@fuji3zpg

歴史サイクリング in 浦安-東日本大震災から約50日が経過して-

「歴史サイクリング」という位置づけ


先日(2011年5月のゴールデンウィーク)、自宅から自転車で浦安まで行ってきた。
かつては、浦安と言えば、「夢と希望あふれるディズニーランドの街」というイメージだったが、最近は「液状化の街」というイメージも追加されたと思う。
テレビやYouTubeで浦安の液状化の様子を見たのだが、映像というのは得てして、被害の大きなところを写しがちだ。被害のないところを写しても、 「絵」にならない。つまり、映像は局所的な事実ではあっても、その地域全体の実体を写しているとは限らない。そこで、液状化という現象を実見してこようと 思った。
東日本大震災は歴史的出来事であり、まだ、終わってはいない。間違いなく、後年、日本史の教科書に乗るだろう。浦安の液状化はそういう歴史的な震災によって引き起こされた。ゆえに、今回のサイクリングは、城巡り同様、歴史サイクリングという位置づけなのである。


浦安に向け出発


私 が住んでいる江東区の両国周辺は、ごく少数の古いビルが使用不要になったり、古い木造の建物の壁にヒビが入った程度で、液状化の被害はなかった(現在、ダ メージを受けた古い建物の建て替えが始まっているようだ)。テレビを見ていたら、江東区沿岸部の新木場の辺りで液状化が発生していると報道され、新木場の 近くに住む人が歩道に砂が浮いていたと言っていたので、自宅から南下して新木場へ行き、その後、東へ進路を変えて荒川を渡り、江戸川区の葛西を通って、浦 安に行くことにした。


江東区の液状化ゾーン 新木場へ


当日は晴れており、風も吹いてはいあるが、強すぎることもない。絶好のサイクリング日和だった。
自宅を出発し、南下して夢の島公園まで来ても、震災前と特に変わったことはなかった。しかし、新木場駅の東側を走っていると、ついに見つけた。液状化である。


【東日本大震災発生から約50日後の新木場(東京)の歩道】新木場の歩道、ガードレールの上まで砂が積もっていた。


2011年5月撮影
新木場の歩道。ガードレールの上まで砂が積もっているのが分かる。


「うーむ、これが液状化か」と思わず、そして、何度も唸った。
歩道は砂だらけである。大震災からすでに50日ほど経過しているので、むろん、水は浮いていないが、直後はどうだったのだろうか。砂というのは実に歩きに くいもので、噴出した砂の量にもよると思うが、これでは自転車は走れないのではないかと思った。避難は自転車でと考えていた私にとってはショッキングな光 景だった。


まあ、車道の砂を歩道にあげた可能性もあるので、発生当時のままかどうかは分からないが。。。
もう1つ付け加えておくと、他の道路・歩道は通行に支障がないように、砂を路肩や建物の壁側に寄せたりして片付けられていた。一部新しい工事の跡があった ので、震災後、直したのかもしれない。写真の場所は通行が少ないところだったので、取りあえず、放置しているのだろうか。


さて、荒川を渡って、江戸川区の葛西に入った。私が走ったところに関していうと、震災の影響は見られなかった。あまり寄り道していると、浦安で時間を使えなくなるので、江戸川区を早々に走り抜け、浦安市に入った。


浦安市


浦 安市は旧江戸川と江戸川に挟まれた地域にある人口約16万人の市である。市域の7割以上が埋立地だそうで、地盤は大変弱い。私が住んでいる両国周辺も地盤 は弱いが、埋立地ではなく、隅田川によって流されてきた土砂が徐々に堆積した土地で、荒川低地と言われる。埋めたて地は荒川低地よりもさらに弱い土地だ。


除雪された雪?


