、火山灰が屋根に積もってから雨が降ると、建物が重さで潰れることもある。そして、コンピュータの中に入ると、故障の原因になるという非常に厄介なものらしい。<br> 破局的噴火は発生頻度は低いだろうが、影響が深刻すぎる。</p>
<p>ここまで行かなくても、富士山は約300年前(宝永年間)に噴火し、都内まで火山灰が降っている。したがって、時期は不明だが、関東平野に火山灰が降ることは過去の事例からいって、あり得る話である。</p>
<h2>本を読む前に</h2>
<p>個人差はあると思うが、上記の本は読中、読後、かなりこわいと思う。</p>
<p>大震災の心の傷が癒えていない人、精神的に不安定な人や時は読書は控えたほうがよいかもしれない。まあ、余計なお世話かもしれないが。。。</p>
<p>はじめて経験することは「かつてない」ことと思いがちだが、自国や他国の過去を調べてみると、似たことはそれなりにある。ゆえに、時期は不明でも起きることが分かっており、かつ、秒殺されるおそれがあるものは労力をかけて調べる価値はあると私は思う。<br> 「あってはならないことは考えてはならない」という発想が「あってしまうと、対応が後手に回り、泥縄式に被害が拡大する」という我が国の負けパターンを、次こそは踏まないようにしたいものだ。</p>
<p>次というのは首都直下型地震と東海地震のことだ。<br> 日本の国土の構造上、いつか「そのとき」は来るのである。そのとき、あなたは何をしているだろうか。</p>
<p>(終)</p>

歴史と防災-その2 震災シミュレーション小説-

作成日:2011/5/29 , by fuji3zpg 開く

東日本大震災 震災シミュレーション小説 災害と防災ーフィールドをゆく(5)ー

【歴史と防災-その1 私が調布へ引っ越した理由-】<h2>江東区から調布市へ引越し</h2>
<p>今月中旬(2011年5月)に、東京都の江東区(両国国技館の南東約1km)、から同じく東京都の調布市(国領駅周辺)へ引っ越した。<br> 引っ越した主な理由は<br> 1)仕事上、必ずしも江東区にいる必要がなくなった<br> 2)江東区は災害が発生した場合、さまざまな危険があるが、調布市は比較的安全である<br> 3)賃貸契約の更新期限が迫っていた<br> といったところだ。</p>
<h2>江東区回想</h2>
<p>江東区には計8年間いたが、都心に近く(運動も兼ねて、東京駅の八重洲ブックセンターや神田の古書店街によく行っていた)、旧居の西側には隅田川が流れ、老舗の多い、落ち着いた街だった。また、当時は取引先が隅田川対岸の浜町にあったので、仕事上も都合がよかった。</p>
<p>この地域は便利な半面、災害には弱い。<br> 江東区は隅田川と荒川に挟まれた地域で、人口は約47万人、ゼロメートル地帯がかなりの面積を占め、地盤も弱い。旧居周辺は、20世紀には2度壊滅してい る(1923年の関東大震災と東京大空襲)。したがって、便利な半面、危険も少なからずあるため、それなりの対策は考えていた。</p>
<div>江東区より地盤が弱い地域として、千葉県の浦安市がある。実際、東日本大震災で、私が住んでいる近辺で液状化の影響は見られなかったが、浦安では発生した。 その辺の事情を「<a>歴史サイクリング in 浦安-東日本大震災から約50日が経過して-</a>」に書いておいたので、興味のある読者はご覧いただきたい。</div>
<h2>一般的な自然災害リスク</h2>
<p>一般的に、自然災害としては、火山噴火、洪水、地震、津波、液状化が考えられる。<br> 江東区は、火山噴火を除いた洪水、地震、津波、液状化のリスクを現実の問題として考える必要がある。ただ、資料を見る限り、津波についてはそれほど深刻ではないかもしれない。</p>
<h2>江東区民、悪夢のシナリオ</h2>
<p>江 東区住民にとって、一番マズいパターンは、東京湾北部で直下型大地震が発生し、建物に深刻なダメージを受ける。逃げようと思ったら、上からは看板がずれ落 ち、ガラスが雨のように落ちてくる。横からは自動販売機が倒れこみ、車が突っ込んでくる。何とか最初の1分を切り抜けたが、道路は瓦礫とガラスで歩きにく い。また、道路が液状化しており、一段と動きが鈍くなる。モタモタしている内に、強風に煽られて、火災旋風が発生して、一網打尽というケースだと思う。</p>
