1430年 〜 1473年
有力守護大名で、室町幕府の管領を長く務めた。応仁の乱では、東軍の大将となり、西軍の山名宗全と対立した。
人物 日本
? 〜 1494年
1525年 〜 1546年
上杉朝興の実子。河越夜戦で戦死し、扇谷上杉氏滅亡。
1488年 〜 1537年
上杉朝良の養子
1473年 〜 1518年
扇谷上杉家当主。上杉定正の養子。北条早雲と相模をめぐって争う。
1523年 〜 1579年
? 〜 1515年
顕定の養子
1467年 〜 1525年
? 〜 1501年
1443年 〜 1514年
父、景信の死によって、景春は山内上杉氏の家宰になると考えていたが、主君、山内上杉顕定は、白井長尾氏の勢力伸長を警戒し、惣社長尾忠景を家宰とした。反発した景春は、主の山内上杉顕定と対立した。1477年、ついに軍事衝突に発展した(長尾景春の乱)。この乱は、古河公方も巻き込んだ大規模な騒乱となったが、太…
1884年 〜 1945年
1847年 〜 1913年
1413年 〜 1473年
関東管領山内上杉氏の家宰。父は景仲。子は景春。
1388年 〜 1463年
関東管領山内上杉氏の家宰。子は景信。上杉禅宗の乱、影響の乱、結城合戦、享徳の乱など、関東の動乱期に生き、家宰として、山内上杉氏を補佐した。
1496年 〜 1555年
今川義元の軍師。臨済僧。
1519年 〜 1560年
今川氏親の実子。生母は寿桂尼。
1513年 〜 1536年
今川氏親の嫡男。生母は寿桂尼。
1473年 〜 1526年
父は駿河守護の今川義忠、母は北条早雲の姉の北川殿。正室は寿桂尼。今川義元は息子。幼名は龍王丸。父、義忠が遠江で戦死した後、すぐに今川家当主にはなれず、泉ヶ谷で、幼年期を過ごす。長享元年(1487年)、早雲の活躍により、小鹿範満を討ち、今川家当主となる。早雲の力も借りながら、永正14年(1518年)…
1536年 〜 1565年
14代将軍
1511年 〜 1550年
13代将軍
1481年 〜 1511年
11代将軍
1466年 〜 1523年
10代、12代将軍。
1439年 〜 1491年
足利義政の同腹実弟。10代将軍足利義材(義稙)の実父。
1465年 〜 1489年
足利義政の実子。9代将軍。
1436年 〜 1490年
室町幕府の8代将軍。若くして、将軍となり、当初は政務に励んだと言われているが、次第に政治への関心を失い、文化事業に熱中した。将軍職を辞するために、弟(のちの義視)を還俗させたが、その頃、嫡男が誕生した(のちの9代将軍、義尚。義尚の母は日野富子)。将軍後継問題、有力守護大名の対立、有力守護大名の後継…
? 〜 1498年
父、政知の死後、継母と異母弟を殺害し、事実上の堀越公方となったが、北条早雲に滅ぼされた。
1435年 〜 1491年
享徳の乱がはじまると、室町将軍、足利義政は弟の政知を関東に送り、関東の混乱を鎮圧しようとした。しかし、鎌倉のある相模一帯はすでに扇谷上杉氏の所領となっており、政知は関東に入れず、伊豆に留まり、御所のある地名をとって、堀越公方となった。
1508年 〜 1560年
足利高基の嫡男。4代古河公方。
1485年 〜 1535年
足利政氏の嫡男。3代古河公方。
1462年 〜 1531年