投稿日: 2014/12/05
はじめに:
1858年に大老に就任した井伊直弼は、阿部正弘と同じ開国論者であったが、彼は幕府保守派であり、幕政に諸大名や朝廷が口を挟むのは許さなかった。つまり、幕政のあり方に関しては、阿部正弘の改革以前に戻そうと考えた。
そのため、安政5年(1858年)6月に、孝明天皇の勅許を得ないまま、日米修好条約に調印した。これが尊王攘夷派を激怒させることとなった。
また、幕府内の派閥争いもあり、派閥争いに勝利した南紀派の井伊直弼は、敗北した一橋派(一橋慶喜を将軍に推す派閥。阿部正弘に協力的であった藩主や彼が抜擢した人材)を粛清した。これが安政の大獄である。安政の大獄では、長州藩の吉田松陰、越前藩の橋本左内らが刑死している。
このような背景のもと、1860年に桜田門外の変で、水戸浪士らに襲撃されて暗殺されることとなった。
作成日:2014/5/16 , 地図あり fuji3zpg 開く
作成日:2014/5/16 , 地図あり fuji3zpg 開く
作成日:2013/2/16 , 地図あり fuji3zpg 開く
歴ウス 公式Twitterページ |
|
歴ウス 公式Facebookページ |
|
歴ウス 公式YouTubeチャンネル |