韮山城は、現在の韮山高校周辺にあった。韮山城の西側を下田街道が通っている。
平安末期には鎌倉北条氏の拠点が南西1kmほどのところにあった(現在の願成就院の辺り)。また、室町時代には、堀越公方館も願成就院の辺りにあった。
室町時代、1493年に北条早雲が伊豆討ち入り、堀越公方の足利茶々丸を追ったのち、早雲は韮山城を本拠地とした。後北条氏の本拠地が小田原に移ったのは、後北条氏2代の北条氏綱からで、早雲は生涯、韮山城が居城だった。
早雲亡き後も、伊豆支配の中心地として機能した。
早雲の伊豆討ち入りから約100年後の天正18年(1590年)、豊臣秀吉による関東侵攻がはじまった。韮山城では、豊臣秀吉の4万4千余の大軍を相手に、後北条氏4代北条氏政の弟、北条氏規が3600の兵で3ヶ月間持ちこたえた。しかし、有力な支城郡が落城し、後北条氏にとって絶望的な状況となったため、説得に応じて開城した。
なお、韮山城の北側に、江戸後期に活躍した江川太郎左衛門英達の屋敷がある(彼は韮山代官で、韮山反射炉や品川の台場の築造、西洋流砲術家として有名)。
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作成日:2013/2/28 , 地図あり, by fuji3zpg 開く
作成日:2013/2/2 , by fuji3zpg 開く
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