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【清洲城】新幹線から清州城を撮影。

新幹線から撮影した清州城の模擬天守。

関ヶ原の戦いの当時、清洲城には30万石ともいわれる大量の兵糧が蓄えられていた。もちろん、これは豊臣秀吉が徳川家康からの攻撃を想定してのことだろう。

清洲城主は福島正則で、秀吉に取り立てられた武将である。他にも、掛川城に同じく秀吉恩顧の山内一豊を置くなど、秀吉は秀吉恩顧の武将たちで東海道沿いを固めていた。

しかし、これら秀吉恩顧の武将たちは、石田三成が挙兵すると、徳川家康に味方してしまう(小山評定)。
それは小山評定で、福島正則が家康に従うことを明言したことで、この流れが作られたと言われている。

確かに関ヶ原の戦いでは、清洲城は戦場にならなかったが、戦場が関ヶ原となった大きな理由の一つが、清洲城(福島正則)を徳川家康が取り込んだことにあった。

作成日:2014/5/26 , 撮影日:2013/12/26
場所: 日本, 愛知県清須市清洲2711(原則、地図座標から場所を算出しています。目安とお考えください)

関ヶ原の戦い 福島正則 関ヶ原の戦いー小山評定ー 愛知県 清須市

【【清洲城】新幹線から清州城を撮影。】新幹線から撮影した清州城の模擬天守。

関ヶ原の戦いの当時、清洲城には30万石ともいわれる大量の兵糧が蓄えられていた。もちろん、これは豊臣秀吉が徳川家康からの攻撃を想定してのことだろう。

清洲城主は福島正則で、秀吉に取り立てられた武将である。他にも、掛川城に同じく秀吉恩顧の山内一豊を置くなど、秀吉は秀吉恩顧の武将たちで東海道沿いを固めていた。

しかし、これら秀吉恩顧の武将たちは、石田三成が挙兵すると、徳川家康に味方してしまう(小山評定)。
それは小山評定で、福島正則が家康に従うことを明言したことで、この流れが作られたと言われている。

確かに関ヶ原の戦いでは、清洲城は戦場にならなかったが、戦場が関ヶ原となった大きな理由の一つが、清洲城(福島正則)を徳川家康が取り込んだことにあった。
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