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その5 躑躅ヶ崎館と要害山城ー武田信虎の戦いー

躑躅ヶ崎館


3日目、多少の疲労感が残る中、ホテルを出発した。目的地は躑躅ヶ崎館、現在の武田神社である。


躑躅ヶ崎館周辺の絵地図。躑躅ヶ崎館は相川扇状地の谷に位置し、西側は北から南へ荒川、東側は北東から南西へ笛吹川が流れている。北には山の麓に積翠寺が、詰の城として要害山城がある。 その4で触れたとおり、福島勢乱入の際、身重の大井夫人が積翠寺に避難して信玄を生んだ。 この時を含め、結局、要害山城で戦闘が行われることはなかった。



躑躅ヶ崎館付近の絵地図。
躑躅ヶ崎館は相川扇状地の谷に位置し、西側は北から南へ荒川、東側は北東から南西へ笛吹川が流れている。北には山の麓に積翠寺が、詰の城として要害山城がある。
その4で触れたとおり、福島勢乱入の際、身重の大井夫人が積翠寺に避難して信玄を生んだ。 この時を含め、結局、要害山城で戦闘が行われることはなかった。

 

かつて、信虎が作った躑躅ヶ崎館は、信玄、勝頼も拠点とし、勝頼が韮崎の新府城に移すまで、武田家の本拠地だった。
信玄ファンにとっては、「聖地」と言えるかもしれない。


信玄と信玄公


余談だが、山梨に来てから、信玄は「信玄」ではなく、「信玄公」であることを思い知らされた。現在も信玄が尊敬されていると本に書いてあったので知ってはいたが、土産物屋にはたいてい「信玄」の名が付いている。たとえば、「信玄餅」というのがある。


この旅の行く先々で、10名ぐらいの人と話をしたと思うが、やはり、「信玄」というのと「信玄公」というのでは微妙に反応が違うことに気づいた。
勝手な想像だが、浄土真宗の人に「親鸞」というのと「親鸞聖人」というのとの違いに似ているかもしれない。 ともあれ、同宗のよしみを感じてくれるようなので、3日目からは「信玄公」ということにした。


武田神社


武田神社は甲府駅の2kmほど北にあり、なだらかな上り坂が続く。
いつものように最初は頑張って坂を走ったが、途中で諦めて、自転車を降りて歩いた。いま歩いている武田通りには、信玄の家臣や一門の屋敷跡を告げる案内板がいくつも立っている。山梨大学付近の秋山伯耆守や信玄の弟、武田信繁の屋敷など、お馴染みの人物の屋敷の位置が紹介されていた。


武田神社の前に行くと、水堀がある。ここで大軍を相手に籠城することは無理だが、館として使用するなら立派なものだった。武田神社の内部は想像より、多少小さめだったが、遺構はよく残っていた。


【躑躅ヶ崎館】西曲輪の堀



2011年10月撮影:
躑躅ヶ崎館跡、西曲輪の水堀。

 

信玄の嫡男、武田義信が住んだとされる西曲輪には、ほとんど何もなかったが、現在、発掘調査が行われたいるようで、ブルーシートが敷かれていた。


西曲輪から武田神社を出ると、かつて味噌曲輪だった野に出る。まさに古城の雰囲気があり、想像力を掻き立てられる。


躑躅ヶ崎館の北側に広がる重臣たちの館跡。カメラは北東方向を向いている。



2011年撮影:
かつて、味噌曲輪だったところ。撮影地点から北側に信玄の弟、武田逍遥軒信廉の屋敷があった。

 

ここから北に2kmほど行くと、大永元年(1521年)、福島勢乱入の際、身重の大井夫人が避難したという積翠寺と躑躅ヶ崎館の詰めの城(有事の際に使用する城)、要害山城がある。


躑躅ヶ崎館から要害山城を遠望。中央やや右の濃い緑の山がおそらく要害山城。



2011年10月撮影:
躑躅ヶ崎館から要害山城方面をのぞむ。

 

積翠寺


見た感じ、積翠寺、要害山城まで上り坂が続くので、自転車を置いて、歩いていくことにした。


現在、11時である。この日は過ごしやすかったが、なぜかこの時間帯だけは日が照っていた。結構暑く、汗が出る。しかも2日間の疲労(自転車だけで約100km走っていた)に加えて、すでに休みなく2時間半ほど武田神社内をウロウロしていたので、登りはじめる前から結構疲れていた。


上り坂であったことと道がクネクネしていたこともあってか、2kmという疲労感ではなかった。
が、ともかく、積翠寺に到着した。ここからの眺めはよく、甲府盆地の西側を一望できる。ただ、残念ながら、電信柱と電線が眺めを邪魔していた。


積翠寺】石碑。「機山武田信玄公誕生之寺」



2010年10月撮影:
石碑には「機山武田信玄公誕生之地」と書いてある。
これまで見てきたように、武田信玄が生まれた頃、危機的な状況だった。信玄の人生は赤子の頃から試練に晒されていたが、この時は父、信虎が守ってくれた。