<p>実際、両国駅から数百メートル北西にある被服廠跡(現、<a>東京都慰霊堂</a>)では、関東大震災の時に火災旋風で3万8千人もの犠牲者が出たそうだ。</p>
<div>東日本大震災では広い範囲にわたって被害が出て、現時点で、死者、行方不明者が約2万5千人である。むろん、海溝型地震による津波はおそろしいが、人口が密集した都市部で発生する火災旋風も大きな脅威であることが分かると思う。</div>
<h2>おそるべし、火災旋風</h2>
<p>前出の火災旋風という現象がある。<br> Wikipediaで「<a>火災旋風</a>」 の記述を抜粋すると、「火災旋風(かさいせんぷう)とは、地震や空襲などによる都市部での広範囲の火災や、山火事などによって、炎をともなう旋風が発生 し、さらに大きな被害をもたらす現象。鉄の沸点をも超える超々高温の炎の竜巻である。」ということだ。過密な都市部で火災旋風が起こると、犠牲者の数が1 桁増えるという記述を何度も見た。</p>
<h2>私はどのような準備をしていたか</h2>
<p>私がとった対策として は、一般的な防災グッズの購入の他に、パンクしない自転車を買ったことだ。購入して、もう2年ほど経つ。この自転車はタイヤのチューブに空気ではなく、 ジェルが入っている。だから、たとえ釘やガラスを踏んでも、原理的にパンクしない。これで機動力を確保するのだ。パンクした自転車は用を為さないろう。大震災発生直後に、パンクした自転車を修理している暇はあるだろうか。<br> 東日本大震災発生後、大阪の業者がパンクしない自転車を被災地に送ったと報道されていた。</p>
<p>だが、パンクしない自転車も液状化した道路を本当に走れるのだろうか?<br> 浦安の液状化を見た現在、懐疑的にならざるを得ない。</p>
<h2>西へ</h2>
<p>旧居にいる時に火災旋風が起こると仮定すると、逃げる方向としては、西しかないというのが私の分析の結論だった。新大橋が落ちていないことを祈りつつ、西へ走って、皇居(旧江戸城)まで行くのである。皇居まで行けば、ひと安心だ。そこで情報を集めて、その場に留まるか、移動するかを決めればよい。</p>
<div>皇居は武蔵野台地の東の果てで皇居西側は高地になっている。また、忘れられて支援物資が届かないということもないだろう。ただ、東側は400年ほど前まで、 入り江になっていたことには注意したい。つまり、台風であれ、津波であれ、堤防を越えるほどの水がやってきたら、皇居東側にも水はやっているかもしれな い。</div>
<p>なお、西以外の方向に行っても、危険は増えても減らないと思う。</p>
<h2>本当に逃げ切れるか</h2>
<p>さて、江東区から皇居へ逃げる場合、道に迫った(主観的には圧迫感のある)低中高層の多数のビルの間を抜けていくことになるのだが、果たして無傷で通過できるか、甚だ疑問である。死んだり、手傷を負って、人さまに迷惑はかけたくないものだ。<br> 結局は、無事切り抜けられるかどうかは多分に運次第だと思う。</p>
<h2>火災旋風発生の可能性が低い場合は</h2>
<p>なお、雨が降っていたり、無風で火災旋風の発生が現実的ではない場合は、近くの決められた避難場所に避難するつもりだった。余震でガラスが落ちてきたり、建物が崩れたりする危険もあるからだ。移動するにもリスクがある。</p>
<h2>そのとき、どうする?</h2>
<p>震災に遭遇した場合、どうしたらよいのだろうか。一般解はないと思う。人や場所によって、状況が違うからだ。</p>
<p>私は自分なりに情報を集めて、上記のように考え、行動すべく準備していた。正しいかどうかは、そのときになってみないと分からない。読者にとって参考になるところがあれば、参考にしてもらいたい。</p>
<p>結局のところ、「どうするか」は本人が「そのとき」に判断する他ないと思う。<br> が、まずはどういうことが起こると考えられているのかを知ることは有効だと思う。そこで、「その2」では、私が有益だと思った震災シミュレーション小説をいくつか紹介したい。</p>
<p>(つづく)</p>

