投稿日: 2014/12/13
はじめに:
関ヶ原の戦いにおける、小山評定後の8月から本戦前日までのまとめです。
前回の小山評定については、↓をご覧ください。
http://rekius.com/notebooks/67
■ 前回までの主な出来事
・7/17 石田三成、挙兵(「内府ちがいの条々」を諸大名に送り、家康を弾劾)
・7/25 小山評定(徳川家康、福島正則ら、豊臣恩顧の武将たちを取り込むことに成功)
・8/1 東軍の伏見城、落城(守将・鳥居元忠、自刃)
■ 今回の範囲(8/6-9/15)の1ヶ月間
8/8 【北陸】大谷吉継の流言(大谷吉継が海路、前田利長の居城・金沢城を攻めようとしている)にハマって、撤退する東軍の前田利長に対して、西軍の丹羽長重が襲撃した。しかし、利長軍の反撃で、結局、痛み分けに終わる(浅井畷の戦い)。→前田利長は金沢城に戻る
8/11 【東海】石田三成、大垣城に入る
8/19 【東海】清洲城で徳川家康を待っていた福島正則ら、豊臣恩顧の武将たちに対して、家康が督戦
8/23 【東海】福島正則、池田輝政ら、織田秀信が籠る岐阜城を落とす
8/24 【関東】宇都宮城にいた徳川秀忠が西に移動開始
9/1 【関東】徳川家康、江戸城を出陣(福島正則ら、岐阜城を落としたという報告を受けて)
9/6 【甲信越】西軍の真田昌幸・信繁が守る上田城を徳川秀忠軍が攻撃
9/10 【九州】西軍の大友義統、木付城を攻撃(大友義統は、西軍の毛利家の支援を受けて旧領・豊後回復を目指していた)
9/11 【甲信越】徳川秀忠、上田城の奪取を諦めて、西へ移動
9/13 【九州】石垣原の戦いで、東軍の黒田如水軍が西軍の大友義統軍を破る
9/13 【畿内】東軍の田辺城(守将は細川幽斎)、開城
9/14 【畿内】東軍の大津城、開城
9/15 【東海】関ヶ原の戦い
作成日:2014/12/9 , 地図あり rekius 開く
作成日:2014/12/13 , 地図あり rekius 開く
作成日:2014/12/10 , 地図あり rekius 開く
まとめ:
9月13日に東軍の田辺城(守将は細川幽斎)が開城、9月14日に東軍の大津城(守将は京極高次)が開城したが、合計約3万の西軍が9月15日の関ヶ原の戦いに間に合わなかった。
特に、大津城を開城させた西軍1万5千は関ヶ原に近く、彼らが間に合っていたら、勝敗が引っくり返る、もしくは、家康が決戦を回避する可能性があったかもしれない。
そうすると、戦いが長引き、九州では黒田如水が.. 東北では伊達政宗が..
といろいろな可能性が出てくるわけで。
歴ウス 公式Twitterページ |
|
歴ウス 公式Facebookページ |
|
歴ウス 公式YouTubeチャンネル |