 

例の乱入の折に生まれた信玄の人生は、ここからはじまったのである。
感慨に浸りながら、これからの彼の人生と眼下で戦っていた信虎のことを思った。もし信虎が上条河原の戦いで負けていれば、信玄は生後10日ほどで、ここからどのかの土地に落ちるか、逃げ切れず捕まっていたかもしれない。


要害山城


あとは要害山城に登るだけである。
積翠寺の100mほど北に行くと、「要害」というホテルがある。ここに要害山城に関する案内板があり、そこから右手に城への入り口がある。このホテルで昼食をとるかどうか迷ったが、どうせまた汗だくになるのは明らかなので、下山後、温泉に入って、昼食をとることにした。


飴を左膝のポケットから取り出して舐める。これで少しは元気が出るだろう。さて、出発。


この城ははっきり言って山だった。まあ、要害山城という名前の通り、山城なので当然なのだが、特に登り始めの傾斜がきつくて閉口した。半分ぐらい登ると、曲輪と門が続く、この辺まで来ると、傾斜は階段になっており、登りやすかった。


【要害山城】中腹の門跡。小さな曲輪が続き、その都度、虎口がある。登りはじめが急な坂で辛かった。普通の登山といった感じ。この時は11時半頃でかなり空腹だったので、序盤の坂は効いた。



2011年10月撮影:
要害山の尾根にこういった曲輪がいくつも並び、その都度、門が配置されていた。

 

資料によると、門は8つあるそうで、山城にしては立派なものである。
最後の門に到達して、本郭に来たときは思わず「ヤッター!」と叫んだ。もし誰かいたら、恥ずかしかっただろう。


【要害山城】本丸入口の虎口。一体いくつの虎口と曲輪を抜けてきたのだろうか。



2011年10月撮影:
要害山城、最後の門跡。
中盤から嫌気が差していたので、ここに辿り着いた時には両腕ガッツポーズをして叫んだ。
なお、この日は土曜日の昼頃だったが、結局、誰一人出会わなかった。関東の場合は、どんなにマニアックな城に行っても、誰かしらいるものだが、山城とはいえ、週末に要害山城のような(城好きには)著名な城で誰とも会わないというのは驚きだった。

 

本郭は想定外に広かった。
本郭をしばらく散策したあと、倒木に腰をおろして休んだ。
噴き出る汗を拭いながら、周囲の、そして、眼下の景色をしばし眺めていた。


さあ、下りよう。
ホテルの温泉と昼食が待っている。


空腹と疲労による重い足取りで、私は山を下りはじめた。


ホテル「要害」


ヘトヘトになって、ホテル「要害」に着いた。


受付で温泉と昼食を頼むと、どちらを先にするか聞かれたので、温泉に先に行くと答えた。
温泉のある一段下の階に行って、男湯の暖簾をくぐると、おじさんが2人いたが、入れ替わるように出ていった。風呂場に行くと、誰もいなかった。まあ14時頃だったので、不思議ではないが、思わぬ貸切風呂を満喫できた。


温泉で疲れを癒したあと、昼食をとった。 何とかという魚の甘煮がメインの定食を注文し、絶景をテラスから楽しんだ。腹べこだったこともあったかもしれないが、甘煮はおいしかった。


要害山城の麓にあるホテル要害から甲府盆地を撮影。



2011年10月撮影:
ホテル「要害」からの眺めがとてもよかった。

 

こんにちはー!


腹も満たされたので、武田神社を目指して、ホテル「要害」を出発した。


なぜか知らないが、ここは気持ちのいいところだった。思わず、鼻歌まじりで歩いてしまいそうだ。しかも、この頃には日差しも柔らかく、気温も適当に過ごしやすい。まさに、ハイキングにピッタリの天気といえる。


積翠寺から200mほど、下りた所で、5歳ともう少し小さいぐらいの女の子が行きと同じように遊んでいた。様子からして、姉妹かもしれない。
私が通り過ぎる頃、大きい方の女の子が「こんにちはー!」と元気のいい声で挨拶してくれ、小さい方の女の子も高い声で「こんにちはー!」と続いた。
旅の途中、私から声をかけることはあっても、かけられることは少ないので、ちょっと驚いたが、私もにこやかに「こんにちはー!」といった。 これだけの何でもない話だが、とても清々しい気分になった。


日程終了


事前に予定していた場所にはすべて行くことができた。
入念に準備していたこともあるが、iPhoneのGPS機能とGoogleマップに負うところが大きい。もしiPhoneを持っていなかったら、半分ぐらいしか行けなかっただろう。


歴史サイクリングは楽しいものだが、今回は異様に面白かった。
また機会を見つけて、ブロンプトンで走りにいきたいものだ。


(終)

作成日:2014/8/20
場所: 日本, 山梨県甲府市下積翠寺町 県道31号線(原則、地図座標から場所を算出しています。目安とお考えください)

躑躅ヶ崎館 積翠寺 要害山城 山梨県 甲府市

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