歴史と防災-その1 私が調布へ引っ越した理由-

作成日:2011/5/28 , by fuji3zpg 開く

東日本大震災 災害と防災ーフィールドをゆく(5)ー

【歴史サイクリング in 浦安-東日本大震災から約50日が経過して-】<h2>「歴史サイクリング」という位置づけ</h2>
<p>先日(2011年5月のゴールデンウィーク)、自宅から自転車で浦安まで行ってきた。<br> かつては、浦安と言えば、「夢と希望あふれるディズニーランドの街」というイメージだったが、最近は「液状化の街」というイメージも追加されたと思う。<br> テレビやYouTubeで浦安の液状化の様子を見たのだが、映像というのは得てして、被害の大きなところを写しがちだ。被害のないところを写しても、 「絵」にならない。つまり、映像は局所的な事実ではあっても、その地域全体の実体を写しているとは限らない。そこで、液状化という現象を実見してこようと 思った。<br> 東日本大震災は歴史的出来事であり、まだ、終わってはいない。間違いなく、後年、日本史の教科書に乗るだろう。浦安の液状化はそういう歴史的な震災によって引き起こされた。ゆえに、今回のサイクリングは、城巡り同様、歴史サイクリングという位置づけなのである。</p>
<h2>浦安に向け出発</h2>
<p>私 が住んでいる江東区の両国周辺は、ごく少数の古いビルが使用不要になったり、古い木造の建物の壁にヒビが入った程度で、液状化の被害はなかった(現在、ダ メージを受けた古い建物の建て替えが始まっているようだ)。テレビを見ていたら、江東区沿岸部の新木場の辺りで液状化が発生していると報道され、新木場の 近くに住む人が歩道に砂が浮いていたと言っていたので、自宅から南下して新木場へ行き、その後、東へ進路を変えて荒川を渡り、江戸川区の葛西を通って、浦 安に行くことにした。</p>
<h2>江東区の液状化ゾーン 新木場へ</h2>
<p>当日は晴れており、風も吹いてはいあるが、強すぎることもない。絶好のサイクリング日和だった。<br> 自宅を出発し、南下して夢の島公園まで来ても、震災前と特に変わったことはなかった。しかし、新木場駅の東側を走っていると、ついに見つけた。液状化である。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>2011年5月撮影<br>新木場の歩道。ガードレールの上まで砂が積もっているのが分かる。</em></p>
<p>「うーむ、これが液状化か」と思わず、そして、何度も唸った。<br> 歩道は砂だらけである。大震災からすでに50日ほど経過しているので、むろん、水は浮いていないが、直後はどうだったのだろうか。砂というのは実に歩きに くいもので、噴出した砂の量にもよると思うが、これでは自転車は走れないのではないかと思った。避難は自転車でと考えていた私にとってはショッキングな光 景だった。</p>
<p>まあ、車道の砂を歩道にあげた可能性もあるので、発生当時のままかどうかは分からないが。。。<br> もう1つ付け加えておくと、他の道路・歩道は通行に支障がないように、砂を路肩や建物の壁側に寄せたりして片付けられていた。一部新しい工事の跡があった ので、震災後、直したのかもしれない。写真の場所は通行が少ないところだったので、取りあえず、放置しているのだろうか。</p>
<p>さて、荒川を渡って、江戸川区の葛西に入った。私が走ったところに関していうと、震災の影響は見られなかった。あまり寄り道していると、浦安で時間を使えなくなるので、江戸川区を早々に走り抜け、浦安市に入った。</p>
<h2>浦安市</h2>
<p>浦 安市は旧江戸川と江戸川に挟まれた地域にある人口約16万人の市である。市域の7割以上が埋立地だそうで、地盤は大変弱い。私が住んでいる両国周辺も地盤 は弱いが、埋立地ではなく、隅田川によって流されてきた土砂が徐々に堆積した土地で、荒川低地と言われる。埋めたて地は荒川低地よりもさらに弱い土地だ。</p>
<h2>除雪された雪?</h2>
<p>旧江戸川を渡り終えた、その瞬間から、凄いことになっていた。<br> 旧江戸川を渡ってすぐの駐車場に積もった砂は、まるで豪雪地帯で除雪された雪のようだ。しかも、雪と違って、砂は溶けない。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>2011年5月撮影<br></em>旧江戸川を渡った直後の駐車場。<br><em> 写真の左側は車が停まれるようにきれいに整備されていた。</em><br><em> それなりに離れていたが、写真に入りきらないほどの砂だった。</em></p>
<p>砂の駐車場から数百メートル進んだところに住宅地があり、そこに入ってみると、テレビで映されていたような住宅があった。つまり、液状化で家が地面にめり込 んで、建築当初の地面とめり込んだ50cmほどの段差ができ、住民は家を放棄したのか、庭にテープが貼られていた。ただ、一番ひどかった家が最初にあった ため驚いたが、他の家は塀が傾いたり、地面が20cm程度ずれたりしているだけで、概ね住める状態だったように思った。実際、家の前で洗車をしたり、何か 作業をしている人は少なくなかった。</p>
<p>舞浜から見明川を渡り、湾岸道路の北、東野に入った。<br> ここでもやはり住宅にダメージがあったのだが、道を一本挟んだ富士見にはダメージはほとんど見られなかった。距離にして30mぐらいだろうか。地盤の違いでこういうことがあると本に書いてあったが、実際に見て、本当だったんだなと思った。</p>
<h2>交番ではないか!!!</h2>
<p>その後、湾岸道路を南東へ進むと、何だか明らかに砂にめり込んで傾いている建物がある。よく見たら、交番ではないか!!!</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em><em>2011年5月撮影<br></em>液状化で傾いた富岡交番。</em><br><em> 千葉県警察のHPに在りし日の富岡交番の姿が載っていた。私は傾いた姿しか知らないので、在りし日の勇姿を見て、妙な感慨があった。</em><br><em> <a>http://www.police.pref.chiba.jp/police/police_department/urayasu/pb_disp.php?pb_id=122&pd_id=13</a></em><br><em> *ホームページに「富岡交番(閉鎖中)」と書いてある。</em><br><em>2014/6/28追記: リンクをチェックしてみたら、富岡交番は建て直されたようだ。</em></p>
