入間川が北を通る。北武蔵の鉢形城、南武蔵の江戸城を結ぶ、中武蔵の最重要拠点。
享徳の乱がはじまり、扇谷上杉氏は古河公方と対立すると、河越城は武蔵の拠点として、扇谷上杉氏の重臣、太田道真、道灌親子によって築かれた。
河越城は、入間川を押さえる要地にあった。扇谷上杉氏としては、太田道灌の守る江戸城、扇谷上杉氏当主が城主である河越城、そして、古河公方との戦いの最前線拠点である五十子陣のラインを重視していた。
享徳の乱が終わり古河公方との和睦がなると、山内上杉氏と扇谷上杉氏は戦いをはじめた。後北条氏は、この争いに付け入って、勢力を拡大し、ついに河越城を奪った。
1546年、山内上杉氏・扇谷上杉氏・古河公方は争いをやめ、連合して、後北条氏の守る河越城を大軍で囲んだ。しかし、連合軍は北条氏康率いる援軍に撃破され(河越夜戦)、扇谷上杉氏は滅亡し、山内上杉氏、古河公方ともに勢力を減退させたため、後北条氏は武蔵の覇権奪取に向け、大きく前進した。
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作成日:2013/5/20 , 地図あり・方位あり・方位あり, by fuji3zpg 開く
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