西暦: 1306年 〜 1352年

地域: 日本

足利直義

関連情報: Wikipedia| ツイート で「足利直義」を調べる

関連する歴史年表: 太平記


グラフと表の条件設定
項目の重要度と地域で以下のグラフと表に出力するデータ数を絞り込むことができます。
重要度 :   すべて  重要  重要+普通
地域 :   すべて  日本  欧米  東アジア  西アジア

グラフ: 「足利直義」と同時代の人物

項目メニューに戻る

グラフ: 「足利直義」と同時代の出来事

項目メニューに戻る

表: 「足利直義」と同時代の人物

郭守敬 1231年 〜 1316年 東アジア
ラシード・アッディーン(ラシード・ウッディーン) 1247年 〜 1318年 地中海、西アジア
モンテ・コルヴィノ 1247年 〜 1328年 ヨーロッパ
マルコ・ポーロ 1254年 〜 1324年 ヨーロッパ
ダンテ 1265年 〜 1321年 ヨーロッパ
フィリップ4世 1268年 〜 1314年 ヨーロッパ
北条貞時 1271年 〜 1311年 日本
夢窓疎石 1275年 〜 1351年 日本
吉田兼好(兼好法師) 1283年 〜 1352年 日本
後醍醐天皇 1288年 〜 1339年 日本
ウィリアム・オブ・オッカム 1290年 〜 1349年 ヨーロッパ
北畠親房 1293年 〜 1354年 日本
楠木正成 1294年 〜 1336年 日本
新田義貞 1301年 〜 1338年 日本
北条高時 1303年 〜 1333年 日本
ペトラルカ 1304年 〜 1374年 ヨーロッパ
イブン・バットゥータ 1304年 〜 1377年 地中海、西アジア
足利尊氏 1305年 〜 1358年 日本
上杉憲顕 1306年 〜 1368年 日本
足利直義 1306年 〜 1352年 日本
護良親王 1308年 〜 1335年 日本
エドワード3世 1312年 〜 1377年 ヨーロッパ
ボッカチオ 1313年 〜 1375年 ヨーロッパ
光厳天皇 1313年 〜 1364年 日本
カール4世 1316年 〜 1378年 ヨーロッパ
北畠顕家 1318年 〜 1338年 日本
ウィクリフ 1320年 〜 1384年 ヨーロッパ
義堂周信 1325年 〜 1388年 日本
今川了俊(貞世) 1325年 〜 1420年 日本
朱元璋(洪武帝) 1328年 〜 1398年 東アジア
細川頼之 1329年 〜 1392年 日本
エドワード黒太子 1330年 〜 1376年 ヨーロッパ
足利義詮 1330年 〜 1367年 日本
新田義興 1331年 〜 1358年 日本
イブン・ハルドゥーン 1332年 〜 1406年 地中海、西アジア
観阿弥 1333年 〜 1384年 日本
李成桂 1335年 〜 1408年 東アジア
ティムール 1336年 〜 1405年 地中海、西アジア
足利基氏 1340年 〜 1367年 日本
チョーサー 1340年 〜 1400年 ヨーロッパ
項目メニューに戻る

表: 「足利直義」と同時代の出来事

マムルーク朝、イェルサレム王国を滅ぼす 1291年 地中海、西アジア
平頼綱(平禅門)の乱 1293年 日本
鎮西探題、設置 1293年 日本
モンテ・コルヴィノ、大都(元の都)に到着 1294年 東アジア
ガザン・ハン(イル・ハン国)、イスラム教を国教とする 1295年 地中海、西アジア
永仁の徳政令 1297年 日本
オスマン帝国、成立 1299年 〜 1922年 地中海、西アジア
『世界の記述(東方見聞録)』、出版される 1299年 ヨーロッパ
フィリップ4世、三部会を招集 1302年 ヨーロッパ
アナーニ事件 1303年 ヨーロッパ
ダンテ『新曲』を著す 1304年 〜 1321年 ヨーロッパ
教皇のバビロン捕囚 1309年 〜 1377年 ヨーロッパ
後醍醐天皇、即位 1318年 日本
正中の変 1324年 日本
ヴァロワ朝、成立 1328年 〜 1589年 ヨーロッパ
元弘の変 1331年 日本
吉田兼好『徒然草』 1331年 日本
鎌倉幕府滅亡 1333年 日本
分倍河原の戦い 1333年 日本
建武の新政 1334年 日本
中先代の乱 1335年 日本
足利尊氏、光明天皇(持明院統)を立て、建武式目を定める 1336年 日本
南北朝時代はじまる 1336年 〜 1392年 日本
湊川の戦い 1336年 日本
足利尊氏、征夷大将軍となる 1338年 日本
英仏、百年戦争始まる 1339年 〜 1453年 ヨーロッパ
クレシーの戦い 1346年 ヨーロッパ
ヨーロッパに黒死病広がり、人口激減 1347年 〜 1351年 ヨーロッパ
ボッカチオ『デカメロン』を著す 1348年 〜 1353年 ヨーロッパ
観応の擾乱はじまる 1350年 〜 1352年 日本
紅巾の乱(白蓮教徒の乱) 1351年 〜 1366年 東アジア
タイ、アユタヤ朝、成立 1351年 〜 1767年 南アジア、東南アジア
イブン・バットゥータ『三大陸周遊記(旅行記)』完成 1356年 地中海、西アジア
カール4世、金印勅書 1356年 ヨーロッパ
ジャックリーの乱 1358年 ヨーロッパ
朱元璋、明を建国 1368年 〜 1644年 東アジア
武蔵平一揆 1368年 日本
足利義満、3代将軍となる 1368年 〜 1394年 日本
ティムール朝、成立 1370年 〜 1507年 地中海、西アジア
北元、成立 1371年 〜 1388年 東アジア
項目メニューに戻る

