昭和初期に巨椋池が干拓されて、京都地形(の意味)が変わってしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E6%A4%8B%E6%B1%A0
巨椋池の北側、東山南端との接点に伏見城が、そして、西側には淀城がありました。
京都にとって、巨椋池は南方からの侵入者にとっては巨大な水濠の役割を果たしていたわけです。
ということで、戦国期を考える時は、当時の巨椋池を想定しておきたいところです。
歴ウス 公式Twitterページ |
|
歴ウス 公式Facebookページ |
|
歴ウス 公式YouTubeチャンネル |