旧江戸川を渡り終えた、その瞬間から、凄いことになっていた。
旧江戸川を渡ってすぐの駐車場に積もった砂は、まるで豪雪地帯で除雪された雪のようだ。しかも、雪と違って、砂は溶けない。


【旧江戸川を渡った直後の駐車場ー東日本大震災発生から約50日後ー】写真の左側は車が停まれるようにきれいに整備されていた。 それなりに離れていたが、写真に入りきらないほどの砂だった。


2011年5月撮影
旧江戸川を渡った直後の駐車場。
写真の左側は車が停まれるようにきれいに整備されていた。
それなりに離れていたが、写真に入りきらないほどの砂だった。


砂の駐車場から数百メートル進んだところに住宅地があり、そこに入ってみると、テレビで映されていたような住宅があった。つまり、液状化で家が地面にめり込 んで、建築当初の地面とめり込んだ50cmほどの段差ができ、住民は家を放棄したのか、庭にテープが貼られていた。ただ、一番ひどかった家が最初にあった ため驚いたが、他の家は塀が傾いたり、地面が20cm程度ずれたりしているだけで、概ね住める状態だったように思った。実際、家の前で洗車をしたり、何か 作業をしている人は少なくなかった。


舞浜から見明川を渡り、湾岸道路の北、東野に入った。
ここでもやはり住宅にダメージがあったのだが、道を一本挟んだ富士見にはダメージはほとんど見られなかった。距離にして30mぐらいだろうか。地盤の違いでこういうことがあると本に書いてあったが、実際に見て、本当だったんだなと思った。


交番ではないか!!!


その後、湾岸道路を南東へ進むと、何だか明らかに砂にめり込んで傾いている建物がある。よく見たら、交番ではないか!!!


【液状化で傾いた浦安の富岡交番ー東日本大震災発生から約50日後ー】当時、富岡交番のWebページ ↓ をチェックしたら、「富岡交番(閉鎖中)」と書いてあったが、さっき(2014/6/28)チェックしたら、富岡交番は建て直されたようだ。 http://www.police.pref.chiba.jp/police/police_department/urayasu/pb_disp.php?pb_id=122&pd_id=13


2011年5月撮影
液状化で傾いた富岡交番。

千葉県警察のHPに在りし日の富岡交番の姿が載っていた。私は傾いた姿しか知らないので、在りし日の勇姿を見て、妙な感慨があった。
http://www.police.pref.chiba.jp/police/police_department/urayasu/pb_disp.php?pb_id=122&pd_id=13
*ホームページに「富岡交番(閉鎖中)」と書いてある。
2014/6/28追記: リンクをチェックしてみたら、富岡交番は建て直されたようだ。


信号で待っている間も、通行人がパチパチと交番を写している。中には興奮している人もいた。おそらく、地元の人ではないのだろう。私も道路を渡ったら、早速、パチリと撮った。こういった建物は、液状化の被害を忘れないように、液状化記念館などを作って、保存しておいたほうがよいかもしれない。
あとで調べたら、この交番は富岡交番だということが分かった。


砂の山脈?


しかし、後から振り返ったら、ここまではまだ序の口だったといえる。
ここから東京湾に出るべく、さらに南東に進んだが、歩行者道の路肩の上にパイプが通っていた。上水か、下水なのだろうか。地面を掘る余裕がなかったので、地上を這わせているのだろうか。さらに行くと、液状化で噴出した砂が掻き上げられ、延々と続いていた。
繰り返すが、震災からすでに50日ほど経っているのである。


【液状化が起きた道路ー東日本大震災発生から約50日後の浦安ー】液状化で噴出した砂が掻き上げられ、延々と続いていた。


2011年5月撮影
湾岸直前の道路。
東側には高層マンションが立ち並ぶ。


そのとき、視界の左側に巨大なマンションがたくさん見えてきた。
「うーわ、どうすんねん。」
関西人なら、こういうだろう。
相当の数の人が住んでいるはずだ。これらのマンションを買った人はローンもたんまり残っているだろう。もうインフラは回復したのだろうか。


開放感のある湾岸風景


さ て、東京湾沿いに出ると、日差しと風が実に気持ちいい。やはり、何もなければ、いいところなのだ。外洋に面したところほどではないにしても、相当な開放感 がある。釣り人も少なくない。ラジコンで遊んでいる人もいる。ここにいる限り、普通のありふれた休日だ。震災など、微塵も感じない。


【東京湾岸ー東日本大震災発生から約50日後の浦安ー】特に異常なし。


2011年5月撮影
東京湾に面した解放感のある風景。春の日差しと適度に吹く風が心地いい。


幸せな空間


湾沿いを東向きに進むと、高洲海浜公園に出た。
多くの小さい子供たちがキャーキャーいって、遊んでいた。それを親たちが見守る。右手の自販機を見たら、何か張り紙が貼ってあった。何が書いてあったかは知らない。特に異常はない。平凡だが、幸せな空間だった。