関連情報: Wikipedia| ツイート で「足利直義」を調べる

「足利直義」の関連ノート

【さった峠の試練】<h2>静岡市街地を抜け、東海道を東へ</h2>
<p>安倍川餅を食べた後(「<a>安部川餅の誤算</a>」参照)、私は、八幡山、三保の松原、梅蔭禅寺を訪れ、静岡市街に別れを告げ、東海道を東に向かった。</p>
<p>そして、興津川を渡って、さった峠(薩蝓オ峠)の手前に来たときは、16時頃になっていた。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>興津川にかかる橋からさった山をのぞむ</em>
</div>
<div> </div>
<h2>さった峠を目指すことに</h2>
<p>国道1号線を走ると、すぐに通り抜けることができるのだが、あえて峠を越すことにした。 <br>というのは、この地は以前から気になる土地であり、機会があれば、行ってみたいと思っていた。</p>
<p>その理由は、近代以前、この峠は旅人にとって、通り抜けるのが厳しい難所であったこと、また、中世に2度大きな戦いがあり、古戦場でもある(*)こと。 <br>そして、司馬遼太郎 『箱根の坂』では、北条早雲が関東に行こうとしたところ、さった峠で盗賊に身包みを剥がされてしまい、これを機に北川殿(物語の中では、早雲の妹、史実では姉とされている)と浅間神社で再会する。これが早雲と駿河の強力な縁となる。その転換点として、さった峠が書かれていた。 <br>以上の点から、さった峠に興味を持っていたのである。</p>
<div><em>(*)南北朝の戦乱(観応の擾乱)では、1351年に足利尊氏の軍と足利直義(尊氏の弟)の軍が戦っている。 また、戦国時代には、1569年12月に武田信玄が駿河に侵攻したとき、信玄は今川氏真の軍をこの地で破った。その後、信玄は、今川勢の救援に来た後北条氏の軍と対陣したが、結局、勝負はつかず、信玄は興津川沿いに撤退した。</em></div>
<h2>警戒と郷土の誇り</h2>
<p>さて、さった峠を目指して、走り出した私は現地の案内板に沿って進んだ。しばらくすると、小さい子供が3人ほど遊んでおり、その傍には子供の母親と思しき若い女性が2人と年配の女性が2人ほどいて、おしゃべりをしていた。 <br>果たして自転車でさった峠を越せるのか、私は知らなかったので、奥様方に尋ねることにした。</p>
<p>「あのー、すみません。」 <br>少し不審さと恐れが混じった複雑な顔で私を見る。ブラブラしている男を警戒する、これが母性本能というものだろうか。 <br>「この自転車で、さった峠を越そうと思っているんですが、大丈夫でしょうか。」 <br>奥さんたちの顔が、パッと無邪気で明るい表情に変わる。危険な人間ではないことを確認した安堵と郷土の誇りをくすぐられた満足感からだろうか、表情が一変した。人間というのは、一瞬でよくもこれほど見事に顔の印象が変わるものだと私は感心した。</p>
<p>奥さんたちはしばし顔を見合わせて、 <br>「自転車で?」「どうだろう?」 という感じで、相談し始めた。<br>どうやら、こういう問いを尋ねられたことはないようだ。 <br>しばし相談したあと、年配の女性が 「大丈夫よ。若いんだから!」 ということで、結論が出たようだ。 <br>「そうですか。大丈夫ですかね。」</p>
<p>少し不安を抱きながら、若いんだから大丈夫という根拠で、私は峠を越すことになった。 <br>「この道を行けばいいんですか?」 <br>「そうそう。道沿いに行けば、分かると思うわよ。」 <br>「なるほど。ありがとうございました。」 <br>「じゃあ、がんばってね!」 <br>「はい、どうも。」 <br>ということで、道なりに進んだ。</p>
<h2>進む</h2>
<p>坂がきついところでは自転車を押して、平らなところでは自転車で走った。しばらくすると、急な坂があったので、自転車を押して登ると、行き止まりになっていた。</p>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>急な坂を登って、振り返って撮った写真</em>
</div>
<div> </div>
<h2>原付のにいさんは撤退</h2>
<p>先に着いていた原付バイクのにいさんが案内板を食い入るように見ていた。何か重要なことが書いてあるのか、それにどうやって上に行くんだろうと思って、しばし、ぼんやりしていた。どうやら、原付のにいさんは諦めたらしく、元の道を戻っていった。</p>
<p>案内板を見ると、この道は明暦元年(1655年)に拓かれ、中の道という名であるという。<br>この道の他に、あと2つ道があったそうだ。 参考にはなったが、舗装路がここで終わっているため、これ以上、進めそうにない。迂回路があるかどうか知りたいのだが、そういう情報は何もなかった。だから、原付のにいさんも案内板の前で考え込んでいたようだ。</p>
<h2>農作業をしている夫婦</h2>
<p>どうしようかと考えていると、道の左奥に農作業をしている中年の夫婦(推定)がいることに気付いた。自転車を脇に置いて、彼らにさった峠に至る道を聞くことにした。</p>
<p>「あ、どうも、お仕事中すいません。」 <br>奥さんが顔をあげた。 <br>「あそこの自転車でここまで来たんですが、舗装路はここで終わってしまっているんですか。」 <br>「そうよ。」 <br>「自転車で峠を越したいんですが、自転車じゃ、無理ですかね。」<br> 奥さんは<br> 「お父さん!お父さん!」 <br>と旦那さんを呼んでくれた。</p>