<p>信号で待っている間も、通行人がパチパチと交番を写している。中には興奮している人もいた。おそらく、地元の人ではないのだろう。私も道路を渡ったら、早速、パチリと撮った。こういった建物は、液状化の被害を忘れないように、液状化記念館などを作って、保存しておいたほうがよいかもしれない。<br> あとで調べたら、この交番は富岡交番だということが分かった。</p>
<h2>砂の山脈?</h2>
<p>しかし、後から振り返ったら、ここまではまだ序の口だったといえる。<br> ここから東京湾に出るべく、さらに南東に進んだが、歩行者道の路肩の上にパイプが通っていた。上水か、下水なのだろうか。地面を掘る余裕がなかったので、地上を這わせているのだろうか。さらに行くと、液状化で噴出した砂が掻き上げられ、延々と続いていた。<br> 繰り返すが、震災からすでに50日ほど経っているのである。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>2011年5月撮影</em><br><em>湾岸直前の道路。</em><br><em> 東側には高層マンションが立ち並ぶ。</em></p>
<p>そのとき、視界の左側に巨大なマンションがたくさん見えてきた。<br> 「うーわ、どうすんねん。」<br> 関西人なら、こういうだろう。<br> 相当の数の人が住んでいるはずだ。これらのマンションを買った人はローンもたんまり残っているだろう。もうインフラは回復したのだろうか。</p>
<h2>開放感のある湾岸風景</h2>
<p>さ て、東京湾沿いに出ると、日差しと風が実に気持ちいい。やはり、何もなければ、いいところなのだ。外洋に面したところほどではないにしても、相当な開放感 がある。釣り人も少なくない。ラジコンで遊んでいる人もいる。ここにいる限り、普通のありふれた休日だ。震災など、微塵も感じない。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>2011年5月撮影<br>東京湾に面した解放感のある風景。春の日差しと適度に吹く風が心地いい。</em></p>
<h2>幸せな空間</h2>
<p>湾沿いを東向きに進むと、高洲海浜公園に出た。<br> 多くの小さい子供たちがキャーキャーいって、遊んでいた。それを親たちが見守る。右手の自販機を見たら、何か張り紙が貼ってあった。何が書いてあったかは知らない。特に異常はない。平凡だが、幸せな空間だった。</p>
<h2>ついに出た・・・</h2>
<p>だが、公園を出ると、再び震災の跡が見えてきた。</p>
<p>地割れ、浮き上がったマンホール。</p>
<p><a><img></a></p>
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<em>2011年5月撮影</em><br><em>高洲海浜公園を出てすぐのところにあった地割れ。</em><br><em> コンクリートか何かが詰めてあるのが分かる。</em>
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<p><a><img></a></p>
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<em>2011年5月撮影</em><br><em>テレビで見たような浮き上がったマンホール。</em>
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<div> </div>
<p>テレビで見た「絵」がそこにあった。だが、奇妙なことに「絵」のマンホールを見ても、子供たちは興味を示さない。もう慣れたのだろう。<br> だが、私ははじめて見たので、身を乗り出して、パチパチ写真を撮っていた。実にすごかった。やはり、実物は映像とは違うものだ。巨大なエネルギーの跡を感 じた。私が何年かかって揺らしても、マンホールや地面はあんなふうにはならない。これも記念館に入れるべきだと思った。</p>
<p>しかし、上には上があった。高洲中央公園に行くと、もの凄いことになっているマンホールがあった。記念館行きは断然こっちだ。<br> むろん、もっとすごいのがあるかもしれないが、これ以上のものは見つからなかった。また、これで十分だ。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2011年5月撮影</em><br><em>もの凄いことになっている2つのマンホール。右側は放水設備のように見えた。私が見た中で、ここのマンホールが一番ひどかった。</em>
</div>
<div> </div>
<h2>公園のトイレをお使いください</h2>
<p>高洲中央公園から東に進み、境川を渡ると、明海の丘公園がある。5年ほど前に、一度、自転車で来たことがある公園だと気づいた。向かいの幼稚園らしき敷地の フェンスがジグザグに傾いているのを見ても、もう何とも思わなくなっていた。人間、慣れるものらしい。しかも、急速に。<br> 公園から前方(東側)を見ると、ファミリーマートの看板が見えた。ちょっとトイレに行って、ついでに何か飲食物を買おうと思って、このコンビニに入ろうとした。すると、入り口に何か張り紙が貼ってある。<br> 読むと、「現在、震災でトイレが使えません。郵便局の向かいの通りにある公園のトイレをお使いください。」というようなことが書いてある(郵便局の向かいの通りにある公園というのは明海の丘公園のこと)。<br> ここではじめて、まだコンビニですら、トイレが使えないことが分かった。店員も公園のトイレを使っているのだろうか。不便極まりないことだ。</p>
<p>私は数年前に訪れた、この公園で、今回の歴史サイクリングを終えることにした。すでに日は傾き、夕暮れ時の風が吹き始めている。再度、江東区の自宅まで自転車で帰らなければならない。</p>
<h2>もっと激しい揺れに襲われたら・・・</h2>
<p>震度5強でこの様子だと、もし東京都が想定しているようなマグニチュード7.3の東京湾北部地震が発生したら、一体、どうなるのだろうか。考えただけで、ゾッとする。東海地震も規模が大きければ、震度5ぐらいの揺れが来るかもしれない。<br> 「そのとき」までに、ここの住民、自治体、国はどうするのだろうか。震度6や7の揺れだと、今度は液状化だけでは済まないかもしれない。</p>
<p>公園の入り口にある、破壊された排水溝を見ながら、そう思った。</p>
<p><a><img></a></p>
<div><em>2011年5月撮影</em></div>
<div><em>明海の丘公園入り口の排水溝。</em></div>
<div> </div>
<p>(終)</p>