ついに出た・・・


だが、公園を出ると、再び震災の跡が見えてきた。


地割れ、浮き上がったマンホール。


【道路の地割れー東日本大震災発生から約50日後の浦安ー】高洲海浜公園を出てすぐのところにあった地割れ。 コンクリートか何かが詰めてあった。



2011年5月撮影
高洲海浜公園を出てすぐのところにあった地割れ。
コンクリートか何かが詰めてあるのが分かる。

 

【浮き上がったマンホールー東日本大震災発生から約50日後の浦安ー】液状化で浮き上がったマンホール。
<br />このマンホールを見ても。子供たちは興味を示さない。もう慣れたのだろう。



2011年5月撮影
テレビで見たような浮き上がったマンホール。

 

テレビで見た「絵」がそこにあった。だが、奇妙なことに「絵」のマンホールを見ても、子供たちは興味を示さない。もう慣れたのだろう。
だが、私ははじめて見たので、身を乗り出して、パチパチ写真を撮っていた。実にすごかった。やはり、実物は映像とは違うものだ。巨大なエネルギーの跡を感 じた。私が何年かかって揺らしても、マンホールや地面はあんなふうにはならない。これも記念館に入れるべきだと思った。


しかし、上には上があった。高洲中央公園に行くと、もの凄いことになっているマンホールがあった。記念館行きは断然こっちだ。
むろん、もっとすごいのがあるかもしれないが、これ以上のものは見つからなかった。また、これで十分だ。


【高洲中央公園の2つのマンホールー東日本大震災発生から約50日後の浦安ー】もの凄いことになっている2つのマンホール。右側は放水設備のように見えた。私が見た中で、ここのマンホールが一番ひどかった。



2011年5月撮影
もの凄いことになっている2つのマンホール。右側は放水設備のように見えた。私が見た中で、ここのマンホールが一番ひどかった。

 

公園のトイレをお使いください


高洲中央公園から東に進み、境川を渡ると、明海の丘公園がある。5年ほど前に、一度、自転車で来たことがある公園だと気づいた。向かいの幼稚園らしき敷地の フェンスがジグザグに傾いているのを見ても、もう何とも思わなくなっていた。人間、慣れるものらしい。しかも、急速に。
公園から前方(東側)を見ると、ファミリーマートの看板が見えた。ちょっとトイレに行って、ついでに何か飲食物を買おうと思って、このコンビニに入ろうとした。すると、入り口に何か張り紙が貼ってある。
読むと、「現在、震災でトイレが使えません。郵便局の向かいの通りにある公園のトイレをお使いください。」というようなことが書いてある(郵便局の向かいの通りにある公園というのは明海の丘公園のこと)。
ここではじめて、まだコンビニですら、トイレが使えないことが分かった。店員も公園のトイレを使っているのだろうか。不便極まりないことだ。


私は数年前に訪れた、この公園で、今回の歴史サイクリングを終えることにした。すでに日は傾き、夕暮れ時の風が吹き始めている。再度、江東区の自宅まで自転車で帰らなければならない。


もっと激しい揺れに襲われたら・・・


震度5強でこの様子だと、もし東京都が想定しているようなマグニチュード7.3の東京湾北部地震が発生したら、一体、どうなるのだろうか。考えただけで、ゾッとする。東海地震も規模が大きければ、震度5ぐらいの揺れが来るかもしれない。
「そのとき」までに、ここの住民、自治体、国はどうするのだろうか。震度6や7の揺れだと、今度は液状化だけでは済まないかもしれない。


公園の入り口にある、破壊された排水溝を見ながら、そう思った。


【明海の丘公園入り口の排水溝ー東日本大震災発生から約50日後の浦安ー】高洲中央公園から東に進み、境川を渡ると、明海の丘公園がある。5年ほど前に、一度、自転車で来たことがある公園だった。向かいの幼稚園らしき敷地のフェンスがジグザグに傾いていた。


2011年5月撮影

明海の丘公園入り口の排水溝。

 

(終)

作成日:2011/5/20
場所: 日本, 境川わかしお歩道橋(バス)(千葉)(原則、地図座標から場所を算出しています。目安とお考えください)

災害と防災ーフィールドをゆく(5)ー

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