<p>「なんだ」 <br>「自転車でさった峠に行きたいそうなんだけど、どうしたらいいかなあ。」 <br>「そうだな、ここはこれ以上行けないから、一旦戻って、迂回したらいいんじゃないか。」<br>「ええとね、この坂を下りて、右に行って・・・」 <br>と説明してくれるのだが、何せ不案内の土地なのでよく分からない。</p>
<p>弱ったなと思いながら、適当に相槌を打っていると、奥さんが 「それじゃ、分かりにくいわよ。自転車を持って、このまま行ったほうが早いじゃないの。」 <br>道は階段状に整備されているので、自転車を転がすことはできない。したがって、自転車を抱えて運ぶしかないのである。 <br>しばらく、夫婦で話が続いたが、どうやら奥さんのほうが気力が充実し、迫力があって、旦那さんを圧倒しつつあった。そして、ついに旦那さんは折れ、私は自転車を抱えて、中の道を進むことになった。</p>
<h2>森をのぞむ</h2>
<p>道は途中で森に入るので、道がその後どういう状況になっているのか、現在地からはよく分からない。<br> 「あの階段はどれくらい続くんですか?」<br> 「そうね。少しあるけど、大丈夫よ。若いんだから!」<br> またそれかと思いつつ、 <br>「なるほど。そうですか。ずっと続くわけじゃないんですね。階段が終わったら、平らな道なんですか。」<br> 「そうよ、コンクリートじゃないけど、自転車でも通れるわよ。」<br> 「なるほど」 <br>私は意を決して、階段に進むことにした。 <br>「どうもお邪魔して、すみませんでした。それじゃ、行ってきます。」 <br>「がんばってね!」 <br>ご夫婦に見送ってもらい、私は階段に向かった。</p>
<h2>きつい。。。</h2>
<p>階段の前まで自転車を押していった後、私は自転車を抱えて、階段を登り始めた。<br>はじめはあまり重さが気にならなかったが、しばらくすると、やはり重い。 <br>自転車の本体が13kg強あり、プラスパソコン入りの荷物もあるので、重量はおそらく18kgほどだろうと思う。梅雨時期ということもあり、水は2リットル入りのペットボトルをを買っており、まだ、なみなみと残っている。 <br>また、断続的に続く雨の影響で、足元が緩く歩きづらいことに加えて、(おそらく)梅の実が落ちて、滑りやすい枯葉とブレンドされている。その腐敗した甘く微妙なにおいが辺りにたち込めて、私の呼吸を苦しめた。 <br>若いから大丈夫というのは、やはり若者の体力がないと無理な道だったんだとはっきり体で悟りながらも、とにかく今は登りきる以外に道はない。手が痺れる。自転車を右手から左手に持ち替えるが、すぐにきつくなってくる。一度自転車を地面に置くと、もう持ち上げられない気がした。出口はまだか。私は暗い森の中を力を尽くして歩いた。</p>
<h2>駿河湾</h2>
<p>ようやく階段が終った時には汗だく状態だった。自転車を置き、視線を上げると、目の前に駿河湾が広がっていた。いい眺めだ。息を弾ませながら、この苦役は報われたと思った。やはり、海というのは広大でいいものだ。何というか、息がスッーと通るのである。</p>
<p><img></p>
<div>
<em>2010年6月28日撮影 </em><br><em>さった峠の石碑の辺りから駿河湾をのぞむ</em>
</div>
<div> </div>
<h2>広重の「絵」</h2>
<p>しばらく、道なりに歩いていくと、何か見たことのある風景であることに気付いた。そう、歌川広重の東海道五十三次でお馴染みの風景である。そこには、さった峠の石碑や案内板が立っていた。同じところに、長いすがあったので、座って一休みすることにした。</p>
<p><a><img></a></p>
<div><em>2010年6月28日撮影</em></div>
<div><em>さった峠の石碑</em></div>
<div> </div>
<p><a><img></a></p>
<div>
<em>2010年6月28日撮影</em> <br>さった峠の石碑の場所からもう少し進むと、木製の展望台があり、歌川広重が描いたお馴染みの風景が広がる。そこで、さった峠から富士山をのぞむことができる。が、梅雨時期ということもあってか、残念ながら、富士山を拝むことはできなかった。</div>
<div> </div>
<h2>旅人や志士たちも歩いた道</h2>
<p>この道は江戸初期に開通したので、坂本龍馬や西郷隆盛といった明治維新の志士たちも通ったことだろう。 <br>また、中世の二度のいくさのこと、そして、早雲が盗賊に襲われ、身包み剥がされて、さった山をトボトボと興津方面に下りていく様子といった幻影を心で描きながら、ぼんやりしていた。</p>
<h2>結論</h2>
<p>その後、さらに道なりに進むと、問題なく迂回路からの合流地点に出て、さらに行くと由比に至った。</p>
<p>ということなので、もし皆さんが自転車でさった峠の中の道に来るときは、由比(東京方面)から来たほうがよいだろう。そして、石碑を見たら、引き返して、迂回路か国道を通るのである。決して、(特に梅雨時期に)階段に挑んだりしないようにしていただきたい。思い出作りに敢えて通りたいという人を私は止めはしないが。。。</p>
<p>(終)</p>