歴史サイクリング in 浦安-東日本大震災から約50日が経過して-

作成日:2011/5/20 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

災害と防災ーフィールドをゆく(5)ー

【東日本大震災と太田道灌、そして、江戸】<p>東日本大震災で亡くなった方のご冥福をお祈り致します。また、被災された方にお見舞い申し上げます。</p>
<h2>その日はいつもと変わらない金曜日だった</h2>
<p>3 月11日(金)。この日、私は自宅付近で昼食をとった後、六本木に向かい、13時過ぎに六本木ヒルズの40階でWebアプリ開発の仕事を始めました。そこは好きなところに腰掛けて個人が仕事をするフリースペース形式のオフィスです。この日は、40階のフロアに30人程度の利用者が仕事に勤しんでいました。</p>
<h2>14時46分、地震発生 激しい揺れ 。。。</h2>
<p>揺 れが始まった当初、ちょっと強い地震程度にしか思いませんでした。私は高校生の時に京都で阪神淡路大震災を経験しています。その時は、縦にドカンと衝撃が 来て、南のほうから大地が崩壊していくような音と振動が伝わってきました。この経験があるので、今回のような横揺れには大して警戒感はありませんでした。</p>
<p>しかし、ちょっと強い地震がさらにひどくなり、おさまる気配がありません。私は落下物がないか、上を確認し、片膝を地面につけて、揺れが収まるのを待ちま した。その間、地震を告げる無機質な自動のアナウンス(日本語の次に英語)が流れました。すると、素早く従業員の方がやって来て、窓から離れるように注意を促しました。揺れが最も激しい時に(洒落にならないほど揺れていた時に)、フロアの責任者と見られる男性がフロアの中央にやってきて、免震構造なので大丈夫だと言っていましたが、真っ直ぐ立っていられないほどの揺れのためか、声は緊張し、少し上ずっていました。<br> 六本木ヒルズの免震技術は優れているのかもしれませんが、タイタニックであれ、アルマダ(スペインの無敵艦隊)であれ、評判の高いものが儚いことになった 例も少なくないので、揺れが激しい時は不安になりました。しかし、30人ほどの利用者やフロアの係りの人の中に、パニックに陥る人は誰もいませんでした。</p>
<h2>品川付近で煙が上がる</h2>
<p>何 分間かの揺れが一旦収まったので、やれやれと思っていると、何人かが窓の近くで何か言っています。私も窓から3mほど離れたところで外を覗いてみると、品川の辺りから多量の煙が立ち昇っていました(正確にどこが燃えていたのかは今も分かりません)。これは大変なことになるのではないかと思いました。</p>
<p><a><img></a></p>
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<em>2011/3/26 追記:</em><br><em> 私が見たのはどうもお台場(港区)での火災だったようです。</em>
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<p>幸い、インターネットは問題なく利用できたので、他の利用者が東北で強い地震があったことを素早く調べて話していました。むろん、当時は東北を中心に、これほどの惨事になるなど、想像もしていませんでした。</p>
<p>私は40階にいて、相当遠くまで見えるため、その他の火災や津波が発生していないことはすぐに分かりました(天気の良い日は富士山がクッキリ見えます)。仮 に津波が発生しても、どう考えても40階まで到達しそうにありません。という状況だったので、目下、考えうる脅威は六本木ヒルズの階下で発生する火災でし た。</p>
<h2>「ヒルズ酔い」</h2>
<p>30分ほどすると、エレベータ以外はすべて問題なく機能している旨のアナウンスがあったので、まずはひと安心でした。ただ、絶えず余震に揺られ、たまに結構強い揺れがあるため、徐々に大地が揺れているのか、免震構造のビルが揺れているのか、私の脳が揺れているのか分からない、いわば、船酔いのような感じになってきました。私はこれをヒルズ酔いと名づけて、無事にヒルズを脱出して、この地震から生き延びたら、必ずこのネタを当サイトに書こうと強く決意しました。地震から10日ほど後にニュースをネットで見ていたら、同様の症状に対する報道があり、これを「地震酔い」と表現していました。</p>
<h2>エレベータは点検中</h2>
<p>地震発生から1時間ほどしてもエレベータが回復しないので、40階ですが、非常階段から徒歩で降りることにしました。というのは、地下鉄が止まっているのはイン ターネットで知っているので、なるべく早く地上に降りて、明るいうちに徒歩で自宅に戻りたかったからです。そこで、フロアの責任者と思しき人に非常階段の場所を聞いたところ、エレベータが回復するまでもうしばらく待ってほしいと言われました。仕方なく再度席に戻って、PCを操作していると、仙台空港が水浸しになっている映像を見ました。これは大変なことになったぞと思って、いろいろ調べたり、今後のプランを考えたりしていると、京都の肉親から連絡があり、 大丈夫かと問われたので、「高いところにいるので、少なくとも津波の心配はない」と答えておきました。最終的に、2時間半もの間、40階でブラブラ揺られ ることになるとは思ってもいなかったので、40階で足止めされていることは言いませんでした。</p>
<h2>動かざること山の如し</h2>
<p>ヒ ルズ酔いのため、PCを見ていると気分が悪くなってくるので、窓に近づいて、秩父や丹沢山地の山々をのぞんでみました。強い揺れがあったにも関わらず、 山々は何事もなかったように泰然自若としています。当たり前といえばそれまでですが、この時は「たいしたものだ」という妙な感慨がありました。</p>
<h2>40階から徒歩で降りることに</h2>
<p>地震発生から2時間強経過した17時頃、非常階段から徒歩で降りることを希望する人は集まるように言われたので、勇んで集合場所に向かいました。この後、長時間歩くことになると思ったので、係の人にちょっとトイレに行ってきますと言って、素早く用を足して戻ってきました。戻ってくると、関西在住と思われる中年のおじさんがちょっとトイレに行ってくると言って、急いでトイレに向かいました。3分ぐらい待っても帰って来ないので、少し心配しました。その頃には皆 おじさんの帰りを待っていたので、焦れた係の男性が様子を見に行ったところ、もう少しで戻ってくる旨、合図をしました。結局、男性は「すいません」とか言いながら戻ってきたので、ホッとしつつも、時が時なので、早くしてほしいものだと思いました。</p>
