【三郎とハチー五十子陣ー】<p>その日はよく晴れて、大地が乾燥していた。3年前(2010年)の4月下旬のことだ。<br> 鉢形城を出て、荒川を渡ったあと、北上し、五十子陣に向かった。</p>
<h3>五十子陣</h3>
<p>15世紀の半ば、鎌倉公方は関東管領の上杉氏と争った結果、古河公方は鎌倉を落ち、古河に移って古河公方となった(享徳の乱 1454-1482)。つまり、鎌倉公方と補佐役の関東管領という室町体制が崩壊し、関東は戦国時代に突入した。<br> その後、関東管領の上杉と古河公方の両陣営は利根川を挟んで対峙した。その上杉方の陣地が五十子陣だった。<br> 現在、16時前である。もう暑くはなく、日の勢いは衰えてきている。そろそろ五十子陣に近づいているはずだ。<br> それにしても広い。視界を遮る遮蔽物がほとんどない。正面に赤城山、左手に榛名山が霞んで見える。ここは武蔵(埼玉)だが、すぐ北は上野(群馬)だ。この大陸的な雰囲気の中を自転車で進む。しかし、秩父山地はその位置をなかなか変えようとしない。</p>
<p><a><img></a></p>
<p><em>2010年4月撮影<br>利根川南岸から赤城山(右側)と榛名山(左側)がうっすら見える。<br>広い。。<br></em></p>
<h3>iPhone以前</h3>
<p>この頃はiPhoneを持っていなかった。ということは、GPSから位置情報が得られない。そのため、紙の地図だけが頼りである。いや、もう1つ方法がある。それは人に聞くことだ。<br> しかし、見渡しても人はそうそう歩いていない。同じ武蔵でも南武蔵とは人口密度が違う。</p>
<p>GPSが使えないなら、どうやって、現在地を推測するのか。<br> 自分は地形(ランドマーク)と太陽の位置で大体の位置を知り、それを紙の地図から得た町名番地で補正していた。<br> この方法はたいていの地域で機能する。しかし、北関東のように、町の区分が広すぎると、苦しくなってくる。あと、日が暮れると、地形も太陽の位置も分からない。必然的に、現在地は闇の中となる。</p>
<p>いずれにしても、iPhone以前は現在地がどこなのか知ることは困難だったため、行動は非効率だった。しかし、分からないがゆえに、遠方の知らない土地にゆく時は、大いに興奮した。</p>
<h3>小学校に人がいた</h3>
<p>五十子陣の近くにはいるはずだ。そう思って、ウロウロしていると、小学校があった。止まって、場所を確認する。が、どの小学校か分からない。ここは広い武蔵の最北端。<br> 小学校の金網沿いに、小学生が何人かいる。その左に、柴犬を連れたおじさん(40歳過ぎぐらい)が小学生たちに向かって歩いてきた。<br> 柴犬が小学生たちに吠える、吠える、とにかく吠える。吠えることしか知らないかのようだ。この際、名前を「ハチ」と名付けよう。<br> おじさんは「うるせえっ」とハチを一喝するが、ハチは全く意に介さない。</p>
<p>まあ、ハチはやかましいが、小学生に聞くよりも、おじさんに聞いた方が良かろうと思い、おじさんに話しかけた。<br> 「すいません、この辺に行きたいんですが。」<br> 五十子陣って、どこですか?とは聞かない。経験的に、余程有名な史跡でないと地元の人は知らないことが多い。五十子陣はマニアックだ。中世関東史において、重要な土地だったのにも関わらず。</p>
<p>おじさんは目を細めて、「えーと、いまは○○小学校だから。。。」と私の地図を見ている。その間も、もちろん、ハチは吠えている。<br> 「うるせえっ」とまた叱るが、効果なし。おじさんはしばし無言でハチを睨んで、怒気を発する。その刹那、後方に跳んだっ!</p>
<p>一瞬何が起こったか分からなかったが、明らかに飛び蹴りだった。<br> だが、ハチは素早い身のこなしで、難なくかわし、「ニヤリ」と笑った。そして、満足した様子で、吠えるのをやめ、行儀よくお座りしている。</p>
<p>飼い犬に飛び蹴りを放つ人を、自分は今まで見たことがない。しかも、その後、おじさんは何事もなかったように数歩で戻ってきて、<br> 「えー、小学校がここだからこっちだね」と北西の方向を指差した。</p>
<p>この野性的な出来事を前に、このおじさんは「三郎」に見えてきた。三郎とは『男衾三郎絵巻』の三郎、つまり、中世武蔵の荒武者の姿である。</p>
<p>三郎とハチは、こんなことを毎日繰り返しているのかもしれない。<br> 南武蔵では、犬は従順で、おとなしいペットである。飼い主も優しく、いきなり飛び蹴りを繰り出したりしない。</p>
<p>三郎に弓矢や槍刀を渡したら、さぞかし、勇敢に違いない。<br> また、いざ鎌倉という時には、ハチは三郎のために、決死の働きをするだろう。たぶん。</p>
<p>脳内で大鎧姿となった三郎殿に礼を述べ、私は北西にあるという五十子陣を目指して、自転車を漕ぎはじめた。</p>
<p>(終)</p>

三郎とハチー五十子陣ー

作成日:2014/6/26 , 地図あり, by fuji3zpg 開く

五十子陣 フィールドをゆく

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