さった峠の試練

作成日:2014/6/23 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

さった峠 フィールドをゆく

ノート【更新順】
・ 岡山県の没落武士
・ 江戸東京たてもの園を訪問
・ コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
もっと見る
ノートまとめ【更新順】
・ 関ヶ原の戦いの動画
・ 淀川の城
・ 姫路城大天守の昼・夕暮れ・ライトアップ!
もっと見る
歴史年表【更新順】
・ 『おんな城主 直虎』年表
・ 花燃ゆ第2回「波乱の恋文」
・ 歴史家・歴史小説家とその時代
もっと見る
特集
・ 関ヶ原の戦い
・ 幕末維新
・ 文明論
・ 北条早雲
人物【更新順】
・ 子母澤寛
・ 周布政之助
・ 小田村伊之助
もっと見る
出来事【更新順】
・ 新型コロナウィルス感染拡大に伴い、東京など7都道府県で非常事態宣言が発令
・ 中国の武漢で新型コロナウィルスが人に感染
・ 令和に改元決定
もっと見る
世界史古代概論
・ 世界史古代概略
・ ローマと前漢、不思議な成立の符合
・ 古代の日本と西欧
戦国のはじまり
・ 早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
・ 応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
・ 北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
・ 2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
・ 歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
・ 大坂の陣で奮戦した毛利勝永の記事
お知らせ
・ 特集ページを追加
・ 検索ページを追加しました
・ ドメイン変更のお知らせ
もっと見る
歴ウス
公式Twitterページ
歴ウス
公式Facebookページ
歴ウス
公式YouTubeチャンネル