<p>歩いて降りる人は総員15名ぐらいだったと思います。<br> そのうちの1人が非常階段と降りる人たちの写真を1枚パチッと撮っていました。その時、微妙な空気が流れました。<br> 誘導役の係の男性は「誘導したら、戻ってくる」というようなことを同僚の男性に言っていました。<br> 連れのいる人は最初話しながら降りていましたが、半分の20階ぐらいで口数がぐっと少なくなってきました。私は1人だったので、リズムよく呼吸することを 心がけて、黙々と降りました。すると、前を歩いていた2人組の男性が、重苦しい雰囲気を吹き飛ばすように、「膝が笑ってきた」とか言って、2人でゲラゲラ 笑っていました。私も思わず「だよな」と思いながら、ニヤニヤしてしまいました。10階まで降りてくると、さすがに疲労感が出てきましたが、もう少しだと思い、ひと踏ん張りしました。一番下の階(多分2階)に着いた時は、ヤレヤレ、ようやくヒルズ脱出だと思いました。</p>
<h2>ヒルズ脱出、夕暮れ、そして、徒歩帰宅開始</h2>
<p>やはり、大地を歩けるということは大きな安心感がありました。<br> 一方、人の許可無く、歩いて降りられないところは今後極力行きたくないものだと切に思いました。ただ、エレベータに閉じ込められた人に比べたら、40階で揺られた苦痛もモノの数ではなかったでろうとも思いました。ヒルズを出る瞬間、「エレベータが1基動き始めた」という声が耳に入りました。</p>
<p>フロアの責任者と従業員は危機に対して立派に行動していました。利用者も誰1人として、パニックになりませんでした。最後の1時間ぐらいはクラシックが再び流れて、どう見ても普通に仕事をしている人も少なからずいました。実に驚くべきことだと思いました。</p>
<p>さて、ヒルズを脱出したのは幸いでしたが、この時点で17時30分過ぎになっており、暗くなってきています。地下鉄はすべてストップしていることをネットで確認しているので、この後、六本木から江東区の自宅まで歩いて帰る必要があります。当時は6kmほどだと思っていました。後日、Googleマップで自分 が歩いた大体の経路を測ってみると、8キロ強ありました。</p>
<p>六本木ヒルズのノースタワーのエスカレータで2階から1階に降りて、さてもう一踏ん張り頑張るかと気合を入れ直し、私はエントランスを出て、コンクリートの道路に第一歩を踏み出しました。</p>
<h2>徒歩帰宅スタート</h2>
<p>六本木ヒルズのノースタワーのエントランスを出た私は比較的細い路地を歩きはじました。<br> すると、若い2人連れの女性が「ここ入ろっか」などと言って、大画面のテレビがあるバーに入っていきました。また、左右を見ると、多くの人がイタリア料理屋でうまそうなパスタを食べたり、居酒屋で飲み食いしていたので、もしかしたら地上はたいして揺れなかったのかと一瞬思いました。<br> ただ、もう少し歩くと、すでに閉店している店があったり、ヘルメットを被って歩いている人がいたり、すべての地下鉄がストップしているわけですから、只事であるはずはないと思いました。</p>
<h2>携帯は不通</h2>
<p>ようやくヒルズを脱出したので、もう心配なかろうと思い、携帯で親に電話したところ不通でした。それまで携帯が使えなかったことに気づかなかったことは不覚 でした。ただ、iPhoneのインターネットが生きているのは確認していたので、iPhoneからメールで親に無事を報告しました。</p>
<h2>地図、多機能時計、携帯ラジオ</h2>
<p>六本木ヒルズを脱出した後、どういうルートを通って帰ったらよいか、私はだいたい知っていました。<img>というのは、江東区の自宅から渋谷まで何度か自転車で往復したことがあり、その際に六本木を通っています。そのため、この辺は多少土地勘があったのです。また、iPhoneが生きていたので、Googleマップも見られました(もしiPhoneが機能していなければ、紙の地図が必要なところでしたが、 iPhoneがあるため、最近、紙の地図を持ち歩いていませんでした。紙の地図もiPhoneのGoogleマップもダメな場合は、各地域に設置してある地図をiPhoneで撮って参考にする手があります)。これも大きなアドバンテージでした。</p>
<p>一方で、こういう日のために、方位磁針、高度 計、温度計、気圧計などの多機能腕時計を普段持ち歩いているのですが、それを忘れていました。また、非常用に持ち歩いている携帯ラジオ用の単4電池が1本しかなかったため、近くのコンビニで購入しました(この携帯ラジオは単4電池が2本必要。普段、電池を入れておくと、知らない間に電源が入り、使うときに 電池切れになるリスクを避けるため、普段は電池を外している)。ソニー製のアルカリ電池、4本入りで480円でした。もしコンビニが機能していなければ、 困るところでした。これらは誤算でした。</p>
<h2>六本木周辺の地形</h2>
<p>六本木という土地は武蔵野台地の 東の端の方なので、坂を降りると低地に入ります。低地はもし津波が来たら危険です。そのため、早速購入した電池を携帯ラジオに入れて、ラジオを聞きながら移動しました。むろん、今回の地震で、今更、津波が起こる確率はほぼないわけですが、ゲームと違って、「あーあ、死んでしまった。リセット。」というわけにはいきません。また、以前から関東での大震災や東海地震の可能性が指摘されています。今後発生するであろう海溝型の大震災で、津波が起こる可能性はあるわけで、津波に警戒して歩くということはその際の事前シミュレーションという効果もあります。このような問題意識を持つと、気づくことが多々あります。</p>
<p>江東区の自宅に戻るには、どうしても六本木を降りて、低地を歩く必要があります。むろん、六本木やより西側のホテルに泊まるという選択肢もありましたが、すでに本震は2時間半前に終わっており、10km以内のところに自宅があるので、そこまでする必要はないように思いました(もし津波の危険が高ければ、武蔵野台地に留まるというのは有力な選択肢でした)。</p>
