慶長5年(1600年)、徳川秀忠は徳川主力の3万7千を率いて、8月24日に宇都宮城を出発し、東山道(中山道)沿いに美濃を目指した。
途中、9月2日、東山道沿いにある信濃の上田城に到着。上田城を守る真田昌幸に開城を促した。真田昌幸は謀略、戦術ともに巧みな武将として知られている。彼は焦らした末、開城勧告を拒否した。
9月6日、徳川秀忠は上田城へ総攻撃を命じた。しかし、真田昌幸は巧みに進退して、徳川軍を翻弄、撃退した。
*なお、この上田城の戦いでは、大坂の陣で武名を上げた真田信繁(真田幸村)も、父・昌幸の指揮下、別働隊を率いて功を上げた。
9月11日、秀忠は上田城の攻略を諦めて、西への進軍を開始した。
真田昌幸は、徳川軍主力の進軍を遅らせることに成功した。
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