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山崎の戦いゆかりの地

山崎の戦い 豊臣秀吉 京都 明智光秀

投稿日: 2014/07/09

はじめに:

本能寺の変(天正10年(1582年)6月2日)のあと、羽柴秀吉は中国地方で毛利と和睦し、迅速に京に戻ってきた(中国大返し)。秀吉は天王山の宝積寺に本陣を置いた。

6月13日、秀吉勢は小泉川を挟んで明智光秀勢と戦い、勝利した(山崎の戦い)。

次は、勝龍寺城に行きたいですな。

作成日:2013/2/13 , 地図あり fuji3zpg 開く

山崎の戦いゆかりの地

<p>【山崎城】山崎駅から天王山(山崎城)を遠望。</p>

作成日:2013/2/12 , 地図あり fuji3zpg 開く

山崎の戦いゆかりの地

<p>【山崎城】麓にある宝積寺三重塔。山崎の戦いの際には、羽柴秀吉が宝積寺に本陣を置いた。</p>

作成日:2013/2/12 fuji3zpg 開く

山崎の戦いゆかりの地 淀川の城

【山崎城】中腹の展望台。解説版が置いてあり、よく分かった。写真中央の右に伸びる道路が京滋バイパスで、その左線上に小泉川がある。この川で両軍が激突した(手前が羽柴秀吉軍、奥が明智光秀軍)。<br><br>なお、天王山から東に約3.5kmに淀城が、北東約3kmの勝竜寺城(光秀本陣)があった。

作成日:2013/2/13 fuji3zpg 開く

山崎の戦いゆかりの地

【山崎城】中腹の展望台から南東を遠望。中央の山が男山で、山頂に石清水八幡宮がある。さらに2kmほど南東に行くと、筒井順慶の逸話で有名な洞ヶ峠がある。写真の右側奥。

淀城北側から天王山(山崎)方面を撮影

作成日:2014/7/8 , 地図あり・方位あり・方位あり fuji3zpg 開く

山崎の戦い 淀城 山崎の戦いゆかりの地 淀川の城 京都府 京都市

【淀城北側から天王山(山崎)方面を撮影】<p>淀城北側の宮前橋から天王山方面を撮影。淀川の位置関係から中央の山のどちらかが天王山と思われる。<br>本能寺の変(1582年)の後、羽柴秀吉が中国大返しで京に戻ってきて、明智光秀と戦ったのが山崎の戦い。</p>
<p>秀吉の本陣は天王山の宝積寺に本陣を置いたので、当時、ここから眺めていれば、天王山の山麓の戦いが見えていたかもしれない。</p>
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