<h2>徒歩帰宅中に聞いた声</h2>
<p>歩いていると、いろいろな声が聞こえ、また、印象に残ることがありました。<br> 前を歩いていた2人組のサラリーマン風の男性(年齢は30歳前後)の「千葉に先日家を買ったんですよ」という言葉とか、「もし停電だったら、コワイよね」といった若い女性の言葉です。<br> また、婦人用の靴屋が開いていたので、こんな時によく営業しているなと思いましたが、よく考えたら、これから徒歩で自宅に帰る女性で、ハイヒールを履いている人がいたら、すぐに足が痛くなるかもしれません。そういうお客さんのために開いているのかなと思いました。さらには、自宅に戻ってテレビを見たら、自転車が飛ぶように売れたと言っていました。なるほど、それはそうだろうなと思いました。</p>
<h2>風、火災、雨</h2>
<p>地上に出て思ったことは、風が強く寒いことでした。もし火災が発生したら、まずいことになっていたのではないかと思いました。また、雨が降らなかったことも有難かったです。ただでさえ、強風で寒いのに、これに雨に濡れたら、体力・気力ともにさらに辛いことになるでしょう。<br> 幸い、私は当日フード付きのダウンの防寒着を着ていたので、風と寒さは問題になりませんでした。靴は歩きやすい運動靴でしたが、防水性能はなかったので、雨が降らなくて助かりました。</p>
<h2>六本木から北東へ進む</h2>
<p>さて、阪神淡路大震災の時に高速道路が倒れたことを思い出しながら、六本木から北東に向かって、高速道路沿いを歩き、虎ノ門まで進みました。虎ノ門は外堀通りに面しています。「外堀」とある通り、江戸時代は江戸城の外堀だったため、周辺に比べると低い土地です。<br> 私の幼なじみが虎ノ門付近で働いているはずなので、彼は大丈夫だろうかと思いましたが、建物に対する被害はこれまで全く見なかったので、大丈夫だろうと思いました。また、携帯電話が不通なので、確認するすべもありません。</p>
<p>この辺はとても人が多く、しかも、東から西に大量に人が流れていきます。人の流れというのはすごいもので、流れに逆らって動くのは一苦労でした。車は渋滞し て、ほとんど動いていませんでした。その横を、自転車がサーと走り抜けます。こういう時、自転車はとても便利だなと思いました。ただ、自転車はパンクする と、機動力がガタ落ちになります。</p>
<h2>路地へ</h2>
<p>反対向きの人の流れで動きづらいので、私は路地に入ることにしました。すると、途端に移動が楽になりました。1本入るだけで、ほとんど誰も歩いていません。<br> 私は防災の専門家でも何でもない普通のIT業者なので、この行動が教科書的に正しいことなのかどうか分かりません。路地に入ったことで移動速度の向上というメリットは確実にありましたが、デメリットというかリスクも確かにありました。<br> というのは、新富町の辺りで、看板が不安定になり、一部道路が封鎖されていたことがあり、また、人形町を過ぎた辺りの古い民家で瓦が落下していました。さらに場所は覚えていませんが(新橋周辺だったかもしれません)、ものすごくガス臭い路地があり、「ガス漏れ、火に注意」などと書かれた紙が貼ってあったところもありました。仮に私がその時タバコを吸っていたら(私はスモーカーではありませんが)、張り紙に気づく前に自分だけ火事になっていたかもしれないと 思うぐらいに強烈なガス漏れでした。このように、有事の際には路地までなかなかチェックができないでしょうから、移動の容易さをとるか、リスクを避けて表通りを歩くかは、場合によっては人生の岐路になるかもしれないと思いました。</p>
<h2>わが庵は 松原つづき 海近く</h2>
<p>さて、外堀通りを通って、虎ノ門を抜け、新橋に入ります。新橋の北側に日比谷公園があります。<br> 戦国時代初期に、太田道灌が江戸城を築いた頃は、この辺りまで海が入り込んでいました。入間川、荒川など、関東を流れる大河による河川運送と江戸湾の海運 ルートを結び、かつ、武蔵野台地の東端に位置する地勢に注目し、道灌(道灌は扇ヶ谷上杉氏の家宰(執事)だった)はこの地に城を作ったとされています。太田道灌が江戸城からの情景を詠んだという歌の中に、</p>
<blockquote>
<div>わが庵は 松原つづき 海近く<br>   富士の高嶺を 軒端にぞみる</div>
</blockquote>
<p>というのがあります。この歌から分かるように、戦国時代の江戸城は松原が続く「海近」い城でした。<br> 地形的には、江戸城は東側が低地で、西側が高地です。もし津波が来る危険があれば、私なら、日比谷公園や皇居(江戸城)の東側の低地よりも、西側の高地に避難します。<br> このように、自分が住んでいる地域の歴史を学んでおくと、単に昔のことを知るということに留まらず、震災などの有事の際に役に立つことがあります。<br> 今後の歴史教育に防災という観点を入れることで、他人事から自分のことへと学ぶ内容がグッと身近なものになるのでないかと思います。<br> 歴史というのは、大抵、有事について書かれています。「文明18年(1486年)、人々は幸せに暮らしていた」などということは通常記録されません。通常、「文明18年(1486年)、太田道灌は主の扇谷上杉定正に謀殺された」というように記述されます。歴史という有事の記録を紐解くことで、いざという時の判断材料にするわけです。</p>
<h2>地形と情報</h2>
<p>一般的に津波の際には低地は危険です。出版されている災害予測地図(私は江東区在住なので、東京23区を対象とした 目黒 公郎 『東京直下大地震 生き残り地図―あなたは震度6強を生き抜くことができるか?!』 を2年ほど前に買って持っています)、古地図、地図ソフトのプロアトラスのジオラマ機能などで地形や地震予測地図を見ておくと(できれば、そのデータや画 像をiPhoneなどに取り込んでおくと)、どの経路を通るべきか判断する1つの判断材料になります。いざという時に、ググッている暇はありません。手持ちの知識、装備、体力、そして、それらを踏まえた状況判断が大切だと改めて思いました。</p>
<p>また、かつて海だったところを埋め立てた土地は地盤が弱く、液状化現象が起こる危険があります。液状化現象が起こった土地は移動しづらいので、有事の際は可能な限り避けたほうがいいでしょう。他には、地名 に「池」「沼」「谷」という名前がついていると、かつてはそういう地形だった可能性があります。普段はコンクリートに覆われて見えませんが、激しい揺れに晒された時に違いが出てくるかもしれません。昔の地形を知っていれば、避けられるリスクもあるかもしれません。<br> あと、普段から目印になる山や高い建物を意識しておくのも効果的だと思います。今回は暗かったので見ていませんでしたが、江東区やその近辺なら、スカイツリーがよく見えるので、私は歴史サイクリングをする時にスカイツリーをよくランドマークとして使っています。ランドマークがあれば、地図がなくても、大まかに自分の位置や方向が分かります。</p>
<p>さて、新橋を抜けて銀座を歩いている頃に、もし津波が来たら、逃げ込める空間というのは飲食店のあるような繁華街のほうが多いかもしれないことに気が付きました。というのは、多くのオフィスビルは玄関が閉まっていたので、仮に津波が来た場合、一時的に入ろうにも入れません。その点、繁華街は2階以上へ行く 階段がビルの入口のあるので、いざとなったら、そこへ駆け込むことができます。<br> ただ、今回の地震では問題となりませんでしたが、繁華街は飲食店も多いので、火災の危険があります。津波が来たので、ビルに逃げ込んだら、そこは火の海 だったのいうのでは洒落になりません。また、老朽化しているビルなら、津波の衝撃で次の瞬間に何が起こるかは分かりません。東京で津波が起こるほどの地震が発生した時に繁華街が無傷だとは常識的に考えて思えません。<br> また、「多くのオフィスビルが閉まっていた」というのは私の個人的な経験ですが、もう少し明るい時は開いていたかもしれません。開いていたら、オフィスビルのほうが頼もしいように思います。</p>
<p>こういう想定を考えていると、キリがありません。たとえ完璧な理論を知っていても、いろいろ複雑なことを考えてモタモタしている間に流されてしまったら、元も子もありません。<br> だからこそ、「その時」のために事前にシミュレーションしておくことは大切だと思います。そうすれば、いざという時に合理的な選択肢がいくつか思い浮かび、状況に合わせて、そのうちの1つを選んで生き延びることができるかもしれません。<br> もしこの辺りを歩いている時に津波が迫ってきたら、私は階段があり、強そうな建物にダッシュするつもりです。むろん、その前に高台に避難したいところです。</p>
<h2>そろそろ疲労が。。。</h2>
<p>などといろいろなケースを考えながら、銀座を抜けて、新富町の辺りで路地から大通り(新大橋通り)に出ました。新大橋通り沿いに歩くと、自宅に着くことがで きます。新富町を通りすぎて、八丁堀付近を北上していると、いよいよ疲労感を感じはじめました。時間を確認すると、20時頃、つまり、六本木ヒルズを出 て、2時間半ぐらい経過しています。ヒルズを出てからまだ一度も小休止をとっていないので、疲労がたまるのは当然でした。その横をまたまた自転車が颯爽と走り抜けていきます。<br> 虎ノ門付近に比べたら、格段に人口密度が減りましたが、まだ多くの人が新大橋通りを歩いていました。私の前を30歳くらいの女性が歩いており、その両脇をスーツを着た同じ歳くらいの男性が固めていました。何を話していたかは分かりませんでしたが、悲壮な感じはなく、普通に話しながら歩いていました。私が経験した範囲では、おおむね、こういう雰囲気でした。<br> 私は信号で待っている間、なるべくガードレールにもたれたり、屈伸運動などをして、体力の温存や関節の柔軟性維持に努めました。また、あたたかい飲み物と菓子パンを持っていたので、少しずつ食べて、補給しました。信号待ちの時に、外からコンビニを覗くと、お客さんが行儀よく並んでモノを買っていました。店員は当たり前のようにレジをこなし、棚に商品を補給していました。このような有事の際にも冷静に行動する人々を見て、私は本当にすごいことだと当時思い、 今でもそう思います。</p>
<h2>千葉まで帰ります</h2>
<p>さて、人形町付近を過ぎる頃に、前を歩いている2人組の男性が「千葉まで帰ります」と言っているのが聞こえました。本当にお疲れ様だなあと思いました。<br> 私自身は30代前半の男で週末には歴史サイクリングをしているので、体力に特に不安はなく、また、地理感覚もあり情報端末も持っていたので、知識についても問題はありませんでした。つまり、ヒルズの40階で揺られて、40階から徒歩で降りてきたことを除いては、比較的条件がよかったわけですが、それでも、 17時半にヒルズの1階を出発して、すでに3時間ぐらい経過して、それなりに疲れていました。新大橋通りを渡る頃には人の数も減り、パラパラと人々が歩いている感じでした。新大橋を渡り終えると、私は勝手知ったる路地に入りました。</p>
<p>結局、自宅に着くと、ヒルズを出てから3時半弱経過した21時前になっていました。<br> パッと見たところ、自宅のあるマンションに亀裂などのダメージはありませんでした。家の中は自転車が倒れていたことと26インチの液晶モニタが私の椅子に 倒れこんでいたことを除いては大したことはありませんでした。部屋の中は、倒れやすいものが倒れていたという印象でした。</p>
<h2>作業はつづく</h2>
<p>テレビをつけると、地震のニュースがひっきりなしに報道されています。衝撃的な映像が流され、これはいかんなと思いました。<br> ひと通りニュースを見た後、まだまだ強い余震があるだろうから、家具などで圧死しないように準備してから眠ろうと思い、私は作業をはじめました。</p>
<p>(終)</p>

東日本大震災と太田道灌、そして、江戸

作成日:2011/3/11 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

東日本大震災 災害と防災ーフィールドをゆく(5)ー 東京都 港区

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戦国のはじまり
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・ 北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
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